たったひとりのデモクラシー

@yocchan-555

前編

 グループメッセージ、12件。

 スマホのメッセージチェックから、斗馬の1日ははじまる。寝ている間にも、LINE上の会話はつづいている。

(いま起きた。軽く寝坊気味)

 メッセージは短く。それがグループメッセージの鉄則だ。エモーションマーク(昔でいう顔文字)の選択は、人工知能にまかせることにする。送信ボタンを押すと、メッセージにつづいて、あくびをしているようなスマイルマークが添えられた。

 制服に着替えてリビングに降りると、千鶴子と文則が食卓でトーストを食べていた。壁紙式薄型テレビには、朝のワイドショーが流れていた。

「ちょっと待って。すぐパンの用意するから」

「いいよ。もう時間ないし」

 斗馬が言うのも無視して、千鶴子はキッチンへと立っていく。

(競技場の赤字問題が尾を引いています)

 テレビ画面には、手入れがほとんどされていない国立競技場の空撮映像が映しだされていた。

「予想通りの結果になったな」

 もっともらしく、文則が言う。

「建設の前からきちんと計画を立てておかないから、こういうことになるんだ。結局、潤ったのは東京だけじゃないか」

「あれから5年も経つのにね」

 国立競技場騒動は、斗馬も知っている。建設時にもいろいろともめたらしいが、そっちのほうは記憶にない。

 さっき送信したグループメッセージに、早速レスが届いた。楓からだ。

(1限は黒沢ロボだよ。気をつけて!)

 もちろん計算ずみだ。異常なまでに時間にきびしく、始業時間より1秒でも遅れると容赦なく遅刻と見なすロボット教師。もしや本当に機械仕掛けなのではないかと、時々思うことがある。ホームルームはどうでもいいとして、黒沢の授業だけは何があっても遅れるわけにはいかない。

(サンキュー。今日も朝飯抜き確定だな)

 メッセージに気づいたら、すぐに返信する。それがグループメッセージの掟。

 片手でスマホを操作しつつ、空いているほうの手で手際よくカバンに荷物を詰めていく。荷物といっても、スマホよりひとまわり大きいタブレット端末だけ。この端末ひとつに各教科のテキストがすべて収録され、好きな時にいつでも呼び出すことができる。ノートをとるというわずらわしい行為も、もはや必要ない。教師がコンピュータに打ち込んだ内容がそのまま送られてくるからだ。

「しかし、時代は変わったよな」

 サラダに手をのばしながら、文則が言う。

「そのタブレット1台に全部の教科書が入るんだろ。重い荷物を毎日持ち歩く苦労もないってわけだ。父さんの時代からは想像もできないよ」

「スマホやタブレットもいいけど、ちゃんと将来のことも考えてるの? 来月は三者面談でしょう」

「あんまりうるさく言わないでよ。まだ1年なんだし」

「まだ1年って、のんきにしてると卒業まであっという間なのよ。高校生はもう、半分大人なんだから」

「将来について今から真剣に考えておくのは大事だぞ。今度の選挙からは投票権が与えられるんだからな」

「どうしていつも他人事なのよ。だいたい、あなたがいつまでも厳しく言わないから……」

「もう時間だ。会社に行かないと」

「またそうやって逃げ道つくって」

 親の小言をシャットアウトできるアプリが開発されないものか。(16歳選挙権法案)成立のおかげで、どこの家でも同じようなくだらない会話が交わされているのだろう。

 政治も将来もどうでもいい。1限目の数学に無事間に合うかどうか。

 今は、それが問題だ。


 どこでもドアがあればいいのに。

 授業に遅れそうになるたびに、斗馬は切実に思う。長くつづいているアニメに、そういうような近未来型の道具が出てきたような気がする。物理的距離を無視した瞬間移動装置があれば、ぎりぎりまで寝ていても余裕で始業時間に間に合い、遅刻の恐怖から半永久的に解放される。あるいはもっと単純に、学校という制度そのものをなくしてしまって、家庭学習システムを全国的に根づかせるとか。

