幽準の隠し砦で五崩鎧と対決するのこと

 悪鬼の骨格がかくされた墓所は、要塞の地下にあった。済秋と怜春は蝋燭を灯し、暗い廊下を進んでいた。戒啓は両手を縛る縄に引かれ、兄妹の後にしたがっている。壁も天井も石造りの廊下は、要塞の五崩鎧には天井がひくく、通れなかった。

 三人が向かっているのは、要塞の将兵をとむらうための墓所である。山岳の小国は、もし国が滅びることがあればこの要塞で再起を図るつもりでもあったろう。たしかに要塞は田畑から宿舎、鍛冶場から墓所まで、一軍を養うに充分の構えをそなえていたのである。

 戦国の世によく見られた造りである。済秋が聞かせても、妹はにらみつけてくるばかりである。済秋は気にせず要塞の構えを説いていたが、怜春にしてみれば兄とともに学んだ知識である。聞くまでもなかった。

 怜春は幽準の身を案じていた。五崩鎧の棍棒が勇敢な男児の身を砕いているかと思うと、すぐにでも幽準の元へ駆けつけたかったが、兄が己の手を縄でつなぎ、離さなかったのである。

 三人は石段を下りて要塞の地下を進むと、やがて石の壁が途切れて、山を掘り進めた洞窟に入った。蝋燭の火は揺れ、洞窟の奥から吹く風が三人の頬を撫でた。

 墓所は洞窟の最も奥まったところにあった。天井は高く、ひろく掘りひろげられていたが、立てられた墓標はわずかだった。山岳の小国より隠し砦をあずかっていた将兵たちであろう。

 蝋燭の火をたよりに墓所を見て回ると、やはり要塞の古跡によく見られる様式である。学徒の興味を満たし、済秋は戒啓を振り返って問うた。墓所の戸はその身でなければ開けられぬと聞いたが、悪鬼の骨格があるとは、やはりいつわりであろうか。

 戒啓は首を振った。俊英なる学徒よ、その知識をもってこの墓所をつぶさに見れば、この僧が言う戸とは何かおのずとわかるであろう。戒啓は己の手を縛る縄をわずかに引いて、墓所の暗闇を歩き出した。済秋は答えず、妹の手を掴んだまま後にしたがった。

 旅の僧の学識は己をはるかに上回っている、と済秋はすでに認めていた。墓所にいたる暗闇を歩きながら戒啓が語ったことには、要塞の古地図とともに見つけた数枚の古文書を読み、悪鬼の骨格があると断じたという。編纂もされず箱におさめらた紙片には、山岳の小国について、さだかではない伝承が数説、書きしるされていた。

 一説には、ある年、異人の一団が山岳の関所を訪れた。ことばはかろうじて通じ、北方から逃げてきたという。住まう土地に疫病がはびこり、皆が狂ってしまった。誰もが憎みあい、親子が殺し合っている。異人たちは山岳の小国に移り住むことを望んだ。関所の番人は異人たちが支払う税を持たぬため、すべて殺して荷を奪い、死骸を谷に捨てた。

 戒啓は、異人の一団と、関所を訪れた年代を疑ったのである。遠い異郷の地で悪鬼の骨格が見つかり、災厄に襲われた年代として、帝都の史書にも記されている。悪鬼の骨格はいくつもの小国を滅亡に導き、賢人や勇者によってついに砕かれたが、すべてではないという。

 戒啓が見つけた紙片は、いずれも悪鬼の骨格について記述はされていない。だが、他の説も、歴史や伝承に照らし合わせれば悪鬼の骨格が山岳の小国に持ち込まれたとうなずけるものである。済秋は、戒啓がはたしてまことに旅の僧に過ぎぬのかを疑っていた。


 墓標のひとつを前にして、戒啓は立ち止まった。盛られた土に木の杭が刺された粗末な墓である。戒啓は兄妹を振り返った。悪鬼の骨格が隠されているのだろうと、済秋と怜春はしばらく思案して、気づいた。

