第五章:魔の城

 目を覚まして、天井の模様といつもより固いベッドの感触、そして、敷布のレモンの匂いとほんのり漂っているスープの香りから、祖母のアパートにとまりに来たと思い出す。


 せめて手伝いくらいはするつもりだったのに、もう祖母は準備を終えてしまったらしい。


 何となく重たい気持ちで、しかし、これ以上、寝坊を決め込むのはますます図々しくなっるので、ベッドから起き上がる。


 閉じたオレンジ色のカーテンの下からは白々とした朝の光が漏れてくる。


 時刻としては、まだそこまで遅くはないはずだ。


 カーテンを開けると、部屋がサッと明るくなって、黒い影になっていた写真立てがまた元の姿を現した。

 赤ちゃんの私とママの写真に入った、亀裂じみた皺まで。


 ドアを開けると、腕の力に反して、ギイッと大きく軋む音がして、漂ってくるスープの香りが温かさを伴って濃くなった。


「おはようございます」


 居間に顔を出すと、朱色のテーブルクロスの上には、スープどころかパンや目玉焼きや野菜サラダまで並んでいた。


 コーヒーの香りと共に、灰青色の瞳をした雪の女王が姿を現す。

 昨日のタータンチェックから、焦げ茶色のチョッキと黒のロングスカートに装いを変えてはいたが。


「おはよう」


 相変わらず、目は合わせない。

 だが、もう、そういうものとして慣れてしまった。


 私は湯気立つ朝食の並んだ昨日と同じ席に向かう。


 大人になると、手放しで喜ぶことも少なくなる代わりに、ちょっとくらいの痛みにはすぐ慣れるのだ。


 *****


「ちょっと出掛けてきます」


 言い掛けてから、自分の声に軽く苛立つ。

 さりげなく切り出そうとすると、却って言い訳がましくなるものだ。


 ジャケットの襟を直しながら、朝食のコーヒーが胃の辺りで燻るのを感じた。

 緊張するとひたすら手近な飲み物を流し込むのは、私の悪い癖だ。


「どこへ行くの?」


 椅子に腰掛けた祖母はレース編みの手を動かしたまま、目も上げない。

 どんな口調で言おうと、この人は意に介さないのかもしれない。


「大聖堂まで」


 多分、すぐ近くのはずだが、むしろ遠い方がいい。


「お昼は一時だから」


 白レースの葡萄は半ば出来上がったところなのに、皺だらけの手で半分解いてしまった後に見える。


「その時までには戻ります」


 答えてから、外で食べる選択肢もあったと気付いた。

 だが、もう遅い。


「じゃ、行ってきます」


 返事を待たずに、居間を後にする。

 とにかく、出よう。

 この家の外へ。


 昇る時はもどかしかったのに、降りる時は気抜けするほどあっさり終わる階段だ。


 でも、お年寄りの足にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。

 そう考え直してから、祖母は一体、今、何歳なのかという新たな疑問にぶつかった。


 入り口を出ると、さっと目が眩む。

 取り巻く空気は乾いて肌寒いのに、照りつける日差しは白々と眩しいのだ。


 ママが存命なら五十九歳だから、常識的に考えて、あの祖母も八十に手が届くはずだ。

 父が本当なら今年六十五で、亡くなったおばあちゃんも生きていれば九十近いはずだから、母方の血縁は総じて一世代若い計算になるのだろう。


 というより、私は母方の祖父母についてはほとんど何も知らない。


 既に故人となった祖父がドゥミトリ。

 あの祖母の名はエヴァ。

 一家の姓はティリアック。

 アルファベットで綴れば“Tiriac”

