斯くして盤には駒が並ぶ。
第三騎士団詰所
時刻は夕刻。黄昏時。
百人長殿は、眉間に皺を寄せながら、先程、ヴェイロンが発見した手紙……否。
「やっぱり、怪文書……だな」
そう。
白騎士ランティス暗殺の旨が仄めかされた怪文書を片手に、低く唸っていた。
「二日酔いには中々響く内容だぜ……悪いな、うちの門衛が気づかなかったばっかりに第一発見者にしちまって」
私もヴェイロンも一応、第一発見者である以上、取り調べを免れることはできない。
といっても、どうせ今は社会奉仕活動中の身の上であるわけだし、詰所には何かにつけて戻ってこなければならないのだから、そう拘束時間に差がでるわけでもない。
それに何より。
「構わんさ。ランティス氏に関わる事ともなれば、私も協力は惜しまん」
最早、他人事ではない。
私はもう彼のファンなのである。
この一大事に座していろという方が、むしろ無理というものだ。
「俺も戦友の仕事を邪魔するつもりはない。存分にやってくれ」
ヴェイロンもヴェイロンなりの理由で今回は協力的である。
それに対して、百人長殿も、たかが無職の我々に頭を下げてくれる。
「すまねぇ。今はそれに甘えさせてもらう」
「気にする事はない。それこそ、困った時はお互い様であるぞ」
「仕事が遅いのは宮仕えの宿命のようなものでもあるしな。俺の貴重な時間を無為に喰らう事を許してやる」
「いや、協力的なことはありがたいんだが……黒騎士、てめぇ、仕事が遅いどころか清掃作業以外ロクに出来てもいないくせになんでそんな上から目線なんだよ!? あんまり頓珍漢な事言ってると騎士団への不当な侮蔑と見做してまた不敬罪で再逮捕すんぞ!」
「つまらんことを気にするからあっさりと酒に飲まれるのだ」
「それとこれとは関係ねぇだろうが!」
申し訳なさそうに頭を下げて謝意の表情を示しながらも額に青筋を浮かべるという、なんとも器用な真似を披露しながら抗議の声をあげる百人長殿を余所に、ヴェイロンは何でもないように腕組みをしつつ、明後日の方向を向いて小さく嘆息を漏らした。
ここ暫く割と関心する部分もあったんだが……こいつ、基本はあくまで、こういう生粋の不敬野郎であるのだよな。
黒騎士は何故、騎士団に士官出来ないのか?
最早、問いにすらなっていないではないか。
「見りゃわかるだろ」としか言いようがない。
話にならないとは正にこの事である。
明々白々に、ヴェイロンがちっとも士官できない理由がまざまざと眼前に示されている。
そんな私の内心を、当然ながらヴェイロンは省みもせず、百人長殿からあろうことか視線を外して、私に何か言ってきたかと思えば。
「しかし、白騎士暗殺だなんて……今の世には相応しくない物騒な文面だな。何処のどいつがこんなものを送りつけてくるんだ?」
なるほど、そう
せめて、もうちょっと内輪差を考えてくれ。
毎度、その見切り発車のせいで巻き込み事故を喰らっている私の身にもなってほしい。
クリスの長話を強引に中断する時もそうなのだが、幾ら何でもコイツ、インコーナー攻め過ぎだろ。チャリオットかよ。
つか、チャリオットだったらチャリオットでちゃんと国権に敬礼を表す
それ忘れたら、当然の如く不敬罪に処されても、そりゃ何も文句なんぞ言えんわ。
「やはり、反体制的な思想を持った逆賊共の仕業とみるべきか?」
あくまでドリフトを続行するのかよ。
ほんと、ブレねーなテメーは。
とはいえ、事この期に及んでは最早どうしようもないので。
「う、うーん、そうであるな……容疑者はそれこそ枚挙に暇がないと思うが……」
諦めて私も身を委ねることにする。
変に抗ってスピンすれば、落車は免れられないし、最悪そのまま内輪巻き込みからの玉突き事故へと発展してしまう。
それら最悪の事態よりは、まだ暴走車に一緒に乗る方がなんぼかマシだ。
とはいえ、やる以上は私もいい加減をするつもりはないので、少し真面目に考えてみることにする。