 凝り固まった枠組みをほんの少し見直すだけで、多くの若者が救われる。要するに、そういう話だ。

 計算通り、ホームルームが終わるぎりぎりに教室に着いた。

「連絡事項はすでにタブレットに送ってある通りなので……」

 遅刻の斗馬を注意するでもなく、国木田は淡々とホームルームを進めていく。コンピュータによる教育改革も、教師の無気力化はとめられないらしい。

 斗馬が席に着くと、見はからったようにスマホの着信ランプがついた。

(さすが斗馬。ある意味時間通りだね♪)

 窓際の席の楓がこちらにむかってちいさくウインクをした。

(HRに集中しろ。バカ)

 ポーカーフェイスを装いつつ、すばやく返信をうつ。数秒後、ぺろりと舌をだしたスマイルマークが送られてきた。

「成嶋、ちょっといいか」

 ホームルーム終了後、国木田が教室の外から手招きをした。

「今度の三者面談のことなんだが……」

 国木田は斗馬を廊下の隅へ連れていきながら、

「自分なりに、何か考えてるのか」

「進路希望の締切は来週ですよね」

「これは個人的な意見なんだが……」

 国木田はやけにもったいをつけて、

「国立をねらう気はないか」

「4年制、ですか」

「お前は学年のエースだ。中間試験の結果を見たが、どの教科についても穴がない。私立でも一流どころをねらえるレベルだろう。チャレンジしてみる価値はあると思うがな」

「ありがとうございます」

 とりあえず頭を下げておく。言われなくても、進路希望調査票には4年制私立大学と書くつもりだった。

 1限目の予鈴が鳴る。

「何かあったら、タブレットで意見を送ってこいよ」

 国木田の声は、廊下を行き交う女子たちのざわめきにあっけなくかき消された。


(今日の公民、死ぬほどつまんなかったね)

(いちいちメッセしてくんな)

 送信ボタンを押し、スマホ画面から視線をあげる。

「ちょっと若者してみちゃった」

 すぐ向かいに座る楓が、いたずらっぽく微笑む。

「うちらだって、普通に会話するのにね」

 昼休み。風通しのいい吹き抜けのテラスは、真冬以外は人気の昼食スポットだ。梅雨特有の湿気がなければ、なお快適なのだが。

「明日の5限も特別授業だって。政治なんて正直どうでもいいよね。午後から早退しようかな、ひさしぶりに仮病使って」

 2024年6月、改正公職選挙法、通称(16歳選挙権法案)が成立した。選挙権の下限年齢を16歳にまで引き下げ、投票率の上昇をねらう。

 法案成立に先だって、全国の学校では選挙に関する授業がカリキュラムに組み込まれるようになった。カリキュラムといっても、小学生でもわかるような選挙制度の基礎講座だの、幼稚園のお遊戯なみの模擬投票だの、その程度のレベルなのだが。

「10年後の未来より、1週間先のほうがよっぽど大事だよね」

 売店イチ押しの野菜サンドを頬張りながら、楓は言う。もともと童顔なうえに笑うと目が糸のように細くなるので、なおさら幼く見える。

「進路希望票にはなんて書くの?」

「まあ、テキトーに書くつもりだけど」

「うちはとりあえず進学かな。そこそこの大学に行ければいいや」

「あの成績でよくそんなことが言えるよな」

「それをここで言うかなあ」

 楓はわざとらしくむくれてみせて、

「みんな、将来のことどのくらい真剣に考えてるのかな。友香はモデルになれそうだし……。マサイチ君は東大一本で確定だろうけど」

「あいつは例外だろ」

 添島正一。脳内に高性能学習チップが内蔵されているのではとうわさされる、トップクラスのガリ勉。カバンにはつねに(東大合格マニュアル)をしのばせ、休み時間も3年後にそなえた勉強に余念がない。あいつの笑顔を見た人間には3万円の懸賞金が払われることになっているが(湯之原の発案だ)、今のところその報告はゼロである。

「あと、湯之原君はどうするのかな。どうせ何も考えてないだろうけど」

「土壇場になって担任に泣きつくタイプだろ、あいつは」

「それ言えてる」

 湯之原武人。私立高校にはきわめてめずらしい、典型的な不良タイプ。女に注目されることと最小限の努力で成績をあげることにしか関心がない。大手企業社長の父親の力による裏口入学だろうということで、クラスの意見は一致している。もちろん、本人は鬼の形相で否定するのだが。

