誰にでも出来る簡単なお仕事。
驚くべきことにクリスは茶を奢ってくれた。
しかも、私だけでなくヴェイロンにまで銅貨五枚のティーセットを奢ってくれたのである。
ヴェイロンは当然といった態度で茶を啜り、スコーンをパクついていた(呆れた事にそのときも兜は外さず、ただ
もしかしたら、とんでもない仕事を押し付けられるのではなかろうか。
そんな風に私は若干戦々恐々としていたが、結局のところはクリスを信じる事にした。
というか、信じざるを得なかった。
もう私は、ぼちぼち財布が底を突くどころか、底が抜けるのも時間の問題といった有様の経済状況なのだ。
まさしく背に腹は変えられないのである。
どうせ、クリスもそのあたりの事はある程度織り込み済みで我々に声を掛けたのであろう。
故に、茶を終えた後、私はある程度の苦境は覚悟の上で、ヴェイロンと二人揃ってクリスに粛々とついていったわけであったが。
******
「はい! 押さないで! 押さないでくださーい!」
「きちんと三列に並んで進んでくださーい! くれぐれもはみ出さないようにー!」
「はみ出した人はまた後ろから並びなおしてもらいまーす! ゆっくりすすんでくださいーい!」
正直にいえば、これは予想外であった。
私とヴェイロンは今、とある長蛇の列の中をそれこそ牛歩の歩みで、ゆっくりと進んでいた。
まぁ、それだけならまだいい。
別にゆっくり並んで進むだけなら大したことではない。
時たま募集される人員消耗覚悟の人足依頼などとは比べ物にならないほどマシというか、はっきりいって良い仕事である。
だが、だがしかしである。
それでも、この状況は少しばかり耐えがたい。
何故なら……私とヴェイロンは、さっきからずっと周囲から訝しげというか、歯に衣着せずにいえば、嫌悪の視線を向けられているからである。
なんというか、「何この人たち」という言葉が、疑念と侮蔑と共に込められた視線だ。
そう感じる。おそらく勘違いではない。
まぁでも、ハッキリ言えば、理由は明白である。
単純に、この長蛇の列に並んでいる明らかな男子が……見渡す限り、私とヴェイロンの二人だけしかいないからだ。
クリスはわりと周囲に溶け込んでいるというか、わざとらしく普段よりも若干女の子っぽい格好をした上で、我々より遥か前に並び、完全に私達二人のことは無視している。
対する私は、ヴェイロンの前に並んで二人セットで進んでいるせいもあって、周囲の視線をまともに受けてしまっている。
その上。
「おい、貴様。騎士たるこの俺をいつまで待たせるつもりだ。もう二時間にもなるぞ。列の数を増やすなりなんなりして対応したらどうなんだ」
相方がこの有様である。
先ほどからヴェイロンはよほど暇なのか、何かにつけて係員を呼び止めては、こんな風にああだこうだとクレームをつけているのだ。
周囲からどころか、係員側からの心象も最悪であろう。
どこに行っても全く物怖じしないのはヴェイロンの美点でもあるのだが、美点が常に長所となるのかと言われれば、話はまったく別である。
何事も時と場合と場所の兼ね合いであるのだ。
こと今この場においては、妙なところで周囲に流されないヴェイロンの気質が完全に裏目に出てしまっている。
しかも、それだけならまだしも。
「勇者。貴様も黙っていないで抗議をしたらどうだ。いつまでもこんなところで足止めを食っているのもアホらしいだろうが」
コイツ、私まで巻き込んできやがる。
お陰で私まで係員や周囲の女性から睨まれている上、時たま「勇者……無職かよ」と陰口交じりに舌打ちまでされる始末である。
なるほど、針の
そう納得して、私は心を無にしつつ、ヴェイロンには適当に相槌だけを打ってただ行列を進んでいた。
さて、では何故、勇者と黒騎士は行列に並ぶのか?
