後編
仰々しいほどのスポットライトが斗馬を四方から包み込む。スタジオがこれほどまでに熱気で充満しているというのは、テレビ画面を見ているだけでは得られない発見だった。
熱いのは斗馬だけではないのだろう。パネラー席にならぶスーツ姿の学者たちが、遠慮がちにハンカチで額を拭っている。
「CM明け5秒前……」
ディレクターのキューにつづいて番組のメインテーマが流れ、本番を知らせる赤いランプが点灯する。
「テレビって、こんなに大げさなんだね」
ピンマイクが拾わない程度の小声で、楓が言う。
(僕の友人も番組に出演させてほしい)
それが、漆原に提示した唯一にして絶対の条件だった。こういう場合、リーダーの単独行動が行き過ぎると独善的な印象を与えてしまい、仲間割れにつながりやすい。楓も最初は出演をしぶったが、有名タレントに会えるチャンスだと説得すると、案外簡単に気持ちが変わったようだ。現にテレビ局に入った途端、売り出し中の若手女優とすれ違ったと言ってはしゃいでいた。
「(選挙権法案特集)ということで、今日はフレッシュな高校生ふたりにきていただきました」
カメラが斗馬たちにズームアップする。ここまでカメラに寄られると、さすがにどういう顔をすればいいかわからない。楓はただ、頬をこわばらせるばかりだ。
「今日はゴドーさんとお呼びすることにしますね。それから、そちらのお嬢さんは?」
「……藤谷楓です」
「すてきなお名前ですね。まだかなり緊張なさっているようだ。まあ、それもそのうちほぐれるでしょう」
司会者はさっと視線を走らせ、進行台本を確認する。
「彼らは一体、どのようなグループなのか。わかりやすく説明するために、まずはこちらをご覧いただきましょう」
大げさな効果音につづいて、スタジオの大型モニターにグループチャット画面が表示される。
「これはゴドーさんがクラス全員にむけて送ったメッセージを、御本人の許可を得て拡大したものです。(諸君に告ぐ)。書き出しからしてドラマチックですね。さて、皆さんに注目していただきたいのはこの部分です」
司会者がスマホの要領でモニターをタップすると、その部分がさらに拡大される。
「(16歳に達する者は次の選挙で絶対に投票するな)。これが彼らの主張なのです。つまり、彼らは今回の選挙法案に反対しているのです。いたずらに投票年齢を引き下げることだけが民主主義ではないと、彼らなりのやり方で訴えているのです。私の説明にどこか間違いはありますか、ゴドーさん」
「大まかなところはあたっています。ただ……」
「君たちは憲法を読んだことがあるかね」
しゃべりたくてたまらなかったのだろう。ロマンスグレーの学者が口をはさむ。
「日本国憲法のことですよね。全文を読んだことはありませんが、ある程度の内容は知っているつもりです。学校の授業でも習いましたし」
「日本国憲法には、国民主権という大きな柱がある。それはすなわち、選挙という方法によって、自分たちの手で自分たちの国のリーダーを選ぶということだ。次の選挙からは16歳以上の若者にもその権利が与えられる。それを奪う自由がどこにあるというんだ。君たちのやろうとしていることは、この国の民主主義を根底から馬鹿にする、とてつもない愚行なのだよ」
満足したように、学者は悠然とコップの水を飲む。
「私からもひとつ言わせてください」
薄いピンクのスーツを着た女性コメンテーターが手を挙げる。
「ゴドーさん、ですか? あなたが明確な信念のもとに行動なさっていることはよくわかりました。だとしたらなぜ、それを投票というかたちで表明しようとしないのですか。そしてどうして、投票しないことをクラス全員に強制する必要があるのですか。政治信条の押しつけは、れっきとした憲法違反ですよ」
「僕は彼らを擁護したいなあ」
派手な柄のメガネとネクタイが目立つコメンテーターが腕組みをして言う。