 だが、この国の表記だと頭の“T”に傍点みたいなアクセント記号が付くのだ。


 それはそれとして、二人はこの街で私の母やゾヤの父を生み育てた。

 そして、夫にも子供たちにも先立たれた祖母は、今、このアパートに一人暮らしている。


「母は再婚してアラドに移住したので、今は、私一人で祖母のアパートに会いに行きます」


 ゾヤはいつかのメールでそう説明していたが、祖母のあの調子では、未亡人になった息子の嫁との折り合いも元から良くはなかったのかもしれない。


 自分が知っているのは、本当にそのくらいだ。


 朝の陽光の下で見直すと、アパートのレンガの壁は煤けて汚れているというより、食べられないまま干からびて変色したサブレのようだった。


 始めはもっと鮮やかな色だったのが、砂塵に晒され風雪を経てそうなったのか。

 それとも、元からこんな色なのか。

 現状しか知らないこちらには判別しかねる。


 白灰色のコンクリートの歩道を見渡すと、行く手に抉り取られたような割れ目が所々に認められた。


 どこをどうするとこんな割れ目が出来るのか不思議だが、恐らくは、元のコンクリートの質として壊れやすいのだろう。


 路地全体に漂う土臭い匂いからしても、日本とは明らかに建材が異なる。


 と、すぐ二つ先の、少し広く深い割れ目から、三匹の小犬たちがひょいひょいと数珠繋ぎに姿を現した。


 シベリアン・ハスキーだ。


 現れた三匹の内、二匹は白黒のコントラストの際立った毛並みをしていた。

 いずれも瞳は黒の毛に紛れてしまっている。


 最後の一匹はもう少し薄茶の入った毛色だ。

 そして、透き通った灰青の左目と濃い茶色の右目でこちらを窺っている。


 と、双子のように良く似た二匹がパッと歩道の反対側に駆け出した。

 オッドアイの小犬も後を追う。


 三匹の向かう先には、いつの間にか、鮮やかな白黒の毛並みに、灰青色の瞳を持つ、大きなシベリアン・ハスキーの成犬が立っていた。


 昨日の犬だ。


 駆け寄ってきた三匹の小犬を足元にじゃれ付かせながら、犬というより狼に見えるその成犬は吠えもせず、灰青の目線だけをこちらに注いでいる。


 そして、やおら尻尾を向けると、悠然と反対側の道を進み出した。

 三匹の小犬たちも付き従って歩き出す。

 その様子を眺めていると、四匹、というか、一頭と三匹が「野犬」や「野良犬」ではなく、れっきとしたこの街の住民に見えてくる。


 あの大きなシベリアン・ハスキーが吠えもせず、噛みもしないのは、そもそも人を恐れていないからなのではないか。

 そんな見方すら、ある種の確信を帯びて浮かび上がってくる。


 あの子犬たちは三匹とも、あの大きな犬の子なのだろうか。

 何だか孫犬くらいに見える。

 もしかすると、中間の世代も含めて、この近辺にはシベリアン・ハスキーの血を引く野犬がゴロゴロいるのかもしれない。

 一匹だけ毛色の異なる子犬は、しかし、灰青の片目だけは大きな犬から受け継いだらしい。


 こちらも元通り土の匂いの漂うコンクリートの路地を歩き出す。

 どうやら、この先の割れ目は比較的浅いので、野犬は潜んでいないようだ。


 しかし、油断は出来ないので、慎重に歩みを進める。

 どのみち、敢えて目的地に急ぐ理由も必要もないのだ。

 だから、大まかな地理だけ頭に入れて、ガイドブックは置いて出てきた。

 大体、こんなアパート界隈で「私は観光に来ました」と言わんばかりにガイドブックを小脇に抱えているのもおかしい。


 見やった腕時計の時刻はまだ十時にも届いていなかった。

 三時間後までに、またここに帰れば問題ないのだ。


 というより、戻らなくても、祖母はもう待ってもいない気がする。


 反対側の歩道では、一頭と三匹の野犬たちが既に曲がり角に来て、連れ立って姿を消すところだった。


 *****


 目的地は拍子抜けするほどあっさり見つかった。

 というより、この大聖堂は周辺に互角の高さを持つ建物がないため、まるで街の中にそこだけ孤立するように建っているのだ。


 それが、例えば、日本の京都のような、「歴史的な景観を維持する」という、ある意味、非常に現代的な発想に基づく都市計画の結果なのか、それとも、「聖堂を追い越す建物など畏れ多い」といった素朴な信仰の表れなのかは分からない。


 ただ、植え込みの芝生が青々と茂り、薔薇というより変種の牡丹のような大輪の花々が日差しに揺れている様を目にすると、この街としては、他はどうでもこの聖堂周辺は美しく見せたいスポットなのだと良く分かる。


