第四章:写真は語る
食器を台所に片付けて居間に戻ると、何とはなしに若草色のカーテンの引かれた窓際に足が向かう。
食べている間にも気付いていたのだが、そこには二台の写真立てに挟まれる形でケースに入れた銀のメダルが飾られていた。
左の写真立てには、表彰台に乗った三人のレオタードの少女が映り、右の写真立てにはズームアップする形でその内の一人が収まっている。
「体操やってたんだ」
固い面持ちで銀のメダルを白いレオタードの胸に提げたゾヤは、十二、三歳だろうか。
頬に丸みのある幼い顔つきもそうだが、ほっそりした脚は大人並に伸びていながら上半身はまだ凹凸の乏しい体形が、私が中学に入ったくらいの頃と良く似ている。
ただ、体操どころか学校体育のマット運動すら、真ん中より下だった自分と比べると、従姉妹とはいえ、随分と落差がある。
こうした素質はやはり遺伝や血筋ではなく、突然変異として現れるのだろうか。
「もう、ずっと昔の話よ」
ゾヤはどこか寂しい笑いを浮かべながら近づいてくると、三人の少女を収めた写真立てを手に取った。
肩まで波打つ焦げ茶色の髪から、ふわりとまたローズの香りが漂う。
自然なようで、どこか大人の粉飾と分かる匂いだ。
「これはまだ小学生の頃だし、十五歳の時、肩を壊して止めたから」
初めて聞く話だ。
この子はメールでは、最近興味を持っていることやデートで行った場所など、基本的に明るく楽しい話題しか書いていなかった。
彼女の手にした写真の中で、表彰台で最も高い中央部を陣取る淡い金髪の少女は晴れやかな笑顔で、一番低い台を与えられた赤毛の女の子も何やら安堵した風に微笑んでいる。
だが、焦げ茶色の髪を他の二人と比べてもかっつりきつく纏めて二位の台に立つゾヤは、まるで罰を受けてそこに立たされているかのように、どこか凍った目をしていた。
「ジュニア時代のこれが最高成績だったのよね」
これは、銀メダルを得て喜ぶ顔ではなく、首位に立てないミスを犯したことを明らかに悔やむ表情だ。
性格として勝気だとか負けず嫌いだとかいうのとも違う、もっと切羽詰った何かが、まだ幼い銀メダリストのまだ薄い肩の辺りに漂っている気がした。
この頃のゾヤは、体操が本当に好きなのか自分に問う余地もないまま、とにかく、より良い結果を出すことを至上命題にしているように見える。
「怪我せずに続けたって、きっと、私は控えにもなれなかったわ」
ガラスケースに収められた銀のメダルを見詰めるゾヤの薄茶の瞳が、写真の少女と同じく凍って映る。
改めて飾られているメダルを見やると、ガラス越しに重く鈍い灰色の光を返してきた。
模造の銀にしても、随分、立派な作りだ。
これはルーマニアでは、一体、どの程度の大会だったんだろう?
それを尋ねれば、また新たな強張りを生み出しそうで言い出せない。
「皆が皆、コマネチやラドゥカンになれるわけじゃない」
私より若いはずのゾヤが妙に突き放した口調になる。
向かい合う薄茶色の目は、ガラス玉さながら、冷たく透き通っている。
「早い内にそれが分かって良かったのよ」
こちらには、どう答えるべきなのか分からない。
そもそも言葉を掛けることなど求められていないかもしれないが。
ガタリと椅子の動く音がして、祖母が無言で去っていく。
――こちらのことも知らずに、つまんない話を持ち出してくれたね。
暗にそう非難されている気がした。
食器を片付けて台所から姿を現したアンリがこちらに近付いてきて、ゾヤの背後から写真を覗き込む。
「この前、会ったの、この子?」
水色の瞳をふと推し量るように見張って、表彰台中央の満面笑顔のブロンドを示す。
ゾヤと並んだ姿だと、「フランス人形に競り勝って喜ぶバービー」の図に見える。
フランス人形の方が端正だが、バービーの方が親しみやすい。
「そうよ、体操学校の同期だったマリア」
ふっと和らいだゾヤの眼差しと声に少し安堵する。
彼女にとっては、そんな風に語れる程度には過去になった話なのだ。
「今、この三倍くらいあるよね」
