ああっ丁稚さまっ。
ランティス氏の救援要請に応え、ランティス氏とクリスの間に割って入ろうとした直後。クリスはいつかの時のように逆手に持ったダガーで即座に襲い掛かってきたが……今回はランティス氏が大慌てで止めてくれたので、先日の様に掠り傷を負う事もなかった。
その後、私は今までの顛末について当然クリスに説明を求められたのだが、これも当然ながら、クリスに経緯を説明するわけにはいかないので、適当に濁した。
しかし、ありがたい事に、クリスはランティス氏が御忍びで行動しているという事実だけで何かを察してくれたらしく、それ以上の言及はしないでくれた。
私やヴェイロンよりも後ろ暗い世界で生きているだけあって、そういう事を察する能力は常人よりも高いのやもしれない。
その後の社会奉仕活動についても、積極的について来て手伝ってくれているし、まぁ、それはそれで、ありがたい事であるのだが。
「いい加減、我々の仕事も手伝ってくれんか、クリス」
「嫌です」
その手伝いの比率は、あまりにも露骨に偏っていた。
「私には私の仕事がありますので」
そう、はっきりと言いながら、クリスは今もせっせと丁稚殿ことランティス氏の身の回りの世話ばかりを続けている。
ランティス氏が汗をかけば、甲斐甲斐しく清潔なハンケチーフで額を拭い、ランティス氏が深く息を吐いたと見れば、見るからに高そうな瓶詰果実水を何処からか調達してくる。
無論、我々への差し入れは無い。
この色欲北方エルフは、ランティス氏が自分の身分を明かせない……つまりは、強く断れないのを良い事に、もうずっと隣から退く様子はなく、何かにつけてずーっとランティス氏の周りをうろちょろしているのである。本当に、性質の悪いファンとしか言い様がない。
「そもそも、ランティ……ではなく、名も知らぬ丁稚様の御仕事を手伝う事が、間接的に勇者様や騎士様のお手伝いをする事にも繋がっていると私は思いますが?」
「いや、まぁそうとも言えるが……」
「勇者、放っておけ……今は何を言っても無駄だ。奴の眼をよく見てみると良い」
ヴェイロンにそう促されて、目を凝らしてみれば、確かにクリスの眼には最早ランティス氏しか映っていない。
その有様は、魔族に
「処置なしであるな……」
「まぁ、今は仕事の負担が減って都合が良い。鬱陶しくはあるが、護衛としては優秀だ」
確かに、今のクリスならば、例え死角から矢弾が飛ぼうが魔術が飛ぼうが、ランティス氏の身体に傷一つ付ける事すら許さないだろう。それどころか、迫る凶弾をダガーで叩き落とし、返す刃で刺客の喉元にダガーを投擲必中せしめるくらいの事はやってのけるかもしれない。
少なくともランティス氏を守る事だけは、頼まずとも確実にこなしてくれるだろう。
まぁ、ランティス氏本人に精神的負担を強いるという、致命的欠陥と抱き合わせなのが泣き所であるが、その泣き所がまさにモチベーションになっているのだから、最早、どうすることもできない。
しかし、そんなこの状況に居心地の悪いものを感じたのか、ついにランティス氏が若干の苦笑いを浮かべながら。
「ええと、その……君が僕……ではなく、今詰め所にいる白騎士様を思う気持ちは良く分かりましたが……これらの飲み物は出来れば、勇者殿や黒騎士殿にも、分けて差し上げては貰えませんか? 僕だけ頂くのでは心苦しい」
満を持して、クリスに苦言を呈した。
まさにクリスからすれば、天からの勅命にも等しい言葉である。
「ラン……名も知らぬ丁稚様! なんとお優しい! 貴方様がそう仰るのでしたらその通りに!」
こうなれば、クリスも一発である。
流石、白騎士の威光は伊達ではない。
そして、顔を喜悦で真赤に染めたクリスは、そのまま恭しくランティス氏に頭を下げ、一歩後退してから私たちに向き直ったが。
「……ほら、勇者様に騎士様。丁稚様の御慈悲ですよ。ありがたく頂いてください。そして、さっさと飲んだら、また丁稚様の為に馬車馬の如く働くんですよ。いいですね。じゃ、ここ置いときますから」
その時にはもう、いつものクリスであった。
ジト目で口を小さく三角形に開きながら、ローテンションかつマイペースに喋る、全く以ていつも通りのクリスの面であった。