 まるで学校の花壇だ。


 小奇麗に整えられているだけに、「荒らすことは固く禁じます」という管理者の無言のメッセージが聞こえてくるようで、少し窮屈になる。


 不意に、すぐ脇をパタパタという足音と共に微かな風が吹き抜けた。


「タタ!」


 すぐ数歩先で、栗色の巻き毛を頭の両脇で結わえた小さな女の子が笑って手を振っている。

 女の子の視線の先を振り返ると、すぐ後ろから、やはり栗色の巻き毛を短く切り揃えた、若いルーマニア人の男性が小走りで駆けてきて、私を追い越した。


「タタ!」


 喉を震わせて笑う、子供特有の手放しの歓迎を示す女の子を、若い父親は軽々と抱き上げる。

 改めて横顔を突き合わせて笑う父娘を目にすると、栗色の巻き毛ばかりでなく、浅黒い肌や、やや鉤(かぎ)形になった鼻の格好まで良く似ていた。


 父親に似る娘の方が、世間ではやはり多いのだろうか。


 こちらの視線をよそに、二人は聖堂に向かって舗装された道を真っ直ぐ歩いていく。


 タタ。

 ルーマニア語で「お父さん」という意味だ。


 そして、小学校入学と同時に、私にとって禁じられた言葉だ。


 目の横を通り過ぎていく花々は、鮮やかな赤や濃いピンクばかりだった。

「不思議の国のアリス」の庭園さながら、ここでは白い薔薇が咲いても管理者が秘かに赤く塗り替えてしまうのかもしれない。

 花の咲く植え込みがあまりにも整然と切り揃えられているので、そんな妙な想像をしてしまう。


 風向きが微妙に変わったらしく、噎せ返るような甘い香りが流れてきた。


 同じ「バラ科」でも、ここに咲き誇る大輪の花々と日本のソメイヨシノとは、「花」という以外には共通点を見出す方が難しい。


 ママが亡くなった次の春、私は小学校に入った。


 入学式には、父が出てくれた。

 後にも先にも、そうした行事に父が出席してくれたのは、その一回だけだ。


 小学校の初日自体は、決して辛いものではなかった。


 むしろ、おばあちゃんに三つ編みのお下げ髪に結ってもらい、真新しい制服を着て、赤いランドセルに黄色いカバーを付けてしょっていると、それだけで心が躍った。


「おばさん」というより「おばあさん」に近い先生は優しそうに思えたし、同じクラスになった子たちに対しても、仲良くやれそうないい子たちに見えた。


 これから毎日、そこに通う状況に対して期待こそあれ、大きな恐怖や不満は感じなかった。


「先生とお話してくるから、待っていなさい」


 父にそう言い含められて下駄箱の前で待っていた時も、うきうきした気持ちのまま、近くに置かれた鉢植えに咲いたチューリップを眺めていた。


 幼稚園で習った歌とは違って、小学校の鉢植えには、赤、白、黄色の他に紫やピンクの花が当たり前のように並んでいるのが何だかおかしかった。


 歌だと赤、白、黄色の三つしか綺麗に咲かないように思えるけれど、本当は紫やピンクのチューリップもちゃんと色鮮やかに花開くのだ。


 同じ幼稚園に通っていたもののずっと一緒の組にはならなかった男の子が、薄いオレンジ色の着物姿のお母さんと連れ立って帰っていく。

 その姿を遠目に認めて、あの子も同じ学校だったのか、また違う組だったなと思っていたところで、ポンと肩を叩かれた。


「帰ろう」


 あの明るいオレンジの着物のお母さんは楽しそうに笑っているのに、タタはどうしてママのお葬式の時と同じような背広を着て怖い顔をしているんだろう?

 お葬式と違って、おめでたいことのはずなのに。

 ママが亡くなってすぐの頃より、その後、またお仕事でルーマニアに行って帰ってきてから、そんな怖い顔をしていることが多くなった。

 いつもはお仕事で行くたびに、お土産でルーマニアの絵本を買ってきてくれるのに、この前は買ってきてくれなかった。

 おばあちゃんが日本の昔話の絵本シリーズをくれたばかりだし、わがままは言えなかったけど、本当はタタにルーマニアの絵本を読んでもらう方が好きなんだ。

 ママがいなくなってから、タタしか読んでくれる人がいない。


「先生にはよくお話しておいたから、大丈夫だよ」


 娘の手を取って校門へと歩き出しながら、父は横顔で告げる。

 まるでずっと寒い所にいたかのように、大きな手はひんやりと冷たかった。

 こちらの背筋もひやりとする。

 タタと先生は一体、どんなお話をしたのだろう?


「お父さん、大学のお仕事で、ナディアの学校にはあんまり来られないから」


 その言葉を耳にして、むしろ拍子抜けした。

 そんなことは知っている。

 ママがいた時は、幼稚園の遠足も発表会も、全部ママが来ていた。

 ママがいなくなってからは、おばあちゃんが幼稚園からの送り迎えをしてくれ、卒園式にも来てくれた。

 だから、小学校の入学式もおばあちゃんが来るのだろうと思っていたら、パパが来て、その方に驚いたのだ。


「皆に遅れないように、頑張って勉強するんだよ」


 タタの目は、手を繋ぐ娘ではなく、周囲を歩く他の親子連れに注がれているようだった。

 ほとんどが母親と子供の組み合わせだ。

 晴れ晴れとした表情で、母親が子供に向かってカメラのシャッターを切っている行動パターンも共通している。

 ママもおばあちゃんも自分のカメラを持ってきて撮ってくれたけど、タタはそうはしないみたいだ。

 それとも、写真はさっきクラス全員で撮ったからいいと思ってるのかな?