アンリはおどけた風に両手で大きなものを抱え込む仕草をする。
どうやら、写真のバービーこと金髪のマリアは、今はすっかり肥って面影もないらしい。
「あの子も引退して、だいぶ経つもの」
ゾヤは飽くまで温かさを失わない声で笑った。
この子は自分の挫折を引きずりはしても、一緒にやってきた仲間に悪意の目を向ける質(たち)ではないのだろう。
「本人はケーキやパパナッシュが好きなだけ食べられる今が幸せなのよ」
パパナッシュとはルーマニア風のドーナツだ。
というより、一つでケーキとドーナツを兼ねたようなお菓子だ。
私などは紅茶と一緒に一個食べれば、もうお腹いっぱいになるし、下手をすれば胸焼けすら起きる。
そんなものを元アスリートのマリアは暴食しているのだ。
好物だったのに現役時代はセーブしていた反動なのか。
それとも好き嫌いとは別に、引退したボクサーが水を飲みまくるような行動なのだろうか。
趣味でダンスをしているとはいえ、先にアスリート人生を終えたゾヤの方が体型を維持しているのは皮肉だ。
それとも、金メダルを取り競技人生を全うしたからこそマリアはもはや現役時代の節制や体型には執着せず、銀メダルのまま不本意に断絶したゾヤは今も別な形で引きずっているのだろうか。
こちらの思いをよそに、年若い従妹は、今度は写真の赤毛の女の子を指差して恋人を見やる。
これはこれで、「赤毛のアン」みたいな朗らかで可愛らしい感じの子だ(そもそも、女子体操で上に来る選手にあまり不器量な人はいない気がするけれど)。
「この三位だったニーナも、今は結婚して二人子供がいるの」
その言葉に頷くアンリの目にも優しいものが宿った。
この二人の子なら、誰からも愛される子になる気がする。
「ユリアはもう一歳なのよね?」
恋人たちが私を振り向いた。
「ええ」
一瞬、間を置いてから、頷く。
娘にはこちらでも通じる名前として、「百合亜(ゆりあ)」と名付けた。
だが、今、こうしてゾヤの口を通して聞くと、彼女の体操仲間だった「マリア」や「ニーナ」と同じく、私が逢ったことのない「ユリア」というルーマニア人の女の子の話に思えた(余談だが、『ユリア』というと、日本では『北斗の拳』のヒロインになる。しかし、これは本来、東欧系に多い女性名だ)。
「もうすぐ一歳半」
娘も今頃はおばあちゃんの家にいるはずだ。
夫の両親のことだから、百合亜にまた新しい玩具や絵本を買い与えているかもしれない。
世間の大方の祖父母は、たまに会う幼い孫にはそんな風に甘いのだ。
台所から温かなハーブの香りが流れてきた。
「お茶を入れたわ」
タータンチェックの女主人が居間に再び姿を現す。
運んでくる香りは温かなのに、どうしてその中に立つ灰青色の目はそんなにも冷え切っているのだろう。
祖母の服は白黒で、髪も真っ白なので、瞳だけが鋭い色彩を持って浮かび上がる。
雪の女王が城に閉じこもったまま年老いたら、あるいはこんな風貌になるのじゃないか、という気がしてくる。
「どうもありがとうございます」
私の小さな声に被せるようにして、アンリが急に思い出した風に切り出した。
「いただいたら、すぐ失礼します」
ゾヤが腕時計を見やる。
「私が送ってくわ」
そうだ。
自分は今夜から祖母と二人きりの家に泊まるのだった。
*****
「日本からのお土産、渡すわ」
湯気立つハーブティーを一口含んだところで、不意に思い出す。
「このお茶にも合うと思うから」
返事を待たずに席を立つ。
虹色のベルトをした鉛色のトランクは、まるでそれ自体が大きなプレゼントのように居間の隅に鎮座していた。
夫が貸してくれた長期出張用のトランクだ。
重いけれど、見栄えがいいのが救いだと初めて思った。
「小物は気に入ったのを取って」
私はテーブルに広げたお土産の山(というほど多くはないが)を座っている三人に示す。
「安物だけど」
実際はそう安くはない品だ。
加えて、朱色のテーブルクロスの上に載せると、不思議に華が添えられて映った。
「綺麗ね」
