一日目(2) 面倒くさがりの友人
今日はとんでもない日だ。
まだ昼時だというのに、もう三つも面倒くさいことが起こっている。
雨季の終わり、太陽はこんなにも明るく街を照らしているのに、
なお、直近の面倒くさいことは目の前で進行中。
「し、せ、い!」
酒が零れ落ちそうな杯を目の前で揺らされる。
それを成すのは頬に刺青を入れ、短身痩躯を細身の衣で包んだ青年。自称・思誠の友人。
日差しを避けて設けられた昼食の席でもう酒をあおり、顔を赤らめている彼は。
「難しい顔してない! はい、笑って笑って~」
口の動きも絶好調。
「少し黙れ、
「嫌だよ。思誠から今朝の出来事を事細かに聞くまで、帰らない!」
眩しい橙の眸を思誠から外さずに、羅英はにっこりと笑って、ふんぞり返った。
「王都の大学で一緒に学んだ仲だろう!?」
「何年も前の話をするんじゃない!」
「けち!」
「おまえが馴れ馴れしいだけだ!」
「どけち! へそまがり!」
二人で唾を飛ばし合うその卓の上に、家政を切り盛りしている老婆がちゃっちゃっと料理を並べていく。
「今日は羅英様の好きなお魚を用意いたしましたよ」
「うわぁい、ありがとう!」
「思誠様もたんと召し上がってくださいまし」
「食欲など無い」
「そんな言ってるから背が伸びないんだよ」
「おまえのほうが低かろう」
「まあ、しょうがないよね!
大きな声を上げる羅英の杯に並々と酒を注いでから、老婆は部屋から出ていく。
「さて、と」
羅英の笑みの形が変わる。
「一から詳しく語ってもらうからね」
「何を知りたい」
眼鏡越しに睨んでも全く効果はない。
「もちろん、『鍵』を捕まえたって話から」
笑みを崩さないで羅英が言う。
「先代の王が遺した秘術を読み解く鍵…… でしょ?」
「そうだ」
はあ、と思誠は溜め息を吐いた。
片手で頸から背にかけての刺青をなぞり、だぼだぼの
「先代もはた迷惑な遺言を残されたよね。『次の王は、我が遺す秘術を得た者とする』なんてさ。もっと早く言ってくれてれば、誰かが亡くなる前に習得できたかもしれないのに」
「どうだか」
「あ、誰も習得できなかろうとか思ってるでしょそうでしょ」
「習得できないから、力づくて王位を得ようとする
額を抑え、溜め息を吐き出す。
羅英は少し首を傾げただけだった。
「おかしいよね。ちゃんと王様になれる条件はあるのに、誰もそれを守ろうとしない」
きっかけは何だったか、と思誠も首を傾げた。
先王の遺言そのものか。簡単に秘法を読み解けないと分かったことか。焦れた王子の一人が挙兵したことか。
だが今となっては、理由など如何でもいい。玉座を狙う王族が魔術を振るい、率いる軍同士がぶつかる、そんな日々が続いているということが問題なのだ。
「この国は滅茶苦茶だ」
羅英の笑いが
「家を焼け出された者。家族や友人を失った者。そんな者がうじゃうじゃいるよ」
「近頃は、この辺りのほうがまだマシと北から人が流れてきている」
「そこそこ。不思議だよね。南側の海に面したこっちは暖かいし、稲作が盛んだから食料も豊富だしって考えたんだろうなーとは思うだけど。一番おっかない国王候補の――
その瞬間、ぎっと思誠は奥歯を鳴らした。
「だって、本当でしょ」
羅英は唇を尖らせる。
「あの方の話は国中に
「それは」
「本当でしょ。ありとあらゆる術を駆使して、味方は誰一人傷つけさせないでおきながら、敵は誰も生き残らなかったって」
一度、口を開いて。そこに思誠は自ら酒を流し込んだ。
「自棄呑みはだめだよー」
くすっと羅英が笑う。
頬を赤く染めて、思誠は相手を睨んだ。
「でも、最近はさすがの桂雅様も一人で戦場に出られることはないって聞くけど本当?」
「そうだな」
「部下、頑張ってる?」
「まあな」
「じゃあ、他の王子様たちと、戦力的には一緒かなー?」