「若い連中はみんな、もがいてるんですよ。社会との接点を見つけようとして必死なんですよ。そんな閉塞感のなかで彼らのようなグループが出てきたことは、ひとつの希望だと思う。やり方は荒けずりなところもあるけど、政治に対して何か言ってやろうって気持ちそのものは、もっと応援してやるべきですよ」
「いや、しかしですね。彼らのやっていることは間違いなく憲法違反でありまして……」
「そうですよ。民主主義への冒涜です!」
「彼らにはまっとうな政治教育が必要なんだ!」
「やめてください!」
テーブルを強くたたいて、楓は立ちあがった。スタジオのざわめきが一瞬にして静まり、カメラが楓のアップをとらえる。
「斗馬は、一生懸命なだけなんです。自分の意見を少しでもたくさんの大人たちにわかってもらおうとしてるだけなんです。それがいけないことなんですか。政治をバカにしてることになるんですか」
「楓、もういい」
小声で言いながら、斗馬は楓の制服の裾を軽く引っ張った。もちろん、大人たちには見えないように。
「議論が盛り上がってきたところですが、そろそろお時間です。最後に、ゴドーさんから画面のむこうの視聴者に訴えたいことはありますか」
司会者が視線をむける。
襟元を正しつつ、斗馬は立ちあがる。
「言いたいことはネットで伝えたつもりです。ただ、ひとつだけ訂正させてください。僕たちはグループでもなければ、いわゆる政治団体でもありません。だから、過激な手段によって社会に危害をくわえようと考えているわけではありません。ただ、僕のメッセージにほんの少しでも共感してくれる人がいたら、声を寄せてください。ひとりひとりの力でこの国を変えていきましょう。僕が伝えたいのは、それだけです」
「すばらしい演説でした。ゴドーさんへのメッセージは番組公式サイトまで!」
テレビ局から家に帰ると、すでに9時をまわっていた。
玄関で、千鶴子が待っていた。いつになく表情が硬い。
「お父さんが話があるって」
リビングで文則が待っていた。ダイニングテーブルに肘をついて、能面のような表情でこちらを見ている。
「ちょっとここに座れ」
抑揚をつけずに、文則は言う。千鶴子も隣に座って、
「お父さんはね、あなたの帰りをずっと待ってたのよ」
「夕方のテレビ、見たぞ」
文則がわずかに身を乗りだした。刑事の取調べはこんな雰囲気なのかもしれないと、他人事のように斗馬は思った。
「なぜこんなことになった。父さんにわかるように説明してくれないか」
今さら隠すつもりはない。斗馬は、事の成り行きをゼロから話して聞かせた。ただ、斗馬にそうさせたそもそもの発端――ふたりの教師の醜さについてはあえて触れなかったけれども。
「それで、お前はテレビ局の出演依頼を承諾したんだな」
「ああ、そうだよ」
「どうして、父さんたちに相談しなかったんだ」
「……言っても無駄だと思ったから」
「何が無駄なんだ!」
湯飲みの茶がこぼれでるほどに強く、文則はテーブルをたたいた。
「ごく普通の高校生がテレビに出る。これは大変なことなんだぞ。そんな大それたことを自分ひとりできめられるほど、お前は一人前の人間なのか」
「お母さんもびっくりしたわよ。いつものようにテレビをつけたら、いきなりあなたが画面に出てきたものだから……」
「問題はその前だ」
よほど怒りをおさえているのだろう。文則の唇は、小刻みに震えていた。
「お前はネットの掲示板にメッセージをばらまいていたそうだな。おそらくそれが話題になってテレビにも呼ばれたんだろう。いいか、これだけは言っておくぞ」
文則はいったん息を深く吸ってから、
「ネットなんていう仮想空間で人気者にまつりあげられたからといって、それは何の意味もないんだ。そんなものは人間の価値とはこれっぽっちも関係ない。そのことをお前自身がどれだけ理解しているかどうか。父さんはそこが一番知りたいんだ」
「インターネットには悪い情報もたくさんあるんだから……」
この人たちは、何もわかっていない。手繰り寄せていた最後のか細い糸が切れたような気がして、斗馬は反論するエネルギーを失った。