ゾヤは緋色の縮緬(ちりめん)の巾着を手に取った。
前もって若々しい緋色と落ち着いた藤色の二つを用意したのだが、予想通り、彼女は前者を選んでくれた。
「これは?」
藍色の地に白い花模様の散った和紙に包まれた缶をアンリが持ち上げる。
空色の目は、缶の中身を確かめるよりも、まず和紙の模様に捉われているようだ。
「日本のお茶なの」
私は山葵色の地に紅白の梅が描かれた方の缶を手に取ると、蓋を開けて見せた。
中身は直接、茶葉を入れているのではなく、銀のフィルムで二重包装にしているわけだがさすがにそこまでの説明は不要だろう。
「これ、一つ貰ってっていいかしら?」
ゾヤが積み上げられた抹茶味のキットカットの箱を指差す。
深緑色の箱は朱色のテーブルクロスの上では一際映えて見えた。
このテーブルクロスはどこか緋毛氈(ひもうせん)に似ている。
「どうぞ、持ってって」
頷きながら、私はそれとなく祖母を振り返る。
「二人とも、好きな物、持ってきなさい」
皺だらけの手がカップを持ち上げると、白いレースの薔薇模様のコースターが姿を現した。
ママが編んだコースターと基本は同じ作りで、もう一回りほど大きかった。
「あたしは余った物で構わないから」
既に自分の手作りの物に囲まれ、好きな物を飲んで暮らしているこの人に対して、異国からのどんな土産物も端から不要だったのだろう。
飲みかけのハーブティーに再び口を付けると、これまた昔、目にした物より一回り大きな雪模様が私の手元に姿を現した。
本物の結晶さながら、端から端まできっちり編みこまれた雪印のコースターだ。
雪の女王とママは、母子でレースの編み方まで似たらしい。
*****
「じゃ、また何かあったら連絡して」
ゾヤは玄関に向かいながら、笑顔でこちらに声を掛けた。
「帰りも僕らが空港まで送ってくよ」
アンリが言い添える。
あんな重いトランクをもう一度、運んでくれるというのだろうか。
報酬と言えば、緑茶とキットカットくらいなのに。
「どうもありがとう」
これから、二人が帰って、祖母と二人きりになるのだ。
ハーブティーを飲んだばかりの胸の奥がシクシク痛む。
バタンとドアの閉じる音がして、若い恋人たちの姿が消える。
タータンチェックの背中はカチャリと鍵を閉め、チェーン錠を鎖した。
そうだ、ここは日本とは治安の事情が違うのだ。
今更ながら、その事実に思い当たった。
老人の一人暮らしは何かと危険が多いはずだ。
しかし、そんな風に厳重に施錠をされると、むしろ、ここから逃げられない感じがして、こちらとしては余計に不安になる。
「部屋に案内するわ」
白、黒、灰色が規則正しく交錯する模様が目の前をゆっくり通り過ぎていく。
「荷物を持って」
やっと聞き取れるほどの声だったが、それを耳にしたこちらは、急ぎ足で、先程土産を取り出した時から、口を開けたままになっているトランクに向かった。
*****
祖母がカチリと電灯を点ける音がして、これから夜を過ごす部屋が明らかになる。
私はトランクを足元に下ろすと、思わず見回した。
初めて目にする部屋なのに、不思議な既視感がある。
焦げ茶色の生地にオレンジの小花模様の刺繍が入ったカーテンといい、白地に柘榴(ざくろ)色の絵柄がプリントされたベッドカバーといい、これは、ママの生前の部屋にそっくりだ。
ただ、大きな違いは、その部屋に立つのが、白ブラウスのフランス人形ではなく、タータンチェックの雪の女王だということだ。
「出発は何日だったかしら」
さっさと出ていけ、と言われている気がする。
「十日後です」
場合によっては、早めに切り上げよう。
チケットを取るのは容易じゃないけれど、近辺のホテルを見つけるくらいは可能なはずだから。
「じゃ、あたしは先にもう休むから」
祖母はもう背を向けて出て行こうとしている。
つと、その黒い室内靴の足が止まった。
爪先に刺繍された赤や白のビーズの花が黒いビロードの地から浮き上がって見える。
さすがにこれは手作りじゃなくて買ったのかな?
