一回戦第三典礼『殺人論考/夜想魔剣』

 一回戦 第三典礼

  罪燐ザイリン・ルシリウス

  罪状:涜神教義の汚染を広め、人心を惑わす

   対

  螺導ラドゥ・ソーンドリス

  罪状:変異血脈根絶法違反、大量殺人、貴族殺人、傷害罪、および貴族への傷害罪、強盗罪


 螺導・ソーンドリスが初めて人の斬り方を教わったのは、今からもう五十年以上も前のことである。

 帝国法務院プラエトリウムより斬伐指定を受けるほどの恐るべき辻斬りがいるというので、わざと付近の夜道を歩き続けたところ――幸運にも遭遇することが叶ったのだ。

 辻斬りは、想像よりもずっと年老いた男であった。

 螺導は地面に頭をこすりつけ、どうか自分に人の斬り方を教えてくれ、と請うた。

 なにゆえに人の斬り方を教わりたいのじゃ、と辻斬りが問う。

 この世から争いをなくしたいのだ、と螺導は言った。無論、本気である。

 いかにして、この世から争いをなくすのじゃ。辻斬りが問う。すでに鯉口は切られ、もう次の瞬間にでも螺導の首は斬り飛ばされるところであった。

 螺導は、がばりと顔を上げ、

 ……答えた。


 それから辻斬りは、十年の歳月をかけて螺導に殺人剣術のすべてを叩き込んだ。やがてこのたわけた弟子が自分を越えたと確信するや、第七炎生礼賛経典儀テスタメントゥム・デュエリウムにのっとった尋常な決闘を螺導に挑み――敗れ、死んだ。

 螺導が師と同じく、斬伐指定剣士として指名手配されるのは、それから一年と経たぬ頃のことである。


 ●


 狼淵、刈舞、維沙の三人が、至聖祭壇の参列席に着いたとき、すでに決闘典礼は始まっていた。

 ……いや、始まっていたと、言ってもよいのだろうか。

 すでに餓天法師による開始の合図は済んでいるようであったが――

「なんだ、ありゃあ」

 至聖祭壇の中央で、二人の男が対峙していた。

 一方は、陰鬱な美貌を湛えた青年――罪憐・ルシリウス。

 重く濡れたような金髪と、その狭間から覗く碧眼。質素な道服をまとい、長身をすっと伸ばしている。脊髄に芯鉄が通っているような、凛とした立ち姿だった。

 右手で握り拳を作り、対手にまっすぐ向けていた。

 戦いの構えとしては奇妙な体勢である。わざわざあらかじめグーを突き出すことに何の意味があるのか――狼淵にはわからなかった。

 だらりと下げた左手には、半透明の艶やかな神聖八鱗拷問具アルマ・メディオクリタスが握られている。

 黄褐色の棍が伸び、前腕に寄り添っている。そこから直角に短い柄が伸びていて、罪燐の手に握られていた。あたかも結晶質の骨格を持つ巨大な生物から削りだされたかのように、優美にして荘厳な拵えのトンファーである。内部の血管は波形と螺旋を描き、渦巻き絡み合いながら伸びていた。精緻な紋様にも似て、見る者の意識に陶酔と酩酊をもたらす。

 もう一方に立つのは、表情を皺の中に埋没させた老人――螺導・ソーンドリス。

 凍った滝のような白髪が肩まで伸び、灰色の着流しの上から栗梅色の羽織を引っ掛けている。福福と穏やかな顔で、商家のご隠居といった風情だが、その手に携えるのは杖ではなく一振りの打刀であった。神聖八鱗拷問具ではない。ごく普通の鋼鉄製のようだ。漆塗りの鞘に、革の巻かれた柄が見える。アギュギテム産の伝統的な拵えだった。