 万物は方位と配置に吉凶をそなえる。家屋にあっては、立地を選び、戸口の方位、家具の配置をもってあたる。世の人々は占術によって、あらゆるいとなみから福を招いて過を除こうとしたのである。

 墓標の配置、墓所の構え、ひいては山中の要塞の位置を思い起こすに、戒啓が立つ場こそ大凶を示していた。凶地に墓所を据えて鎮魂の場とし、吉物をもって周囲とへだてるのは常である。悪鬼の骨格をうずめるには、いかにもふさわしかった。

 災禍から逃れるためあえてこの大凶地にうずめるとは、悪鬼の骨格がいかほどのものか、掘り起こしてもらおう。済秋が告げ、戒啓はうなずくと墓所の前にひざまづいた。

 戒啓は縛られた両手に石を持ち、墓を掘りはじめると、やがて土にまみれた小箱を掘り出した。済秋は両手に乗るほどの鉄箱を拾い上げ、蝋燭の火で照らした。箱に開ける蓋がない、とみとめ、戒啓の足元にほうると、ひとこと命じた。開け。

 戒啓は忌まわしげに箱を取り、墓所の入り口の闇を見た。幽準はまだであろうか。勇敢な男児が、済秋の五崩鎧を破って戻ってくると望みをかけていたのである。僧の思わくを見抜いていた済秋はあなどって、あえて待った。

 やがて鉄箱をかかげ、戒啓は呪文を唱えた。鉄箱には呪術によってかたく封印がほどこされていたのである。帝国に仕える官吏として、帝王の使命において、太古から帝王を任ずる天神の名を借り、戒啓は鉄箱に封印を解くよう命じた。

 鉄箱の重い蓋が開く音を聞き、済秋はうなずいた。はたして戒啓は五崩鎧の賢人にあってもっとも誉れ高い、帝国の官吏だったのである。まだ壮年の身がたくわえた叡智はふかく、都に塾をひらく老学者がいくら集まったところで、およびもつくまい。

 戒啓は鉄箱からちいさな骨を取り出した。白く磨かれ、歳月を感じさせぬ。人のものであれば手足の指の骨でもあろうか。だが、三頭六腕の悪鬼もいたと伝わる。指先か、太ももか、いかなる箇所の骨か、戒啓にも兄弟にも、さだかではなかった。

 ちいさな骨を戒啓は握り締めた。帝王のために、世に散らばり国を乱す悪鬼の骨格を砕くことこそ戒啓の使命だったのである。だが、悪鬼の骨は幾重にも呪術がかけられて硬く、鋼にもひとしかった。呪術を解くいとまはなかった。

 済秋は戒啓の拳を開いて、悪鬼の骨を己の懐中に収めた。戒啓の手は震え、汗に濡れていた。済秋にしてみれば、悪鬼の骨も手に取ってみれば、ただの骨となんら変わらぬ。これが古今の賢人をおびやかし、国を滅ぼしたとはまことであろうか。

 済秋は懐中の悪鬼の骨をもてあそびながら、いたく満足していた。もやは要塞を支配し、悪鬼の骨を手に入れた。都に行けば、巨万の富が己を待つであろう。

 悪鬼の骨に触れるほどに、済秋には己の野望が崩れ去ろうとは思われなくなった。この隠し砦と悪鬼の骨の発見が名声となり、官吏ともなれよう。宮廷の政争にも打ち勝ち、行く末は皇帝から領地を賜り豪族にでも封ぜられようか。

 たちまち膨れ上がる欲望に、ついに済秋は懐中から悪鬼の骨を取り出すと、つぶやいた。悪鬼の骨をそなえた五崩鎧はいかなるものとなるであろう。五崩鎧にまつわる呪術と歴史を学び、悪鬼の骨のおそるべきについて知りながら、済秋は悪鬼の五崩鎧をしたがえて、己の勝利を目の当たりしたくなったのである。