呆れるほどに見事な百面相としか言えない。
つか、置くだけかよ。せめて手渡せよ。
「ここまで露骨だと最早、失笑も漏れんな」
「全くである……いっそ清々しいわ」
今回ばかりはヴェイロンに全面的に同意しつつ、石畳の上に無造作に置かれた瓶詰果実水を手に取り、ゆっくりと嚥下す……うわ、何これ、超美味い。凄く良く冷えてるし、中に混じっている果肉も実に香り高く瑞々しい……ってこれ、瓶に保温の術式が掛かっている高級品じゃねぇか。俗にいう魔法瓶と言う奴である。恐らく、銀貨1枚(だいたい私の平均的昼飯代の3倍以上)は下るまい。
……ほんと、『好き』にはとことん金を掛ける奴であるな、クリスは。
と、果実水を飲み終え、一息ついた直後。
「ところで勇者様」
「うお!?」
いつの間にか、奴は背後に現れていた。
まるで気付かなかった。
「く、クリス!? 丁稚殿の所に戻ったのでは!?」
「これから戻りますが、その前に聞きたい事がありましたので」
だったら、そのついでにこの瓶詰も普通に手渡せば良かったではないか。
しかし、そんな私の内なる不満などお構いなしに、クリスは続ける。
「今日はあとどれくらい、この作業を続けてくれるんですか?」
「どれくらいって……そうだなぁ、夕方くらいまでは続けると思うぞ。指定された地区を順繰りに掃除していくからな」
「それは勿論、作業中はラ……丁稚様も御一緒するんですよね?」
「うむ、無論だ」
「じゃ、じゃあ、今日はどうでしょう? 人数も居る事ですし、普段より念入りに行うという事で……日没くらいまで作業時間を延長するというのは?」
「人数いるなら普通、作業時間は短くなることはあれ、長引く事は稀だと思うが……まぁいい。して、その真意は?」
「私、もっと他のファンを出し抜いて、丁稚様とのプライベートタイムを楽しみたいんです」
「正直に言った事だけは褒めてやるが、どうしてそれが認められると思った?」
「もしかして、延長料金とか必要ですか?」
「そういう事じゃねーから。別にそういう怪しいサービスじゃねーからこれ」
「全く……この阿呆は我欲を弁えると言う事を知らんな。クリス、貴様はもう少し慎みを持ったらどうだ?」
「それ、勇者様はともかく騎士様にだけは言われたくない台詞なんですけど。あと、そんな御利口さん出来るなら盗賊なんて稼業はやってません。禁欲なんてクソ喰らえです」
「とんでもない開き直り方をするな、お前」
「思考形態が完全に蛮族のそれだな」
「私のような流民は強かじゃないとやってけないんですよ」
まぁ、北方エルフに限らず、流民やら移民やらはどこ行っても歓迎は殆どされんからな。
クリスの過去は良く知らんが、流民が御利口やってるだけで生き延びられない事は確かであるので、その経験から今のクリスの身勝手があるというのも、中々に納得できる話ではある。
だが、その身勝手に我々が付き合ってやる道理が無いという事もまた自明であり、当然の帰結である。
「悪いがクリス、こっちにも事情があってな。その希望はいくら大枚積まれても、叶えてやることはできん」
「ふむ、そうですか……出来れば、いい加減、もう少しその辺の御事情も伺いたい所なんですが……その事情を私に話すことは出来ない……と言う事ですか?」
「……御想像にお任せする」
例の怪文書の件は当然ながら他言無用であり、部外者以外の何者でもないクリスに詳しく話すことは出来ない。
しかし、クリスは私のその言い回しだけで、今の状況について更に理解を深めてくれたらしく、「そうですか」と一言漏らしながら、静かに私達に頷いてくれた。
「承知しました。そういう事なら、私も現状維持で満足する事にします。時間延長についても諦めましょう」
「ほう、貴様にしては随分と聞き分けがいいな」
「何も話せん我々の言う事を信用してくれるのか?」
「ラ……丁稚様が、それこそ丁稚様という立場で騎士様や勇者様のような無職とつるんでいるという時点で、状況と事情の輪郭はもう掴めていましたから。その上で、勇者様がそう仰るのでしたら、全容がわからなくても、現状の状況は概ね把握できます」