 双方とも、動かない。

 それどころか、老人の方に至っては手袋を外しているだけで、構えらしい構えも取っていない。

 やがて、青年――罪燐・ルシリウスが口を開いた。

「――まず、はじめに」

 夜の風鳴りのごとく、よく通る声。決して大きくはないが、この場にいる全員が彼の言葉を聞き違うことなどないであろう、音楽的な美声であった。

 明らかに、衆目の中心で説法を行うことを目的として培われた発声法である。

「ご挨拶を、申し上げます。はじめまして。私は罪燐・ルシリウスと申します。俗世においては大学府に籍を置き、神学を修めておりました」

 参列席がざわついた。

 何を悠長に自己紹介などしているのか。

「それはそれは、お若いのに立派でございますな。あなたのような孫がおれば、さぞ鼻が高かったことでしょう」

 老人が、顔をくしゃりと笑ませて応えた。

「やつがれは螺導・ソーンドリスでございます。外界では、まぁ、人殺しと追いはぎなどを嗜む程度に、糊口をしのいでおりました」

「過酷な生涯であったと、お察しいたします」

 表情を一切動かすことなく、罪燐も返す。

 ――なんだ、このやり取り。

 狼淵は眉をひそめた。

「今回、残念ながら死合うさだめのもとでお会いすることになってしまったわけですが……願わくば、その前に、私の話を聞いてはもらえないでしょうか」

「さてさて、餓天法師様はすでに典礼開始の号令を発されました。やつがれには大人しく話を聞く理由などないように思えますが……」

 老人は、やや姿勢を低くした。刀の鯉口を切る。

「あります。正確には、聞かざるを得ません。螺導どの、あなたに選択の余地はないのです」

 言いながら、罪燐は神聖八鱗拷問具アルマ・メディオクリタスを手の中で一回転させる。

「号して「帰納棍」。銘を「リガートゥル」と申します」

 風を切り裂く音。

「『帰納』――とは、すなわち特殊な事例を一般化することによって真実を推論する思考法の一種です」

 何を言っているのかまったくわからない。


 ●


 例えば、手袋を外した人物がいたとしよう。

 そいつがこちらを殺そうとチョキを出してきた。

 慌てて目を逸らし、命からがら逃げ切ると、そこでは別の人物が手袋を外して待ち構えていた。

 そいつもまた、こちらを殺そうとチョキを出してきた。

 ……以上二つの事例を帰納的思考法で分析すると、「手袋を外した人物はこちらを殺そうとしてくる」という結論が導き出される。

 もちろん、現実にはそうとも限らないのだが――対象に関する情報が足りない時に、経験則から真実を推測する思考は、誰もが何の気なしに行っていることである。

 要するに「帰納」というのは、当たり前に行われていることを学術的に分析するために付けられた名前に過ぎず、それ自体が特別なものというわけではないのだ。


 ●


「我がリガートゥルは、この帰納的思考法によって導き出される推論を、

 ざわめきが、勢いを増す。

 事実とすれば、破格の能力と言っていい。まさにヘビの御技である。

 狼淵は腕を組み、右隣の刈舞を見やった。

「どう思う? あの優男、マジで自分の手の内をバラしてんのか?」

 刈舞は薄っすらと笑みを見せた。

「ええ、神聖八鱗拷問具アルマ・メディオクリタスの持つ力については、ほとんどが調査済みです。彼の言葉は嘘ではありません。帰納棍リガートゥルは、この世を形作る論理そのものに干渉する、恐るべき祭具です」

 だとすると。

 狼淵は、至聖祭壇の中央で佇む罪燐・ルシリウスの姿を睨みつける。

 重く濡れたような金髪と、その狭間から覗く碧眼。

 ――あいつは、何がしたい?

「さて、私はリガートゥルに選ばれて以降、不本意ながらさまざまな人物と決闘典礼を行い、殺人という大罪を犯してまいりました。その中には、かなりお年を召された方も二人ほど混じっております。二人、です」

 罪燐は、そう言いながら敵手たる老人を凝視する。

「一人目は、典礼の開始と同時にグーを出してきました。私がチョキを出すと読んだのでしょうね」

 老人――螺導・ソーンドリスは無反応である。

「二人目は、典礼の開始と同時にチョキを出してきました。私がパーを出すか、あるいはまったく別の手段で攻撃してくると読んだのでしょうね」

 罪燐は、帰納棍リガートゥルを掲げた。

「さて――ここで帰納的思考法を行ってみましょう。私がこれまで戦った老人は二人。。たった二度の事例であろうとも、帰納棍リガートゥルが力を発動するには十分です。。そのような経験則が、すでに私の中に構築されているのです」

 ようやく、さっきからこの青年が拳を突き出している理由が判明した。

「この手の意味がご理解いただけますか、螺導どの。リガートゥルの力により、あなたは絶対にパーを出さない。これはあなたの意志を越えた力による世界への強制です。抗うことは無意味です」

「……巧いですね」

 隣で、刈舞が自らの顎をつかんだ。

「螺導・ソーンドリスは帰納棍の御力によってパーを封じられ、さらに罪燐・ルシリウスが突き出したグーによってチョキをも封じられました。あの老人に残された選択肢はグーと、それから刀による斬撃ですが――どちらもこの状況を変える役には立たないでしょう」

 罪燐がすでにグーを出しているのだから、そこにグーをぶつけたとしてもまったくの無意味。そもそも螺導が腰の刀を抜かずに手を出す動きを見せた時点で、彼がグーを出すことは確定している。ならば罪燐は即座に自身のグーをパーに変化させるだけで良い。容易いことだ。

 そして両者の間合いは五歩程度。斬撃を叩き込むにはやや遠い。もちろん、二歩か三歩駆け寄れば即死圏内に入るが――恐らく罪燐は、相手がそんな動きを見せた時点でグーをチョキに変えるだろう。

 チョキ、とは、あらゆる意味で特殊な手である。

 パーやグーと比べ、形の複雑さは一線を隔する。このため、じゃんけんの予備動作において、チョキを出す時だけは「途中で手を変える」ということができない。無理にそれを成そうとすれば、即座に相手に察知されてしまうのだ。少なくとも、そういう目利きすらできない者が八鱗覇濤に参加した例はない。

