勇者なんてその程度でいい。

 微かな月明かりに照らされ、金髪を輝かせながら、ランティス氏は笑う。

 その笑顔ですら、作られたものではない。

 ただ、心根からのものだ。

 少なくとも、私にはそう見える。

 そう見えるようになるまで、訓練しただけなのかもしれないが……いずれにせよ、十分に自然に見える笑顔である事に変わりはない。

 

 そんな思わず見蕩れてしまいそうな表情を浮かべながら、私との会話を求めるランティス氏に、思わず私は聞き返した。


「別に構わないが……何故、私となのだ?」

 

 それは、純粋な疑問であった。


 ランティス氏からみれば、私はタダのファンの一人であり、もっと言えばタダの勇者であり、タダの無職である。

 今を時めく白騎士の雑談相手としては釣り合わないにも程がある。

 まさしく月とすっぽんである。

 

 それでも話しかけてくる理由があるとすれば、次の仕事か何かの話だろうか?

 それだったら、ヴェイロンと百人長殿が揃ってあの有様であるし、わからないでもないのだが。


 しかし、これまた、ランティス氏の切り出した言葉は。


「単に、僕が勇者殿とお話をしたいからです」


 見事に、私の予想を裏切るものであった。


「今回のお仕事を一緒にやらせてもらう事になってから、ずっと機会を見計らっていました」

「いや、その……光栄であるし、私としても素直に嬉しい言葉であるが……それこそ、何故であるか?」 


 思わず、そう尋ね返す。

 私と話をしたいという事は当然何かしらの理由があっての事だろうが、私には正にその理由がわからない。


 たかが勇者に一体何を尋ねるというのか。

 我ながら卑屈とは思うが、それが私の率直な感想であり、偽らざる本音であった。

 そも、共通の話題もない。

 仕事場こそ今は一緒であるが、互いの領分が違いすぎる。

 

 もしかして、今更、路地裏での一件について追加の取り調べでもするつもりなのだろうか?

 いや、それとも、ハイソサエティの代表格である白騎士から見れば、今や下層市民の代表格その一である勇者と日頃接点が存在せず、単純に物珍しいからであろうか?

 どっちもランティス氏でなければ在り得るかもと思うのだが、ランティス氏であるからこそ在り得無さそうな理由である。

 

 しかし、そんな私の内心を余所に、ランティス氏はまた嬉しそうに笑って。

 

「職権濫用のようで申し訳ありませんが……以前の取り調べで、貴方が、僕の敬愛する丙種勇者であると知ったからです」


 これまた、我が耳を疑うようなことを言ってきた。


「ははははは。また、ランティス氏は妙なことを言うのだな……甲種や乙種でなく、丙種であるぞ?」


 万能の甲種勇者や異能を持つ乙種勇者を敬愛するというのなら、まぁ、まだわかる。

 甲種勇者と乙種勇者は、神託を力の源泉とする我ら第三世代勇者の花形だ。

 実際、第一線でまだまともに戦っているような大手勇者パーティはだいたい甲種か乙種の勇者パーティである。 


 しかし、丙種勇者は話が別だ。


 丙種勇者だけは、神々から一品物の特別な神託を受ける甲種勇者や乙種勇者とは大きく異なる。

 かつて、まだ魔族が人類の脅威として数多地上に跋扈していた頃、魔族を殲滅する為だけに次から次へと無節操に神託を下されたこそが、対魔族戦特化の丙種勇者なのである。

 それぞれが特別仕様である生粋の甲種や、異界の神の加護を受けた異能の乙種とは、成り立ちからして、そもそも違う。


 甲種と乙種に期待される事は英雄であるが、丙種に期待されることは兵卒でしかない。良くも悪くも、丙種に出来ることはひたすら魔の眷属と戦うことだけであり、他には何の能もないのだ。


 だが、お陰でそれこそ魔族が山ほど居た頃は、勇者になれば誰も仕事に困る事はなかった。

 故に当時は行き場を失くした連中や、職にあぶれた連中……ようは無職共がこぞって丙種勇者になったのである。

 