そんな疑問が一瞬、頭を掠めた。
「お手洗いとシャワーはここを出た廊下の奥にあるから、自由に使って」
聞かせる相手は私だけなんだから、こっちを向いて話してくれればいいのに。
「分かりました」
口に出すと、思ったよりずっと棘を含んだ声になってしまったので、出来るだけ従順に響くように付け加える。
「ありがとうございます」
言い終える前にガチャリとドアが開き、返事の代わりに再びガチャリと音を立てて閉まった。
今日は、これで終わりだ。
急に腹から力が抜けた感じがして、ベッドいっぱいに広がる柘榴色の絵柄の縁に座り込む。
遅くならない内にシャワーを使わせてもらうべきだと頭では分かるが、それも億劫だった。
こちらは肌寒いし何より乾燥しているから、強いて体を洗い流さなくても、日本ほど不潔な感触はしない。
今夜はもう、このまま寝入ってしまいたい。
バサリとベッドに体を倒すと、ほんのりとレモンに似た香りがする。
単にそうした洗剤の匂いかもしれないが、天然の果実のような温もりを含んでいた。
ベッド自体はやや固いが、敷布はさらさらとこなれた生地で心地が良い。
ここは、誰の部屋だったんだろう?
クリーム色の花形シェードの電灯を見上げながら、ふと思案する。
部屋の奥に設けられた書棚を見ると、亡くなった祖父の書斎かとも思われるのだが、全般に女性的な優しい匂いがする。
それとも、祖父が死んだ後に、祖母が自分好みに作り変えたのだろうか。
ゾヤの話では、彼女が十八歳の時に祖父は亡くなったそうだから、かれこれもう七年も経っている。
とすると、こんな風にベッドまで置いて女性的な寝室の体裁を取っているのは、ゾヤがここに泊まることもあるからかもしれない。
決して、私が泊まるから、急遽、こんなに綺麗に用意してくれたわけじゃないだろうな。
そう推し量ると、軽くまた失望を覚えると同時に、安心もした。
どうせこちらは十日もすれば引き払う人間なのだから、有り合わせの部屋をあてがってもらうだけで充分だ。
もう、二度と、ここに来ることもないだろう。
改めて自分の中でそんな風に言葉にすると、胸の奥深くに何かが突き刺さる。
だが、仕方がない。
祖母が望まないのだから。
むしろ、今、この瞬間ですら、さっさと出て行けとでも思っているかもしれないのだから。
三十三歳にもなって初めて会った母の母から歓迎されなかったというのは、とても寂しい話だ。
けれど、裏を返せば、この年まで自分はずっとこの家の人たちから切り離されたところで生きてきたのだ。
――向こうでのシンポジウムの後、お前の従妹になる女の子に会ったよ。
去年の今頃、ブカレストから戻った父にゾヤのことを聞かされた。
――お母さんの弟に当たるミハイさんの一人娘なんだ。
その時まで、従妹の存在はもちろん、母に弟がいたことすら知らなかった。
自分も結婚し母親になっていたにも関わらず、私の中で亡くなった母は「ママ」としての顔しか持っていなかった。
幼かった私にとっての「ママ」は、同時に、会ったことのない「ミハイさん」の姉でもあり、また、その一人娘の伯母でもあり続けていたのだった。
――メアドを貰ったから、連絡を取ってみるといい。
今にしてみると、一へら削いだように頬のこけた顔をしていた父は、自分がもう長くないと知っていたのだろう。
――お前だけでも、ティミショアラのお祖母さんたちに会いに行くといいよ。
それから、二ヶ月もしない内に、再び会った父は、病院のベッドの上で寂しく笑っていた。
ゾヤとメール交換をするようになった話をした時のことだ。
どうしても、父が百合亜に会いたいというので、夏の日差しの下、私はそろそろ八ヶ月になる娘を連れて病院に見舞いに行っていた。
――ずっと前に、そうすべきだった。
白いブラインドの隙間から差し込む夏の日差しが、臥した父の姿を横から照らし出している。