 しかし、その欠点を補って余りある凶悪な利点がチョキにはある。

 相手が何も手を出さずとも、

 パーやグーではこうはいかない。相手もまた何らかの手を出していなければ殺傷の霊威が働かない。

 じゃんけんに応じる気のない相手を殺せるのは、チョキだけなのだ。

 なぜチョキにだけこのような一方的殺害能力があるのか――古代より神学者や錬金術師たちがさまざまな仮説を戦わせてきたが、結論は出ていない。

 とはいえ餓天法師が行う説明は、今も昔もまったく変わりがない。

 すなわち、チョキが象徴するは死、なり――と。

 ゆえに、螺導は詰んだ。

 動けば死ぬ。どう動こうと、死ぬ。

「理解いたしました。いやはや、巧い手を考えたものですな」

「ありがとうございます。それでは不肖、罪燐・ルシリウス。最期の説法を行います。皆々様、どうか耳を傾けていただきたい」


 ●


 ――神を描いた絵画。

 罪燐・ルシリウスがその神秘に触れたのは、母に手を引かれて街を歩いている時のことであった。

 今にして思えば、それほど大した代物ではなかった。都市を囲む外壁に、殴りつけるように描かれた、それ。

 己の尾を噛む蛇の尊影。

 あまりに辛苦の多すぎる日々の暮らしから、ほんのひととき目をそむけるために刻まれた、無言の悲鳴。

 技術的には、極めて拙い。

 落書きのそしりを辛うじて免れる程度に陰影が施されただけの、歪に曲がりくねったヘビ

 雲の合間から差し込む光と共に、地上へと降りてきた瞬間を捉えている。

 罪燐は母の手を引いた。

 ――かあさま、かあさま。

 ――なあに?

 ――かみさまが、えがかれています。

 ――あれはね、違うのよ。

 ――ちがう?

 ――本当の神さまではないの。

 ――よくわかりません。

 ――本当の神さまはね、わたしたちが思い描けるような姿をしていないの。だからあれは嘘の姿なのよ。

 嘘、なのか。

 罪燐は、ひそかに衝撃を受けた。表情にはまったく表わさなかったが。

 そうか、嘘なのか。

 では、降臨してくる神の眼下に広がる、あの緑に覆われた美しい山河もまた、嘘なのか。

 目鼻が省略され、口だけで笑顔を表現されている人々の姿もまた、嘘なのか。

 みんなで仲良く集まって、両手を挙げて神を迎えている彼らは、全部、嘘なのか。

 存在しないのか。

 絵画の外に目を向ければ、異律者の襲撃で惨殺された者たちの死体が、たまらない異臭とともに火葬されていた。もっと手厚く葬ってやりたいのは生き残った者すべてに共通する思いだったが、肉の中に異律者の子種が植え付けられている可能性を考えると、徹底的に焼き清めるより他にないのだ。

 炎の中には、罪燐の父と二人の妹も入っていた。

 ――だけどね、大丈夫よ。

 母は微笑む。

 ――いつかみんな、神さまが救って下さるから。今はつらくとも、耐えて耐えて耐え抜けば、いつかきっとみんな救われるから。

 優しいその目は、混濁していた。

 ――さぁ、早く帰ってお夕飯作らないと。うふふ、今晩はみんなの好物にしましょうね。

 明らかに母と罪燐の二人では食べきれない量の肉と根菜を抱えながら、空虚な笑みを浮かべていた。

 ――あぁ、なんて。

 罪燐は、口の中だけで呟いた。

 ――なんてひどいせかいなんだろう。

 うつむき、目を閉ざした。

 冷たい雫が、零れ落ちた。


 ●


 何が、などという問いすら封殺する勢いで、罪燐は論端を開く。

「人類の〈帝国ヘゲモニア〉は、なぜこんなにも苦悶と絶望にあふれているのでしょう?」

「人の世とはそういうものでございます。人が人らしく生きる限り、どうしても利害の対立が起こり、憎しみと争いが生まれてしまうものでございます」

 すかさず螺導は応える。

 明らかに、この問題について一家言持っている口ぶりだった。

 罪燐は、頷いた。

「同意します。愛は執着を生み、執着は争いを生む。皆がわかっているはずなのに、誰もその事実に目を向けようとはしない。何かを愛するということは、別の何かを憎むということに等しい。これらは完全に表裏一体、不可分です。愛するだけ、とか、憎むだけ、などと片方のみを行うことは絶対にできないのです。

