プロット交換小説
佳原雪
山蔭恭輔の受難
ヤマカゲキョウスケ。それが俺の名前だ。俺は引っ越しをした。大学生になったのをきっかけに、田舎から出てきたのだ。親元を離れるのは不安もあったが、今はこれからの生活への期待が上回っている。髪も染めた。茶髪にだ。金髪やもっと派手な頭にしてみたいような気もしていたが、一人だけド派手にしていて周りから浮いていたらいたたまれない。つまりおれはビビったのだ。茶色だって十分派手だ。俺はずっと黒髪で慎ましやかに生きてきたのだから。そう、俺は浮かれている。何しろ春だ。
だから、おれは引っ越しの挨拶を済ませた数日後、貰った菓子のお礼だと言って見覚えのない洋菓子屋の菓子箱を持って来た子供を部屋に上げた。名字には覚えがあった。お隣に住んでいるメアラシさんだ。明けるに嵐と書いてメアラシと読む。田舎にいたころはこんな名前があるなんて知らなかった。
メアラシリョウヤ、と彼は名乗った。細身で小柄、彼は中学生なのだそうだ。おれは怜也くんと呼ぶことにした。怜也くんはその後もたびたび遊びに来た。俺はお昼を一緒に食べたり、時間があるときは一緒にゲームをやって遊んだりした。
怜也くんと遊んでいると、自分に弟が出来たみたいで嬉しかった。
ある日、怜也くんは言った。おれは、その時何をしていただろうか。なにかを持っていた気がする。
「恭介さん、僕にはあなたの心臓が必要なんです」
そうだ、思い出した。俺はあの時麦茶を飲もうとして、コップに注いでいる最中だったんだ。あんまり驚いたもんだから手にかけてしまって冷たい思いをした。床もびしょびしょになった。
その時はなにも考えられずに間抜けな返事をしたように思う。
「あなたの事が好きなんです。僕の心臓はあなたのそれと一緒になるべきなんです。そうでなくちゃならない。そういうわけでこちらにわたしてください。取り出すのが億劫だというのなら僕がやりましょう、恭介さん? 聞いていますか?」
俺は脂汗をかいていた。怜也くんの学ランの中に、光るものが見えたからだ。無意識に後ずさりをしていたらしい。床に出来た麦茶の水たまりに知らず片足を突っ込んで、俺は素っ頓狂な声を上げた。怜也くんがぱちぱちと目を瞬かせていたので、俺は道化を演じた。いかにも今気が付いたというように慌てて、布巾を探した。怜也くんは床を拭くのを手伝ってくれた。その日は気が済んだのか、そのまま帰っていった。
俺の可愛い弟は、とんだモンスターだったようだ。怜也くんは毎日のように来て、愛をささやいて帰ってゆく。彼はどうも俺の心臓が欲しいらしい。カチカチと音がしたので目をあげると、怜也くんはカッターナイフを握って、うっそりと微笑んでいた。俺は悲鳴を上げそうになるのを堪え、怜也くんに微笑みかけた。
「そんなに俺の心臓が欲しいのか?」
「欲しい。やっとわかってくれましたか。嬉しい……」
怜也くんはややくい気味に言った。まだあげるとも何とも言っていないのにこれだ。手に入る見込みはゼロだと言ったらどんな強硬手段に出られるかわかったもんじゃない。おれは腹を決めた。
「俺の心臓を君に譲ろう」
「本当ですか! では早速……」
俺は怜也くんを手で制した。
「まあ待ってほしい。俺の心臓は怜也くんが焦がれる通り、とても大事なものだ。そう、俺にとっても、すごく大事なものなんだ」
当然だ。これがなくなってしまうとおれは生命を維持できない。喋りながら俺は怜也くんの様子をうかがう。真剣な顔で聞き入っている。俺は至極真面目な顔で続けた。
「そんな大事なものを取り出すのに、そんな事務用品店で売っている一本幾らのカッターナイフを使うのは野暮の極みだと思うんだがどうだ。そうは思わないか」
怜也くんははっと気が付いたように手元のカッターナイフを見た。深くうなずき、刃先をしまう。
「そうですね、気が付きませんでした。恭介さんの言うとおりです。もっと早く気付くべきでした。心臓を取り出すのに紙やテープを切る刃物を使うのは確かにおかしい」
まず生きている人間から心臓を取り出そうとすること自体がおかしいことに気が付いてくれないかなあ、と俺は思った。しかし、怜也は笑顔で俺に言い放った。
