第2話 乗馬クラブ

 不慮の事故死をした鎌田の葬儀は、業務中の事故死と言う事で、クラブオーナーの塚越の計らいで、相模原の16号線沿いにある葬儀場で行われた。

 宮城県で農業を営む両親と高校生の妹とが、喪主席に塚越と並んで着いていた。

 私は、ホースショーのジャッジの一人として参列した。狭い業界であり、マイナーなスポーツとは言いながら、馬が取り持つ付き合いで、近県の乗馬クラブ関係者や、死んだ鎌田は大学では馬術部に所属していたので、彼の先輩後輩等や他校馬術部の関係者、JRA馬事公苑の関係者、無論、クラブの会員や従業員たちの参列で結構賑やかな葬儀となった。 行く行くは、農業の傍ら、馬を飼育し、ホーストレッキングクラブを設立して行きたい、そんな夢を持っていたと両親は涙ながらに塚越に語っていた。


 香の匂いが漂う式場から出て、私は近くに駐めた車の所へ行った。同じ方向ならと言う事で、同じクラブ所属の戸田から「先輩、車でしたら途中まで便乗させてください」と、吸っていた煙草を消すと、道路端へ吸殻を弾き、渡りに船と言わんばかりに頼って来たので、他にも横浜方面へ帰る者が居ればと思って、三々五々、散らばって地区の駅方面へ行こうとする顔見知りに声を掛けた。

 「済みません、宜しいですか」競技会でアシスタントを務めた蔵田真由美が、申し訳なさそうに、私の声に誘われて左側のウインドーから覗き込んだ。

 「ああ、真由美か、いいよどうぞ、君は長津田だったっけ」「はいっつ」大きく頷いた。

 戸田を助手席に、蔵田を後ろのシートに載せると、私は16号線を横浜方面へ車を走らせた。

 いつもは混む16号線だったが、車の流れは意外とスムーズだった。

 「事故とは言え、鎌田の奴も早く行っちまいましたね」学生馬術出身の戸田は、同じ仲間ともいえる鎌田の事故死には、矢張りショックを受けていたのだろう。

 私も事故の噂を聞いて、物の弾みと言うのか、相当強く頭を打ったのかなあと、あまりにもあっけ無さすぎるんじゃないかと思っていた。

 「まあ、普段はあまり考える事も無いが、人間、明日の事は分からないものだね」フロントグラスの上のバックミラーに、後ろのシーとに座る蔵田が、私の感想に頷くのが写った。

 「そうですね、全く、丁度、出番で覆い馬場のトンネルをくぐる時に、馬運車の陰で見えなかったんですが、誰かと言い争っていたのが聞こえたんですが」戸田は競技出場前に耳にしたことを敢えて口にした。

 「ほう、相手は誰だったんだ・・・・・・・・」「声だけじゃわかりませんよ、丁度、あそこの外の馬場にも誰も居なかったから、他に聞いた者がいるかどうか」戸田は心もとなげに答えた。

 「死因はくも膜下出血と言う事らしいですよ、早く気が付けばなんとかなったんでしょうかね」と首を捻り乍ら戸田は重ねた。

 「命が有っても後遺症が残るでしょう。寝たきりなんてなったらどうしようもないわね」と蔵田が重ねた。

 「そうだね・・・・・・」私は戸田とバックミラーの蔵田に視線を走らせた。

 

 南町田の手前で左へ折れ、すずかけ台、つくし野と経由して長津田の駅の手前で蔵田を下ろした。

 「済みません、有難うございました」蔵田は丁寧に私に礼を言うと、自分が下りた側のドアを静かにカチッと重い音をさせて閉めた。

 大概の人間は、「ばたーん」と勢いをつけて、運転しているこっちが驚くように閉めて行くが、私は蔵田はきっと厳しいしつけを受けて育ったと思い好感を覚えた。

 手を振りながら見送る蔵田をサイドミラーで認め、車を走らせた。

 戸田を横浜線の中山で下ろし、歩道際に立ってすぐに煙草を銜え火を点け、私の車を見送った、そんな戸田を「あいつ、ヘビースモーカーだったか」そんな感想と、頭に残ったのは、鎌田の事故の時、通報を受けて駆け付けた警官も、非番だからと焼香にやって来て、最初の発見者の高村と、言い争いを耳にしたと言う戸田に、改めて事故の様子を聞いたと言う事だった。