「……今回に限れば、低俗な悪戯という線が濃厚なのではないか? 標的にわざわざこんな予告状を出してくるような手合いなのだ。怪文書を送りつけた時点で満足している愉快犯か気取った物狂いかのどちらかであろう」
そもそも、本気で殺すつもりなら、わざわざ殺害予告をする理由がない。
抜き打ちの奇襲の方が、成功率は圧倒的に高いに決まっているからだ。
だというのにわざわざこんな真似をしてくるということは、少なくとも相手は本物の暗殺者や国家転覆を目論む逆賊……所謂、プロといわれる連中ではないということだ。
せいぜい、怪文書によって我々を不安にさせる事そのものが目的である小物か、本気で予告状を送っている陶酔した劇場型犯罪者かのどちらかであろう。
いずれにせよ、荒事に関して言えばドがつく素人共である。
プロの国家公安機関である王立騎士団の敵ではない。
「まぁ、万一を考えて警備は強化しておくのが無難ではあろうな」
そんな風に私が締めくくると、ヴェイロンは「ふむ」と頷いてから返答してきた。
百人長殿も話の内容が比較的真面目であるだけに、
「なるほど。確かに勇者の言説には一理あるな。しかし、これはそこまで読んだ陽動で、本命は騎士団の金庫という線もあり得るのではないか?」
「わざわざ騎士団を狙うかと思わんでもないが……白騎士興業でどっさり儲けている事は既に周知であるだろうし、それも全く無いとはいえんだろうなぁ」
第三騎士団という猛者の群れをわざわざ相手取る理由に説明はつかないが、それでも、敢えてこの怪文書に意味を求めるとするなら、ヴェイロンの説は中々に有力であろう。
我々はこれが十中八九悪戯であると分かっていても、万一を考えるなら結局のところ警戒をしなければならない。
そのためには、意識も人員も少なからず割く必要があるのだ。
兵力を単純に分散させ、いくらかでも我々に緊張を強いる事があくまで当座の目的であるならば、この怪文書は確かに効果的な陽動といえるだろう。
なんというか、
騎士団の内部資料という名のランティス氏のプライベートを漁る為なら、それくらいは平気でやりそうな奴である。
など、私とヴェイロンは互いの顔を見合わせながら、この怪文書の送り主を予想していたが。
「いや、これを送ってきた奴には心当たりがある」
あっさりと、百人長殿はそう言った。
やはり、相手は愛憎拗らせた悪質な無職のストーカー北方エルフか?
ファンの中でも困ったちゃんの筆頭であるようだし。
「見当がついているのなら、先手を打ってしまえばいいではないか。筆跡がわかりそうな怪文書でもあるのだし、捕まえることはそう難しくないと思うが」
「無理だ。確証に辿り着く物証じゃない。そんなもんは適当にはぐらかされるに決まってる。身柄を抑えるなら、公衆の面前での現行犯逮捕以外に手はないだろう」
「そりゃまた、とんでもない手合いだな」
どうやら、相手はそんなチャチな盗賊ではないようである。
余り穏やかではない話だ。
物的証拠や状況証拠ではなく、公衆の面前での現行犯逮捕しか通用しないというのは……翻せば、それだけ言い訳の利かない状況で逮捕する以外に立件が不可能であるということだ。
それは、この送り主が相当な権力者……少なくとも、騎士団の挙げた通常の捜査資料程度は容易に揉み消せるだけの権威を持った手合いであるという事を示唆していた。
「最低でも伯爵クラスの貴族が相手、ということか?」
思い返せば、先日の握手会には貴族の令嬢も何人か来ていた。
そのうちの一人が「今生で一緒になれないのならいっそ来世で!!」などとトチ狂った事を言い出さないとも限らない。
だとすればこれは本気の予告状なので、やっぱりとんでもなく迷惑な手合いということになるが……それだったら逆手をとってスキャンダルで告発も容易なのではなかろうか。
貴族側からしても身内の乱心は是が非でも公表前に差し止めたい事案であるだろうし。
「いいや、貴族は関係がない。むしろ、白騎士興行には多大な出資をしてくれてるお方が大半だ。金の成る木には基本的に優しい人達だからな……こっちも握手会やらライブやらじゃいろいろ優遇してるし」