「ママがいないからって負けちゃ駄目だ」


 そう語るタタの声には、大人同士で話す時のようによそよそしかった。


 もっとはっきり言えば、お仕事の電話で、

「私もこの前行きましたが、ブカレストの食糧事情は良くなってません」

「公式発表とは違うんです」

 と声を潜めて語っていた時のような、抑えた調子なのに何となく寒気のするような響きがあった。


「大丈夫だよ」


 私は手を繋いだまま、タタの顔を覗き込もうと見上げる。

 そうすると、お下げにした髪が引っ張られて後ろ頭が少し痛かった。


「私、今朝だって、自分で制服着て、名札もちゃんと着けられたでしょ?」


 髪を編むのはおばあちゃんにしてもらったけど、と心の中で付け加える。


 クラスにはもっと長い髪をバサッと下ろしている子もいたから、編まずに学校に行っても先生には怒られないはずだ。


 父は何も言わずに歩いていく。

 花盛りのソメイヨシノの並木道に差し掛かって、私の手を握る力が痛いほど強くなってきた。


 怒っているのかな?


 思い当たる理由がないことが、却って不安を募らせる。


「タタ?」


 父が急に立ち止まって振り向いた。


「お父さんと言いなさい」


 陰になった紺のスーツの肩の向こうで、満開になったソメイヨシノの花の枝が揺れている。

 白ともピンクとも付かない色をした霞が、黒く尖った枝を底に覆い隠しながら、辺り一帯に立ち込めていた。


 それからはしばらく、父を名前で呼べなかった。


「お父さん」と呼ぶと、それまで好きだった「タタ」とは別の知らない人に思えたからだ。


 なぜ、「タタ」と呼んではいけないんだろう。

 もう小学生だから?

 それともママがいなくなったから?


 問い質すことは出来ないまま、胸の中で答えを探したが、どれも幼い私にとって疑問なく受け入れられるものではなかった。


 今から振り返ると、そもそも、父は純粋な日本人なのだから、「タタ」と呼ばれる方が本人の中でも違和感があったのかもしれないとも思う。


 それに、日本で日本人の父親をルーマニア式に「タタ」と言えば、英語風に「パパ」と呼ぶのとはまた肌合いの異なる浮き方をしてしまう。


 まして、最初に通った小学校は、父が当時勤めていた国立大学の附属小学校とはいえ、東欧系の外国人などそうそう来ない地方にあった。


 実際、あの時も、他の子と同じ制服は着ていても、一人だけ色素の薄い焦げ茶の髪をお下げに結い、目が奥に引っ込んだ顔をして、「すみたに ナディア」とペン書きされた名札を付けた私が父と並んで歩いていると、微妙にこちらを眺めているらしい視線をそこかしこに感じた。


 父としては、幼い娘が周囲から浮いていじめにでも遭うと困るとも思ったのだろう。


 今は、亡くなった父を「お父さん」と呼ぶことに抵抗はない。

「タタ」というルーマニア語と同じく、「お父さん」という日本語の響きにも、独自の温かさがこもっているとは思う。


 ただ、晴れ渡った空の下、「お父さんと言いなさい」と告げられた時の、あの陰になった父の顔とスーツの肩、そして限りなく白に近いピンクの花霞を思い出すと、やはり肌寒い風が胸を通り抜けていくのだ。


 今、ここで見上げるティミショアラの空も、あの入学式の日と同じ澄み切った水色をしている。


 そして、あの時ほど湿っぽくはないけれど、暖かな中にほんの少しだけひやりとしたものを含んだ空気が漂っている。


 聳え立つ大聖堂は、逆光で巨大な影に見えた。


 少し離れた所からカシャリとシャッターを切る音がして、「O.K!」と呼び掛ける声がする。


 観光名所の常として、ここに来るのは、地元の人より、私と同じ外国人の観光客の方が多いのかもしれない。


 それはそれとして、この大聖堂は暗緑色の屋根といい、黄土色のレンガ造りの壁といい、「聖堂」というより、テレビゲームのラスボスがコウモリたちと一緒に住んでいる「魔の城」にこそ相応しい外観をしている。


