影踏み

群青更紗

2016.02.29

 一緒に暮らしていたおじいちゃんが死んだ。六歳の未咲恵にとって、それは大きな喪失だった。

 物心付いた時から傍にいた。共働きの両親が不在の間、ずっと遊んでくれていた。自転車で公園に行ったり、スーパーで一緒に買い物したり、喫茶店でプリンを食べたり、手品を見せてくれたり。幼稚園に上がってからは、そんな時間も減ったけれど、それでも大好きなおじいちゃんだったことに変わりはなかった。幼稚園から帰って「ただいま」と玄関を開けると、いつだっておじいちゃんが、「おかえり」と、コーヒーとタバコの混ざった香りで迎えてくれた。それが嬉しかったし、それが当たり前だった。


 通夜と葬儀はあっという間に過ぎ、またいつもの日に戻った。

 ちがう。戻ってなんかいない。

 朝ごはんの席におじいちゃんがいない。毎朝ゆっくり、おじいちゃんと手を繋いで歩いた集合場所へは、お母さんに急かされて駆け足で向かった。しかしそこから幼稚園で過ごす時間は以前と変わらず、未咲恵はしばし喪失を忘れた。

思い出したのは帰りのことだ。皆と少しずつ離れていき、家の前で一人になったとき、強い拒絶が起こった。――帰りたくない。

 鍵は持っている。昨日さんざん練習させられ、首から赤い紐で下げられている。でも、それを使ってしまうことは、おじいちゃんのいない現実を認めてしまうことになる。

 未咲恵は玄関に背を向けて駆け出した。行くあてはない。それでも、家に帰るよりずっと良かった。


 日が暮れた。未咲恵は神社の森にいた。おじいちゃんとよく来た場所だが、夜来たのは初めてだ。昼のキラキラした空気と違い、お化けが出そうな雰囲気だ。未咲恵はそれでもいいと思った。

「ねえ」

 突然呼びかけられて未咲恵は息を呑んだ。振り向くと男の子がいた。自分と同い年くらいに見えた。

「影踏みしようよ」

「え?」

 夜なのに、と思う間もなく、男の子は自分の影をゆび指した。確かに影がある。未咲恵は空を仰いで目を丸くした。満月の月明かりで影が出来ているのだ。

「ね、やろう。ほら、」

 そう言って男の子は未咲恵の影を踏み、駆け出した。未咲恵は思わず追いかけた。男の子はすばしっこかったが、何とか追い付いて影を踏んだ。今度は未咲恵が逃げる。男の子が追いかけてくる。だんだん楽しくなってきた。未咲恵ははしゃいで影踏みをした。影はだんだん短くなる。いつもの影踏みとは逆だ。簡単に踏めなくなってきて、でもそれが面白くて、いつまでも遊べそうだった。

 何度目かの鬼になる頃には、もう影は殆ど見えなかった。それでも未咲恵は追いかけた。と、男の子が何かの影の下へ走った。チャンスだ。あの影を踏めば、男の子の影を踏んだことになる。未咲恵は夢中で走った。もうすぐ影に着く。

「未咲恵!」

 突然呼ばれて思わず足が止まった。振り向けばそこには、おじいちゃんがいた。未咲恵は目を見開いた。

「おじいちゃん!」

 未咲恵が飛び付くように抱きつくと、おじいちゃんは肩を抱き、優しく頭を撫でてくれた。

「さ、帰ろう。みんな心配しているよ」

 言われて手を引かれる。あ、でもあの子にバイバイしなくちゃ。と振り向くと、家の仏間に立っていた。

「いつでもそばにいるよ」

おじいちゃんの声がした。声のほうを見ると、仏壇の写真立ての中で、おじいちゃんが笑っていた。

外へ探しに出ていたらしい両親が、未咲恵

を見つけて駆け寄った。母には散々抱きしめられて泣かれて叱られ、父は隣で母をなだめた。未咲恵は腕の中で小さく「ごめんね」と言った。

翌日からは、未咲恵は真っ直ぐ帰宅した。仏壇に手を合わせると安心した。おじいちゃんはこれからもずっと、未咲恵の中で生きていく。


「……もう少しで連れて行けそうだったのに」

 未咲恵と影踏みをしていた少年は、未咲恵が祖父に連れて行かれた後、悔しそうに呟いた。彼がいた影は、神社の池だ。溺れさせて連れて行くつもりだった。

「ちぇっ、またしばらく一人ぼっちか」

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影踏み 群青更紗 @gunjyo_sarasa

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