「ややこしい遣り取りさせてすまんな、クリス」
「いえいえ、構いませんよ。それに、この状況を維持する事がむしろ、今の私の最大利益ですから」
そう言って、またランティス氏の方を一瞥して、クリスは嬉しそうに目を細める。
まぁ、憧れの王子様独占状態であるものな。
確かにクリスからしてみれば、どうせ聞き出せない些事よりも、そっちの方が遥かに大事なことなのであろう。
「だったら、丁稚殿にも軽く説明をしておくか。おーい、丁稚殿ー」
「な?! ゆ、勇者様!? ラン……丁稚様を呼び付けにするだなんて、なんて罪深……」
「はい! お呼びですか、勇者殿!」
クリスの嘆きに対して被り気味に声を上げて、ランティス氏は笑顔でこちらに向かって来る。
その笑顔を真正面から受け止めたクリスは、そのまま固まってしまった。
これでまぁ罪とやらは帳消しにしてくれるであろう。
「お話は終わったんですか? 勇者殿」
「ああ、丁度な。で、だ。どうも、この知人の北方エルフ……クリスが丁稚殿から離れることを諦めそうにないんでな。最低限の事情を説明して、協力をしてもらう事になった」
「そうなんですか!」
無理に繕う必要がないと知れば、ランティス氏は明るい声色で笑みを漏らして、いくらか先程よりは気楽そうに喋りはじめる。
「クリスさんが味方になってくれるのは心強いですね! いつも、その卓越した体捌きには舌を巻いていましたから!」
ん? なんだ、クリスの事知ってたのか?
「そ、そんな!? 私の事を、覚えていてくださったんですか!?」
と、私が聞く前に、既にクリスが前傾姿勢に身を乗り出して、ランティス氏に食らいついていた。
正に電光石火の身の
「ふふふ、忘れる訳がないじゃないか。名前だってサインの時によく書いたから覚えているよ。君はイベントには良く来てくれていたからね! ああ、いや、僕じゃなくて今は詰め所にいる白騎士様の、だけどね!」
「あ、あああ……ななな、なんて……おそれ、おおい……!」
まぁ、百人長殿からも警戒されている精鋭こと、悪質ファンの筆頭なのだから、そりゃ、ランティス氏だって嫌でも覚えているわな。
しかし、同時にクリスの軽業と敏捷性を、それこそ身を持って知っているわけでもあるのだから、ランティス氏からすれば日頃、手を焼いている蛮族が味方になってくれたようなものと言えるのやもしれない。
それはそれで、感慨深いものであろうな。
まぁ、とにかく、これでクリスも納得するであろうし、とりあえず一段落であるな。
「さて、では改めて人手も増えた事だし、気を取り直して、通常業務に戻るとするか」
「そうですね! 勇者殿と黒騎士殿の社会奉仕活動に支障を来しては申し訳ありませんし!」
支障を来すもなにも、今の仕事は丁稚殿ことランティス氏の護衛であるのだから、正直そっちは適当でもいいのだが……まぁ、彼の気質を考えるとそれは許せん事か。
とりあえず、作業の続きを始めるとしよう。
今日の所は人手が多いし、比較的楽が出来そうだ。
そんなわけで、クリスにも改めて声を掛けておく。
「さて、我々はそんなわけで業務に戻るぞ。クリスは今後も丁稚殿の手伝いをしてくれんか?」
そう、私はいつもの調子でクリスに声を掛けたのだが。
「おい? クリス?」
何故か返事が無い。
……いや、憧れの白騎士様に自分の事を覚えて貰えてて嬉しいのはわかるが、それにしたって是非の返事くらいはしろよ。
流石にイラッときたので、強引に一歩踏み寄り、私はクリスの肩を揺すったのだが……それでも、やっぱり反応がない。
ちょっと、様子がおかしい。
「どうしたんですか? 勇者殿?」
「いや、なんだかクリスの様子がだな……おい、クリス? ……クリス?」
大きく肩を揺すってみるが、それでも反応がない。
こ、こいつ……まさか……!
「き……」
「き?」
私は思わず天を仰ぎ、大きく一つ溜息を吐いてから。
「……気絶してる……」
このクリスっていう奴が、本当にしょうもない色ボケであるという事を、改めて再認識した。
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