「来月の選挙、行く?」

「べつにどっちでもいいけど」

「だよねえ。うちらの1票で社会が劇的に変わるってわけでもないだろうしね」

 でも……楓はかたちのいい眉をかすかに波立たせる。何かを考えている時のくせだ。

「自分の好きな人に投票できるって思ったら、ちょっとだけ興味でるかも」

「誰を選んでも同じだよ」

「夢がないよね、斗馬は」

「リアリストと言ってくれ」

「はいはい、夢のないリアリストさん」

「勝手に言ってろ」

 楓との馬鹿話をいつまでつづけられるのだろう……そう考えると、なぜだか急にカツサンドがまずくなった。

「でも、斗馬の気持ちもわかる気がするな」

「何だよ、突然」

「政治家っていつも、ずっと先の未来しか言わないじゃん。5年後にはこの国はよくなります、10年後には皆さんはもっと幸せになります……ってさ。けど、ホントは違うんだよ。明日のことがとにかく大事って人も、この国にはたくさんいるんだよ。おじさんたちはそのへんがわかってないっていうか……」

 言いながら、楓はさりげなくスマホをいじる。間もなく、斗馬のスマホに着信ランプが……。

(国の未来よりも、斗馬との将来のほうが大事なんだけどな)

 こういう時はポーカーフェースが鉄則だ。

(冗談よせよ。バカ)


 定期試験にそなえてコンピュータルームで自習をしていたら、最終下校時刻ぎりぎりになってしまった。

 昇降口へむかっていると、廊下を遠ざかっていく国木田の後ろ姿が見えた。並んで歩いているのはおそらく、副担任の磯貝だろう。大柄で鈍重な国木田と、小兵力士のような磯貝。ねらいすましたかのように好対照な取り合わせだ。

 教師同士の会話になど興味はない。もちろん普通なら、特に気にもとめずにさっさと下校していただろう。だが、この時ばかりは事情が違った。

「成嶋についてですが……」

 磯貝の声がうっすらと聞こえた。ふたりは職員用トイレへと入っていく。

 自分の名前を出されれば、やはりその先が気になる。斗馬はできるだけ足音をたてないように、そして他の教師にとがめられないように注意しながら壁際にそっと耳をそばだてる。

「あいつは、たぶんダメですね。これから伸びないでしょう」

「先生もそう思われますか」

「ああいう優等生タイプが社会に出てくずれるのです。頭が良いだけの人間ならごまんといますからね。まっ、成績はこれからも上位をキープするでしょうから、あいつにはせいぜいうちの進学実績を上げてもらって……」

「先生もお人が悪い」

「生徒の実力を見抜くのが担任の責務ですからね」

「なるほど。それは確かに……」

 くぐもった笑い声が廊下にまで薄く響く。

 怒りでもなければ、ましてや失望でもない。内心の奥深くにどんよりと居座る感情を言葉によってとらえるとすれば、それは虚無だった。

 はじめから期待などしていない。大人は所詮、身勝手な生き物だ。あいつらに正義や倫理観を求めるのは、ゴキブリにも理性があると思い込むような馬鹿げたことなのかもしれない。

 斗馬はその場から離れた。わずかでも感情がゆらいでいるのか、足音が高くなってしまった。しかしその音さえ、ふたりの教師には聞こえるはずもなかった。


 帰宅後、斗馬は自分の部屋にこもり、ネットサーフィンをはじめた。いつもなら1日の授業の要点を軽く復習しておくのだが、なぜだか今日はそっちのほうに意識がむかなかった。

(ああいう優等生タイプが社会に出てくずれるのです)

 国木田の言葉が不意にリフレインする。自分ではさして気にもとめていないつもりだったが、思いのほか心が波立っていたらしい。

 動画共有サイトを気まぐれにまわっているうちに、(16歳選挙権法案)反対のデモ映像に行きついた。ちょうど1年前、法案成立直前のものだ。

 横断幕を掲げた100人規模の行列が、原宿のメインストリートを練り歩く。幅広い年代が参加しているのがこのデモの特徴だと、ニュースキャスターが解説をつけていた。こうして時間を置いてながめてみると、ディスプレイのむこうに流れる光景が他人事のように思えてくる。