 そういえば、ドラキュラことブラド・ツェペシュが住んでいたブラン城は、ブラショフにあった、と思い出す。


 ここからは列車で十時間もかかるところだ。

 日本にいると、北海道から沖縄までの遠さは実感として知っていても、「ルーマニアのティミショアラとブラショフ」と聞けば隣町くらいに思ってしまう。


 それはさておき、写真で見たブラン城は朱色の屋根に灰白色の壁をした、いかにも中世ヨーロッパの品の良いお城といった姿をしていた。


 実際のブラド・ツェペシュの肖像画が、中世風の禍々しさを秘めつつも、全体の印象としてはごく平均的な中世王侯の顔をしているのとどこか似ている。


 ブラン城よりこの大聖堂の方が、日本人のイメージする、赤目に牙を剥いた黒マントのヴァンパイアの居城に似つかわしいかもしれない。


 というより、この界隈一帯が、テレビゲームに出てくる中世ヨーロッパ風の街に見える。


 骨組みはミュンヘンと大きくは違わないはずなのに、どこか洗練されておらず、何かが侘しい。


 ミュンヘンは、おとぎ話の絵本に出てくる街のように、鮮やかなオレンジ色の屋根に緻密な作りの建築が並んでいて、こちらの目を楽しませてくれた。


 ――ここは歴史ある美しい街です。


 そんな、羽を広げた孔雀のような、一見の客の視線を意識した色彩が、ドイツの古都には張り巡らされていた。


 一方、ティミショアラは、全般にくすんだ色合いに染まっていて、その中にこの奇妙な大聖堂が孤立しているのだ。


 ――よそ者にわざわざ気に入ってもらう必要はない。


 首都でも世界的な観光地でもないこのルーマニアの辺境の街には、そうした無意識の拒絶が、そこかしこに漂っているようだ。


 ――招きもしないのに、お前が勝手に来たのだ。


 私は何故、ここにいる。

 来る必要など、どこにもなかったのに。

 繋がりがあっても、とっくの昔に断ち切られた場所なのに。


 いつの間にか、聖堂前の広場も終わりに来て、入り口前の階段がすぐ近くに迫っていた。


 ガイドブックでは、この聖堂は無料で入れると説明されていた。

 だから、手ぶらで入っても許されるはずだ。

 中をゆっくり見て時間潰ししよう。


 そう思った瞬間、地響きじみた音が入り口の向こうから流れてきた。


 思わず足を止める。


 中から重低音で響いてきたのは、パイプオルガンの音色だ。

 地を揺るがすような楽器の音に、男女混合の合唱が奔流のように重なって聴こえてきた。


 どうやら、中ではミサが始まったらしい。


 ――信仰もない部外者は入るな。


 そう拒まれた気がした。


 立ち止まったまま、行くも戻るもかなわず、ただ、自分の靴の爪先を見下ろすしかなかった。


 キャメルの革靴は、いつの間にか、爪先が全体に灰色っぽくなっていた。

 ここに来るまでに随分、砂埃を浴びていたようだ。


 こんな汚い靴で、敬虔な場所に踏み込もうとしていたのだ。

 やることなすこと、全てが場違いに思えた。


 冷たく乾いた風が、ジャケットの背中を浸すようにして通り過ぎていく。


 これから一体、ここでないどこに向かうべきなのか。


「ナディア」


 背後からの風に紛れるようにして微かに耳に届く声があった。

 誰だろう?

 確かに自分の名前だが、本当に私を呼ぶ声だろうか。

 一瞬の躊躇の後、恐る恐る振り向いた。


「ブニカ」


 唇が勝手に動くようにして、私の口から拙いルーマニア語がこぼれ落ちる。

 この国では、「お祖母ちゃん」を意味する言葉だ。


 深緑のスカーフで頭を覆い隠し、焦げ茶のチョッキと黒のロングスカートを纏った、おとぎ話のお婆さんのような格好のブニカは、しかし、背筋をきちんと伸ばし、磨いた氷さながら澄んだ光を宿した灰青の目でこちらを眺めている。


「あんたのお母さんとも、よくここに来たんだよ」


 ブニカは皺の深く刻まれた、というより縮緬(ちりめん)のように深浅の皺が無数に織り込まれた顔で笑った。


「まだ、エレナが小さい時だったけどね」


 ママの名だ。

 久し振りに耳にした。

 というより、ママを名前で呼ぶ人に久し振りに会った。


「器量よしで、頭も良くて、おじいさんにも自慢の娘だったの」


 私が一度も逢うことのなかった、ブニク(お祖父さん)。


 聖堂からのミサの歌声が、一転して安らかな曲調に変わる。


「だから、苦しくてもブカレストの大学にまで出したのよ」


 言葉の内容に反して、ブニカの声には少しも恨みがましい調子はなく、穏やかな誇りが感じられた。


「あんたのお父さんが悪い人じゃないのは知ってたわ」


 のびやかな合唱が途切れ、再び鳴り始めたパイプオルガンの響きに半ば紛れるようにして、ブニカは声を潜めて続けた。


「でも、周囲はそうじゃなかった」


 怖いほど透き通った瞳は、私を通して、屹立する聖堂そのものを見据えているようだった。

 今は荘厳な聖歌を響かせている、緑の屋根にレンガ造りの、どこか巨大な竈(かまど)にも似た「魔の城」を、だ。


「娘が日本人の男と付き合っているという噂が広がって、ドゥミトリは党の本部に呼ばれたの」


 ドゥミトリ、と名前を呼ぶ声に込められた、どこか甘えるような響きを耳にすると、話題にされている人が、年頃の娘を持つ中年女性にとっての夫ではなく、まだあどけない少女にとっての憧れの青年に思えた。


