数のない世界

いわくらなつき

短編


「博士、平和ってどうなったら平和っていえるの?」


 あまりに唐突で無邪気な問いかけに、僕は思わず息詰まってしまった。


 人類が地球から離れ、100年は過ぎただろうか。


 枠に収まりきらない人口を抑えるため、政府は遺伝子操作専門の技術者経由で子供を“人的に”生まれさせる以外には勝手に子供を作ってはいけない、という一見ふざけた条約を作った。

 その条約に耐えかねた者達は生存不可地域と認定された地球からの一時避難として政府が用意した住居から火星や他の人工惑星へと身を移動させた。


 このラボの責任者である僕も技術者の一人だ。


 人類は地球を離れた事で恐ろしいことに“生命の神秘”、それこそ神の領域とも呼べる領域にまで手を伸ばしてしまった。


 そもそも、事の発端でもある地球退去を余儀なくされたのは人類が月に手を出してしまったから。

 そうして今では他の惑星にも手を加えだし、宇宙には新たな人工惑星を生み出し、人を住まわせている。


 神が生み出したとも言われた地球を、世界を、宇宙を、人類が侵食し完全なる破壊の道へと進めつつある。


「ねぇ、博士はどう思う?」

「そうだね、難しい質問だ。君はどうして急にそんなの考えたんだい?」


 そう問いかければ「なんとなく!」と大きな口を開けて、彼女は本当に突然ひらめいた事なのだと証明してみせた。


「みんなが“ちきゅう”に戻れたら?」


 この子は地球を知らない。

 今の姿も、昔の姿ですらも、だ。


 生まれた場がこのラボだから、と言うのもあるが親となる者達が書いた書類の備考欄に書かれた条件通りに“視力がない状態”で生まれさせたためだ。

 言葉としての“地球”は知っているだろうが、どれだけ地球が青く美しかったかを、この子は一生知ることができない。


「それはないと思うな。戻ったところでまた何かしらの理由をつけて戦争や紛争がいたるところで始まるだけさ。安息の地にはなれない」

「どうしてみんなは争うの?」

「人間ってのは無い物ねだりな生物だからね、こればかりはしょうがない。どこに行こうと争いは絶えないよ」


 我先にと地球を後にしようとしていた姿を思い出す。

 優先的に出発させられた僕達に見えた地球はあまりに汚れていた。ひしめき合う人々の目は血走り、我先にと手を伸ばすその様は爪を尖らさせ獣のようだった。


 僕が憎たらしげな口調をした事で、彼女は自分の発言で僕が気分を害したのだと思い、僕の手のひらを撫でてきた。

 僕が何かしらで気が立っているとこの子はいつもこれをする。


「そもそも世界って定義が地球を出て以来、世間一般では曖昧になっていると思うよ。君の知ってる世界と僕の知ってる世界が違うようにね」


 今、目の前にいるこの子は、誰よりも純粋すぎる。

 暗闇の中、閉ざされた範囲しかこの子は知らない。

 親の声は覚えていてもその顔はこの先一生知ることができない。本当の地球を知れないように、知るすべがない。


「そんな“めんどう”なことは良いの。もっと単純に平和って何かを知りたいの」


 彼女は下唇を噛み、不満そうな顔をする。


「調べたら戦いや争いのない穏やかな状態だって本は言ってたんだけど、博士の話だとセンソーは絶えなさそうだし、だけど今の私はそんな争いごととはかんけーない、それこそ平和の真っ只中にいるんだもん。それなのに、世界は平和でないのでしょう?」