たった二ヶ月の間に、六十四歳の父の顔は、「おじいさんに近いおじさん」から、「完全におじいさん」に変わっていた。
私の腕に抱かれた百合亜は、泣きも笑いもせず、大きな目でじっと祖父を見詰めている。
――私が遠ざけてしまったんだ。
父の目は、まだ話すこともできない孫娘に注がれている。
百合亜の真っ直ぐな黒髪と真っ黒な瞳の色は夫譲りだが、目鼻立ちは私が赤ちゃんの頃にそっくりだ。
――向こうのお祖父さんお祖母さんは、ママと一緒になった時から許していなかったから。
これは、それまでにも何度か聞いた話だった。
当時の体制下では、日本人男性との結婚は、風当たりが強かった、と。
――ママが亡くなってすぐ、一人でティミショアラの家に行ったんだ。
私の腕の中で身じろぎを始めた赤ん坊に目を当てたまま、父は目を潤ませて微笑んだ。
――もう二度と、顔出しするな、と。
父の目が、私に向けられる。
初めて聴く話だった。
――お前のせいで、娘は死んだ。
過去をなぞる父の声は、姿と同じく、乾いた老人のものだった。
私の腕の中で、百合亜がじれったそうに手足を動かす。
小さな手というか、体全体が温かくなってきたから、眠いのかもしれない。
飽くまで穏やかだが、底に諦めを色濃く含んだ語調で父は続ける。
――日本になど行かなければ、あの子はまだ生きていた、と。
赤ん坊が爆発するように泣き出したので、私は一度、病室を出なければならなかった。
父が息を引き取ったのは、病室の窓から見える木々の葉が濃緑から朱色に変じて来た頃だった。
「余命半年」という宣告は、「半年は確実に生きられる」という保証ではなく、「半年以内のいつ死んでもおかしくない」という予報だったのだ。
母を一度癌で亡くしていながら、病院から危篤の知らせを受けた私にはその程度の常識も覚悟も備わっていなかった。
病室に到着した時にはもう、父の顔には白い布が被せられていた。
自分は結局、両親どちらの死に目にも逢えなかったのだ。
六歳の女の子ならまだしも、三十二歳にもなって、しかも前もって知らされていながら、そんな見送り方しか出来なかったのは、あまりにもふがいない。
母が亡くなった時は身内だけでひっそりお骨にしてお墓に入れた記憶しかないが、研究者として在職中だった父の葬式には多くの人が訪れた。
会場には、研究で関わりのあったルーマニア人が大量に来ていたので、事情を知らない人が見れば、故人までそうだと誤解したかもしれない。
ゾヤからもお悔やみのメールが来て、それから、今回渡航する運びになったのだ。
客観的には、自分は不幸でも不遇でもない。
六歳で母親を亡くすのは一般には「かわいそう」と思われるけれど、三十二歳で両親のどちらもいなくなった境遇なら、世間では「少し早いかな」くらいの認識だ。
他人の話として聞けば、私だってそう思う。
「子供の頃に両親を一度に事故で亡くして、親戚をたらい回しにされ、虐待を受けた」とかいう話だって世間では聞かなくもない。
それと比べれば、自分の場合は母を亡くしても祖母が実質的に面倒を見てくれ、父が大学まで出してくれたのだから、これで不遇だなどと言ったら罰が当たる。
両親はそれぞれまだ現役世代で亡くなったわけだが、見方を変えれば、年老いて寝たきりの要介護や認知症になってこちらの現実的な負担になる前に死んでくれたとも言える。
赤ちゃんの娘に対してするように父のオムツを替える場面を想像すると、やはり暗鬱とした気分になるし、何よりそんな状況に陥ったら父にとっても辛かったはずだ。
東欧の情勢を知る為には、危険な地域にも乗り出していく人だったのだから。
病院で息を引き取った時も、ベッドの傍らには栞を挟んだ本を置いていたのだから。
何度も読み返して、表紙は擦り切れ、ページの端も赤茶けた本の名は、ミルチャ・エリアーデの「マイトレイ」。