「メッセージの中身については何も言わない。人にはそれぞれ信念があるからな。ただ、自分の信条を他人に押しつけることだけはやめろ。お前ひとりの計画にまわりを巻き込むな。そんなのはお前の自己満足だ」
巻き込んだのではなく、いつの間にか賛同者が集まっただけだ。あんたが心配しなくても、時期がくればグループは自然に解散するさ――声にならない反論を、強引に腹の底に押し込む。それをそのままぶつけたところで、不毛に終わるだけだ。
「お父さんに謝る言葉はないの」
「もういい」
文則は立ちあがって、
「今日はもう寝ろ。帰りが遅くなって疲れただろう。今後、何か大事なことを決めるときは必ず父さんたちに相談する。それさえ約束してくれればそれでいい」
「……疲れたから寝る」
「斗馬! お父さんにちゃんと謝り……」
ヒステリックな千鶴子の声をふりきるように、斗馬は2階へと上がっていった。
家族ごっこは、もううんざりだ。
テレビ出演の効果からか、斗馬、いや、(ゴドー)の知名度は格段に上がった。その後も各局から出演依頼が舞い込んだが、斗馬はそのすべてをことわった。べつに、両親を気遣ったわけではない。これ以上むやみに露出を繰り返すメリットはないと判断しただけだ。主張を広く訴えるという目的を達成した以上、テレビというメディアに利用価値はない。
ワイドショーへの出演について、ツイッターやサイトなどからたくさんのメッセージが寄せられた。
(大人たちとちゃんと対等に闘ってる。尊敬あるのみ!)
(主張そのものにはいろいろ言いたいこともあるけど、顔と実名を出してテレビで堂々と意見を言ってたところはカッコイイと思う)
(ハンドルネームもセンスあり。まさに神!)
(この調子で頭の固いオッサンたちを黙らせちゃえ!)
ネット空間でのうねりがここまで盛り上がると、政府もさすがに無視できなくなったらしい。通常国会の場で、(ゴドー)の名前が取り上げられるまでになった。
カメラの前で、総理大臣は訴える。
「若者よ、君たちは無力だ。しかしだからこそ、君たちには無限の希望と可能性がある。まばゆいばかりの活力を我々大人に分けてはくれないか。君たちの若さと我々の知恵があれば、混沌とした社会に明るい道すじをつけられるだろう。さあ、今こそ手を取り合うときだ。無益な対立は、もうやめようではないか!」
いつの時代も、こうした訳知り顔の訓示が若者の心をとらえたためしはない。ましてや、今は2025年。総理渾身の演説は、あっという間に恰好の炎上の標的となった。
(なに言ってんの、このオッサン)
(あんたらとははじめから対立してないし)
(議論が1ミクロンもかみ合ってないんだから対立もなにもないじゃんね)
(どうせ、選挙に利用してるだけでしょ)
(やっぱり、ゴドー様とは格が違うね)
(次の総理はゴドー様できまり!)
斗馬にとって、総理をはじめとする政府閣僚の空まわりぶりは好都合な材料であった。大人たちが無能さをさらしつづけてくれるほど、相対的に斗馬たちの知名度と好感度が高まっていく。
(選挙ボイコット運動)はもはや、斗馬ひとりの手におさまる問題ではなくなっていた。斗馬の主張は全国各地に拡散し、あらゆる地域で類似のグループが活動をはじめていると、テレビのニュースが報じていた。
気づかないうちに、引き返せないところまできてしまったのかもしれないな……グループ設立を知らせるEメールを受け取るたびに、斗馬は思うのだった。
投票日まであと2週間とせまったある日、第2回作戦会議が開かれた。
トモカ(斗馬のこと、国会で取り上げられたらしいね。ネットで見てビックリしたんだけど)
かえで(斗馬の努力のおかげだよ。でも、テレビに出た時はホント緊張したなあ)
武ちゃん(なんで俺も出さなかったんだよ)
斗馬(お前が出たら終わるだろ)
トモカ(それ言えてる)
武ちゃん(どういう意味だよ?)