これもまた、答えは明白である。行列の先に求めるものがあるからだ。
今回クリスに振られた仕事は即ち、お一人様三点限りのそれを入手することであり、入手の暁にはそれを高値で買い取ってもらえる事がすでに約束されている。
それこそが。
「白騎士様ハーフヌードスケッチ! 数量限定! 最後尾はこちらでーす!」
見ず知らずの男の、半裸スケッチであった。
******
「お二人ともお疲れ様でした」
通りの隅の公園で、すっかり憔悴した私と、相も変わらず当然といった態度のヴェイロンに、クリスはちっとも心の篭っていない労いの言葉を掛けてくれた。
ヴェイロンほどではないが、クリスも大した面の皮の厚さである。
「お約束通り、このスケッチは一枚につき銀貨三枚で買い取らせて頂きます。合計で銀貨九枚ですが、面倒ですので、金貨一枚お渡ししましょう。お釣は結構ですので、それぞれ、お納め下さい」
「騎士に相応しくない仕事ではあったが……まぁ、いいだろう。その報酬、確かに受け取った」
「……太っ腹であるな、クリス」
だいたい、丸一日働いた場合の相場が銀貨十枚……即ち、金貨一枚である。
ヴェイロンは当然のように受け取っているが、たかが数時間の労働の対価としては破格もいいところだ。
まぁ、多大な精神的苦痛があったことは確かではあるが……それにしたって、ヴェイロンは痛痒もないが同然だったろうに。
「事前にお渡しした購入資金の方は使い切ったと思われますので、お返し頂かなくて結構です」
「本当に大盤振る舞いであるな」
このスケッチの値段は一枚銀貨二枚だが、その購入資金を出したのはクリスだ。
それを銀貨三枚で買い取っているのだから、実にクリスはこのスケッチ一枚あたりに銀貨五枚も支払っている計算になる。
定価の倍額以上だ。
どうせクリスのことだから転売目的なのであろうが、それにしたってそこまで支払っても元手が取れるということであるのだから、恐ろしい話である。
「しかし、最近の白騎士ってのは妙な仕事をしているのだな……」
「まぁ、いまや騎士団も自警団としての機能だけでは予算が減っていくだけですからね。どこの組織もあの手この手ですよ。歌って踊れるナイト様が今は流行っているんです」
「なるほどなぁ」
大規模な戦乱の時代は最早終わりを告げつつある。
騎士も勇者も人手が余り、誰もが過去在りし日と同じではいられない。
そうなってくると、騎士も、そして騎士団も当然いままで通りではいられ……いや、ちょっとまて。
「これ個人でやってるわけではないのか?!」
「はい、騎士団直営ですよ。当たり前じゃないですか。どこかの無職様と違って、普通の騎士様は副業禁止ですよ。先ほどの係員の皆さんだって全員団員の方々です」
「ふん、お上の言う事しか聞けない軟弱な連中よ」
「いや、ヴェイロンはそれ騎士としてどうなんだって思うのだが……しかも歌って踊れるって……」
「元が騎士ですから身体能力の高い彼らはそういった体力の必要な興行にも向いているのですよ」
「適正云々の話ではないと思うのだが……まぁ、騎士も大変なのだな……しかし、百歩譲って騎士が吟遊詩人や踊り子まがいの真似をするのは良しとしても、一応は王家の紋章背負ってる王立騎士団の騎士が惜しげもなく裸体を晒すのは問題なのではないのか?」
「その辺配慮されてるからこそ、兜はみんな付けっぱなしじゃないですか」
確かに、どのスケッチも半裸で艶かしいポーズをとってはいるが、なぜか皆フルフェイスヘルムをつけている。
これなら、顔は一応隠しているからOKとでも言うつもりなのであろうか。
なんと安直な。
「ちなみに今日の奴は特にパフォーマンスが派手で人気のある第三騎士団のものですね」
「え、こいつら第三騎士団なのか? 流石に嘘であろう?」
「いえ、嘘じゃありません。本当です。マジです」
「クリスの言っている事に偽りはないぞ勇者。先ほどの係員の中に、三ヶ月前の第三騎士団入試で俺を叩き落した面接官がいたからな……奴が忘れても、俺が奴の顔を忘れることはない」
「……マジであるのか……」
というか、だからヴェイロンはずっと係員に喧嘩売ってたのであるか……完全な逆恨みではないか。なんて傍迷惑な事を。
それはそうと、コバルト連合王国の王立第三騎士団といえば、かつては周辺諸国を震撼させ、遠くは南海帝国や東方諸侯連盟にまでその名を轟かせた猛者中の猛者共である。
ルーツを辿れば極北の蛮族にまで行き着く我らが連合王国騎士団の中でも、第三騎士団は特に勇猛果敢というか、蛮勇というか、明け透けにいえば蛮族が装備を整えただけといった有様の国家公認愚連隊であった。
鎮痛と興奮を同時にもたらす度の強い酒を常飲し、捕虜は殺してアンデッド化させてから前線に叩き込み、落とした都市の外壁には老若男女問わず戦没者の死体を晒す。
そんな、悪逆非道の名を欲しいままにしていた泣く子も殺す第三騎士団が、今は市井で死体ならぬ裸体を晒し、女子の黄色い悲鳴を欲しいままにしているという。
世も末である。
「どこの騎士団も盛んに白騎士を採用している理由はイメージアップ戦略も兼ねているとは聞いていたが、そのイメージアップの方法がこんな方法だったとはなぁ……」
「来週は第七騎士団も新人のお披露目があるそうなので、きっと盛り上がるでしょうね」
「え、それって、ヴェイロンが門前払いにされたところではないか」
ということは、万が一にもヴェイロンが採用されていた場合、もしかしたら来週のお披露目ではヴェイロンの半裸が白日の元に晒されていたかもしれないわけか……想像もしたくない惨状であるな。
などと、私が蒼褪めた顔で天を仰いでいたところ。
「全く、けしからん事だ」
そういって、鼻息も荒くヴェイロンが嘆息した。
やはり、黒騎士とはいえ、ヴェイロンも一介の騎士である。
現状の屈折した騎士団の体たらくには、何か思うところがあるのかもしれない。
如何にも遺憾といった様子で、ヴェイロンはゆっくりと面を上げ、先ほどの私のように天を仰ぎ。
「あんな軟弱者共よりも、俺の完成された肉体を描いた方が、遥かに高値がつくだろうにな」
そんな風に、自信満々に宣言した。
私は、何故ヴェイロンが未だ黒騎士なのか、本当の意味でわかったような気がした。
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