 しかし、それだって魔族が山ほどいた間だけの話だ。

 仕事の源泉たる魔族の母数が減ってしまえば、失業する他ない職種だったと言える。

 この状況は、なるべくしてなった結果でしかないのだ。 


 故に、私は単純に疑問を抱いて、ランティス氏に問うた。


「何故、丙種勇者を敬うのだ? 他と比べてわざわざ強調するという意味も、私にはわからない」


 さっきから問うてばかりだが、実際理由がわからないのだから仕方がない。


 別に丙種勇者なんて、将来の計画性がなかったばっかりに今苦労してるような連中が大半である。嘲笑される謂われはあれど、畏敬を抱かれる謂われは余りない。

 

 適当な世辞という可能性もないではないが、ランティス氏がそのような軽々とした御為ごかしを口にするとは思えない。


 彼は良くも悪くも、理想の騎士なのだ。

 その騎士が、その真っ直ぐな蒼い瞳で、私を見て言ったのなら、恐らくそれは真実なのであろう。


 そんな風にまた私が思索の海に沈んでいると、ランティス氏は私の目を真っ直ぐ見ながら、徐々に笑みを消していく。

 そして、今度は一転して悲哀に満ちた表情を浮かべて、若干重苦しい様子で口を開いて。


「貴方は……いや、貴方達、丙種勇者は……強いられて勇者になった人達だからです」


 そう、吐き出すように答えてくれた。

 ランティス氏にとっては万感の思いが込められた吐露のようだったが、まだ意図が掴めない私は、またしても尋ね返した。

 

「何故、そう思うのだ?」


 まるで子供の鸚鵡オウム返しのようである。

 しかし、それでもランティス氏は嫌な顔一つせず、むしろ畏まった表情で真摯に一度頷いてから、丁寧に答えてくれた。


「丙種勇者は、誰でもなれる勇者だと聞きました。それこそ、老若男女問わず……誰でも……」


 その通りだ。

 

 丙種勇者は、甲種勇者や乙種勇者と違って、選ばれし何者かである必要はない。

 今でこそ数が増えすぎて新規の丙種勇者登録は制限されてしまっているが、基本的には誰でも簡単になれる。


 丙種勇者になる為に必要なことはたった二つ。

 一つは、神殿で丙種勇者用の多重神託を得る事。

 

 そして、もう一つは……。


「神託さえ得れば、……誰でもなれる勇者だと」


 そう。

 

 その名を、己の名を、捨てる事。

 己の己たる所以ゆえんを、捨て去る事。

 

 勇者に、名前は必要ない。

 勇者に、自身は必要ない。

 

 勇者は、個である必要などない


 勇者は勇者である以上、それ以上にもそれ以下にもなる必要はない。

 人を救うために滅私奉公すると神託を得た以上、そんな己としての証を立てる必要はないのだ。


 故に、天へとその名は召し上げられ、この世界の誰にも……無論、己自身にも……その名は認識されなくなる。


 勇者となったが最後。その名は、この世の何人にも、二度と呼ばれることはなくなる。

 ただ、勇者として生きるのなら、必要のないものであるから。


 まぁ、それだって戦場に出る時ともなれば不便極まりないので、何かしら、その場限りの番号なり仮称なりは与えられたりするもんだが。


 しかし。


「逐一、ランティス氏の言う通りであるが……だからこそ……誰でもなれるからこそ、私は勇者になる事を選んだだけであるぞ?」

 

 そう、それはむしろ、私が勇者になった理由に過ぎない。


 誰でもなれるから。

 名を捧げる以外、何も対価を必要としないから。

 それで魔族と戦う力と仕事が得られるのなら、正直、安い代償だと私は思った。


 だから、そうした。

 これは、それだけの話だ。


 だが、ランティス氏はその発言に食らいつくかの如く、眉間に更に深い皺を刻んで、絞り出すように……悲哀に満ちた声色で、尋ね返してきた。


「丙種勇者であるのなら、真の意味で御自分で選んだわけでは……ないでしょう?」


 それは、返答の容易な問いであった。


「まぁ、そうであるな。というか、大半の丙種勇者はそうであろうな。生きる為、そうなったものが大半であろう」


 丙種勇者は体一つで誰でもなることが出来る。

 それこそ、他に必要なものなど何もない。

 逆にいえば、当時、他に何もない無職共が已むに已まれず選んだ職業ともいえる。

 