「むぅ、なるほど」
確かに、そういうことなら貴族では噛み合わない。
出資までしているのなら白騎士興行は最早彼らの庭である。
大枚叩いて手入れした自分の庭を自分で焼き払うほど、倒錯的な趣味は流石に持ち合わせていないだろう。
「見当がついているのなら、無用な問答はもうその辺でいいだろう。さっさとその心当たりとやらを教えてくれ」
そう、ヴェイロンが嘆息しながら我々を嗜めてくる。
まぁ、この場は彼が正しかろう。
最早、答えに近い位置を百人長殿が知っているのなら、無駄にあれこれ考える必要もない。
「それもそうであるな。百人長殿、手っ取り早く教えてはくれまいか?」
そう、私は促すように問いを投げたが。
「……いや、まぁ、心当たりは、確かにあるんだがな……」
それでも尚、百人長殿は苦悶に満ちた表情で、逡巡するように顔を伏せた。
その表情と反応は……遠まわしに一つの答えを物語っている。
「我々のような部外者には言い辛い手合いということか」
無言で、百人長殿は頷く。
ならば、もう答えは一つしかないだろう。
それを確認するかのようにヴェイロンは深く嘆息し、嫌気ごと唾棄するように、その答えを吐き出した。
「相手は……身内……余所の騎士団だな」
苛立ちと憤りの入り混じった声色でそう呟くヴェイロンに対して、百人長殿は静かに頷く。
確かに、これは百人長殿の口から率先して言うわけにはいかない答えだ。
多少遠まわしでも、それこそ部外者の私見として指摘させる必要がある。
「可能性の検討の域は出ないと言い訳はしておくが……それでも、恥ずかしながら、今回のケースは、黒騎士の指摘が最も妥当だろうな」
そういって、百人長殿は深く、大きな溜息を吐く。
しかし、それならば、確かに得心が行く。
第三騎士団の白騎士興行が潰れてくれることで得ができ、尚且つ、現行犯逮捕以外での捕縛が出来ない手合いともなれば、それは『司法権の一部を占有する第三騎士団と同程度以上の社会的権威と争う動機を持つ相手』に限定されることになり……そうなると、自然、候補は絞られてくる。
その少ない候補の中で最も妥当な候補といえば、まぁ、その辺りしかないだろう。
「泰平の世ともなれば……元は戦友でも、今はタダの商売敵か。世知辛い話であるな」
「身内でも余所は余所だからな。部署同士で縄張りと予算を取り合ってる以上、避けられない対立って奴さ」
「嘆かわしいことだ。騎士の誇りの欠片もない」
「仕方ねぇさ、お互い、霞食って生きてるわけじゃねぇんだ。食い扶持が少ないってんなら、余所から取ってくるしかない。それこそ、奪ってでもな」
そう、渇いた笑いを漏らす百人長殿の横顔は、どこか物悲し気だ。
無理もない。
百人長殿とて、これらは全て本意ではないのだろう。
本意ではない仕事をさせられた上、本意ではない相手と本意ではない形で、本意ではない闘争を強いられている。
愉快でいられよう筈がない。
かといって、投げ出すわけにもいかない。
その辺りが、彼とヴェイロンの決定的な違いなのだろう。
誰もが理想と誇りだけで生きられるわけではない。
ヴェイロンですら、偉そうな事を言っても背に腹変えられない状況では騎士の誇りは後回しなのだ。
より現実に則して生きるなら、結局、誰もが百人長殿のようになるのだろう。
現実は、万人に等しく降りかかるだけなのである。
「しかし、何にせよ、殺害予告が来たことだけは間違いないのだ。この事実を公表すれば、それこそ大手を振って増援を頼めるのではないのか?」
「ああ、それで増援を余所の騎士団に頼めば、きっと何処も精鋭を寄越してくれるだろうな。万が一にもランティスが殺されることはなくなるだろうよ。つか、刺客そのものが現れないだろうな」
「なら、是非ともそうすればいいではないか」
そう、私は素直に思ったが……百人長殿は苦笑いし、ヴェイロンは嘲笑を漏らす。
「フッ。勇者よ……『どこの馬の骨とも知れぬ輩の脅迫状に怯えて増援要請を出すような弱腰の騎士団』に今まで通りの軍事予算は必要か?」