 罪燐は、目を細める。

 突き出したグーが、ぴくりと動く。人差し指と中指をわずかに前に伸ばしかける。

 牽制。動くな、の意思表示。

 獲物に襲い掛かる獣のように身を撓めかけていた螺導は、やむなくその動作を中断した。

 ――すげえ先読みだな。

 参列席で見ていた狼淵は、かすかに感嘆する。

「……あの、金髪の人……」

 隣で、維沙がぽつりと呟く。

「おじいさんの呼吸を、読んでる。読み切ってる」

 その言葉の意味を、狼淵は瞬時に悟る。

 目を見開く。

「お前、こんな距離でわかるのか?」

 正直言って、信じられない。五十歩以上の距離があるはずだ。

 だが、もし維沙の言葉が本当なら、今しがた罪燐が行った牽制は、先読みなどというあやふやなものではないことになる。

 ――呼吸を、読む。

 それは、殺し合いにおいて極めて大きな要素だ。はっきり言って、間合いを読むよりも重要である。

 しかし、それを実戦の中で戦術に組み込める者などほんの一握りだ。

 罪燐は、そういう芸当を平然と行っているのだ。さすがに神聖八鱗拷問具に選ばれるだけのことはある。

「じいさんの方はどうなんだ? 優男の呼吸は読めているのか?」

 維沙は、首を振った。

「全然だ。金髪の人の呼吸に何の反応もできてない。勝負になってない」

 驚くべきはこいつの眼力か。呼吸を読むだけではなく、相手が呼吸を読んでいるかどうかすらわかるということ。

 貧相ななりだが、単なる浮浪者なら八鱗覇濤に参加できるわけもない――といったところか。

 罪燐の説法はつづく。

「――しかし、同時に人は一人では生きられない。これは精神的な意味ではなく、物理的な意味においてです。団結し、分担し、協力し合わねば文明を構築することなど不可能。あっという間に異律者に滅ぼされていたことでしょう」

 重く息を吐き出しながら、罪燐は肩をすくめる。

「一体、これは何なのでしょうね。身を寄せ合わなければ生きていけないにもかかわらず、身を寄せ合えば争わざるを得なくなる。その矛盾こそが人間の魅力なのだ――などと空虚な欺瞞でごまかすつもりはありません。はっきりと申し上げましょう。これは構造的欠陥です」

 参列席の囚人たちが、にわかにざわめきはじめる。

 明確に、背教である。

 宇宙蛇アンギス・カエレスティスの御業に間違いはなく、ゆえにその被造物たる人類は完璧な存在である。

 よりにもよって餓天法師の目の前で、罪燐は背教的言説をぶち上げたのだ。

 ――罪燐の命運は、尽きた。

 もはや螺導との決闘典礼に勝てるかどうかという問題ではない。餓天宗を敵に回して生きていられる人間など存在しない。

 聴衆の視線が、一斉に審判を勤めていた餓天法師へ注がれる。

 だが――動かない。

 黒い仮面と紅い如法衣をまとった餓天法師は、微動だにしない。言葉で背教者を弾劾すらしない。

 完全なる無反応。

「なるほど――罪燐・ルシリウスの狙いが見えてきました」

 刈舞が自らの顎を掴んで頷いた。

「狙い?」

「餓天法師の行動には、厳然とした優先順位が存在します。背教者の抹消はかなり高い順位ですが――それより優先される行動規範も存在する」

第七炎生礼賛経典儀テスタメントゥム・デュエリウムか……」

「さよう。聖三約は餓天法師の行動を強固に縛ります。いかに相手が背教者とは言え、決闘典礼への乱入妨害は絶対禁戒です。少なくとも典礼の決着がつくまでの間、餓天法師は罪燐・ルシリウスに手出しができません」

「いや、でも無意味だろ。たとえ勝とうが、その後すぐ餓天法師たちに殺されちまうんなら」

 刈舞は指先で単眼鏡モノクルの位置を直す。

「恐らく、それは織り込み済みなのでしょう。まったく、呆れた執念ですよ。ご覧下さい、この三千は下らぬ数の聴衆を! この人数すべてが、しわぶきひとつたてず罪燐の説法に聞き入っています。彼はこれを求めていた。〈帝国〉のどこにでも蔓延っている餓天宗に邪魔をされず、思う存分自らの考えを熱く語りうるこの状況を! そのためだけに彼はアギュギテムに落ち、そのためだけに八鱗覇濤に参加したのです。渾身の説法を行うため、ただそのためだけに彼は命を捨てた!」

「……っ!」

「いま一度、申し上げます。人類は、重大な欠陥を抱えた不完全な存在です」

 罪燐は、朗々と声を張り上げる。

「この一点だけでも、餓天法師らの説く欺瞞は明らかです。完璧なる神に創造された完璧なる生命、などと子供でもわかる嘘を並べ立てて一体何がしたいのか? 所詮餓天宗など、権力者の支配の道具でしかないのです」

「……ならば、伺いまする」

 螺導が、口を開く。

「ザン=クェンや神聖八鱗拷問具についてはどうお考えで? これらは明らかに神の御業と言えはしませんか? お若い方、あなたはこれらの不条理を神以外の理屈で説明できますか?」

「もちろん、まったく説明出来ません。明らかに我々の理解を超えている。なぜじゃんけんに負けると頭が破裂するのか? なぜ拷問具は奇怪な現象を起こすのか? なぜ空は青いのか? なぜ我々には常に大地に押し付ける力が働いているのか? なぜ太陽は東から昇り西へ沈むのか? なぜ正確に同じ周期で季節が移ろってゆくのか? ……不条理だからと言って、なぜそれが神の存在証明になるのですか? 『これこれは理解不能だ。だから神はいる』……? 理屈がまったく繋がっていません」