かえで(とにかく、問題はこれからよね。目の前にある分岐点から、どっちの方向に進むか)
トモカ(このままメッセージを送りつづけるか、それともやめるかってこと?)
武ちゃん(簡単じゃねえか。これだけオレらが有名になったんだ。この調子でどんどんメディアを利用して、選挙を乗っ取ってやろうぜ!)
トモカ(私たちの目的はそんな過激なことじゃないでしょ。それにオレらっていうけど、有名になったのは武人じゃないからね!)
武ちゃん(わかってるよ、そんなこと)
かえで(もめてる時間がもったいない。みんなでこれからのことを考えようよ)
武ちゃん(そういえば、どうしたんだろうな。添島のやつ)
トモカ(勉強のほうが大事なんでしょ。テストももうすぐだし)
武ちゃん(この前の会議に出てきたのも、結局はアリバイづくりってわけか。あいつの考えそうなことだな)
かえで(うちは斗馬の考えが聞きたいよ。リーダーの意見が一番大事でしょ)
斗馬(僕は、このままの方向性でいいと思う。ただ、みんなに迷惑がかかることだけは何としてでも避けたい。だからこれからも、あくまで個人単位で行動しよう)
トモカ(迷惑ってなに? 私たち、クラスの仲間でしょ)
斗馬(仲間だからこそ、僕はみんなを守りたいんだ。最終的に責任をとるのは、僕だけでいい)
トモカ(そんなのカッコよすぎるって。かえでからも何か言ってよ)
かえで(斗馬の判断が冷静だと思う。せっかくここまで注目されたのに、くだらないことでケチがついたら意味ないじゃん)
トモカ(そんなの寂しすぎるよ)
武ちゃん(まあ、ここは頭のいいふたりに従おうぜ。納得できねえけど)
次の日の放課後、斗馬と楓は校長室に呼ばれた。
「ここに呼ばれた理由がわかるか」
校長と教頭を前に、国木田は言った。
「生徒を校長室に入れることなんて、めったにないことなんだからな」
深刻さを強調した声で、磯貝が重ねる。4人の大人にかこまれ、楓は幾分緊張している様子だったが、斗馬はむしろ普段より落ち着いていた。この程度の事態は、はじめから予想がついていたからだ。
「昨日、臨時の職員会議を開いてな」
国木田はやけにもったいをつけて、
「お前たちふたりを、明日から出席停止処分にすることが決定した。もちろん、校長先生も了承済みだ」
「それって謹慎と同じ……!」
「やめろ。まずは理由を聞こう」
国木田につかみかからんばかりの楓を、斗馬は押しとどめる。
「理由なら、もうわかってるはずだけどな」
銀縁眼鏡の奥の細い眼で、教頭がふたりをにらみつける。
磯貝がとりなすように咳払いをして、
「高校生の政治活動はやはり問題だろうと、まあ、そういう結論になったんだよ」
「僕は構いません。最初からその覚悟で、ネットにメッセージを投稿したんですから。ですがなぜ、楓まで出席停止になるのです。彼女は何の関係もないのに」
「テレビにふたりそろって出演したそうじゃないか。クラスでも成嶋君の補佐役のように振る舞っておいて、それでも関係ないと言い張れるのかね」
「それは言いがかりです!」
楓が必死に抵抗する。
「確かに、私は成嶋君と一緒に夕方のニュースショーに出演しました。けれどそれは私自身がそのテレビに出たかったからで、彼の補佐役を引き受けたつもりはありません。そもそも、斗馬は自分自身の考えをネットにぶつけただけで、政治活動をしているわけではありません。それに、斗馬のやっていることが政治活動にあたるとして、それのどこがいけないんですか。高校生が自分の意志で政治に意見を言うことがそんなにいけないことなんですか」
楓の言葉の最後は、ふるえていた。唇を噛みしめ、拳を固く握りしめてもなお流れ落ちる涙を、楓はどうすることもできないようだった。
「謹慎は、私ひとりじゃダメなんですか?」
教頭はふっと鼻で笑って、