 たちまち戒啓が済秋を制した。聡明な学徒よ、古今にあって悪鬼の骨格をそなえた五崩鎧にかかわり、滅びぬ者はない、悪鬼の魔性によく耐えるのだ。済秋はあざけって、五崩鎧を使役する紙片を取り出そうと懐中に手を差し入れた。

 たちまち、怜春が戒啓の手から悪鬼の骨を奪った。兄がいかなる名と使命をあたえるかは知らぬが、もはや五崩鎧を使役させてはならなかった。怜春が墓所の闇に悪鬼の骨を捨てると、たちまち兄の拳が己を殴りつけた。

 闇に消えた骨を追おうと、済秋は短刀で三人をつなげる縄を切ると、妹の手から蝋燭を取り上げた。戒啓も済秋を追って闇に消え、ふたりが争う物音と怒声が聞こえたが、すぐに戒啓の絶叫が墓所に響いた。

 闇に残された怜春は、近づいてくるちいさな蝋燭のともし火の恐ろしさに、総身が震えた。血で赤く汚れた兄の顔が闇に浮かび、怜春はこぼれる涙を抑えられなかった。

 戒啓よ! 墓所にいたる道をさえぎる亡骸は、この身に仕える五崩鎧が破った! 悪鬼の骨は砕けたか! 墓所に幽準の声が響いた。松明を持ち、墓所の入り口に立っている。兄が幽準の方を向くや、怜春も駆け出していた。幽準に抱きついて、声をおさえて泣きながら戒啓を襲った不運と兄の凶状を訴えた。

 幽準はおののくとともに、済秋を責めた。妹は葬られぬ奴隷どもを悼んでいるというのに、その身は、いにしえの叡智を学びながら、なぜ五崩鎧を利得のためにわたくししようとするのか!  

 済秋は幽準の問いをあざけった。男児よ、この墓所で五崩鎧はたがいに無いが、この身をいかにする。もし望むのであれば、山を下りて得た一財を分け与えよう。集落に帰り、隠し砦で見たすべてを忘れてしまえ。

 まだ幼い男児の総身に怒りがみなぎった。済秋は、戒啓も、亡骸も、隠し砦も、みずから学んだ叡智も、何もかもをあなどっていたのである。罪武! あの男を捕らえろ! 幽準が闇に向かって叫び、墓所の地面を、いくつもの蒼白い斬光が裂いた。崩れ落ちる地面から蒼白く燃える剣に照らされ、罪武の巨体があらわれた。


 要塞を築き土木を運ぶため、巨大な五崩鎧が進む地下道を設けることはよくあるという。築き終えれば戸口は塞がれるが、通路を埋めることはすくない。年代と様式によって異なるが、この隠し砦であれば要塞のはずれから墓所の地面へ向かって掘られたであろう。

 戒啓は、墓所にいたる道と五崩鎧をともなうための地下通路を幽準に伝えていたのである。道順はあやまたずに幽準と罪武を墓所に導いた。この苦境に屈しない五崩鎧の賢人に、幽準はふかい敬意を抱いていたが、待っていたのは太古の叡智をほしいままにする済秋であった。

 燃える剣を片手に歩み寄ってくる罪武を見上げ、済秋はいぶかしんだ。五崩鎧を安置した蔵で見ていなかったが、人骨を模しながら、人にしては巨大な生物の亡骸だったのである。

 いかなる由来を持つ骨格であるか、問えるはずもなかった。妹はおびえ、男児は怒り、もはや何も聞くまい。猟師の子に己の勝利がくつがえされたが、済秋は焦らなかった。目の前の五崩鎧を砕けばよいと、よく知っていたのである。

 済秋は、懐中から悪鬼の骨を取り出して足元に捨てると、呼びかけた。悪鬼の骨よ、悪鬼の死骸は恨みがふかく、五崩鎧の呪文を唱えるだけで骨格が剥がれ、まわりの死骸から骨格を取り込み、おのずと五崩鎧になったと伝わる。ひとかけらに過ぎぬ汝がいまだ世に恨みを残しているなら、この墓所は目覚めるにいかにもふさわしかろう。