 無論、好き好んで丙種勇者になった奴もいるにはいるが、そういう連中の大半は魔族への憎悪故だ。

 前向きな理由で丙種勇者になる事を選んだ奴となると、殆どいないのではなかろうか。


「故にです。誰でもなれた。誰でも良かった……なら特定個人を勇者にしたいなどという意図は、恐らく誰も持っていなかった筈です。状況が、世論が……不甲斐無い連合王国の弱さが……貴方達が勇者になる事を、強いてしまった」


 それもまた、真実ではある。

 緩やかに死ぬか、それとも勇者になるかという選択を迫られて丙種勇者になった者は少なくない。

 職にあぶれた者もそうであるし、自分の故郷が魔族に奪われた者もそうだ。


 事実、私もそういう類であった。

 別に私が勇者になった当時としては、珍しくもない話である。


 だが、ランティス氏はそれこそが我慢ならないのか、肩を怒らせて、言葉を続ける。


「状況に強いられただけにも関わらず、貴方達丙種勇者はその身と名を捧げて、勇者として戦い、その身を粉にして、魔族から民を守って下さった」

 

 声を荒げ、その目の端に、涙すら浮かべて。


「その名を! その身を! 全てをこの世界に捧げてくれた! 強いられたにも関わらず、己がその身をなげうって、勇者として魔に立ち向かってくれた! これを敬愛せずして、何を敬愛しろというのですか!」


 白騎士は、憤る。

 その白い顔を紅潮させて。蒼い瞳を涙に揺らして。


「僕は、今の丙種勇者の扱いには……我慢なりません。しかし、当人である貴方達のほとんどは、現在の扱いに対して暴動どころかデモの一つも起こしません。そして、それに甘えるかのように、体制側は現状の丙種勇者の扱いに対して、十分な救済策を取っていない……それが、体制に属する騎士として、僕は恥ずかしいし、許せない……! 貴方達こそ、真の……理想の勇者だというのに!!」


 ついには、テーブルに拳を叩きつけた。

 

 が。


「あっ」

「あっ!」


 その拍子に、もう中身が殆どなくなって身軽になっていたジョッキが卓上で踊り。

 そのまま、千鳥足の淑女よろしくテーブルから身投げしようとしていたが。


「っとぉ!!」


 何とか間一髪、ランティス氏が受け止め、寸での所でジョッキ救出に成功した。

 安堵のため息を互いについて、私達は額の汗を拭う。


「ギリギリであったな……」

「そ、そうですね、もう少しでも遅かったら……手遅れでした……!」


 暫し間を置いて、私たちは顔を向け合う。

 笑いながら、私は落ちかけたジョッキをランティス氏から受け取り、そのまま中身を一気に飲み干した。

 

「これで、中身が零れる心配はもうないな」

「すいません、少し、熱くなりすぎてしまいました……!」

「ははは、構わん構わん。とりあえず、何を私と話したいのかと言う主題はわかったしな」


 勢いよく頭を下げてくるランティス氏に対して、つい、私は嬉しくなって、笑みを漏らす。

 本当に、この御仁はいつでも全力なのだな。

  

「ようは、魔族と一杯闘った勇者の筈なのに適当な扱いされて、不満はないのか? と問いたいわけであろう?」

「は、はい、ざっくばらんに言えば、そんなところです!」

「そりゃ、まぁ、正直にいえば、あんだけ魔族と山ほど戦ったってのに、用がなくなりゃ御払い箱ってのは不満といえば不満ではあるな」

「ならば、やはり!」

「しかし、だな」


 また興奮しだしそうになったランティス氏の発言をヴェイロンよろしく途中で遮って、もう冷めきってしまった魚のフリッターを一つ口に放り込む。

 不味い。油が嫌な感じに固まってしまっている。

 何時までも舌の上で転がしたくないのでロクに噛まずに飲み込んで、私はランティス氏に向き直った。


「それで世に憚るのはまた、お門違いというものだ。我らとて、今はともかく魔族が山ほどいた頃はそれなりにチヤホヤされたし、美味しい想いも一杯させてもらったのだ。それが済んだのだから、今後の扶持は多少御遠慮願うといわれても、仕方のない事であるさ。単にもう、我々の役目が終わったというだけの事。騒ぐほどのものでもない」