「美しい友情だね。しかし君たちは、世の中には涙を流してもどうにもならないことがあることを学ばなければならない」
「……なに言ってんだよ、バカ教師」
斗馬の口から、するりと言葉がこぼれでた。
やるなら、今しかない。
斗馬は国木田の襟元につかみかかりながら、
「高校生はおとなしく大人の言うことを聞いてろってことかよ。それじゃあ、何のための選挙権なんだよ。投票権ってのは国に対等に文句を言うための権利だろうが。あんたたちみたいな頭の固い大人たちがいるかぎり、この国はちっとも変わんねえんだよ。あんたら本当にこの国を良くする気があるのかよ。なあ、こたえろよ!」
国木田を押し倒し、馬乗りの恰好になった。
「やめなさい!」
校長のするどい声がとぶ。ふたりの教師から羽交い絞めにされなければ、国木田を血みどろになるまで殴っていたかもしれない。
「成嶋君、君は頭のいい青年だ」
鬼から仏。校長は一転して穏やかな口調になり、
「そうやって担任教師に食ってかかり、自分だけが悪者になることでクラスメイトを守る。きっと、ずっと前から計算していたんだろう。しかし、いいかな。そのやり方は決して賢明とは言えない。君が今すべきは、自分の置かれた状況をよく見きわめ、自分に下された処分の意味を深くまで考え抜くことだ。出席停止は、そのための充電期間と思えばいい」
「校長先生のおっしゃる通りだぞ」
口もとを拭って立ちあがりながら、国木田は言う。
「とにかく、これ以上うちの平穏を乱されては困るんだよ。しばらく家で頭を冷やせ。わかったな」
「でも、斗馬は……」
「楓。もういい」
なおも何かを言いたげな楓を、斗馬は小声で制した。
「やっとわかったようだな。国木田先生への暴行は不問に付してやるから、それだけでもありがたく思えよ。いいか、今回だけだぞ」
こうして、斗馬は学校から追放された。
トモカ(斗馬が謹慎ってホント?)
武ちゃん(なんでだよ?)
かえで(テレビ出演の件が問題になったみたい。ちなみに、うちも仲良く謹慎だよ)
トモカ(えっ、かえでまでどうして?)
かえで(うちも一緒にテレビに出たからね。同罪ってことじゃないのかな)
トモカ(同罪って……)
添島(中心になって動いてきた斗馬はともかく、藤谷まで謹慎になるのは理不尽だな)
武ちゃん(なんだよ、お前。他人事みたいに言いやがって)
トモカ(そうよ。この前の作戦会議にも出なかったくせに)
武ちゃん(テレビのこと国木田たちにチクったのはお前じゃないのか)
添島(とんだ言いがかりだな。会議に出られなかったのは、単純に勉強が忙しかったからだよ)
武ちゃん(素直に信じられねえな。どんなに忙しくても、合間にメッセ打つぐらいはできるだろう)
添島(大学受験の過酷さを知らない人間の言い草だな)
武ちゃん(何だと……!)
かえで(ふたりとも状況を考えなさいよ。いま話し合うべきは、これからどうするかって問題でしょう)
添島(そこには、一連のメッセージを撤回して、すべてを白紙に戻すっていう選択肢もふくまれているのかな)
トモカ(私は、もうそろそろ打ち切りにしたほうがいいと思う。斗馬たちを謹慎にした以上、学校も本気になってこの問題を取り締まろうとしてるってことだから……)
武ちゃん(結局、自分のことしか考えてないんだな。巻き添えを食うのがいやなだけなんだろ?)
トモカ(そうじゃなくってさ……)
添島(新山の意見にも一理あるよ。学校側が斗馬たちにノーをつきつけた以上、このまま活動をつづけていくのはリスクが大きすぎる。ちょうどいい引き際なんじゃないのかな)
武ちゃん(だから、どうして他人事でいられるんだよ。ピンチの時こそ団結するのが仲間だろ。もういい。俺はひとりでやるからな。斗馬のいない分まで、全力でメッセージを広めてやる!)