「ふむ、そうおっしゃるのなら、神が存在しないことを証明していただきたく存じまする」

「それは不可能です。今後どれほど我々の技術が発達し、どれほど我々の見識が広くなったとしても、認識不可能な領域に神と呼ばれるべきものが存在する可能性は常に否定し切れません。もしも宇宙の隅々まで暴きつくし、わからぬことが何もないほどの完全なる認識を得たとして、それはもうその者自身が神と呼ばれるべき存在です。ゆえに、神の不在証明は原理的に不可能です」

「ならばなぜ無神論を説きなさるので?」

「神を否定しているのではありません。餓天宗の繰り言を否定しているのです。『神はいるかもしれないし、いないかもしれない』。これこそが論理的に誠実な態度というものです。無神論者などという人種は、本質的には狂信者と何も変わらない。証明不可能な自身の願望を並べ立てているだけです」

 そこで一息つき、罪燐は軽く碧眼を伏せた。

 一瞬、唇を噛み締める。

「……螺導どの、私は救済について考えています。万民に幸福を……とまでは言いません。しかしそれでも、せめてもう少しましにならぬものか。そればかりを考えています。宇宙蛇アンギス・カエレスティスへの帰依では、誰も幸せにはなれない。何が決闘典礼か。まるで人々を争わせるためにあるかのような教義です」

「ならば、あなたの考える救済とは?」

「争いのない世界こそが、救済と考えます」

「いかにして争いをなくしますか?」

「ひとえに『愛』という価値観からの脱却」

「いま少し詳細に」

「敵対する他の領邦に侵攻し、多くの民草を殺めた兵士たちは、なぜそんな惨い真似をしたのか? ――自らの故郷を愛し、友を愛し、家族を愛していたからです」

「……」

公王ディクタトルに反旗を翻し、恐ろしい破壊工作を繰り返す民族主義者たちは、なぜそんな血生臭いことをつづけるのか? ――不当に貶められ、無残に引き裂かれた民族の誇りを愛していたからです」

「……」

「道ですれ違った他人をいきなり殺め、金品を奪う強奪者はなぜそんな無法なことをしたのか? ――この世にたった一人しかいない、掛け替えのない自分を愛し、ねぐらで餓死寸前の体で待ちわびている幼き我が子を愛していたからです」

 罪燐の眉間に、やりきれない皺が寄る。

「……愛なのです。この世のあらゆる悲惨と残虐は、愛に端を発しているのです。人は神の名の下に虐殺を働くのではありません。正義の名の下に虐殺を働くのでもありません。愛の名の下に、虐殺を働くのです」

「では、お若い方。あなたは親子の愛情すらも否定なさるのか?」

「私と、二人の妹は、両親から愛されておりました。私たちもそんな父と母を愛しておりました。それは暖かく、美しい感情でした。しかし私の両親は、私と妹たちを守るためならばいかなる非道にも手を染めてしまったことでしょう。私たち以外の何を傷つけることになっても仕方ないと考えたことでしょう。それでは駄目なのです。あらゆる愛は、独善なのです。愛するものを守るために、人は怪物となるのです。そして、人々が集まって暮らし始めれば、各々の利害は何らかの衝突を見せ、愛するものは脅かされることでしょう」

「さりとて、愛することをやめるなど、人間には不可能と存じまする。少なくとも、すべてを愛するのと同じ程度には」

「そうですね。私もいきなり愛するという情動の全てを捨てられるとは思っていません。しかし、それでももう少し、愛への依存を軽くすることは出来ぬものか。愛ではなく、理性と敬意によって、人と人は支え合えないものか。私はその可能性を提示したい。螺導どの……我が命は、ここで潰えます。しかし、私の言葉は、この場にいる無数の人々が聞いている。誰か一人でもいい。私の説法に思うところがあったならば、そして今のこの世界を変えたいと欲しているならば……どうか、『愛』という価値観を疑っていただきたい。その小さな積み重ねが、あるいは長い長い時間をかけて、人類社会からほんの少しでも争いを減らしてくれるかもしれない。そうならば――私が生きた意味はあったと、思えるのです」

 そこで、言葉を切る。

 参列席の囚人たちは、一様に黙り込んでいる。

「……お若い方」

「はい」

「足を、休めてもよろしいでしょうか。老骨にはそろそろ堪えまする」

「これは気づきませんでした。どうぞご随意に」

「ありがたし」

 腰をおろし、こじんまりと正座。

 老人はひとつ深い息をつくと、顔を上げた。

「愛するという行いの、負の側面は理解いたしました。しかし、果たしてそれが正の側面を上回るほどの重みを持っているものなのでしょうか?」

「重い軽いの問題ではないと考えます。いかなる動機があろうとも、たとえ我が子の命を救うためであろうとも、人を殺めるという行いは正当化されてはならないのです。そしてあらゆる殺人の根底には愛が存在します。すべての殺人者は、掛け替えのない何かを守るために、別の何かを憎み、殺すのです。ならば、たとえ愛がどれほど美しく有益なものであったとしても、そんなものは捨て去るべきと考えます」

「しかし、愛なき生に果たして意味はあるのでしょうか?」

「むろん、私よりずっと長い時を生きた螺導どのにこんなことを説くのは不遜のそしりを免れませんが――ある、と考えます。愛とは執着であり、執着を捨て去れば、あらゆる苦しみは苦しみではなくなります」

「そのような生き方では、心の安らぎ以外に何も得られはしないでしょう」

「……逆に伺いたいのですが、

 それは。

 その言葉は。

 狼淵の胸に食い込み、大きく痙攣した。

 心の安らぎ以外に、何を求めるというのか?