そう言って、羅英は指を折って数える。
「だいぶ減ったよね。一時期は12人いたっけ? それが今は、桂雅様と、
「星博と征雲の軍がまもなく正面衝突だそうだな」
「うわ、呼び捨て」
「全くもって敬う必要はない。それと、この情報を持ってきたのはおまえだろう」
ふっと
「星博と征雲が潰しあってくれれば幸い。比陽はいないに等しい。秘術に関係なく、桂雅の即位は近い」
「すっごい自信……」
ほーっと羅英は目を丸くする。
「でも、秘術を先に解読した人が有利なのは変わりないよね。その、今日手に入れられた鍵はちゃんと役に立ちそうなの?」
真っすぐな質問に、思誠は首を振った。
「嘘!?」
ああ、また面倒くさいことを思い出させてくれる、と今度はこめかみを指先で抑えた。
本日の面倒くさいことの最初の一つ。
先代の遺言が明らかになってすぐに、それを読み解く『鍵』の存在の話も広まった。
誰もがやっきになって探した中、最初に手にしたのは、先王の息子の比陽。
だが彼は王位に全く興味を示さず出奔し、さらには『鍵』をどこの馬の骨とも知らぬ娘に託してしまったのだ。
すばしっこい娘は雨の中あらゆる追跡を振り切ってきたのだが、それが一昨日くらいから桂雅の領地に紛れ込んでいるらしいと話が湧き、思誠以下魔術師数人がかりで追い詰めたのだ。
そして、今朝方ついに捕らえた。
主に吉報ができたと喜んだのも束の間。娘が持っていた鍵は魔術の力の欠片もない、ただの『鍵の形をしただけの物体』だった。
そして、二つ目。
短気この上ない主が、鍵が役に立たないと知っても怒らなかったことは、大変良かった。
良かったのだが。
「桂雅はその娘にご執心だ」
呟くと、羅英は目を丸くした。
「まじで!?」
「マジだ」
『妃にする』と言って、きかない。
周りの将軍、文官、誰もが「どこの馬の骨とも知れぬ娘なのに!」と泡を食って止めに入ったが、頑として聞かない。
そもそも、桂雅はこの国で屈指の魔術師、先見の占いだってお手の物だ。きっと彼女の顔に何かを見てしまったのだろう。思誠はそう思って納得しようとした。
だが、本当にそれでいいのか。桂雅がこの争いを勝ち抜けば(その為に思誠たちは粉骨砕身しているのだ)、彼の妃がこの国の第一の貴婦人となるのだ。「どこの馬の骨とも知れぬ娘なのに!」という嘆きはもっともなもの。
桂雅には、家臣の胃に優しくなるよう再考を促したほうがいいのかもしれない。
その役目は誰だろう。やっぱり、自他ともに認める、部下であり友人である自分なのだろうか。
「面倒だ……」
「うん、そうみたいだね」
卓に突っ伏した思誠の頭を、羅英は口でも「なでなで」と言いながら撫でた。
「どう? その子、可愛い子?」
「三ヵ月も逃げ回っていたくらいだからな。あばずれだろうよ」
「あっそ」
「着ていた服から考えるに、北の山の部族の娘だな」
「ふうん?」
相槌を打ちながら、羅英の箸は皿と口を往復し続けている。
「結局、秘術ってどんな技なんだろうね」
「さあ?」
「王族の皆様は、一様に魔力が高くて、他人を操る術だってお手の物だっていうのに、それ以上の何かって何だろうね」
大皿の大半が空になった頃に。
「よっし。たくさん話聞けたし、帰るね」
羅英は立ち上がった。
「そうしろ。――おまえはまた、転移魔術でここまで来たのか」
「得意技ですからね!」
ふふんと笑って、彼は庭に出る。
その中央に陣を書くと、そこは淡く輝き、羅英の体を飲み込んでいった。
「じゃあ、ね。また来るよ」
声さえも消えてから。庭先に突っ立った思誠は肩を竦めた。
「それで? おまえは今の話をどこ持っていくんだ?」
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