 罪武の手に肩を掴まれながら、済秋は悪鬼の骨に名と使命をあたえると呪文を唱えた。破難(はなん)、あるじの身をおびやかす五崩鎧を砕き、この難局を破れ。悪鬼の骨がわずかに震え、たちまち墓所の地面が揺れた。

 済秋の身を抱え上げようとした罪武は手を止めると、幽準と怜春の元に駆け戻り、ふたりの身を抱え上げた。幽準が止めてもこの五崩鎧はしたがわず、己があらわれた穴に飛び込むと灯りのない地下道を走った。

 罪武の脇に抱えられながら、怜春はこの五崩鎧の正体を考えていた。いま幽準が止まれと命じてもしたがわず、あるじではないこの身を守れとも言われずに助けている。いったい幽準は、いかなる使命をあたえたのであろうか。


 地下道を走り要塞のはずれに出ると、罪武は幽準と怜春を地面に降ろし、燃える剣の刃でふたりの周りに紋様を描いた。紋様はほのかに光りをはなっている。怜春は己の知らぬ様式を描き、呪術まであつかう五崩鎧を信じられぬ思いで見上げた。よく見れば、五崩鎧の蔵で己が引き倒した巨人である。

 紋様から踏み出してはならぬ、とは幽準にもわかった。罪武はふたりを背に、地下道の入り口へ向き直った。夜明けはまだ遠く、雨雲の散った空には星々がきらめいている。虫が鳴き、風にそよぐ草木のすれあう音が聞こえるばかりで、要塞は静けさに沈んでいた。

 幽準と怜春は、地が揺れていると気づいた。罪武が指先で、手甲をつけた左右の手首に光る紋様を描いた。揺れはたちまち激しくなり、恐ろしさに立っていられず幽準と怜春は身を寄せ合った。

 地下道の入り口が業火とともに爆発し、夜闇の静けさが破られた。岩石が飛び散り、罪武を打ち、背後の幽準と怜春にも当たろうとしたが、紋様のふちで見えぬ壁に弾かれた。

 粉塵の中から、見上げるばかりに大きくいびつな五崩鎧があらわれた。蛇に似て伸びる背骨に、いくつもの人の頭蓋と、何本とも知れぬ手足がうごめいている。人骨を寄せ集めながら、醜悪な長虫とも見えるすがたは、破難である。

 罪武をみとめた破難の頭蓋に、いくつもの火が灯った。罪武は蒼白く燃える手を背中に回し、すぐに戻すと、どこからか、己の巨体をも覆いかくす巨大な鋼の盾を取り出した。戦場で降りそそぐ矢を避けるための合戦盾である。

 罪武が合戦盾を目の前に置くや、破難がいくつもの頭蓋から火炎を吐き出した。より合わさって業火となった火炎は、合戦盾にさえぎられて左右のふたすじに裂けると、それぞれが要塞の石壁を貫いて爆発とともに粉砕した。

 破難は火炎を吐き出しながら、首をはげしく横に振り、ふたすじの火炎が要塞の壁をなぎ払った。炎が止まり、身をかたく寄せ合っていた幽準と怜春が振り返ると、巨石を積み上げた壁は瓦礫となり、さらには遠くでは、要塞を囲む山腹がえぐれ、森が燃え上がっている。

 怜春は恐ろしさでもう何も言えず、幽準の腕を掴んでいた。幽準は、合戦盾を構えたまま罪武の背に、おぼえず、揺るがぬ信頼を寄せていた。太古の五崩鎧どもを圧倒し、悪鬼の骨をもつ五崩鎧の火炎すらしのいで見せた、強大な五崩鎧が己の言うままに戦うのである。

