第二回 百々ノ津茉莉
三
わたしは小走りで学校に向かったけれど、案外普通に間に合ってしまって、まだ遅刻には程遠かった。昇降口の窓ガラスにでかでかと貼られたクラス発表の用紙の前には、黒山の人だかりができている。
とりあえず、自分のクラスを確認する。どうやら見知った名前も多くて、ひとまず安心だ。
学年が変わるから、もちろん靴箱の場所も変わる。一瞬これまでと同じ場所に行きそうになったけれど、はっとして二年生の靴箱のエリアに移動した。学年変わりはこれがあるから油断できない。小学生のころ、学年が変わってから何日か経つのに、前の教室に入ってしまったことが二回くらいあって、さすがに恥ずかしかった。
初めて入る教室は、やっぱり何だか落ち着かない。何しろ、これまでは上の学年の人たちが使っていた場所なのだ。他人の部屋に入ったような気分になる。
机には、出席番号と名前の印字されたシールが貼られている。並びは当然五十音順だ。すぐに自分の席を見つけ、着席する。
もう新しいクラスメイトと打ち解けて会話している生徒もいれば、挨拶のチャンスがなくてまだ独りで座っている生徒、昨年も同じクラスだった仲間内で固まっている生徒もいて、教室内の様子はさまざまだ。
そうこうしているうちに、大柄な教師がドアを開けて颯爽と教室に入ってくる。新学期最初のホームルームが始まる。
「担任の神田だ。一年間よろしく頼む」
黒板に大きな字で名前を書いた神田がそう挨拶すると、周囲からは失笑が漏れる。
「お前ら、何がおかしい! …まあ、慣れてはいるがな。言っておくが、どうせすぐに飽きるぞ」
神田自身、その理由を分かっている様子だ。
黒板に彼が書いたフルネーム。
「神田快」。カンダカイ。
それでいて、大柄ないかにも体育会系の男がドスの効いた低い声で話すものだから、思わず笑ってしまう生徒がいるのも無理はない。まったく甲高くないのだ。
わたしは昨年も神田が担任だったからもう慣れてしまって、今ではなんとも思わない。でも最初はやっぱり面白かったので、笑うのも無理はない。
「…ぷっ。思いっきり低いやないかい!」
―ええと、右隣から聞こえてくるその声の主も、去年わたしと同じクラスだったはずなのだけれど。
「わたしはなると違って引きずるタイプなの! 重いの!」
「重い」の使い方に少し引っかかりを覚えるけれど、突っ込むのも面倒だし、突っ込んだところできっと改善もされないから受け流しておく。彼女のこうした用語法にひとつひとつ突っ込みを入れていたら、それだけで一日が終わってしまう。
受け流しつつ、これまで通りの日常の一コマに安心するのが最適解だ。
これまで通りの日常。
何の変わり映えもない生活。
その繰り返しに嫌悪感や退屈さを覚える層は、どんな集団にも一定数はいるらしい。
「学校にテロリストがやってきて、普段は根暗キャラな自分が八面六臂の活躍を見せてテロリストを撃退する」とかいうおなじみの妄想もそうだし、「絶世の美少女やイケメンが突然転校してくる」とか、「突然、だれかと運命的な恋に落ちる」とか。
そんなドラマチックな展開が起こらないことに対して不満を持って、現実を非難する。
まったくその気持ちがわからないとまでは言わないけれど、わたしはむしろ、日常生活はルーティン・ワークの繰り返しであってほしいと思うほうだ。
これは別に、退廃的なのが好きだとか、省エネ的だとか、そういうことではない。
趣味や非日常的なイベントにおいて刺激的な変化があるのはわたしもうれしいし、むしろそうであってほしい。でも、日常生活があまりに変化に富んでいて、本当に学校にテロリストが来たり、美少女が突然転校してきたら、きっとわたしは疲れるだけで、それを楽しむ余裕はない。
だから、毎日繰り返すものには、できるだけ平凡であってほしいのだ。
そう思った矢先、神田が続ける。
「それと、お前らに転校生を紹介する。―入っていいぞ」
…物事は思い通りにいかないということを、新学期早々思い知らされる。
神田がドアを開けると、その転校生とおぼしき少女が、教卓のほうに向かって歩いてくる。
上履きがそんな音を立てるはずはないのだけれど、まるでカツカツとヒールの音が聴こえてきそうな、そんな気の強いツンデレお嬢様めいた、自信に満ち溢れて少し堂々としすぎた歩き方。
いきなりのサプライズに、教室がざわつく。
この子、ただ者ではない。
わたしがそう思うのは、彼女の歩き方や雰囲気がそう思わせるからではない。もちろん、それも少しはあるけれど。
それは、その転校生が、今朝、わたしの目をまじまじと見つめても眠らなかった、緑髪のあの美少女だったからだ。
「―
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