第29話 エピローグ

「あなたはアホですか?」


「いやいや、朝一番のあいさつにしちゃ、いきなりそいつは失礼じゃないか? 今気持ちを引き締めたところなのに」


 征たちが言葉麗王との戦いを終えて一週間がたったある日の朝。征は寝惚け眼をこすりながら、2階から降りてきたところだった。


 征は新たな『天』の所持者として、麗王によってこの街にばらまかまれたままの言玉を、命と一緒に回収していた。今日もがんばるぞ。と、両頬をぱんと叩き、気持ちを引き締めたところにいきなりアホ呼ばわりされて、征は憤慨する。


「気持ちを引き締めるのはけっこうですが、ズボンのゴムもちゃんと引き締めてください。下半身下着1枚で意気込んでいる人間は、どこからどう見てもアホだと思うのですが」


「命のエッチ!!」


「エッチはあなたです!」


 4月下旬の朝にしてはやけに寒いと思ったら、あろうことか征のパジャマのズボンが脱げていた。大失態である。


「あら? 征……。その、やけに股間のあたりが膨らんでいるようですが……だめですよ。そんな所に物を入れては」


 命の視線は征のパンツの盛り上がった部分に注がれていた。


「いや、違うんだけど! これはその……確かに玉があるんだけど……男の証というか……人類にとって大事な物が詰まってるというか」


「玉? まさか、大事な言玉をそんな所に入れているのですか!? だめです、すぐに出しなさい!」


「ちょ、おいおい! どこ触ってんの!」


 命は征のパンツに手を伸ばそうとする。


 征は命の恐ろしいほどに無自覚な性格を呪った。


「天ちゃーん。おはよー。今日は言玉の練習するって命ちゃんに言われて――」


 ジャストタイミング。そして、バッドタイミング。


「来たんだけど……」


 乙女が天道家の玄関から一気に侵入してきて、征は一瞬、命の攻撃を防御するのをやめてしまう。いや、やめてしまった。


「天ちゃん、命ちゃんに何させてるの……?」


 その瞬間征は、一週間前まで乙女にとって英雄。いや、それ以上の存在だったのだが、その評価は地に落ちるどろか地に沈んでしまった。


「キャアアアアアアアアアアア!!」


 と、叫んだのは命でもなく乙女でもなく、征本人だった。


 そして、一時間後。


 何とか誤解を解いたものの、乙女には刺激が強すぎたのか、いまだどこかぎこちない空気が3人の間に流れていた。


「まあ、とにかく。学校行こうぜ? 賢見と時任さん、通学路の途中で待ってるんだろ?」


「……え。あ、は、はい。そう、ですね。そうでした」


「……」


 あたふたと返事をする命に対して、乙女は未だ放心状態といった様子で、征は心底今朝の不幸を呪った。


「ほらオツ。行くぞ」


「……わたし、初めてお父さん以外の男の人の下着姿、見ちゃった……」


「おい、オツ?」


 いきなり乙女は玄関先で三つ指を突いて土下座をする。


「ごめんね、天ちゃん! こうなったらわたしが責任をとって、天ちゃんをお嫁さんにするから!」


「意味わからねーよ! なんでオレがお前のお嫁さんなんだよ!」


「大丈夫、天ちゃんはわたしが幸せにしてあげる」


「うるせえ! ほら、学校いくぞ!」


 乙女を無理やり引っ張りながら征と命は家を出る。しばらく道を歩いていると、時任と賢見が待ち合わせの場所に立っていて近寄ってくる。


「おはようございます、先輩」


「天道くん、おはよう」


「ああ、2人ともおはよう。って、賢見は……今日もダメだったか」


「はい……ぼく、一生このままなのかもしれません……」


 あれから一週間たった今でも賢見の体は元に戻っていない。毎朝会うたびに確認しているのだが、今日も彼は彼女のままだった。


「でもぼく、特に不自由はしていませんよ? 親は仕事でめったに帰ってこないし、学校の友達も特に何も言わないし。こうやって男子の制服着て、胸も隠しちゃえばなんとかバレませんから」