 罪武! あの悪鬼の五崩鎧を打ち砕け! 幽準に背後から命じられ、罪武が振り向いて瞳のない顔をあるじと合わせた。幽準には、すぐにも罪武が敵に向きなおり、剣を振るって破難を打ち砕きに行くと思われた。

 罪武は、合戦盾の陰から破難をうかがうと、また幽準と顔を合わせて、首を左右に振った。まさか、五崩鎧があるじの命令を断ったのであろうか。幽準が信じられずふたたび命じると、罪武はついに首と手を激しく振った。嫌がっている。

 まるで知性をそなえた人である。怜春は、なおも命じる幽準と、かたくなに断る罪武を見ながら、いったい、この骨格がまことに五崩鎧であるかすら疑っていた。

 破難の脇に立つ済秋から呼ばれる声に、怜春は顔を向けた。怜春! 兄のもとへ戻るなら許してやるが、猟師の子と天命をともにするならば今生の別れとなろう! 怜春は震える声で答えた。ともに学んだ知識を私欲のためにもちい、あまつさえ人を傷つける男はもはや兄ではない!

 二親がなく助け合って生きてきた兄妹である。怜春には決断だったのであろう、うつむいているが、声を押し殺して泣いているとわかった。怒って命じていた幽準は、罪武にふかくこうべを垂れた。頼む、悪鬼の五崩鎧を破り、我らを守ってくれ。罪武は、合戦盾の陰から踏み出すと、素手のまま歩き出した。


 悪鬼の五崩鎧は、無数の頭蓋にふたたび火を灯した。罪武は、破難を前にして、地を踏み締めるたしかな歩みを止めなかった。蒼白く燃える両手を上から下に振り下ろすと、どこから取り出したのか、右手には戦斧、左手には長槍を握っていた。

 済秋は近づいてくる罪武を砕くよう、破難に命じた。悪鬼の五崩鎧は身をみにくくよじらせて、罪武に襲いかかった。人骨を寄せあつめた巨大な腕を罪武が武器で払うと、砕けた骨格はまたつながった。

 長槍を捨てた罪武はまた手を振るい、鋼の筋をよりあわせた鞭を取り出した。しなる鞭はひとうちで破難を捕らえたが、悪鬼の五崩鎧が身をよじらせるとたちどころに破られてしまった。

 破難が地面を踏み締め、身をおどらせるごとに地面が揺らいだ。要塞はきしみ、石壁が崩れはじめた。罪武は己を狙う火炎をかわし、いくつもの武具で破難の総身を砕いたが、いかなる一撃をくわえようと悪鬼の五崩鎧は、たちどころにまた元のすがたに戻ってしまった。

 剣、刀、槌、槍、矛、斧、弓、鎖、鞭、無数の武器を振るう罪武の両手は、破難とともに要塞の壁を粉砕した破壊槌を手放して、はじめて空いた。壁はおろか天井まで崩れ落ちた瓦礫に埋もれ、破難はすぐにはあらわれなかった。

 瓦礫の前に立ち、罪武は蒼白く燃える短刀を両手に握ると、構えを取った。戦いを見ていた済秋は、はじめてわずかな焦りを覚えていた。罪武は尋常の五崩鎧ではなかった。呪術をもちい、武技をそなえ、悪鬼の骨を持つ破難を圧倒しているのである。いまの世に伝わる呪術では、五崩鎧にあたえられぬおこないである。

 破難の埋もれた瓦礫がうごめき、罪武の両手に握る双剣がいよいよ激しく燃えはじめた。五崩鎧の戦いを見ていた幽準は、どれほど砕いても立ち上がる破難を止めるすべに気づき、罪武に向かって叫んだ。罪武! なんじが戦う五崩鎧はちいさな悪鬼の骨をそなえている! それを探し当て、砕かねば止まらぬであろう!