 あの頃もそうだった。リアルタイムで報じられる一連のデモ活動を、斗馬は透明のバリアひとつへだてた世界の出来事としてとらえていた。何の力ももたない人間がどれだけあつまろうと、国という大きな力に立ち向かえるはずがないじゃないか。現に法案は粛々と審議されて淡々と可決し、各地の抗議団体は次々に解散した。

 いや、待てよ――斗馬はもう一度、映像を再生する。

 無謀だとわかっていて声をあげてみるのも、面白いかもしれない。価値観を変えることはできなくても、頭の固い大人たちにほんの一瞬でも自分たちの存在を見せつけることはできるのではないか。

 斗馬の頭に、ひとつのアイディアが浮かんだ。それは、暗くよどんだ洞窟にともる一点の光のように心もとないものだったが、斗馬の意識をとらえるには充分なエネルギーをもっていた。

 この世界に、さざ波を起こしてやろうじゃないか。デモというストレートな手段ではなく、もっと効率的なやり方で。

 映像を中断し、スマホを手に取る。グループメッセージを起動し、メッセージをうちこんでいく。あて先は、1年C組全員だ。

(諸君に告ぐ)

 まず、それだけを送信する。諸君とは大げさすぎる気もしたが、これからはじまる計画の壮大さと釣り合うものでなければならない。

(満16歳に達する者は、次の衆議院選挙で絶対に投票するな)

 誤字がないかチェックして、ふたたび送信ボタンを押す。

 高揚感など、まるでなかった。このメッセージが日本を変えるかもしれないという予感もない。遠大な計画のリーダーというのは、かえって冷静なものなのだろうか。

 もちろん、これで終わりではない。目的達成のためには、さしあたってもうひとつ必要な準備がある。

 見てろよ、大人たち。

 アドレナリンで満たされていく心地良さを感じながら、斗馬はマウスを操作する。

 国木田たちの顔が浮かんだ。


 午後11時。定刻通りに、(作戦会議)ははじまった。


かえで(メッセ見たけど、何なのあれ?)

武ちゃん(てっきり寝言かと思ったぜ)

トモカ(16歳に達する者ってことは、私にも関係あるってことだよね)

かえで(もったいぶらずに、ちゃんと説明してよ)


 グループチャット上に、次々とメッセージが表示される。

 とらえどころのない高揚感を味わいつつ、斗馬はメッセージを打ち込む。


成嶋(政治家は僕たちを利用しようとしているんだ。社会のことを何も知らない未成年者まで取り込んで、自分たちの思うように国を動かしたいだけなんだ。そんな見え透いた策略に乗せられたままで本当にいいのか。いつまでも大人たちの引く糸に操られたままでくやしくないのか)

 あやうく、字数オーバーになるところだった。

トモカ(私たちって利用されてるの?)

かえで(うちは斗馬が正しいと思う。くわしいことはよくわからないけど、うちらの力で政治に文句を言おうってことだよね?)

成嶋(見せかけの民主主義なら、もういらない。僕たち自身で自分たちの民主主義を勝ち取るんだ。投票権をあえて行使しないことが僕たちにとっての投票なんだ)

トモカ(それって、法律違反にはならないのかな。罰則とかもありそうだし……)

添島(その点は心配ない)

かえで(いよいよガリ勉の登場ね)

添島(投票は義務ではなく、権利だからね。権利を放棄しても原則として罰則は課せられない。ただ……)

かえで(ただ?)

添島(特定の人間が一定数の人間の投票行動をコントロールするとなると、べつの問題が生じてくる。他人の権利を剥奪することにもつながるからね)

成嶋(添島の指摘は正論だ。ひとつだけ言っておくが、今回のメッセージは強制ではない。最終的に投票するかしないかは、ひとりひとりの意志で決めてほしい)

トモカ(えっ? 投票するなって言っておいて、強制じゃないの? もう、複雑すぎてよくわからないよ)

武ちゃん(簡単じゃねえか。要するに、次の選挙で投票しなくていいってことだろ? 俺は大賛成だぜ!)