 そう、これはタダの自然の摂理なのである。

 誰が悪いわけでもない。

 だが、ランティス氏はそれこそが気に入らないらしく、その蒼い瞳を吊り上げて声をあげる。


「しかし、それは国と民が貴方達を道具と見做していた証ではないですか!」


 それもまた真実であるといえる、事実を糾弾する。

 しかし。


「はっはっは、それがどうした」


 それに対して返答することは、それこそ、私にとっては容易である。


「いいのだよ、ランティス氏。我々はそれでいいのだ。名無しの勇者なんてものは古来から救いの自動供給装置であるのだから、元からそんなものだ。それに、役目を終えれば蔑ろにされるなんてのは、別に我らに限ったことではない。この世のあらゆる全てがそうだ」


 盛者必衰。驕れる者も久しからず。

 世の需要から大きく外れれば、英雄とて、処刑台に自ら登る羽目になるのがこの浮世だ。

 何事も需要と供給の問題でしかない。

 勇者も、求められないのならば、無用の長物でしかないのだ。


「それこそ、騎士も同じことであろうよ。だから、今は実戦で優れる歴戦の黒騎士よりも、机上で優れる座学の白騎士のほうが持て囃されているではないか。まさに、その恩恵に預かっているランティス氏も、同じ歯車の中にいるのであるぞ?」