かえで(湯之原君、お願いだからヤケにならないで)
添島(人間にとって一番危険なのは理性を失うことなんだぞ)
武ちゃん(理屈っぽいお説教はもううんざりなんだよ!)
かえで(湯之原君……)
トモカ(このメッセ、斗馬も見てるのかな……)
添島(さあ、どうだろうな)
長い休暇がはじまった。ただし、このうえなく理不尽かつ不本意なかたちで。
1日中親と顔をつきあわせるのも息が詰まるので、昼間は図書館やネットカフェで時間をつぶすようにしていた。居場所を失った人間のための居場所は、さがせば意外にあるものだ。
楓には、心から申し訳ないと思う。見通しの甘い軽はずみな判断のせいで、必要のない犠牲を強いる結果になってしまった。何とか、あいつだけでも謹慎にならずにすむ方法はないものか。あれこれと知恵をめぐらせたが、アイディアはひとつも浮かばなかった。
ネット空間では相変わらず、(ゴドー)の亡霊がさまよっているようだった。ついには同じハンドルネームを名乗った(偽ゴドー)まで出る始末で、状況はもはや斗馬ひとりの手にはおさまりきらないほどに膨張しきっていた。
謹慎処分は予期せぬアクシデントだったが、悪いことばかりでもなかった。思いがけない長い休暇は、斗馬に、一連の騒動について深くまで考え抜くための時間を与えてくれた。大人たちの理不尽な介入がこれ以上広がる前に、何とか次の手を打たなければ。
混乱を打開するアイディアのかけららしきものがようやくひらめきかけたころ、かえでから唐突にメッセージが入った。
(武人が、刺された)
病室の武人は、思いのほか明るかった。ただ、見舞いにきたクラスメイトを気遣って無理に明るく振る舞っていることは、時折影のように差し込む苦しげな表情を見ればわかる。
「昨日の朝、校門の前で演説しているところを1年生の男子に後ろから刺されたんだって」
楓がおさえた声で説明する。
「武人……」
ベッドにすがりつくようにして、友香がすすり泣く。
武人はあっけらかんと笑って、
「そんなに悲しいムード出すなよ。見ての通り、命は助かったんだから」
「傷があと1ミリずれれば危なかったのよ。バカ」
「痛い目に遭ってどうして怒られなきゃなんねえんだよ」
「でもいいんじゃない、武人らしくて」
病室に軽い笑いが生まれる。斗馬は次の沈黙を待ってから、
「演説って、何のことだ」
「武人ったら、俺が次のリーダーになるんだっていって、毎朝校門の前で大声で演説してたのよ。もちろん、(16歳になる者は次の選挙で投票するべきではない)ってね。学校に目をつけられるからやめてくれって、うちらも何回も言ったんだけど」
「いつもはホームルームにも出ないくせに、こんな時だけ張り切っちゃって」
「その一言は余計だろ」
「それで、突然後ろから刺された……」
「動機はまだわからないみたい。でもきっと、うちらの主張に不満を持ってたんだと思うよ。ずっと前からチャンスをねらってたんじゃないかな」
「後ろから不意うちなんて卑怯だぜ。文句があるならタイマン張れってな」
「添島は?」
「あいつならさっき帰ったぜ。家庭教師の時間が詰まってるとかでさ。つくづく冷たい奴だよな」
「きてくれるだけまだいいじゃん。国木田たちなんて、見舞いにもこない」
「一応、担任なのにね」
「まあ、きたところで迷惑なだけなんだけどな」
武人のぎこちない明るさと右上半身を覆うように巻かれた包帯が、斗馬に事態の深刻さをつきつけていた。未熟なリーダーの身勝手な思い上がりのせいで、とてつもない犠牲をだしてしまった。
「本当に、申し訳ない!」
病室の3人にむかって、斗馬は深く頭を下げた。
「僕の身勝手さのせいで、みんなをこんな目に……」
「気にするなって」
「今回の件は斗馬のせいじゃないよ」
「いや、僕が悪いんだ」
斗馬はきっぱりと言った。
「僕が思いつきであんなメッセージをばらまかなければ、何も問題は起きなかったんだ。すべての責任は僕にある」
「そこまで思い詰めなくても……」