「野暮でない刃物って何が良いですか。恭介さんの意見も聞かせてください」
この中学生、俺に凶器を選べと抜かす。
「やっぱりここはオーソドックスにメスとか、ああ、最新式のレーザーメスもいいなあ……水圧カッターなんかも俺、好きだよ。ロマンがあるんだ。どれが良いんだろうなあ。どれも魅力的で迷っちゃうよなあ……妥協はしたくないしなあ」
ちらりと俺は怜也くんをみやった。彼はにこにこと笑っていた。背筋を冷や汗が伝った。
「考えといてくださいね。決まったら教えてください。お小遣いをためて用意しますから!」
怜也くんは上機嫌で帰っていった。ドアが閉まり、足音が遠ざかると、全身から汗がどっと噴き出した。彼の家は中流階級の上の方だ。余裕もそれなりにあることだろう。つまり。
「本当に用意しかねない……」
俺は絶望した。高いものを吹っかけて、諦めさせようかとも思っていたが、どうやらそれは無理そうだ。
俺は全身全霊をかけてこの話題を引き伸ばすことにした。刃物。俺はこの数ヶ月で異常に刃物に詳しい人間になった。銃剣、包丁、日本刀、宝剣、メス、工業用カッター。果てはギロチンなどの処刑道具。俺は半月に一度、新しい刃物に興味が出たようなそぶりを見せ、関連書籍を漁る。一週間かけて資料を集め、残りの一週間は、どの刃物が摘出に向いているかを検討する。本物を見に行ったりもする。この数ヶ月で博物館に両手の指でも数え切れないほど行った。だが、なるだけ美しく心臓を摘出するためだけに作られた刃物というのは早々に存在するものではないので、怜也くんが飽きてきた頃合いを見計らって次の刃物を探し、俺の心臓をえぐるという甘露をちらつかせる。俺はこれで何とか夏まで生き延びた。綱渡りの日々が辛くなかったと言えば完全な欺瞞だが、雑誌を読んだり、博物館に行くのは楽しかった。心臓の話さえしていなければ、怜也くんは楽しい友達だ。めんどくさい彼女ってこういう風なのかな、と思ったりもした。実際はめんどくさいどころか生命の危機にさらされ続けているわけなのだが。
そうこうしている間に夏休みになった。長期休み、学校がない分どうしたって考える余裕ができる。怜也くんは俺の引き伸ばしに気が付いてしまった。
「心臓をくれるって言ってから二か月。山蔭さん、こだわってばかりで一向に心臓くれませんよね」
「何言ってるんだよ、俺たち二人の、大事な事だろ? そう簡単に決められることじゃないだろ」
怜也くんはすこしだけ、嬉しそうな顔をした。
「でも、駄目なんです。大事なことだから、急かしちゃいけないと思ってたけどもう我慢の限界です。こうなったら、僕の心臓をあなたに捧げることにします」
取り出されたどこかで見たようなカッターナイフをおれは全力で止めた。
もはや恐慌状態だ。暴れようとする彼をを俺は強く抱きしめた。抱きしめたというか、肋骨覚悟で抑え込んだと言ったほうが正しいかもしれない。怜也くんはおとなしくなった。背中に手を回されたので、力強い抱擁だと解釈したのかもしれない。
「ああ、あなたの心臓が欲しいのに、取り出してもし傷つけでもしたらと思うと怖いんです。恭介さんのせいですよ、僕は、心臓を手に入れられさえすれば、もうそれで満足できたはずだったのに……」
腕の中の肩が震える。怜也くんは泣いていた。
「なあ怜也くん、俺、俺頑張るよ……これ以上ないってくらい綺麗に心臓取り出す方法見つけて見せるから、それまで待っててくれないか……」
俺は一世一代の大嘘を吐いた。そう、一世一代の大嘘だ。俺は怜也くんが諦めるか、まともな人間になるかするまでーーもしくは俺か怜也くんのどちらかが死ぬまでーーこの嘘を突き通し続けなければならないのだ。俺は腹を決めた。決めるしかなかった。
「はい……!」
涙に濡れ、赤くなった頬で怜也くんは頷いた。なんかもうこれ、プロポーズみたいだなあ、と俺は思った。感極まってしがみついてくる怜也くんの肩に顔を埋め、俺は指輪用意しなくちゃな、と考えていた。
プロット交換小説 佳原雪 @setsu_yosihara
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