八日目(2) 役立たずの魔術師
天幕の中をそろりと覗く。
「
昨日の朝だ。もう一日経ったのだ。移動していても不思議ではないと
振り向けば、兵士たちがガヤガヤ駆け回っている。
「おまえも手を貸せ」
年嵩の男にそう言われ、また自陣営の者だと思われていたのかと笑った。
ひょこひょこと付いていく。
「何をすればいい? っていうか、状況が分かっていないんだけど」
問うと舌打ちされた。
「仕方ないだろ! 昨日はこっちに居なかったんだ」
「……今の騒動の原因は曲者だ。森から陣を探っていた三人組がいるという。
「出かけているの? 森の方って、古い寺院があるって話だよね?」
指さすと頷かれた。
「何しに行ったの?」
「護衛は連れて行かれたから心配はない。ただ、近寄るなというご命令だというのに……」
ふうん、と鼻を鳴らすと、早くしろと言われた。
肩を竦め、駆ける人たちの背を追う。
――森には結界があるっぽいな。でも、もう一回は綻んだっぽい。誰か破ったな。
「
また息を吐く。
どやどや騒ぐ群れの中から抜け出して、茂みを抜けようとすると、肌をビリビリ擦る感触がした。
「ここで内外を分けているのか。まあ、当然、逃げ出さないようにだよね」
この期に及んで征雲が捕まえておきたい相手。間違いなく
「うん…… 何処にいるかな」
深く長く息を吸い、気配を探る。
大した魔力を持たない玉英は探しづらい。逆を言えば、征雲や桂雅といった面々は探しやすい。
「四つか。うち二つはくっついている。うーん…… 近いほうの一つにしよっかな!」
ぐっと背伸びをして、円陣を描く。
飛び込んで、抜け出して。
たっと爪先で地面に立つ。
目が合ったのは、金色と碧で対を成した眸だった。
「桂雅様」
「……おまえか」
応じたその人の衣はあちらこちらが破れ、
「何してたんですか」
「歩いていただけだが」
「そうは思えない傷ですけど」
頬を引き攣らせて、彼の背にもう一人隠れていることに気が付いた。桂雅の袖を掴み、体を背に隠しながらも、きつく睨んでくる娘。
「君、は、もしかしなくても」
さあっと冷えた汗が背を流れた。さらに睨まれる。
「悪かったよ」
「何が」
「ええっと…… 連れ去ってきてすみませんでした」
「本当」
「全くいい迷惑だな」
桂雅が嗤う。
「見たくなかったものまで見る羽目になったではないか」
「はあ」
「
「なんかよく分からないけどすみませんでした」
うう、とそっぽを向いたが。
「思誠と来たのではないのか」
問われ、向き直った。
「炎使いの男の子も一緒ですよ」
「
「ちょっと逸れてますけど…… って、何処に居るか分からないつながり。俺の弟の行方は占えませんか?」
今度は桂雅の眉が跳ねる。
「こき使うと言うか」
「あああああああすみません! でも是非!」
がばっと手と膝を土に着く。
娘が目を丸くして、袖を引いた。
「森を来る直前は、一緒だったのよ。すごい痩せた男の子」
それを桂雅が険しい顔で見遣る。
「凜が気にするようなことか」
「とても苦しんでいたわ」
溜め息を吐いて、桂雅は髪を掻き上げた。その指先をすいっと宙に差し出すと、ゆらりと碧い蝶が飛び出す。
「それは?」
「思誠にこちらへ来てもらおう。自力で動ける者は、待っている方が早い」
蝶が羽ばたくのを見送ってから、そして、とまた息を吐き目蓋を閉じる。
「お前の弟か――」
二つ、三つ、と呼吸を繰り返して、きつくを眉を寄せた。
「まずいことになってます?」
羅英が問うと、桂雅は目を開けた。
袖を掴んだままの凜を見て、羅英を見て、彼は首を振った。
「さっさとこの森を出たい。征雲と縁を切りたいんだが」
「ですよね!」
「面倒なことを言ってからに」
舌打ちされた。羅英は首を竦める。
袖を引く凜の手に、桂雅は己の手も重ねた。そのまま歩き出す。
「え、ええ!?」
「行くぞ。自分の手で取り返せ」
背中を向けたまま桂雅が言い放つ。羅英は唾を呑み込んだ。