 警官は「事故と言う事で処理されたが、自分としては腑に落ちない面が有って、自分を納得させるため話を聞きたかった」とか言い訳をし、「担当が違うので表向き、捜査する訳にはいかない、まして、事故死と処理されたのだから」そのようなことを言っていたと言う戸田の話だった。

 

 

 週末の休日は、サンデイライダー宜しく、朝からクラブへ出かけ、愛馬の黒鹿毛のバンホーテンに跨った。

 天気も良く気温も高かったが、ビロードのような毛並みと馬体の温もりに触れる事は私にとって無論の事、乗馬家にとっては至福の瞬間だ。

 小一時間ほど、他の人馬に邪魔にならないように、馬場の隅の方でバンホーテンが時折起こす繋がりの悪い運動を、何べんか繰り返し運動した。 

 パッサージュからピアッフェへ移行する時、バンホーテンは時折、左後肢を踏み違える。脚扶助の加減かと、前から強弱交互に扶助を与えてみたり、拍車を当ててみたりして調整した、どうもリズムが一瞬狂うのだ。

 とても92.30パーセントを叩き出したエドワード・ギャル(オランダの馬術選手、2010年ロンドンでのワールドカップ競技でほぼ完ぺきに近い92.30%

の成績を上げた)には及びもつかないし、バンホーテンも彼の愛馬トッティラス(ロンドンのワールドカップで前記の92.30%を揚げた馬)の足元にも近づけない。

 


 一汗掻いて先ず馬繋場に馬を繋ぎ、先ずバンホーテンの体を洗い、手入れを終えた後に私もシャワー室で汗を流した。

 風通しの良い馬繋場にバンホーテンを繋いだまま、私はクラブのロビーへ移った。エアコンが効いて居て、肌寒いくらいに涼しかった。

 「大分苦労してるようじゃないの」ロビーにいた会員の吉岡が、首に巻いたタオルを外しながら広い額にしわを寄せ笑顔を向けた。

 「ああ、どうも後肢が気になるんだよね」

 「装蹄はどうなの」「ああ、一応装蹄師の飛田に相談しては見たんだが、どうも装蹄の所為じゃなさそうだ」

 ロビーのカウンターに寄ると、コーヒーメーカーから熱いコーヒーを紙コップに注いで、重ねた紙ナプキンでコップを手にした。

 「まあ、じっくり踏み込みを深くさせて行こうかと思ってる」

 

 熱いコーヒーで一服すると、馬繋場のバンホーテンを馬房に戻し、乾草をやるべく馬糧倉庫へ行った。

 馬糧倉庫はクラブハウスと棟続きの厩舎の中にあり、ロビーから直の所に、馬具庫と並んであった。

 馬糧庫に足を踏み入れると、奥の方でかさかさコンクリートの床をこする音がして消えた。どうやらネズミが逃げたらしい。

 ほとんどの乗馬クラブの馬糧庫はネズミにやられている。猫を飼ってはいるけど、会員やフリーの客の女性や子供が、謂わば猫可愛がりで構うので、本来の目的を忘れて、滅多にネズミを追わない。


 燕麦と麬の入ったドラム缶が何本か置いてあり、その奥に四角の立方体に固めて、ポリのテープで括ってある乾草の梱包が積み重ねてあった。

 私は手前の梱包に手を掛けて、積み上げたところから降ろそうとすると、「佐々木さん、それは駄目、その奥の方の奴からにして」事務所ロビーへの入口の所から、事務職員の木村が慌てたように首を出して怒鳴った。

 「えっつ、何でだ」「ちょっとその赤札の着いたのはまずいんです」と、勝手に手をつけるな、と言うような、私には何でだと、一寸、むっと来るような顔つきで事務所から急いで出てくると、「済みません、私の方でやっておきます」木村は奥に積み込んである梱に目を走らせて言った。