 それとも、ブニカにとってのブニクは、ずっとそんな存在だったのだろうか。


「一家で西側に寝返ってこちらの情報を売り渡しているのだろう、と、何時間も尋問されたわ」


 独裁政権時代に、ルーマニア人の祖父が官憲から受けた尋問とは、一体、どのようなものだったのだろうか。


 こちらの疑問を見透かすように、ブニカはぽつりと短く付け加えた。


「あの人はそれから杖を突くようになったの」


 居間の写真の、赤ちゃんの孫娘を抱いた妻に寄り添う、杖を持った老人の姿がありありと瞼の裏に蘇る。

 祖父のあの不自由な片足は、自然な老化によるものではなかったというのか。


 目の前に立つブニカは、もはや聳え立つ聖堂から私の二の腕辺りにまで視線を落としていた。


「中学生の弟は、学校で『スパイ』と呼ばれて右腕を折られたわ」


 もはや、「いじめ」のレベルを通り越して、れっきとした「傷害」だ。

 白ブラウスのお姉さんの隣で快活に笑い転げていた金髪のいたずらっ子は、数年後にはそんな仕打ちに遭わされたのだ。

 両親の恋愛は、二人にとっての障害というより、むしろ、ママの家族に現実的な攻撃をもたらすものだった。

 嫌でも、そう認めざるを得ない。

 灰青の瞳を伏せたブニカ自身はどのような迫害を受けたのだろうか。

 次の言葉を聞くのが怖い。


 聖堂の入り口からは、パイプオルガンの重低音が淀みなく流れ続ける。

 心に慰安をもたらすはずのミサなのに、どうして演奏するのはこんな大仰に終末を訴えるような旋律なのだろう。


「私たちは別れるように説得したけれど、エレナは家を出て日本(ジャポニア)に行ってしまった」


 抑制した語調の中で、ジャポニア、とそこだけ上擦った声で言い放つ。

 この人にとって、日本という国は、どれほど絶望的に隔たった異邦だったのだろうか。


 この三十年余りもの間、私にとってのルーマニアより、ブニカにとっての日本の方が遥かに遠かったに違いない。


 パイプオルガンの音色が最初と同じ地響きじみた重低音に変わって、終わる。

 辺りが嘘のように静まり返った。


 乾いた風だけが変わらず通り過ぎていく。

 目にはそうと認められないだけで、この風にはいつの間にか靴の爪先を灰色に変えてしまうほどの砂塵が含まれているのだ、と頭の片隅で思う。


 ブニカは鮮やかな深緑のスカーフの頭をわずかに頷かせた。


「ドゥミトリは、あの子はもう死んだと思おう、と」


 ママや残された家族にとって、日本に行くこともルーマニアに帰ることも、容易ではなかったのだろう。


 聖堂の中では、司祭の説教が始まったらしく、一人の男性の語る声がこだましてくる。

 姿は見えないが、話す声でもう老境に達した人だと察しが付いた。


「エレナが日本から手紙とあんたの写真を送ってきた時も、おじいさんは、『また妙な噂が立つと困るから、焼き捨てた』と」


 あの私たち母子の写真に入った亀裂は、やはり望まれなかった結果だったのだ。


 それなら、何故写真が残っているのか、という疑問が頭を掠めたが、ブニカは諦めた風にスカーフの頭を今度は横に振って続けた。


「エレナが日本で亡くなって、あんたのお父さんがうちに訪ねて来た時も、追い返してしまった」


 自らは片足を不自由にされ、家族を迫害に晒された挙句、娘を奪われたブニクにとって、父は遠い日本(ジャポニア)から来た悪魔か死神のように映ったのだろうか。


 聖堂から漏れ聞こえる司祭の説法は、どうやら古い経文めいた言葉のようで、母語も信仰も異なる私にはさっぱり意味が取れない。

 だが、年老いた男性の語る声は、冷たく厳しかった。


「おじいさんが亡くなった時、エレナとあんたの写真を手に持ってたの」


 背筋がそれと分かるほどぎくりと震える。

 自分では置き忘れたことにすら気付かなかった持ち物を、不意に突きつけられた気分だった。