 幽準が叫ぶや、瓦礫を跳ねのけて破難が罪武に襲い掛かった。無数の頭蓋には火炎が燃え上がり、目の前の罪武に業火を浴びせれば、骨格や甲冑はおろか、地面をえぐり山腹に大穴をうがつであろう。

 罪武は両手の短剣で、つかみかかろうとする破難に斬りつけた。燃える刃は蒼白い斬光を残したが、破難には触れもせず虚空を振り抜いた。破難の動きが止まり、罪武は蒼白い炎が消えた短刀を捨てた。

 ひとたび、春のそよ風が吹いた。たちまち、破難とまわりの瓦礫は砂と化して崩れ去った。罪武が振るった短刀は、蒼白い斬光からまたあらたな斬光を生み出す無数の剣閃となって、破難をわずかな塵と化すまで斬り刻んだのである。破難のすがたはもはや戻らなかった。

 罪武は振り返って、幽準のもとへ戻るとひざまづき、こうべを垂れた。己の助言などいらなかったが、幽準は五崩鎧にねぎらいのことばをかけてやった。見事な武勲である、この身が授けた助言の通りであったろう。

 たちまち罪武は顔を上げたが幽準は命じた。我らが逃れてきた地下の墓所に僧の遺骸がある。とむらうために担いできてはくれぬか。罪武はしたがって、瓦礫に埋もれた地下道の入り口に向かった。

 罪武のすがたが地下道に消え、幽準と怜春は寄せ合っていた身を離した。済秋のすがたは、すでに夜の闇へと消えていた。ふたりは地面に座り、恐ろしい一夜が過ぎ去ったのだと安堵し、たがいに何も言えなかった。

 ほどなく、五崩鎧の重い足音がふたりに近づいてきた。罪武が戒啓の遺骸を運んできたのであろう。だが、夜闇のなかを近づいてきたのは、棍棒と盾を持つ要塞の五崩鎧である。

 ふたりは、もはや立ち上がれぬほど疲れきっていた。怜春はせめて勇敢な男児はかばおうと、幽準をきつく抱きしめてかばったのである。だが、五崩鎧は何もせず、遠くから棍棒で盾を打ち鳴らす音が響くと去っていた。

 五崩鎧の背を見ながら幽準には何があったのかわからずにいたが、己を抱きしめる怜春の腕が震えていると気づいた。怜春は、いまにして、山野を徘徊していた五崩鎧の使命を察したのである。

 隠し砦にいたる山道と要塞の蔵で襲われず、兄が己を身近に置こうとしたのもうなずけた。まだ棍棒が盾を打つ音が遠くに聞こえ、怜春は幽準の胸にすがって泣いたのである。


 棍棒が盾を鳴らす音を背後に聞きながら、済秋は灯りのない夜の林を走っていた。五崩鎧に追われているのである。たしかに罪武は墓所にいたる道をはばむ五崩鎧をすべて砕いたが、山野を徘徊し戒啓にまどわされた五崩鎧はまだ残っていたのである。戒啓の呪術が解けたのであろう。

 済秋は五崩鎧を目覚めさせる紙片を戒啓に渡したが、名を授けるあるじではなく、紙片の使命にのみしたがうよう記したのである。己が隠し砦に着くまで、いかなる人をも寄せ付けぬ奴隷が必要であった。

 我ら兄妹ほどの年ごろになる男女とその連れ合いでなければ、ことごとく襲い、打ち砕け。済秋が紙片に記した使命である。済秋と怜春ほどの年ごろで古地図の要塞へ向かう者など、あろうはずもない。戒啓に紙片を渡した後、済秋は師に訴え、春を待って要塞へ向かえばよかった。

 五崩鎧の足音が背後に迫っていたが、済秋は疲労のために足を止めた。木に手を突き、もはや一歩も進めなかった。林の闇はふかく、目の前に立って、はじめて五崩鎧のすがたをみとめた。