「いや、でもお前……夏はどうすんだよ?」


「あ……」


「夏服になったら、嫌でもその……胸が隠せなくなるし……水泳の授業だとお前……」


「う……」


 賢見の顔は征の言葉に反応するように、じょじょに赤みを帯びていった。


「まあでも。それまでになんとか方法を考えるか。お前の体だって、ちゃんと元に戻るさ! オレがなんとかしてやるよ! だから、心配すんなって!」


 征がぽんと胸をたたくと、賢見は安心したように笑顔になった。


「そうですよね。ぼく、先輩を信じます。先輩がいれば、きっとなんとかなるって思えます!」


「よし。それじゃ、行こうぜ」


 と、征たちは再び歩き出す。


「あ、ごめん。ちょっと忘れ物。みんな先に行っててくれよ」


 だが、征は途中で立ち止まると4人に別れを告げてその場に止まった。やがて彼女らの姿が見えなくなるのを確認して、後ろへ振り返る。


「おはよ、センパイ」


「龍ヶ峰……お前、無事だったのか」


「ま、なんとかね」


 征が振り向いた先には、龍ヶ峰平和が立っていた。


「この一週間、傷付いた体を元に戻すことに専念してたから、センパイに会えなかったけど……ようやく会えたね。あたし、たまってんだ」


「な、何がだよ」


 妖艶な笑みでにじり寄る龍ヶ峰に、征は一歩後退する。


「ちょっと~逃げないでよ。再会のハグくらいいいでしょ、センパイ? それとも……ハグなんかよりも、もっと気持ちイイコト、する?」


 制服の上着に手をかけながらそう言う龍ヶ峰に、征は心が揺らぎかけた。


「は、はあ!? お前、一体オレを何だと思ってんだよ……」


「んー。一匹のオス、かな? もちろん性的な意味で」


 龍ヶ峰は一瞬考える素振りを見せると、真顔でそう答えた。


「オレは、お前という人間がよくわからん……」


「あは。それ間違ってるよ、センパイ。あたしら人間じゃない。元人間、だよ」


「……」


「至玉所持者同士なら解るよね。互いの存在を。あたしらは無意識の間にお互いを呼び合ってるんだ。さっきだってそうだろ? センパイがあたしに気付いたのは。『命』の女は気付いてたけど気付かなかったフリしてのか解んないけど」


「ああ、そうだ……」


「ねえ、センパイ」


 龍ヶ峰の顔が迫る。幼さを残した15、6歳の美しい少女の顔が、目の前にあった。


「あたしとセンパイと、『命』の女の他に……もう1人。至玉所持者が近くにいる」


「え」


「それに、至玉以外の力も感じる。……嫌な感じの力だ」


 その時、征の頭の中に浮かんだ単語は麗王が残した言葉だった。


「魔大戦、か……麗王の言ってことが始まるのか」


「センパイ。怖い?」


「いや。誰が相手だろうと、なんとかするさ。オレには『天』もあるし、なにより……オレの知ってる誰かや、大事な誰かを傷付けられるのは、嫌だ」


「ふーん? その中にあたし、入ってる?」


「大人しくしてたら、入れてやるよ」


「あー、じゃあ無理かな。だってあたしさ」


 にゅむっ。という妙な感触が耳に残って、征は一瞬何が起こったのか理解できずにいた。


「んふ……あたしは『龍』だもの。今度はもっと気持ちイイコトしようね、センパイ」


「は? って、ええ? お前どこなめてんだ!」


「ごちそうさま」


 龍ヶ峰は征から離れると、舌なめずりをして笑った。


「それじゃセンパイ。あたし行くね。真紅のこと守ってあげて」


「おい、賢見に一言くらいあいさつしていけよ!」


「今さら顔なんて合わせられないよ。あたし、あいつにひどいことしちゃったし……。本当は、無理に言玉を使わせたくはなかったけど……あたしも、『神』になって、変えたい過去があったんだ。でも、もうそれはいい。それよりも大事なことが、大事な人ができたから。だから、真紅には何もしないし悪いことももうしない。誓うよ」


「そうか」


「だからさ、あたしと気持ちイイコトしたくなったら、いつでも呼んでよね。センパイ!」


 龍ヶ峰は手を振ると走り去ってしまった。


「相変わらずつかめない奴だな……」


 征はひとりごちると、学校に向かって歩き出した。

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天ノ道ヲ征ク 岡村 としあき @toufuman

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