 何を?

 人のあらゆる営みは、究極的には心の安らぎを手にするための手段ではないか?

「……ないな」

 横から、喉元を押さえつけられているような声がした。

「心の安らぎより大事なものなんて、ない。もしも本当に、心の底から安らげるなら、命なんて惜しくない」

 維沙の隻眼が、じっと至聖祭壇を睨みつけていた。

「しかし、一足跳びにその究極の目的だけを求める生き方は、果たして成果を期待できるのでしょうか?」

 刈舞は、懐疑的なようだ。

 もちろん、その気持ちは狼淵にもわかる。仮に自分が愛を捨て去ったとして、他の人間はそうではない。誰かに親兄弟を殺されても、自分は復讐心など抱かず静謐に生き続け、殺人者は何の報いも受けないのではないか――

 ――いや、違うな。

 恐らく罪燐が言っているのは、全人類的な規模での変化だ。

 長い時間をかけて、すべての人間がすこしずつ愛を捨て去ってゆけば、〈帝国〉を蝕む「殺意」という名の感情は自然に枯渇してゆく。

 つまりはそういうことか。

「……得心、いたしました」

 至聖祭壇では、螺導・ソーンドリスが同じ理解に達したようだった。

「やつがれのような老いたる者には出せぬ発想と存じまする。この餓天宗に戒められたる世界でその思想に到達したこと、それ自体が感服に値する偉業でございます。我らの四方を囲みまする多くの聴衆に、あなたの言葉は深く届き、生き方を考えるきっかけとなったことでしょう」

 正座していた老人は、床に手をついた。

 ゆっくりと頭を下げる。

「罪燐どの、あなたに敬意を」

 ある種、荘厳な時間が訪れていた。

「ありがとうございます。あなたのような方と対話し、敬意を交換できたことは、わが生涯の誇りです」

 争いなき世界。理想郷の雛形が、そこにはあった。


 ●


 ――

 螺導・ソーンドリスが正座し、平伏していたことが挙げられる。

 そもそもこの老人には、刃蘭・アイオリアのような傑出した身体能力などない。

 ゆえに、罪燐と螺導の間に横たわる五歩の距離は、絶対的な不可侵領域として機能していた。

 じゃんけんを封じられた常人に、この間合いを侵略する手段は存在しない。

 だが。

 平伏という姿勢は、床にへばりつき、重心が極限まで低く下がった状態である。

 ここから一息で、五歩先の首を断ち落とす。

 そういう剣技は、存在する。

 そもそも、通常の剣術にて用いられる踏み込みからの斬撃は、大地を蹴り、踏みしめた反動を肉体の中で織り、鍛え、伝達し、刃に集中せしめ、一撃のもとに人体構造を破壊する威力を得るために洗練されたものだ。

 大地からの反動を得る上で、正座はかなり有用な姿勢のひとつである。

 立ち上がる動作が、そのまま肉体を前方へ射出する推進力を生み出す形となり、立った状態からの踏み込みとは比較にならない初速をもたらすのだ。

 さらに、平伏状態は呼吸の偽装を行いやすい。背筋のわずかな上下以外に判断材料がないため、修練を積めば拍子ひとつずれた周期で気息の力を腹の底に溜め込むことが可能となる。ゆえに、攻めかかる機が敵の予想を外れ、容易く不意を突ける。

 とはいえ、それでも五歩の間合いは埋めがたい。

 螺導の体格は、さほど恵まれてはいない。きわどい所で届かない。

 そこで、第二の要因である。老獪なる剣鬼はいわゆる「邪剣」のたぐいに手を染める。

 刀の柄を掌で握り締めるのではなく、人差し指と中指の間に挟み込み、最低限の力加減で支えた。

 そして、抜き打つ。

 刀は指の間で滑り、切っ先が真正面を向く瞬間には柄一本分ほど斬撃半径が大きくなっていたのだ。

 体全体が前に進む速度に、柄が滑る速度が乗り、十分に致命傷を与えうる剣力となる。

 だがしかし、これらを列挙してもなお決定的と言うべきは、第三の要因である――


 ●


 速度、というものに対する認識を、根底からひっくり返されるような思いだった。

 自分が一瞬意識を失い、螺導・ソーンドリスが立ち上がってこちらに駆け寄ってくる過程を見落としていたのではないか。

 そんな錯覚すら沸きあがってくるほどに、老人の動作は前後の脈絡がなかった。

 正座、平伏した姿勢から、一瞬にしてこちらの目の前まで踏み込み、抜き打ちに斬り付ける。

 言うは易いが、五歩の間合いを一息で踏破するなど、一体どれほど効率的に筋肉を使えばそのような芸当が可能になるのか。一生を費やす、狂気のごとき修練の存在を感じ――罪燐の胸に、深い悲しみが灯った。