「た、確かに……それは、その通りですが……」


 そう言って少し項垂るランティス氏の姿を見ると、若干意地悪であったかなと我ながら思うが……まぁ、これもまた現状の事実でしかない。


 今がもし周辺諸国との戦時であったなら、ヴェイロンとランティス氏の立場は真逆であったはずだ。

 体格というものは白兵戦において覆し難い実力差となる。

 装甲騎士としては文句のない体躯を持っているヴェイロンと、お世辞にも実戦的な体つきとは言い難いランティス氏では、雲泥の差がある。

 もし戦時であったら、ヴェイロンは一発採用で、ランティス氏は見習いにもさせて貰えずに門前払いであったろう。

 所詮はこれも、時節による需要の違いでしかない。


「ランティス氏。他の丙種勇者がどう思っているかは知らんがな……私はむしろ、現状に概ね満足しているのだ。これで、良かったと」

「ですが、先ほどは仕事がない事が不満であると!」

「いや、まぁ、確かに、それは中々の困りものではあるのだがな」


 実際、それは本当に困っているので、そこは確かに不満というか、大いに不安ではある。

 特に老後とか、かなり不安である。

 養老院とか、私が歳食う頃にはもっと一杯出来ているといいのだが。


 閑話休題。


「まぁ、そんなものは、それこそ、勇者に限った話でもない。戦に生きていた全ての者がそうだ。最早、戦で仕事を得ていたあらゆる者達の扶持は減る一方だ」


 かつて魔族が世に跋扈し、周辺諸国ともバリバリ喧嘩していた頃は、その影響の特需で潤っていた者達も山ほどいた。

 それは直接戦場に出ている者に限った話ではない。

 武器防具屋は勿論の事、雑貨や道具を取り扱う者達もそうだ。

 彼らの取り扱う品も売り上げも、良くも悪くも当時とはガラリと変わっている。

 その影響で、時代の波についていけず、暖簾を下ろした店も少なくない。


 ランティス氏も、騎士団に身を寄せているのならそれは如実に感じている事だろう。

 神妙な顔で黙って話を聞く彼に……私は小さく笑い掛ける。 


「だがな……それは翻せば、最早、誰もが戦に泣く必要が無くなったという事なのだ」

「……!」


 目を見開くランティス氏の顔を見て、私は笑みを深めながら、言葉を続ける。

 ただ、思ったままの言葉を。


「勇者が求められる世なんてのはなぁ……乱世に他ならんのだ」


 魔族と戦い続けて、そして今になって、改めて思う言葉を。

 ただ、正直に。


「勇者は嘆きと悲鳴に満たされた世界でこそ、求められる。そんな悲哀と痛みを払拭するために、勇者という存在が祀り上げられる。それこそ、強いられてでもな」


 所詮、勇者に求められる機能は、武による救いに過ぎない。

 他の全ての機能は、ないよりはあったほうがいい程度の物で、だいたいの民衆が勇者に求めるものは、結局の所、武人としての機能でしかない。

 勇者が多くの民衆に求められる世なんていうのは、多くの民衆が……暴力を欲している乱世に、他ならないのだ。 


「だからな」


 故に、私は心から思う。


「私はな……今のように、勇者がタダの穀潰しとして小馬鹿にされるような世界には、割と満足しているのだ」


 この、今の自分の……タダの無職という扱いも、そう悪いものではない。


の私達のように、戦時と言う状況に強いられて勇者になる者は、最早この国にはいない。それは、最早、民衆が魔に対する武を欲せずに済む世界になったということだ」


 路地裏で壺を漁り、樽をひっくり返し、その末、守るべき民から、他の仕事を探せと罵られる……

 状況だけみれば、正に勇者がそれを拒む理由はないのだ。

 何せ、周囲が平和であるのだから。 


「本当に……本当に、いいのですか? かつての働きを忘れられ、今を蔑ろにされ、未来も約束されていない。そんな今でも本当に……勇者殿は、いいのですか?」


 静かな声で、そうランティス氏が聞いてくる。

 だが、答えなど、既に決まっている。


「強いられてそうした側面は多少あるとはいえ……我々は元々、こういう世界を求めて、戦ってきたのだ。それが、多くの血と、嘆きの果てに……漸く成されたのだ。この身と処遇にいくら不満があれど、この泰平その物の何処に、不満を述べる必要があるというのだ」


 それこそ、一人の勇者として。 


「私は、満足だ。故に、私は今後も当分は、壺を漁り、樽をひっくり返して生きるだろう。勇者として、胸を張ってな……いや、職無しで胸を張るのは、少し違うかもしれんがな。はははは」


 心の底から、ただそう思っている。

 

 かつて、畏怖と武威が全ての時代があった。

 魔が蔓延り、暴威が吹き荒れ、誰もが死を意識しなければ生き残れなかった時代が。

 

 しかし、今はもう、その時代は遠退いた。

 

 最早、勇者はタダの無職の日雇い労働者と化し、騎士は戦場から締め出され、誰もが吟遊詩人や商人の真似事をする時代。

 武勇の死んだ時代と憤る者もいるだろう。

 夢も希望も値札の貼られる時代と嘆く者もいるだろう。

 

 だが、そうなるまで戦い抜いた一人の勇者としては、暴力を示さずとも時代というだけでも、ひたすらありがたいと思うばかりである。

 

「と、長い回答になってしまったな。まぁ、だから、なんだ。私は別に、今の扱いに悪感情は持っていないのだ。なんだったら、もっと罵られたって構わん。それが世が勇者に対して求める役割であるというのなら、甘んじて受け入れよう」

 

 そう締めくくって、隣のテーブルに置きっぱなしだったワイン瓶を引っ手繰って、中身をジョッキに注ぎ、ぐいっと呷る。

 

 しかし、これ、手短に言えば「別に仕事の斡旋以外で不満らしい不満はないし、扱いはもっと雑でも構わない」と言うだけの事でしかないな。

 我ながら、前置きが長すぎる。

 本当に、ランティス氏には長話をしてしまって申し訳なかったな……と思っていたのだが。


 その、直後。

 