ルーマニア語の原書の表紙に綴られた「Maitreyi」の題字は、最後の「i」が滲んでぼやけていた。
四分の三ほど読み終えた所には、見覚えのある雪模様を繋げたレースの栞が挿し込まれていた。
元は純白の糸で織られていたはずの栞は、全体に薄汚れて黒ずみ、ところどころ解れていた。
家にほとんどいなかった父専用のコースターは、いつまでも雪模様が型崩れせず、真っ白なままだったのに。
白い布の下の死に顔は穏やかだったから、既に結末を知っている残り四分の一を読まなくても、大きな心残りはなかったのだろう。
両親は、今、同じ墓の中に眠っている。
父の郷里を見下ろす山にある霊園だ。
このくらいの季節なら、あの辺りにも緑が茂っているはずだ。
山百合が咲くには、まだ少し早いかもしれないけれど。
要するに私はお気楽な身の上だから、こんな悠長に海外旅行だって出来るわけだ。
わざわざヨーロッパの秘境と言われた所にまで。
ふっと息を吐いて、レモンの香り漂うベッドから起き上がる。
ハーブティーの効果か、疲れていても眠れそうにない。
書棚にはどんな本が置いてあるのか見てみよう。
遠目にもハードカバーの背に金文字のタイトルが入った本がぎっしり並んでいて、いかにも豪華そうだ。
だが、数歩も行かない内に、書棚の近くの机の上に、写真立てが並んでいるのが目に飛び込む。
ベッドからだと、側面しか見えないので、それらが写真立てだと気付かなかった。
これは、この一家の歴史だ。
映画のフィルムさながら横並びになった写真を俯瞰して、胸を衝かれた。
一番左のセピアがかった白黒写真は、若い頃の祖父母だ。
祖母は若い頃は金髪だったのだろう。
白黒写真では白っぽいが艶の認められる髪をアップにして微笑んでいる。
正確な年齢は分からないが、膨らみを残す頬の線や表情に残るあどけなさ、そして薄い枯葉色のワンピースを纏った華奢な肩からして、まだほんの少女に見えた。
顔全体の印象として共通する端正さから辛うじて同一人物と分かるものの、このモノクロの美少女とあの祖母とはまるで別人だ。
隣の祖父はというと、若くはあるものの、完全に青年の気配だった。
多分、祖父の方が四、五歳は年上だったのだろう。
写真では、古風な型の背広を着込み、黒っぽく縮れた髪を撫で付けて額を出している。
恐らく実際のこの人は、母や私や、あるいはゾヤと同じく、焦げ茶色の髪だったのだろう。
彫りの深い目許や小さく切れ上がった形の良い唇などを見ても、母は祖母よりも、むしろ祖父に似た顔形なのだと分かった。
若い頃の祖父も、一般的には、美男子と言える風貌だ。
だが、その彫深い眼窩の奥の瞳はどこか険しく、結ばれた唇は気難しげに見えた。
何となく、まだ稚(いとけな)い祖母の方が、年上の祖父を好きだったのだという気がした。
私などは拒絶されると相手に反発を抱くので敬遠するが、この手の気難しい美形を好む女性は世間に決して少なくない。
未熟な少女ならば、尚更だ。
新婚の若夫婦というより、まだ所帯になり切っていない青年と少女。
そんな雰囲気が写真の二人からは感じられる。
二番目の写真は白黒だが、もう少し全体の輪郭ははっきりした一葉だ。
最初の写真より少しふくよかになった若い祖母が、白いおくるみに包まれた赤ん坊を抱いている。
この目を閉じて眠っている赤ちゃんがママだ。
直感で分かった。
隣の祖父も新婚時代より幾分、和らいだ表情で、穏やかで優しい父親という感じがする。
少なくともこの頃は幸せな一家だったのだ。
写真の祖父母の表情を見る限り、そのようにしか取れない。
三番目の写真は更に鮮明な白黒写真だ。
そろそろ中年の気配の見えてきたものの、大らかに微笑んだ祖母が膝に一歳くらいの赤ちゃんを抱いている。
白い上着にズボンを履いた服装からして、赤ちゃんは男の子だ。
これがミハイ叔父さんだろうか?