添島(せまい範囲でどうこう言っても効果が薄いと思うんだよね。どうせなら、もっと広いところに訴えかけないと)

成嶋(その点はもう考えてある)

トモカ(それってもしかして、ネットに拡散するってこと?)

武ちゃん(ますます面白くなってきたな。俺たち歴史のヒーローだぜ!)

成嶋(第1回会議は終了だ。次回の日程は、また連絡する)


 もうひとつの反響もまた、すぐに届いた。

 国内最大級の匿名性無料BBS、「チャンネル3」。硬派な政治ネタから芸能ゴシップ、行方不明になった飼い犬の捜索依頼まで、何万本という記事が毎秒単位でアップされている。犯罪予告がたてつづけに書き込まれたことで一時は閉鎖の危機に追い込まれたが、規制の網目をぬって何とか生きながらえているようだ。個人が全世界に意見を発信できる手だてとしては、これほど強力でありがたいものはない。

 斗馬の立てたスレッドには、早くも100件を超えるコメントが寄せられていた。


(選挙に行かなくてもいいの? 超ラッキー!)

(16歳のガキが政治家にケンカ売ってる。スッゲエ面白いじゃん!)

(オレは25歳のニートだからぜんっぜん関係ないね)

(ってかこれ、ケンポー違反でしょ)


 自分のスレッドにこんなにもたくさんのレスポンスが集まるのは、正直なところ快感だった。詳細に見ていくと批判的な意見のほうがやや多かったが、それでも、ちいさなうねりが着実に増幅されつつあるという実感だけで斗馬は満足だった。今度はその波紋を、より確実なものへと育てあげなくてはならない。

 翌朝、斗馬がいつも通りに教室に着くと、待ちかまえていたように国木田と磯貝が言った。

「成嶋、ちょっと職員室にこい」


「お前、クラス中に変なメッセージをばらまいているらしいな」

 よけいな前置きもなく、国木田は切り出した。

「これのことですか?」

 今さら隠すことでもない。斗馬はスマホのグループチャット画面をふたりの教師の前にかざした。

 あっさりと認められて、拍子抜けしたのだろうか。磯貝はもごもごと口ごもるように、

「クラス全員をおどしてるそうじゃないか。選挙で投票した者には何らかの罰を与えるとか何とか……」

「それは誤解ですよ、先生」

 鼻で笑いそうになるのを、斗馬はこらえた。

「選挙に行くのを禁止することは誰にもできません。投票は国民の権利ですからね。僕はただ、みんなにもうひとつの選択肢を見せてあげたいだけなんです。ましてや罰を与えるなんて……。そんな話、どこから聞いたんですか」

「それは言えない。情報源の秘匿は教師の義務だからな」

 名前を明かさなくても、密告者の見当はつく。大方、学級委員長の楠木だろう。他人のわずかな失点を密告することでポイントをかせぐ、あさはかな卑怯者。こういう奴が一番やっかいだ。メッセージをクラス全員に送信したのは、やはり軽率だったか。

「お前はさっき、(もうひとつの選択肢を見せる)って言ったよな。お前の言う選択肢とはなんだ。選挙を集団でボイコットして、投票権をみすみす捨てることか」

「具体的には言えませんよ。あなたたちに説明しても、きっとわかってもらえないだろうから」

「あなたたち……!」

 磯貝の顔が見る見る赤黒く染まる。わかりやすすぎる怒りの色だ。

 国木田は早口でしめくくるように、

「とにかく、これ以上妙なメールをばらまくな。あんまり変な動きをつづけると、東大をねらえなくなるぞ」

「……気をつけます」

 面従腹背。ここはただおとなしく、優等生を演じるにかぎる。

 清々しいまでに、動揺はなかった。教師から呼びつけられるなど、どうということはない。計画の本質的な部分は、まだ何も知られていないのだから。あきれるくらいに、大人は何もわかってない。

 メールじゃなくて、メッセだし。


 次の波紋は、それから間もなくおとずれた。

 メッセージ送信から3日ほど経った週末、Eメール用のメールボックスに1通のメールが届いていた。

(関東テレビ報道部より)