「夕食が出来て書斎に呼びに行ったら、机に突っ伏したまま、もう冷たくなってた」


 あの寝室はやはり、祖父の書斎だったのだ。

 中身をまだ確かめていない本の背表紙の金文字が、まるで謎のように頭の中に浮かび上がる。


 魔の城からは、老熟した聖職者の呪文じみた言葉がこだましてくる。


「焼き捨てたと言ったのに、あの人は机の引き出しにずっと手紙と写真をしまってたの」


 ブニカは右の手で焦げ茶色のチョッキの胸を握り締めると、悔しさを吐き出す風に続けた。


「あたしは最後まで、分かってやれなかったのよ」


 それは、祖父としても折り合いの付かない気持ちだから、死ぬまで黙っていたのではないか。

 話を聞く限り、父を手酷く拒絶して追い返したのもブニクのようだから、孫の私に会いたいと思っても、口に出来なかったのかもしれない。


 ブニカは相変わらず、右手で焦げ茶色のチョッキの胸を握り締めている。


 アミン、とそれまでよりも半オクターブほど高い声で告げると、聖堂からの年老いた声は止んだ。

 多分、日本の教会では「アーメン」に該当する結び文句なのだろう。


「ミハイが亡くなった時も、あたしは何にもしてやれなかった」


 ミハイ、と柔かく呼ぶ声だけを聞くと、まだお母さんの膝に乗る小さな男の子に思えた。

 ママの弟で、私の叔父、そして、ゾヤの父に当たる人だ。


 生きていれば、五十には手が届くはずだ。


「もうすぐゾヤが生まれるという時に、撃たれて死ぬなんて」


 一九九〇年のバレンタインデーに生まれた、とゾヤはいつかのメールに書いていた。

 自分は不自由な時代を知らない、とも。


 新しい時代の始まった、記念すべき愛の日に、叔父さんは既に世になかったというのか。


「この教会の前で殺された中に、あんたの叔父さんもいたの」


 ルーマニア革命の端緒になったティミショアラの虐殺事件が起きたのは、一九八九年十二月。


 この教会がその現場になったことは、資料やガイドブックに載った「歴史」として知ってはいた。


「血で赤黒くなったこの階段の途中で、近所の足の悪い子を抱きかかえて死んでた」


 冷たさの増した風が、音もなく、深緑のスカーフからはみ出たブニカの銀色の後れ毛を揺らして通り過ぎる。


 この髪は、かつては息子と同じ輝くような金色だったのだ。

 そして、今や元の色をすっかり失った毛は、日差しに透けるようにして揺れている。


「生き残った子たちが後で教えてくれた」


 ブニカはまるで風を振り切るように笑って首を横に振った。

 風に混じって、土臭いレンガの香りが広場を通り抜ける。

 まるで血を吸い込んだみたいな匂いだ。

 そう思い当たると、足と接した地面に血を吸い込まれていくような感覚に襲われる。


「皆で教会に逃げる途中に、足の悪い子が逃げ遅れて」


 二、三人の話し声と足音が、聖堂とは反対側から聞こえてきた。

 広場にはまた新たな客が訪れたらしい。


「ミハイが助けに戻ったと」


 ――ここ、ここにしよ!

 ――じゃ、撮るよ。


 底抜けに明るいルーマニア語のやり取りだ。


「銃弾はあの子の体を貫通して、二人とも死んだわ」


 カシャリと遠くでシャッターを切る音が耳を刺した。


「二十五にもなってなかった」


 寝室の写真のミハイ叔父さんは、ハーメルンの笛吹きみたいな民族衣装の花婿姿から年を取っていない。

 ブニカの家に残された叔父さんの面影は、顔いっぱいに人懐こい笑いを浮かべた、まだ青年というより少年に見える結婚写真で途切れている。


「クリスマスの次の日が誕生日だったから」


 独裁者のチャウシェスク大統領夫妻が処刑されたのは、一九八九年のクリスマス。

 私が一度も逢うことのなかったミハイ叔父さんは、生きて二十五歳の誕生日を迎えることも、生まれた娘を腕に抱くことも叶わないまま、いわば暴政の最後の犠牲者になったのだ。