取り返せ、という言葉の意味はすぐに分かった。
「戻ってきたの。お疲れ様」
大きな締め殺しの木の根元に腰掛けて、征雲が微笑む。
その手前には抜身の大刀を下げた
「玉英!」
叫ぶ。飛び出した目の前に、刃が突き出されて来た。
「美しいねえ、兄弟愛」
刃も視線も動かさない維祥の後ろで、征雲が手を叩く。
「羨ましいと思わないかい?」
「そうですね」
固い声で応じたのは桂雅だ。羅英はそっと刃の先の玉英を見遣った。
地面に転がったまま、動かない弟を。
「玉英」
かすれた声で呼ぶ。
「玉英。返事しろよ」
ふっと征雲が唇を綻ばせるのが見えた。
「維祥」
こくりと頷くや否や、呼ばれた大男は刃を突き出してきた。
うお、と叫んで仰け反る。どすん、と尻餅をつく。
刃が頭上から振り下ろされてきて、それを光の膜が弾き飛ばす。
「さっさと立て!」
桂雅の声だ。飛び起きる。維祥の刃はまだ唸る。
「ぎゃあああああ!」
叫び、転がるように走る。
その目の前に、雄飛が飛び出してきて、思い切りよく突っ込んだ。
「ちょこまか動くな」
がしっと体を掴まれる。
「維祥! 斬れ!」
雄飛の声に、維祥が大刀を構え直し、そこに今度は炎の塊が飛び込んできた。
「あいつか!」
雄飛が叫び、羅英は横に振り飛ばされた。
地面に顔から突っ込む。
「うお…… 鼻血が……」
「転がってる場合じゃねえだろ」
横を聞きなじんだ声が通り過ぎていく。
「思誠」
顔だけ上げて、友人の名を呼んだ。彼が駆けていく先に居るのは玉英だ。
「思誠! 助けてくれ!」
返事はない、だが背中は真っすぐに伸びていて、ほっと息を吐く。
首を捩じれば、征雲が顔を歪めているのが見える。
「醜いですな」
くくっと喉を鳴らして、桂雅が腕を振った。飛んでいったのは風の刃で、雄飛の胸を裂く。
その向こうでは、炎使いの少年が維祥と取っ組み合いになっていた。
ぐらりと雄飛が膝をつく。少年の頭を胸で受けた維祥がよろめいた。
「思誠!」
今度呼んだのは桂雅だ。
「そいつを連れてこっちに来い!」
玉英を担いだ思誠がよろめきながら歩く。
「おまえもだ、さっさと来い」
「あ、俺!?」
羅英もふらりと立ち上がる。
「思誠。一瞬でいい、結界をまた破れ」
「お、おう?」
「一気に逃げ出すからな」
そう言った桂雅は、凜を抱き込み足元に円陣を浮かび上がらせた。
移動のための陣だと知って、羅英は踏み出した。
「あああああ! 逃げたい逃げたい逃げたい!」
ぱり、と宙で音がした。そのままバリバリと空に亀裂が入る。
「逃げるな!」
征雲が叫ぶ。彼が投げだした雷は思誠の背中を打った。
甲高い声を上げて、彼が傾ぐ。桂雅の顔が強張り、円陣が消える。
「逃がさないって言ってるだろう!」
征雲ががなる。桂雅はゆるり首を振って、凜の手を引いて倒れた思誠に寄った。
「お暇しますよ、叔父上」
言って、もう一度、桂雅は円陣を描いた。まず、倒れ伏した思誠が、ピクリともしない玉英が、そして凜が吸い込まれる。
「行かせない!」
叫んだ征雲がまた雷を放つ。桂雅の作った膜が吸い込む。
その様に思わず足を止めると、羅英の一歩前の地面も雷は抉った。
「どこに行く気だ、役立たず」
「役立たずはもういらないだろう!」
叫び返す。
羅英はもう一度駆け出した。
また大きな音が響いて、空の亀裂が小さくなっていく。
「早くしろ! 奏牙!」
桂雅の声に、走ってきていたはずの少年を振り向く。
彼の背中には立ち上がっていた維祥がいる。
「奏牙!」
桂雅が叫ぶ。
少年はゆっくりと笑んだ。
「俺、役に立ったでしょ?」
羅英は足をまた止める。少年はもう一度炎を立てた――自分の体を包むように。
ひっと叫び、円陣へと走る。最後の一歩は桂雅が引っ張ってくれた。
「熱い!」
征雲の悲鳴も聞いた気がした。
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