 ――あぁ、どうして。

 要するにこの男は、最初からこちらを殺すことしか考えていなかったということ。説法に聞き入り、言葉を交わしたのも、その後脚が疲れたと言って正座したのも、敬意とともに頭を下げてくれたのも、すべてはこちらを殺すための予備動作に過ぎなかったというのか。

 罪燐は、自分が賭けに負けたことを悟った。

 螺導を憎む気持ちはなかった。ただ、悲しかった。

 もはや罪燐には防御や回避を行う時間など残されてはいなかった。

 螺導の不意打ちは完璧に決まったのだ。

 ひたすらに、悲しかった。


 もはや自分には、拳をチョキに変える時間しか残されてはいないのだ。


 そう――罪燐は、悲しんだ。

 まったく望んだわけではなかったが、彼の肉体には戦士としての優れた資質が宿っていたのだ。

 どうせこの後、餓天法師に背教説法の咎で処刑されるのだから、今ここで殺し合いに勝つことに何の意味もないのではないか――などという思考が頭の中で形を成す遥か手前で、罪燐の指は動いていた。

 人差し指と中指を伸ばし、死を象徴化する。

 螺導は、目の前だ。その鼻先に、チョキは過たず突きつけられた。

 ――これが、結論か。

 どうあっても争い合い、殺し合うことはやめられぬのか。

 血に塗れた己の手を、切り離したい衝動に駆られる。本当に穢れているのは、〈魂〉の方だというのに。

 次の瞬間――罪燐は周囲が完全なる暗闇に包まれていることに気付く。

 やや遅れて、両目に鋭い熱が走った。

「なっ……!?」


 ●


「おいおい、なんでだよ!」

 狼淵は目を見開いた。

 確かに、一瞬早く罪燐のチョキが完成していたはずだ。

 見間違えるはずがない。

 螺導の頭部は、破裂していなければならない。

 だが――現実は違った。

 横一閃の斬撃を振り抜いたままに体を一回転させて勢いを逃がすと、螺導は節くれだった手の中で刀をくるりと回し、ゆっくりと鞘の中に収めた。

「おおお……あああああ……」

 罪燐の呻きが、愁々と漂った。

 両掌で目元を押さえている。指の間から、鮮血がどくどくとあふれ出ている。

「救済とは――もっと確実に行われねばなりませぬ」

 老人の声。暖炉の前で孫に語り聞かせるような、慈しみに満ちた口ぶりだった。

「長い時間をかけ、人々の意識を少しずつ変革し、やがては愛をすっかりと捨てさせる――気宇は壮大でございますが、恐らく不可能と存じます。あまりにも迂遠。時が過ぎるにつれてその教義が腐敗・堕落してゆくは必定でございます」

 皺の中に埋没して、その表情は読めない。

「胡乱なる精神論ではなく、即物的な制約こそが、人の〈魂魄〉の救済を約束するものにございまする」

 瞬間。

 螺導は、眼を見開いた。

 垂れ下がっていた瞼を全開にし、その奥に隠されていたモノを衆目に晒した。

 そこには、眼球などなかった。

 虚無だけがあった。

 まるで宇宙の暗黒淵やみわだに通ずるかのように、すべてを飲み込む闇だけが、眼窩に蟠っていた。

「――やつがれ、この世に生を享けたるその時より、目玉の持ち合わせがありませぬ。ゆえに、光とは何なのかわかりませぬ。闇とは何なのかわかりませぬ。色彩とは何なのかわかりませぬ。美醜とは何なのかわかりませぬ。而して――憎しみとは何なのか、わかりませぬ。ただひとつわかっているのは、これまでたくさんの人々に助けられ、支えられねば生きてはこれなかったという事実だけです。ただひたすらに、感謝。感謝のみが我が〈魂魄〉を満たしておりまする。人が人として生きる上で本当に大切なものは、目に見えぬものでございますれば」

 口元に、あえかな微笑を浮かべている。

 わけもなく、狼淵は戦慄した。

「目など見えるから、人は争いをやめられぬのでございます。目など見えるから、他人の持ち物が妬ましく思えるのでございます。他人の醜き部分を許せぬのでございます。差別えこひいきをしてしまうのでございます。自分ひとりの力で生きていけるなどという心得違いをしてしまうのでございます。そのようなわけがございませぬ。人は助け合い、支え合わねば生存しえぬが真理。なれば、その事実を誰にでも理解させられるような枷こそが、争いなき世界の実現に必要でございまする」

