卵の殻
群青更紗
2015.10.31
毎晩、同じ夢を見る。暗い部屋の中、一人立ち尽くしている。
そこはとても静かで、耳鳴りがしそうなほど。私は1枚の、シンプルな白いワンピースを着て、裸足でそこに立っている。
突然、足元から風が吹き上がる。と、思うと次の瞬間、落ちていく――床がなくなって――どこまでも、どこまでも、どこまでも、どこまでも。
でも、不思議とそれが心地良い。そのままどこまでも、落ちていけたらいいのにと思う。穴はどこまでも深くて、ただただ暗いけれど、どこまでもどこまでも、本当にどこまでも続いていて、
……パチリと目が覚める。何の前触れもなく、突然に。それでいつも、絶望する。アラームの有無は関係なく、切り替えスイッチでも押されたように、世界が終わってしまう。
氷室の仕事は恋愛巫女だ。学生との兼業だけれど、毎月決まった時間は祠に立つ。氷室の長い髪は漆黒で、天使の輪が二つ出来るほど艶々としている。この髪が重要なのだ。
「あ、出来てますね」
髪を梳いていた手入れ係が、一つの毛先をつまんでみせる。結び目だ。この結び目は恋愛成就のお守りとして、守り袋に入れられて希望者に配られており、その評判は高い。物心付いた時にはもう行われていたから、十年はとうに超えている。
学校では女生徒から羨望の眼差しと共に囲まれ、男子生徒からは高嶺の花と思われている。事実、氷室には許嫁がいた。否、最近そういう話が出た。縁戚の男性で、氷室より一回りも年上だが、色々な大人の事情を含めて周囲は乗り気である。氷室もそれに、大人しく従う事に異論は無かった。
――そのはずだったのに。
氷室は、好きな人が出来てしまった。落ちる夢を見始めたのはそれからだ。
縁談はまとまりつつある。皆が祝福してくれる。相手も、悪い人じゃない。昔から、いずれこういう日が来るのだと思っていた。自分の人生は、親たちが綺麗に敷いてくれた絨毯の上を、ただ進むことで完成する。その事に不満を抱いたことなど一度もなかった。なのに。
「……あら?」
手入れ係が手を止めた。氷室の髪をつまみ、見て、青ざめ、そして悲鳴を上げた。社務所中の皆が振り向いた。
――枝毛が!!
瞬間、社務所は騒然となった。恋愛巫女の氷室の髪に、絶対にあってはならない出来事なのだ。生まれてこのかた、一度も確認されなかったというのに。氷室は茫然と、絶望の波を眺めた。
と、世界が暗転した。足元から風が吹き上がり、氷室はどこまでも落ちていった。巫女服はいつの間にか白いワンピースとなり、足袋もなく素足が空を切っていた。
氷室は安心した。ああ、堕ちていいのだ、と思った。親の決めた相手ではない男性を好きになってしまった自分など、恋愛巫女である資格は無い。枝毛が出来て当然だ。どこまでも堕ちていこう。どこまでも、どこまでも。
「氷室、」
パチリ、と目が覚めた。母が起こしに来たのだ。そこは自室で、朝だった。
「珍しいわね、こんな時間まで寝入るなんて。熱でもある?」
母が額に手を当てた。その手を大丈夫、とそっと退けながら、今見てきた世界に思いを馳せた。
「……、」
軽く髪をつまんで毛先を見る。枝毛は見つからない。毎日の食事から洗い方や手入れまで、徹底的に管理されている氷室の髪。友人知人らから羨まれる、神聖な黒髪。
だけれど。
(あのまま、夢と同じことが実際に起きたら、どうなるんだろう?)
朝食の白米を品良く噛みながら考えていると、付けっぱなしのテレビがCMを始めた。「髪を傷めるこんなこと、していませんか?」とのナレーション。氷室は思わず手を止めた。すぐにヘアケア製品の宣伝となり、ニュース番組が始まる。「先週、芸能人の○○さんが自殺された方法が……」
母に促されて食事を済ませ、身支度を整えて学校へと向かう。今見た情報をボンヤリと考えながら歩いていると、恋した相手が視界に入ってきた。パチリ、と音が聞こえた気がした。
卵の殻 群青更紗 @gunjyo_sarasa
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