「どうしてあの子が殺されなくてはいけないのか」


 叔父さんたちは革命の礎(いしずえ)になった。

 そんな言葉は、お為ごかしでしかない。

 低く掠れた声で語るブニカの灰青の目を見れば、それがよく分かる。


「子供たちに次々先立たれて、何の手も差し伸べてやれなかった自分ばかりが生き延びて」


 こちらを見詰める目から光る粒が零れ落ちた瞬間、考えるより先に駆け寄っていた。

 何故、今までそうしなかったのだろう。

 今更ながら、棒立ちのままでいた愚鈍な自分に怒りを覚えた。


「墓に入る年になったのに、あんたにもゾヤにも、財産らしいものを何一つ残してやれない」


 皺だらけの、がさついた両手が私の頬を挟む。

 ほんのりとレモンの匂いが鼻を撫ぜる。

 ブニカの手から薫ってくるのだ。


 改めて近付いてみるとブニカは私より頭一つ分小さくて薄い体をしていた。

 それなのに、何故か、こちらが見下ろされるように大きく感じる。


「あまりにも不甲斐なくて、悔しくて」


 ざらざらした、温かな指先が、私の瞼や鼻、唇を撫でていく。

 まるで、一つ一つ確かめるように。

 レモンの香りがふっと目に染み込んできた。


「せっかく日本から来てくれたのに」


 私は我知らず跪いて皺だらけの顔を見上げ、焦げ茶色のチョッキの肩を強く掴んでいた。

 地面に着いた膝はひんやり冷たかったが、毛糸のチョッキを掴んだ手からはじんわりと温もりが伝わってきた。


「写真の赤ちゃんから、すっかり大人になって」


 この人は、私が赤ちゃんから少女になり、成長して大人になる過程を見守ることが出来なかった。

 元はふくよかに笑っていたこの人の顔に深い皺が刻まれ、この灰青の瞳に幾度も涙が宿った歳月に私が寄り添えなかったように。


「あんたが家に入ってきた時、エレナが戻ってきたのか、と」


 二個の灰青の目には、亡くなったママより一つ年上になった私が映っている。

 妻となり、母になったとはいえ、死んだ時のママよりも、今の自分の方が確実に心は幼い。


「小さなトランクを持って何も言わずに出て行く後ろ姿を見送ったのが、生きたあの子を見た最後」


 その時のママは、今の私よりもっと若かったはずだ。

 そして、この灰青の瞳には、今、目の前に跪く孫よりも、もっと未熟でいたいけに映っていたかもしれない。


「こうしてちゃんと向き合うのが怖かった」


 それは、私も同じだった。

 だから、背を向けられても、棒立ちのまま、やり過ごしていたのだ。


「でも、このまま、あんたが日本に帰ってしまったら、あたしはまた死ぬまで後悔する」


 人目のある場所で、躊躇なく涙を流し、相手と固く抱き合ったのは、どのくらいぶりだろう。

 肌寒い風が背中を過ぎていくたびに、ブニカの胸の温かさが沁み込んだ。

 抱き合うブニカの肩からは、レモンの匂いばかりでなく、卵焼きとサワークリームを混ぜたような温かで甘い香りがした。


「そろそろお昼だから、うちに戻りましょう」


 頭を優しく撫でるブニカに促される形で、私は涙を拭って立ち上がる。


 聖堂ではミサが終わったらしく、入り口からは、ガヤガヤした話し声と共に、ゾロゾロ人が出てきた。


「分かった」


 人の波に紛れる形で、私たち二人も歩き出す。


 水色の空を南に高く上った太陽から、日の光が射るように照り付ける。

 全てを翳りなく照らし出す日差しだ、と思う。


 ――ルーマニアの春から夏は短い代わりに、一年の中でも一番、爽やかなんだ。


 いつだったか、父もそう語っていた。

 もしかすると、二人で一緒に行こうと娘が言い出すのを待っていたのかもしれない。


 広場を歩いていく私たちのすぐ前を、羽ばたく音と共に群れた鳥の影がさっと横切る。


 見上げると、逆光で黒い影になった群れは、まるで青空に飲み込まれるようにして既に遥か遠くを飛んでいた。


「昨日まで雨や曇り続きで、やっと晴れてくれたわ」


 ふと見やると、ブニカも空を仰いで、鳥たちの飛び去った方角を眺めている。

 日差しを吸い込んだその瞳は、空の色そのままの、混じり気のない水色に見えた。

 きっと、この人の目は、見詰める先に広がる色を素直に吸い込むのだ。


 これから帰るまでの数日、精一杯、ブニカの孫として寄り添おう。

 この人に逢うために、わざわざ日本から来たのだから。


 隣り合ってゆっくり歩く深緑のスカーフから、焼いた卵とクリームを混ぜたような、温かで甘い香りがまた風に乗って流れてきた。


「パパナッシュ、うちで焼いて出てきたの」


 この人は笑うと、こんなにも人懐こい表情になるのだ。

 いや、若い頃の写真でも、確かにこんな笑顔をしていた。


「あんたも気に入ってくれるといいんだけど」


 ゾヤやアンリに対しても、普段はこうした人好きのする表情を当たり前に見せていて、だからこそ、彼らもしばしばアパートを訪れているのかもしれない。


 車も走る通りに差し掛かったので、私が車道側になるように回る。

 今の時間帯はまだ自動車の影は疎らだが、油断はできない。


「作り方、教えて」


 二人で戻っていく街の中、少し離れた場所を路面電車が緩やかに通り過ぎていく。

 青空の下、路面電車のガラス窓が鏡さながら街の風景を映し出しながら進んでいくのだ。

 初めて目にする光景なのに、なぜか懐かしく思えた。


「私も娘に作ってあげたいから」


 ティミショアラに来た私の旅は、まだ、始まったばかりだ。(了)


 筆者注:文中の「聖堂」の正式名称は、「三成聖者大聖堂」または「ティミショアラ正教大聖堂」です。

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ティミショアラ、薫って。 吾妻栄子 @gaoqiao412

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