「う……うう……これが、枷……?」

「さよう。人類に視覚など不要にございます。それらはすべて憎しみと殺意を駆り立てるまやかしに過ぎぬのです」

「うう……ああぁああ……」

 罪燐は目を覆っていた手を下ろし、呆然と天を振り仰いだ。

 血涙が滂沱と流れ、その白い顔に紅をあしらっていた。

「……闇だ……」

 救いを求めるように、天へと手を伸ばした。

「まっくら、だ……」

「ようこそ、救済の無明へ」

「うう、ううぅう……すべてが、遠い……」

 差し伸ばされた手は、何も掴むことなく、空しく地に落ちた。

「螺導どの……あなたが、哀れだ……。あなたは、人々の笑顔を見ることがなかった。雄大な山河の佇まいを見ることがなかった。地に根付く花を見ることがなかった。木陰に煌めく木漏れ日を見ることがなかった。だから……だからこの無間の闇が救済などと思えてしまうのだ!」

 声に、嗚咽が混じる。

「夫と二人の娘を異律者の襲撃で喪い、娼婦に身をやつした女は、その年のうちに悪疫をうつされ、苦しんで苦しんで苦しみぬいて死んだ……何故か? たったひとり残った、幼き息子を餓えさせたくなかったからだ……!」

 顔を両手で覆い、くずおれる。

「しかし、もしも母が俺を愛してなどいなければ、少なくともあんな最期は迎えずに済んだはずだ。俺のことなどなど捨ててくれればよかったのだ……愛してなど、欲しくはなかった……ただ、お元気でいてほしかった……!」

 その一言が、罪燐の体に衝撃を打ち込んだようだった。

 痩身が硬直し、やがてうなだれた。青年の中で軸となっていた、重要な何かが折れたのか。

 床に膝をつき、肩を震わせた。

「お若い方。あなたは結局、捨て切れなかったのでございます」

 痛ましげな、その言葉。

「さぁ、顔をお上げなさい。人の死とは、厳かなものでなくてはなりません」

 ゆらゆらと操り人形のように、罪燐は従った。白い喉元が晒される。

「哀れな御子よ。この一太刀にて救済つかまつる。やつがれの中においでなさい」

 ――閃光が、走った。

 桜花を闇に浮かび上がらせる残月のごとく、畏怖を呼び覚ます円孤の軌跡。

 涼やかな鍔鳴りと同時に螺導は踵を返した。――直後、罪燐の首がほろりと両肩の間から落ち、床を転がってゆく。

 血飛沫が、吹き上がった。

 転がった首級、その口元が、ははうえ、と呟き――そして永遠に動かなくなった。

 罪燐の肉体から、琥珀色の流体がまろび出て、螺導の首筋へと潜り込んでいった。

「典礼、かく成就せり! 勝者、螺導・ソーンドリス! ますらおに誉れあれかし!」

  ――誉れあれかし!

   ――誉れあれかし!

 唱和する人々の声には、かすかな震えが混じっていた。

 それほど美しく、研ぎ澄まされた斬首であった。

 死は、芸術になりうるのだ。

 その思いが、狼淵の胸に突き刺さった。


 ●


 ――見事である。

 鏖我オウガ・ラドキュロク・アギュギテス・インペラトル・サルバドル・ギステニアは、満悦していた。

 斬伐指定剣士、螺導・ソーンドリス。あるいは――、螺導・ソーンドリス。

 人の法においては極罪人なれど、神の法においては尊き武人に課せられる、栄誉と罪業の称号である。

 先天的全盲ゆえにじゃんけんの霊威を受け付けず、人類最強の武人が集う八鱗覇濤参加者の中でも純粋な剣技においては頭一つ抜けている。その身に宿れる神聖八鱗拷問具を抜くことすらなく、無傷にて一回戦を勝ち上がった。

「今回ばかりは、ひょっとしたらひょっとするかも知れぬな」

 最初は刃蘭・アイオリアか散悟・ガキュラカのどちらかが優勝するであろうと踏んでいたが――今回の八鱗覇濤は、例年であればたやすく優勝をかっさらえる猛者がそろい踏みである。

 無論、参加者の経歴や拷問具の有無などは事前に餓天法師たちに調べさせてはいたのだが、やはり実際に殺し合わせねば判らぬことも多い。

 自分が介入すべきかどうかは、一回戦がつつがなく終わるまで判断できないであろう。

 ――おぉ、愛しているぞ、我が臣民らよ。

 子の成長ほど寿ぐべきものはない。彼らが自力での救済を勝ち取る〈約束の刻〉は、もはやすぐそこなのかもしれない。

 人がましさを感じられぬほど規則正しい足音が、こつこつと響いてきた。

「御子よ。かの者が、お招きに応じましてございます」

 玉座の前で、餓天法師が跪いて言った。

「良き哉。拝謁の栄を賜わそう。お主らは地上に退去しておれ」

御意志みむねのままに」

 ひとつ息を吐くと、玉座から身を起こした。

 光輝に満ちた裸身が、ゆったりとそびえたつ。男性原理の擬人化とも言うべき、完璧な肉体がそこにはあった。

 ――さてさて、余を殺す覚悟はできているのやら。

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