ホットミルク

群青更紗

2015.03.31


 寝覚めの悪い夢を見た。目覚めて夢だと認識して、岬は思わず苦笑した。

 夢そのものは悪くなかった。ただその夢は、現実では絶対に有り得ない、それでいて、内心切望して止まない、叶わぬ希望の夢だった。

 だから、目覚めて、それが夢だと分かった瞬間、虚しさと切なさとが込み上げてくる――そういう意味で、寝覚めの悪い夢なのだ。

(いつものパターンだ)

 岬は時計を確認する。深夜二時。まだまだ眠れる時間だ。岬は横になり、目を閉じた。

 だがしかし、一向に眠気が来ない。眠ろうとすればするほど、先の夢と、その叶わぬ現実とが、交互に浮かんでくる。

 数度の寝返りの後、岬は思い切って起きることにした。明日は学校も休みだ。いざとなれば、昼寝でも何でもすればいい。

 パジャマの上から肩掛けを羽織り、岬は階下のリビングを目指した。すると、キッチンに明かりが点いていることに気がついた。

(あれ?)

 光の漏れる扉を開くと、母がいた。

「あら、岬」

 コンロに向かっていた母が、こちらを見る。

「起きちゃったの?」

「うん、何だか目が覚めちゃって」

 岬はそのまま何となく、ダイニングチェアに腰掛けた。

「お母さんは?」

「同じく。眠れなくなっちゃってね」

 言いながら、温めていたらしいミルクパンから何かをマグカップに注ぐ。

「それ何?」

「眠り薬」

 母は冗談めかして笑いながら、マグカップを手に岬の向かいに座る。カップの中には、紅い液体。シナモンとオレンジの良い香りがした。ホットワインだ。

「いいなあ大人は」

 岬は羨ましがった。

「まだ六年早いわね」

 母は笑った。お酒は二十歳になってから。それまでは禁止だ。もちろん解っている。

「早く大人になりたい」

「お酒が飲めるから?」

「それもあるけど。大人って、辛いことあっても平気な顔していられる気がする」

岬は頬杖を付いた。母はホットワインを飲みながら、岬をじっと見つめる。

「……何か、辛いことがあるの?」

「……別に、」

 嘘だった。しかし母に今話す気にはなれなかった。何だかんだで反抗期である。

 辛いことは沢山ある。毎日の宿題もそうだし、部活だって楽しいことばかりではない。女の子同士の独特の、共感を求められる会話も疲れる。そして、

 岬は小さく溜息を吐いた。つい先ほど、夢見た世界。昨年、ちょっとした行き違いで、クラスメートからひどい誤解を岬は受けた。違うと言っても聞き入れて貰えず、今も彼女とは仲違いしたままだ。今年はクラスが離れて殆ど会う事もなくなったが、先ほど見た夢は、そんな彼女と仲直りする夢だった。「ごめんね」と深々と謝る彼女に、岬も「いいよ」と許し、二人で笑い合った。

 そこで目が覚めた。思わず失笑した。彼女との仲直りは、諦めているのだ。なのに、こんな夢を見るなんて。心の奥では、仲直りしたいと望んでいるのだ。そんな自分に軽く失望したのだ。

「大人だって、良い事ばかりじゃないわよ」

 母が席を立った。冷蔵庫から牛乳を出すと、ホットワインを作ったままのミルクパンに注いで温め始める。

「泣いて笑って、怒ってまた泣いて。そんな世界は、大人になると、だんだん消さなきゃいけなくなってくるのよ」

蜂蜜とシナモンを入れ、火を止めて岬のマグカップに注ぐ。ホットミルクが出来た。岬にそれを渡しながら、母は言った。

「今を精一杯楽しみなさい、出来るだけ、楽しい事を考えなさい。続けていれば、習慣付くから。大人になった時に、お酒に頼るのじゃなくて、お酒を楽しめるように」

ポカンとする岬を尻目に、母は自分のマグカップとミルクパンとを片付け始めた。

「後よろしくね。寝るなら歯は磨くのよ」

 自分もサッサと歯磨きを終えると、母はそう言い残して寝室へと向かった。母が階段を上る音を聞きながら、岬はぼんやり考えた。

――お母さんは今、お酒に頼ったのだろうか。

 そうだとしても。母はどこか楽しそうだった。精一杯、楽しむ努力をしているのかもしれない。岬は少しだけ微笑むと、ホットミルクを飲み干した。今度は眠れそうな気がした。

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ホットミルク 群青更紗 @gunjyo_sarasa

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