「勇者殿」


 ずいっと、ランティス氏が眉間に皺を寄せて、ジトっとした不満あり気な目で睨みを効かせたまま、私の目前にまで顔を寄せてきた。


 やっぱり、ちょっと話が長過ぎたろうか。

 何時までも若い心算でも、やっぱり私も結構歳なのかもしれないなぁ……と憂鬱になっていたところ。


「勇者殿のお考えは、よぉくわかりました。しかし、それはそうとして……勇者殿は、僕の事は好きですよね。愛していますよね」


 なんだか、よくわからない断言が来た。


 完全なる断定形である。

 何故、そのような好意の盲信を……? と、一瞬思ったが、ランティス氏から見れば、未だ私は長蛇の列に並んでいた熱狂的なファンであるのだと、改めて思い出す。

 

 まぁ、それは別として、諸々の付き合いから既に彼への好感は高まっているので。


「え、ああ、うん……素直に好いていると言えるな。ランティス氏は好人物であるしな」


 そう、隠すことなく答える。

 実際、もうファンといって差し支えない心持であると自分でも思う。


 すると、ランティス氏は腰に手を当てて、若干の怒気の孕まれた口調で言葉を続け。


「そんな僕が世間中から功績も人間性も蔑ろにされて、日頃から謂れのない罵倒を受けて、その上、杜撰な扱いをいつもされていたら、勇者殿はどんなお気持ちになられますか?」

「そんなの、内心穏やかな気持ちでいられるわけがなかろうよ」

「では、それを念頭に置いたうえで、先程まで勇者殿が僕に話していた事を少し思い出してみてください」

「……あっ!?」

 

 核心を突いてきた。

 なるほど、それは……確かに。


「……そ、そういう事であったか……」

「今の僕のお気持ちが分かって頂けたようで幸いです」

「それは……なんというか、本当に」

 

 すまし顔で鼻息荒く嘆息するランティス氏に……私は今度こそ頭を下げる。


「申し訳なかった。私には周りが見えていなかった」

「御理解頂けたなら、それで結構です」


 人は、別に自分自身の事だけで怒るわけではない。

 そんな当たり前の事を見落としていたとは、我ながら情けない。

 

「今の御話で、勇者殿は自身が蔑ろにされ、幾ら罵倒されようと平気の平左であることは十分わかりました。ですが、勇者殿がそのような扱いをされると、それだけで気分を害す人間が、最低でも此処に一人居るという事は覚えておいてください」

 

 そう、白騎士が窘める。

 理想の道を成功と共に踏みしめ、人に讃えられ、崇められる事の肝要さを知っている騎士が、静かに。

 誰かの憧れを背負うという事は、己への罵倒が容易に他者に波及するという事でもある。

 それについては、確かに私は不勉強であったと言わざるを得ない。

 

「なるほど、だからランティス氏は……いつでも堂々としているのだな」

「そうです。それこそが、騎士としての役目であり……義務であるからです。それは、退魔の象徴たる勇者も変わりが無い事であると思います」

「しかし、甲種や乙種ならともかく丙種は……」

「民衆は騎士の僅かな兵科の差異になど頓着しません。勇者に対しても恐らく同じことかと。ですから、勇者と名乗る以上は、そこは弁えてください」 

 

 ぐうの音も出ない。

 確かに、丙種だからといって甘えて良い事では決してない。

 

「そうだな、肝に銘じておこう……済まなかったランティス氏」

「それこそ、先ほども言ったように御理解頂ければ結構です。それよりも」


 項垂れる私に対して、ランティス氏は眩いばかりの満面の笑みを浮かべて。


「互いに理解が得られたのなら、今はこちらの方が相応しいかと!」


 隣のテーブルに置きっぱなしだった空ジョッキを引っ手繰ってきて、軽く掲げる。

 言わんとすることは、無論分かる。

 それこそ私も、笑みで返して。

 

「それも、そうであるな」


 互いのジョッキに、先程のワインを注ぐ。

 後にやることは、もう一つしかない。


「では、互いの愛と! 世界の平和に!」


「「乾杯!」」


 ジョッキを軽く打ちつけながら、私達は互いに笑った。 

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