 メールの件名を見た瞬間、斗馬の胸は高鳴った。計画をまたひとつ前進させる歯車の音がはっきりと聞こえたような気がした。

 数回のメールのやり取りの後、テストが終わった週末に、メールの差出人であるテレビ局職員と会う約束を取りつけた。もちろん、両親や楓たちには秘密だ。

 不安がないといえば嘘になる。報道部の人間というのもどこまで真実かわからない。最悪の場合、取り返しのつかない犯罪に巻き込まれる可能性も充分に考えられる。

 それでも、斗馬は賭けてみたかった。俗っぽい言い方をすれば、好奇心が勝ったのだ。それに、個人の意見を効率よく増幅させるのに、メディアはこのうえなく最適なメディアだ。これは、リーダーとしての冷静な決断である。

「この度は御丁寧な御連絡をいただきまして、ありがとうございます」

 昼下がりの喫茶店。アイスコーヒーを注文してから、スーツ姿の男は言った。

「まずはあらためて自己紹介のほうを……」

 男は几帳面そうな仕草で財布から名刺を取り出し、テーブルに置いた。(関東テレビ報道部副部長 漆原誠)。今のところ、メールの内容と矛盾はない。

「先日はいきなりメールのほうをお送りしてしまい、申し訳ございませんでした。掲示板にはそちらのEメールアドレスしか載っていなかったものですから……」

「どうして、あの掲示板を?」

「テレビの人間は、つねに目新しい情報に対してアンテナを張るのが習性になっていましてね。今回も、私の部下が知らせてきたんですよ。(チャンネル3という掲示板に面白い記事が投稿されている)とね。それで自分の目でチェックしてみたら、あなたという存在に行きあたった。そういうわけです」

 飲み物がはこばれてきた。斗馬はアイスティーだ。

「今日はどちらの名前でお呼びしましょうか。成嶋さん? それとも、ゴドーさんですか」

 メールのなかで、斗馬は本名を明かしていた。ゴドーというのは、投稿用のハンドルネームだ。

「どちらでもいいですよ。お好きなほうで」

「では、ゴドーさんということで」

 漆原は薄く笑った。

「どうして、僕のところにメールを?」

「偽善者になるのはいやなので、正直にお話ししましょう。ネタになると思ったからです」

「ネタ?」

「政治からはもっとも遠い存在だと思われている16歳の青年が、匿名ではありながら理路整然と大人に対して意見を発している。そのうえ、こういう言い方は失礼かもしれませんが、ゴドーさんは見るからに利発で、なかなかのイケメンでいらっしゃる。視聴者をひきつける要素としては充分です」

 斗馬が気分を害したと思ったのだろうか。漆原はにわかに声のトーンを低めて、

「もちろん、ゴドーさんの主張そのものにも深く共感いたします。御存知とは思いますが、(16歳選挙権法案)は当時の総理大臣が多数決にものを言わせて強引に可決した、いわくつきの法案です。今回の総選挙にあわせて、法案白紙を求めるデモが各地で活発化しています。そんな状況にあって、ゴドーさんの投稿はまさに時宜にかなったものと言えるでしょう。テレビというメディアで大々的にその主張を発表すれば賛同者は格段に増えるはずです。ネットの世界だけにとどめておくのはもったいありません」

「そのために、夕方のワイドショーに出演してほしい、と」

「そのあたりはメールで御相談した通りですね」

 メールの用件は、つまるところ自分の番組への出演依頼だった。3時間枠のワイドショーの、話題になっている人物を取り上げるコーナーらしい。

「ゴドーさんには番組のメインコーナー、(選挙法案を考える)というところで御出演いただきたいと考えております。これは1カ月を通して組まれた大型特集でして……」

 抜け目のないビジネスマンの表情になり、漆原は番組内容を説明する。斗馬は適当に相づちをうってはいたが、内容はほとんど聞いていなかった。メールで聞いた概要とほとんど変わらなかったし、それに、斗馬のなかですでにこたえは決まっていた。テレビというマスメディアが、よりによってむこうから手をのばしてきた。このチャンスを利用しない手はない。

「……それで、御返事のほうは?」

「御依頼は快く承諾します。ただ出演にあたって、ひとつだけ条件があるんですよね……」

「うかがいましょう」

 漆原は身を乗りだした。

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