二人とも髪が白く映っているので、母子で揃って金髪なのだと分かる。
その隣の祖父は、青年時代とはまた別の苦味の走った面持ちをしていた。
身に着けている服装からすれば、決して当時のルーマニア人の中では貧しいわけでもなさそうなのに、何故、こんな表情なのだろう。
そんな父親に寄り添うように、黒光りする艶やかな髪をお下げに結った、十歳くらいの女の子が背筋を伸ばして立っていた。
ママはきっと素直ないい子だったんだ。
真っ白な歯並びを見せて顔全体で笑っている。
私がこのくらいの頃には、妙な自意識が出て、写真を撮る時、こんな直球の笑顔にはなりたくてもなれなかった。
四番目の写真からは、カラーに切り替わっている。
これはもう、娘時代のママだ。
すらりと手足の伸びた長身に、焦げ茶色の波打つ髪を豊かに垂らし、薄茶色の瞳を真っ直ぐこちらに向けている。
どこか、思い詰めたような眼差しだ。
ティミショアラから首都のブカレストに進学して父と出会ったわけだから、ママは優秀だったのだろう。
質素な白ブラウスに濃紺のスカートという服装は、当時のルーマニア人女性としてはそこまで地味でもないのかもしれない。
だが、何となく、この固い面持ちは、女性らしい華美さや艶かしさといったものを極力、自分の中から排そうとしているように見える。
その隣では真っ直ぐな金髪に青灰色の目をした十歳くらいの男の子が口を開けて笑っていた。
白桃じみた両の頬に大きく笑窪を作ったその表情からは、アハハハ、という高笑いが聞こえてきそうだ。
これは、いたずらっ子だった雰囲気だな。
姉弟とはいっても、ママとミハイ叔父さんの間には、私とゾヤくらいの年齢差が存在していたようだ。
五番目の写真は、自分にも見覚えのあるものだった。
豊かな髪を一つに纏めたママが、ピンクのベビードレスを着た私を抱いて笑いかけている。
シルクのように柔らかな表情だ。
うちのアルバムにも同じ構図の写真があったから、多分、焼き増しして両親のどちらかが祖父母に送ったのだろう。
ただ、こちらの写真は何とか写真立てには収まっているけれど、写真全体に指で押した後のような凸凹が生じており、しかも、写真の真ん中には折り目じみた亀裂が白く入っていた。
これは、日本から海を越えてルーマニアに送付する過程で生じたのだろうか。
それとも、こちらに届いてから乱雑な扱いを受けた結果なのだろうか。
あれこれ類推しているとまた気分が沈み込んでくるので、隣の写真に目を移す。
六番目の写真は、まるで相反するように映りとしても状態としても非常に綺麗だった。
これは伝統的なルーマニアの結婚式の写真だ。
金髪の上にやや先尖った帽子を被り、白いシャツの上に刺繍入りのチョッキを着た、何となく「ハーメルンの笛吹き」を思わせる格好のミハイ叔父さんが、焦げ茶色の髪の上に鮮やかな緑色のスカーフを巻き、白ブラウスに刺繍入りのカーディガンとスカートを着けた新婦と寄り添って笑っていた。
この花嫁がゾヤのお母さんだろう。
この写真の限りでは、髪や目の色といい、すらりとした背格好といい、どことなくママに似ていた。
ゾヤと私が似ているのは、そもそも母親同士が似ているからかもしれない。
ミハイ叔父さんはもしかするとシスコンだったのかな?
そういえば、このミハイ叔父さんも金髪や青い目がアンリに似ていなくはない。
そこからすると、ゾヤもファザコンということになる。
人は往々にして自分の近親に似た異性を好むのだろうか。
私の夫も風貌はそこまで似ているとは思わないけれど、結婚してからは仕事一筋だし、研究者ではないけれど商社マンとしてしょっちゅう海外に行くから、そんなところは父に似ている。
それはそれとして、写真の花婿は青年というよりまだ少年のようにあどけなく、「叔父さん」という呼び方はいかにも不釣合いに思えた。
多分、この写真のミハイ叔父さんは、今の私よりも若いはずだ。
もしかすると、ゾヤやアンリよりも年下かもしれない。
きっと、この人は、子供時代から一貫して朗らかな気質だったのだろう。
この写真でも、やっぱり両の頬に笑窪を刻み、白い歯を見せて笑っている。
眺めていると、本当にハーメルンの笛吹きか、ピーター・パンみたく見えてくる。
ルーマニア人の民族衣装なのにドイツの伝説の人物みたいだと形容するのもまた妙な話だけれど、おとぎ話の「ハーメルンの笛吹き」にしても、もともと十字軍時代のドイツのハーメルンに住んでいたわけではなく、どこからともなく現れ、また去っていった。
だから、街の住民の目に奇妙ないでたちをした彼の正体が実はルーマニア人でも、あながち突飛な話ではないのだ。