 「そう、じゃあ頼むよ」私は片手をあげて返事を投げると、ロビーの皮張りのソファーに尻をうずめた。

 「今年の夏も猛暑になるようだね」吉岡は同意を求めるように、手にしたタオルで首の周りを拭いながら言った。

 「そうですね、地球温暖化現象で、年々熱くなってるようですね」と私は相槌を打った。


 「ああ、疲れた。。。。。。。。」メインの馬場の隣にある円形馬場で、部班レッスンを受けていたビギナーの男女5人がどたどたと入って来た。

 年齢はまちまちで、定年退職をして、時間と体力に余裕が有る男性、かっこいい乗馬姿に憧れて始めた中年の女性など、にぎやかにロビーの離れたテーブルを囲むように椅子を引き寄せて座った。

 そこへ指導員の小島がやれやれと言う感じで加わって、今終えたレッスンの事で、互いに、自分の乗った馬が思うように動いてくれないとか、指導員の小島からは、「菊池さんは、拳を引きすぎるから、馬が上を向いちゃって反抗するんです。駒井さんは今日は良く乗ってましたね。正反動を受けられるようになったじゃないですか・・・・・・・」「そうですかあ、かなりゴツンゴツンと尾骶骨を打ったりしたけどね」そんなやり取りでにぎやかな笑いがあった。

 「佐々木さんは、級テストの審査もされるんですか」今日は良く乗れたと言う駒井が、そんなグループの中から声を上げた。

 「えっつ、ああ、依頼されることもありますよ」私は、その問いかけがどこへ進むのか案じながら一応答えた。

 

 乗馬クラブのクラステストは、課題として、先ず一人で乗馬下馬が出来て、停止、常歩で正しい姿勢が取れて、誘導馬について小区画の馬場内で軽速歩が出来る、内方の開き手綱が出来る。以上がまず初めの5級の課題、何とか跨った馬を前へ進めてきちっと停止させることが出来るかどうか、開き手綱で回転できるかどうか、軽速歩が出来るかどうか、ほんの初歩的な運動、その上の4級となると、円運動が要求される。

 そんな課題を頭に浮かべながら、「駒井さんは、拝見したところ、一足飛びに3級を受けたらどうですか、十分行けますよ」私は笑いながら答えた。

 「ええっつ、本当ですか、自信ないなあ、煽てじゃないですか・・・・・」と鼻をうごめかしながら駒井は顔を輝かした。

 駒井は大手の商社を定年退職をして、時間の余裕が出来たので、馬にでも乗ってみよう、出来ればモンゴル草原を馬で踏破してみたい、そんな密かな希望を持っていた。

 商社に勤務中は、付き合いゴルフなどに精を出していたので、比較的に体は良く動くようだ。


 他愛のない雑談は、馬に関わることからなかなか離れない。近づくリオオリンピックの、候補選手の噂や、選考基準への疑問など。

 口性が無いうわさに過ぎないが、見て来たような憶測を口する会員も居て、乗馬クラブの、アフターライデイングの雑談は、時にはとんでもない裏話を耳にすることも有る。

 

 私は着替えを終えて帰宅するべく、駐車場へ行く前に、一応確認のため厩舎へ行ってバンホーテンの馬房を覗き、ハンガーバスケットに乾草が盛られているのを認めた。

 白井が返事したとおりにやってくれていたので、彼が居れば一言礼を言っておこうと厩舎内へ声を掛けた。

 「はーい」馬糧庫から白井の声が帰って来た。

 私は馬糧庫に足を運び、床に散らばった乾草や馬糧を箒で掃きよせている白井に、「有難う、またね・・・・・・・」と声をかけた。

 「ああ、いいえ、ちゃんとやっときますから大丈夫ですよ。お帰りですか、気を付けて・・・・・・・・」

 屈んで箒を使っていた白井は、体を起こすとこっくりと頷いた。

 馬糧庫を出る時、私は最初に手を付けようとした赤い布切れが結んであった梱包が無くなって、いや赤い布切れが外されたのかもしれない、乾草の梱包はきっちり積みなおされているのを目にした。

 




 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る