「あ……」
「癪だが、まぁ、黒騎士の言う通りだ。ンな事すりゃあ、タカが嘘の犯罪予告に振り回された上、身内の騎士団に泣きまで入れた無能ってレッテルが張られちまう。有事への即応性に欠けるだの騎士としての自覚がないだの……まぁ、適当に思いつく限りの文句をつけられて、今以上に軍事予算は削減されちまうだろうな。そうなったら、いよいよ白騎士興行以外にやることがないチンドン屋と相成るわけだ。行きつく先は、その辺の通りの自治体やら自警団との統廃合で、最終的にはそいつに
「なるほど……あくまで今回は予算を取り上げることが目的であるのだから、それでも構わないのであるな」
「そういうこった。だから、コイツは間違っても公表は出来ない。俺達で握り潰すしかない」
確かにそんな顛末になれば、第三騎士団の武勇は地に墜ちるであろう。
軍組織としての復権が二度と出来なくなってもおかしくはない。
「……まぁ、相手もそこまでは織り込み済みで動くだろうがな」
「だろうな」
ヴェイロンの呟きに、百人長殿が頷く。
「だから、予告も多分、本気だ。凄腕を差し向けてくるだろうよ。俺達がこれを握りつぶす以上、本当に事件が起きなきゃ『なんで未然に防げなかったんだ』と詰る材料にもできねぇからな」
「仮に殺すまでいけずとも、刺客がランティス氏に重傷の一つでも負わせれば、保身を優先して殺害予告を公開しなかった不義ごと、失敗を糾弾できるというわけか……いや、最悪、傷害未遂で終わってもいいわけか」
仮にこれが余所の騎士団の仕業であるとするなら、この暗殺は失敗しても構わない。
手傷すら負わせられず未遂に終わったとしても、それはそれでどうにでもできる。
黒幕が騎士団の人間であると仮定するなら、下手人を現行犯逮捕しても、深奥まで辿りつくことは不可能だ。
白騎士暗殺ほどの事件ともなれば、結果の如何問わず、第三騎士団だけで下手人の身柄を独占することはできないだろう。何かしら言い訳を付けて余所の騎士団も一枚噛んでくるに決まっているし、それらを突っぱねる正当な言い分はこちらにはない。
そうなれば、後はコバルト河に浮かべられた転売業者よろしく内々に処理されて、事件は闇から闇へ……である。
むしろ、それらを種にして下手人の調書を改竄し、一連の事件を「反政府勢力の卑劣なテロ!」とでも銘打って、行政府から追加予算をせしめるといったオチまでついてきそうだ。
何より、それらの不正を苦労して暴いたところで、第三騎士団からすればどこまで行っても結局、余所と言えども身内の恥なのだから、旨みは少ない。
これら身内同士の足の引っ張り合いで勝利したところで、それが外に見えてしまっては何の意味もないのだ。
もし、そんな醜態が白日の下に晒されれば、騎士団全体が余所の行政組織から白眼視されて、根元から予算を締め上げられてしまう。
そうなったら、骨折り損の草臥れ儲けもいいところである。
「状況から鑑みるに……結局、我々は後手に回る他なさそうだな」
「ま、一先ずそれしか手はねぇだろうな。功多き者の敵は眼前だけに非ずってな。戦時も平時もその辺りはまるっきり同じだ」
そういって、百人長殿は皮肉気に笑った。
それに対して、合わせるようにヴェイロンが不敵に笑う。
「戦時と変わらんというなら、暗殺者に対する備えも同じことだな」
「その通りだ。戦時と同じように、暗殺者が嫌うもんを盤面に並べてやればいい」
ヴェイロンにそう答えながら、百人長殿は、口角を吊り上げ。
「暗殺者ってのはあれで、綿密に計画を組み上げてる几帳面な連中が大半だ。そんな連中が最も嫌うものはいつの時代も……想定外の事態って相場で決まっててな……」
不敵に、一度だけ目を細めてから。
「それも、本来そこにいる筈がない、員数外の護衛なんかは……相当に効果的だぜ?」
そう、私とヴェイロンを見て、呟いた。
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