実際、ハーメルンの街には子供たちが突然消えた中世の事件の記録が残る一方で、中世ルーマニアの記録「キルヒャーの見聞録」には、「突然、聞いたこともない言葉を話す子供たちが大量に現れた」という記述があるらしい。
ちなみに、ハーメルンでは今でも法律で「路上で笛を吹いてはいけない」と定められている一方で、ルーマニアではヨーロッパの他国では廃れた葦笛のナイが民族楽器として残り続けた。
加えて、暗鬱な傾向の強いゲルマン系のドイツ人に対して、ラテン系のルーマニア人は明るく開放的だとよく言われる。
子供たちを連れ去った謎の笛吹きの正体は、澄んだ音色のナイを奏でる、人懐こいルーマニア人の若者だったのだろうか。
この写真のミハイ叔父さんみたいな笛吹きだったら、集団催眠術をかけて強制的に連れ去るのではなく、子供たちから喜んでついていくだろう。
そして、最後に目を留めた写真は、どうにも不可解だった。
これは、屋外で撮られたものだろう。
恐らく季節は春だ。
晴れ渡る水色の空の下、目も覚めるような真紅の薔薇の花々が植え込みに咲き誇っている。
その中央に、老夫婦が真っ白なベビードレスを着た赤ん坊を抱いて立っている。
いや、正確には、首も座らない赤ちゃんを抱いているのは祖母一人で、杖を持った祖父がそこに寄り添っているのだ。
この赤ん坊が誰かと言えば、もはやゾヤしか考えられない。
小さな花嫁さながら白いレースのたくさん付いたドレスを着せられ、ちょうど機嫌のいい一瞬を捉えられたらしく、あらぬ方向に目を向けて笑っている。
何の作為も衒いもない、眺めるこちらの胸が痛むほど、無垢な笑顔だ。
しかし、その小さな笑顔を守るように抱えている祖母と、その隣に護衛さながら背筋を伸ばして立つ祖父の目は、こちらを真っ直ぐ見据えたまま、凍り付いている。
まるで、これから銃殺刑に処せられる人が、銃を構えた執行人を見詰めるように。
すぐ目の前に迫る死に怯えるよりも、そんな運命を課す相手をひたすら凝視するように。
ぞっとするような一葉だった。
祖父母は何故、こんな表情で映っているのだ。
可愛い孫娘が生まれたのに。
春の青空の下、真っ赤な花が咲き乱れているのに。
この老夫婦の視線の先には、一体、誰が立っているのか。
シトシトと背後のカーテンから聞こえてきた音で我に返る。
どうやら、外では雨が降り出したらしい。
どっと疲れが肩に圧し掛かってきたので、ベッドに逆戻りする。
やっぱり、本を見るのは明日にしよう。
どうせ、私のルーマニア語では堅い本はまともに読めない。
きちんと教室で習ったものではないからだ。
――東欧文学やルーマニア語では食えないよ。
受験生の頃、父はそう断言した。
もう、二〇〇〇年代にも入ろうという頃だ。
――私が昔、翻訳した東欧関係の文学書も、ほとんどがもう絶版だから。暗くて受けないというんだ。
娘の机に置かれた英単語の参考書を見下ろしながら、五十になろうとしていた父は苦笑いして首を横に振っていた。
――需要がなければ、供給も先細りだよ。
結局、私は大学では政治学専攻で、第二外国語はフランス語だった。
日本では、それこそ外語大の専門学部にでも進まない限り、ルーマニア語を学ぶ正規の機関自体がほとんどない。
ルーマニア文学研究者の父とルーマニア人の母から生まれたのに、娘は日常会話レベルがやっとなのだ。
ゾヤが日本語を勉強していなかったら、メール交換も覚束なかっただろう。
とどのつまり、何もかもが中途半端なんだ、私は。
とにかく、この祖母宅の電気代節約のためにも、もう灯りは消して、寝ることにしよう。
カチリと電灯を消すと、部屋は闇そのもののようになった。
外からの雨音だけがはっきりと耳に鳴り響いてくる。
――降らないでくれて良かったよ。
仕切りに空模様を気にしていたアンリの姿が蘇る。
ゾヤと彼は無事、車で帰ったのだろうか。
今頃はどちらかの部屋で抱き合って眠りに就いている気がした。
想像の中の二人は卑猥な風ではなく、幼い兄妹か姉弟のように隣り合って安らかに寝息を立てている。
敷布を鼻先まで被り、ほんのりとしたレモンの匂いに包まれながら、私は寒くもないのに、自分で自分を抱きしめた。
窓を打つ雨音が激しさを増してくる。
きっと、横殴りに降っているのだろう。
まるで数人の手が外から窓ガラスをノックしているみたいだ。
敷布をつむじの上にまで引き上げ、膝を抱える格好になった。
日本に帰れば、私にも夫がいる。可愛い娘もいる。
多分、十日後には無事、帰れるだろう。
ミュンヘンで買ったクマちゃんを百合亜はきっと喜んで抱きしめてくれるはずだ。
だが、それは遠く手に届かない世界の話で、今、この瞬間、一人だという現実には打ち勝てない。
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