 どうしてこの子はそんな“めんどう”なことを考えはじめたのだろう。

 そんな思いでじっと彼女を見つめていると「だんまりを決め込まないで!」とやけに大人びた表現を口にして、僕にケチをつけた。


 僕はふぅと一息だけ吐き出し、「ごめんごめん」と軽い調子で謝ってから、馬鹿で浅はかすぎるボクの考えを述べてみることにした。


「僕の思う、平和な世界を話しても良いかな?一種の意見としてね」

「えぇ、もちろん!聞かせて!」


 キラキラと光を反射させる視点の合わない瞳を見つめ、ボク自身の言葉を続けた。


「ボクの思う平和な世界は数のない世界、かな」

「数?」

「数字でも良い、というかこの場合はどちらもかな」


 彼女が期待した意見とは大きく異なる僕の意見に、彼女は首を傾げ、腕を組む。

 少しの沈黙の間、彼女なりに真剣に僕の意見を考えたようだけど、彼女はすぐに僕へと問いかけた。


「どうして?」


 反射的に僕はぎゅっと小さな彼女の手を握りしめた。


「そうすれば、こんな馬鹿げた人類にはならなかったはずだから」


 兵器を作ることもできない、地球から逃げるすべだってなかったはずだ。

 いや、地球を出るはめにもならなかっただろう。


 人類が発展のために、と月の資源を無制限に摂り過ぎた結果、150年前に月はふたつに割れた。


 割れた月の片方は何事も無かったかのように同じ軌道に留まり続け、もう片方は起動を外れ地球に近づき、今にも落ちようとしている。

 それはまさに、自分の身体から切り離された一部を取り返さんとしているかの様に。


 巨大隕石と化した月の落下によって地球の大気の変動が大きく変わり、環境が激変。地球からの避難を余儀なくされたボクら、馬鹿な人類。

 飛躍的に伸びた寿命により多くなりすぎた見た目の変わらない老人や本当に幼い子供たちを差し置いて学者や有権者の金持ちの馬鹿共が真っ先に逃げ出すこととなった。


「君だって数のない世界でならきっと普通にモノが見えてたはずだよ。親の顔だって地球だって、ボク自身もね」

「博士、泣いているの?」

「…泣いてなんていないよ」


 嘘をつく。この子は何も見えないはずだから。


 ボクら技術者は沢山の子供を親元となる人物たちの指示通りに作ってきた。


 顔はふたりに似せないで。

 目を青くして。

 身長が高くなるようにして。 

 脳の発達が早くなるようにして。


 子供はおもちゃではない。昔であれば一生の宝であったはずなのに。子供たちには無限の可能性と自由が生まれながらに与えられたはずであったのに。


 今では支持者、そしてボクら技術者によって、勝手に決定される子供たちの容姿、体質、性別。性格はさすがに操作できないが、ある程度の洗脳はこのご時世、当たり前となりつつある。


 ボクらが生み出しているのは世の未来となる人類なのか、それともただ心の隙間を埋めさせる玩具たちなのか。

 それとも、この子たちは、ただの実験体なのか。


「けど、博士。その世界は平和じゃない」


 スッと自然に言葉として彼女の口から発せられた内容に考え込んでいた僕は眉をひそめる。


「どうしてさ」

「だって、それじゃあ、誕生日が祝えないじゃない!」


 彼女は手元の時計型の機械から過去の誕生日に撮ったらしい写真やその一瞬から続く動画を次々と表示させる。


「みんな笑ってるもの。聞こえるでしょう?この笑い声や明るい声。誕生日は誰だって笑顔になれるの」


 ね?

 そう言って彼女は誰よりも純粋な微笑みをボクに向けた。


 少しばかりズレた彼女なりの解答。

 ボクの考えへの意見。


 ふっと口元を緩め、僕は彼女がこの答えをどうして出したのかを予想しつつ指摘する事にした。


「それ、僕に誕生日プレゼントをせがんでるだけかい?」

「ち、ちがうもん!」


 今度は頬を膨らませむっとした表情を作る。だが、明日がこの子の誕生日であることは事実なのだ。


「大丈夫、とっておきのを用意したから」

「えっ。本当に!?」

「本当だよ」


 きゃっきゃとはしゃぐ彼女の姿を僕は眩しげに見つめる。

 この子の平和はいつまで続くのだろうか。僕がそばにいる限り、そして彼女の命が続く限り、穏やかな環境で過ごせるだろうか。


「明日にはとっておきのモノが見られるよ。さあ、ご飯に行こう。もうお昼の時間だ」


 数に縛られた世界でボクらは今日もまた、平和すぎる一日を繰り返した。

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