「もう少しだけ時間をくれないか。結論はすぐに出すから」
病院特有のアルコール臭が、やけに強く鼻をついた。
湯之原武人が刺されたニュースは、(男子高校生刺傷事件)としてテレビなど各メディアで大きく取り上げられた。犯人はその日のうちに警察に連行され、取調べには素直に応じているということだった。動機にかんしては、演説の内容に反感をもっていたと供述しているらしい。
「これ、お前の高校だよな」
事件を伝えるニュースショーを観ながら、文則は言った。
「もしかして、クラスメイトなのか」
「……ああ」
「もういいだろ、これ以上は」
たった一言。本当に、それだけだった。
斗馬はただ、黙っていることしかできなかった。数日前の自分なら、まだまだやるべきことは終わっていないと、父親の忠告をつっぱねていただろう。けれど今の斗馬にはそんな気力も余裕も残されていなかった。それに今は、父親と不毛ないさかいを起こしている場合ではない。
新しいメッセージを発信しなければ。思いがけない混乱にけりをつけるための、最後のメッセージを。
(諸君に告ぐ。僕のかけがえのないクラスメイトが刺された。すべては僕の責任だ。よって、衆議院選挙の投票にかんする一連の発言を、今日をもって撤回する)
(メッセージ撤回? ってことは、次の選挙で投票していいの?)
(あっさり撤回するのかよ。あんなにえらそうに言ってたくせに)
(先生に怒られたんでしょ)
(頭でっかちのマザコンちゃん)
(まあ、どっちにしても投票しないけどね)
(でも、ゴドーにはもっと頑張ってほしかったなあ)
(政治家をあわてさせただけでも上出来なんじゃないの)
(神は死んだのか……)
(本当にゴドーはもうこないのかな)
(こうなったら、オレが次のゴドーになってやる!)
そして、投票日翌日……。
各局のニュースショーでは、当選情報とともに、選挙の投票率が伝えられた。
総投票率、62.3%。そのうち16歳の割合は、12.5%。
まあ、妥当な数字だろう。(ゴドー)が現れなかったとしてもこの程度の数字に落ち着いていただろうと、学者たちがもっともらしくコメントをつけていた。
謹慎処分は解除された。ただ、校内から刑事事件の容疑者が出たことで、学校側は戦々恐々としているようだった。マスコミの報道が落ち着くまでは部活が休みになると言って、楓が文句を言っていた。
武人は、相変わらず能天気だった。退院にはまだしばらく時間が必要とのことだったが、傷口が浅かったことが幸いして、復帰後は変わりのない日常が送れるらしい。
結局、何も変えることができなかった。
一連の選挙騒動のあとに残ったのは自分への無力感と、とらえようのない虚無だった。(ゴドー)は一体、この世界の何を変えようとしたのだろう。
学校に行くために家を出ると、門の前にひとりの少年が立っていた。小学生だろうか。色白で華奢な体つきだが、頬を妙に上気させている。明らかに見覚えがない。
斗馬は身構えた。こっちは、メディアでさんざん顔と名前をさらしてしまっている。
「ゴドーさん……ですよね?」
おずおずと、少年は言う。
「ネット、ずっと見てました。何かうまくいえないけど、すっごくカッコよかったです。僕もいつか、ゴドーさんみたいに堂々と自分の意見を言えるようになりたいです。本当に、ありがとうございました!」
ひょろ長い体を折り曲げるようにしてぺこりと頭を下げると、少年は逃げるように走り去ってしまった。
斗馬は、思わず笑っていた。
これで、いいのかもしれない。
価値観をがらりと変えることはできなくても、目の前にいるひとりひとりに自分の考えを胸を張って伝えていけばいい。青くさいと笑われようと、偽善者だとあざ笑われようと、その努力だけはつづけていこう。
それが、ぼくたちのデモクラシーなのだから。
たったひとりのデモクラシー @yocchan-555
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