 闇のなか、棍棒を振りかぶる五崩鎧の影を見上げながら、済秋はなおも、学んだ知識から助かるすべをめぐらせたが、あるじを持たず名も持たぬ五崩鎧から、使命を奪い、呪術を解くことはもはやできなかった。怜春はまだであろうか。妹であるなら、兄を救うために追ってきて五崩鎧を鎮めるべきではないか。


 幽準たちが下山し集落に帰ったのは、すでに空が白み、日が昇ろうかというころである。疲れきった幽準を待っていたのは、やはり怒り狂った母であった。いままでどれほど言いつけを守らず、手伝いをおこたろうとも、幽準はこれほど激怒する母を見たことがない。破難に勝る恐ろしさであった。

 集落に帰っていた父と長兄次兄は、五崩鎧の恐ろしさに幽準を残して山を下りたことをふかく詫びた。傷ついた父の容態はよく、しばらくは狩りはできぬという。

 戒啓の五崩鎧があらわれた集落では、すでに山で何があったかを長兄と次兄が隠さず話していた。怜春は集落の人々に、兄が元凶であると釈明せねばならなかった。かばったのは、幽準と戒啓である。

 墓所より罪武が運んできた戒啓は、生きていたのである。済秋と争い負った傷は父より深く、しばらく集落にとどまり傷を癒さねばならなかった。徘徊する五崩鎧を鎮めた賢人として集落の人々をさとし、怜春は幽準の家にしばらく泊まることとなった。

 幽準は童子たちの英雄となった。要塞での冒険を経て、太古の五崩鎧を手に入れたのである。野原での遊びは、罪武が相手となった。だが、幽準にしたがうはずの罪武は、いかに命じて頼み込んでも、母の手伝いをかわってはくれなかった。

 一月が過ぎ、傷の癒えた戒啓は、幽準、怜春と五崩鎧をともなってふたたび山に向かった。徘徊する五崩鎧がまだ残っており、討伐するためである。集落の猟師は五崩鎧を恐れて、獣が目覚める春の山に誰も入れなかった。

 山に入る前、戒啓は幽準に、己とともに帝都に来て五崩鎧について学ばないかと誘った。勇敢な男児の行く末を見込んだのである。また、罪武に関心があった。骨格はいかなる生物の骨であるかもわからず、幽準に聞けば、およそ五崩鎧が動くとは思えぬ手順で目覚めさせていた。

 幽準は、戒啓に誘われた場でうなずいた。太古の叡智と恐怖の冒険が、猟師の子に過ぎなかった男児を魅了していたのである。戒啓は満足して、男児の父母に帝都の官吏である身を明かし、幽準を引き取った。

 話を聞いた怜春は、五崩鎧について幽準の教師となろうと申し出た。この美しい娘は、一月の間に労苦をいとわず幽準の母によく仕え、集落にこころよく迎えられていたが、わずかないとまでもあれば幽準の身の回りを世話していたのである。

 のちに幽準は猟師の子から戒啓の養子となり、帝国の官吏となった。太古の叡智をうやまい、五崩鎧のおそろしさを知り、悪鬼の骨格を砕くためにあらゆる山河を踏破した賢人のひとりとして、史書に列伝が残っている。ただ最後の冒険から帝都に帰らず、没年は伝わっていない。連れ立った罪武もまた、失われてしまった。

 幽準の列伝には、罪武のわずかな一文がしるされている。五崩鎧の賭博試合で千勝して無敗、罪武覇王と呼ばれ名高かったという。幽準は賭博試合で巨万の富を得たが、ことごとく五崩鎧の研究に費やし、一族は富まなかった。

 史書ではなく巷説には、幽準と罪武の冒険が数多く伝わっている。いにしえの史跡から天上につながるはしごを見つけたとか、異国の地で政争にくわわって合戦を防いだとか、ついには地獄の悪鬼そのものと戦ったといったたぐいである。猟師の子が五崩鎧の賢人となってなお冒険を求めた数々の物語は世の人々に好まれたところではあるが、いずれの真偽もさだかではない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

五崩鎧 しーさん @shisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る