【日テレドラマ】反省の色ナシ、と噂の新ドラマ枠ww

 今回はTVerの番組表で探して、ちゃんと一話を視聴してから批評するよ。

 <対象作品:日テレドラマ『若草物語』> <批評レベル:激辛>


 では、ツッコミどころを余さず揚げ足取りしていくね。(,,>᎑<,,)



 まず、電車の吊り広告で「刷り込みが行われている!」とかいう主人公。

 いや、お前自身がそういうフェミ的言説で刷り込みをされとるがな。ww


 広告ってのは市場原理が関係してて、アレには世の女性のニーズが反映されてんだよ。刷り込みで世論が動いてるわけじゃねーわ、そんな簡単にムーブメントを動かせるなら企業も苦労しねぇんだよ、バーカ。

 よく考えてみな? 本当に広告なんかの刷り込みで世論を躍らせることが出来るのなら、企業は売り上げの見込み違いで爆死なんて現象に悩まされずに済むんだよ。そうじゃないから市場解析の為のマーケティング部署みたいのがどこの企業にもあるんだろが。


よって、あのシーンは「この主人公、頭でっかちのバカだ、」を表現しただけだよ。


 広告とかに騙されて、これが今の流行りとか思っちゃって、自分で世論判断が出来ない人もたくさん居るよ?

 そういう人が、流行りの最先端を行きたいというホンネとは裏腹に、こういう広告とかに騙される顧客層ってヤツになってるんでしょ。


 この次女ってのはそういうタイプの典型として描かれてるってコトだけど、制作陣はそのことを解って描いてる? 解ってないんじゃない?

「思想というムーブメントの最先端いってるワタシ、カッケー、」とか思ってる主人公だよ、これ。視聴者の多くにはそう見える描き方になってる。


 どうも周囲の人々はいわゆる「常識的な範疇」で常に行動するという描かれ方をしてるから、この主人公と「常識的な人々とのズレ」を強調してんのですかね?


 でもそれなら、大御所脚本家の描かれ方はちょっと見当外れだし、軸がブレる演出してると思うけどな。常識とされる規範とズレてんのは主人公でしょ?


 この場合、ズレてるのは次女の方だから、周囲は常に正論で固めないと意味がないよね、「ズレ」があるというトコを際立たせるなら、この主人公に変な肩入れすんなよ、と。ズレてる以上、いっそ冷酷に突き放して描かないと台無しだろうに。最近の中途半端で何を言いたいんだか解らんドラマによくある失敗パターンだと思うよ。


 圧倒的な正論で押し潰されてこそ後のストーリーが成り立つんでしょ。この主人公は「イケてるワタシカッコイイ!」なズレたヤツじゃないの?


 夢見る夢子チャンじゃん。自分が見下してる「胸キュンラブストーリーを夢見るアラサー女子」とかとは、ベクトルが違うだけの同レベルじゃん、そのつもりで描いてるんじゃないのかよ、ての。


 それと、この大御所の言い分は正しいのに、何を歪曲して伝えてんの? 撮り方の問題だけどもさ、大御所の言ってる「世間の分析」は正しいじゃん。その分析を否定すんのに卑怯な印象操作でやろうとしたらそりゃNOを突きつけられるのは当然だよ。この大御所のセリフ回しは、そういう印象操作で正論を貶めてるじゃん。視聴者ナメてんのか。


「アラサー女子の胸キュン逆転ラブストーリー」は負け犬の遠吠えだ、って、次女が言ってんのはそういう意味やぞ? 残り70年は海に落ちてる、とかって。正論の方を厭味にしないと、実は次女の考え方の方が高慢ちきだ、とバレるからか? そういうのが惨めな人生だと決めつけてんのは次女の方だぞ? あの言い方だと。後のシーンでそれをちゃんと大御所に言わせてんのに、チグハグだよ、制作陣の姿勢が。


 ちゃんと、この主人公の次女がどういう人間なのかをプロファイル出来てる? かなりフワフワしたイメージだけで描いてるような感じするけど? 彼女の持つ思想であるフェミニズムに関しても、冷徹な目を向けて功罪合わせて判定してなくない?


 シンデレラストーリーに憧れるのは世の女子の常だ、それは別に貶されなきゃいけないようなことじゃない。ここを蔑ろにすることで次女に下駄履かせようとすんなよ。正当化出来る箇所じゃないじゃん、ここ。次女の思考の瑕疵だろ、むしろ。意識高い系のイケ好かない女を表現するのに使われる手じゃんか、これ。


「それに似た作品、僕、書いたことありますね、」てのを、もっと余裕のある態度で、子供を見る眼差しで語らせたら良かったのにね、このシーン。勿体ない。


 主人公が幼稚なことを言ってるのは、制作陣にも解ってたでしょ? それを取り繕う手法が問題だよね、口調とかで歪曲して、いかにも主人公が正しいかのように見せようとするから視聴者もウンザリするんだよ。こんな幼稚な思考が正しいわけないだろ。それがひいては、視聴者をバカにしてんのか、ていう不満を生むんだよ。


 その後の大御所のセリフ回しもおかしかった。


 視点を変えることも大事だ、というのは正論だろ。次女のフェミ観点から見えるのは確かに「負け犬の遠吠えを擁護して推奨するようなストーリー」で、態度を見てもそう見るのが正しいみたいな顔をしてる。回想シーンで「頭でっかち」なこの思想を学生時分からずっと変えてないことも表現してたわけだからさ。


 なに? 本気でこの次女ってのは意識高い系嫌な女、で認識するべきなの?ww


 ほんで、大御所の言う、「フェミニズム的な視点を押さえておけばトレンドに乗れる」も正論だし、「でもシンデレラストーリーも願望としてある」も正論。


 で、撮影手法として見た時には、この次女から見た視点でこのシーンが演出されているから、大御所の言い回しがいちいち厭味に聞こえるだけ、ということを演出として描いているつもりなら、理には叶っているけども、もっと巧くやれよ、と。


 今のトコ、制作陣も次女が正しい、というつもりで底の浅い思考をひけらかして撮ってるとしか視聴者には受け取られてないと思う。だから「まーた芦原先生のアンチ作品作りやがった!」なんて批判が起きるんだよ。ほんとにそうなのかの判断は保留にしとくけど。


 ただ、大御所がちょっと「恋愛モノ信者」っぽい感じのトコがあって、それを呑みの席で匂わせたのは巧い演出だなぁと思った。自分とは異なる思考って、他人と深く知り合わないと覗けないトコはあるから、人生経験は無いより有る方がいい、ていうもんね。それも正論なんだけど、いちいち恋愛に絡めて限定的に言っちゃう辺りにこの大御所が恋愛モノ信者だ、という説得力が出てて巧いなと思った。


ほんで、四姉妹の描き方なんだけど、単純に、主人公の次女以外が誰が誰だか解んないね、第一話。次女含めて人物設定がさ、フワフワしてるからじゃね?


 これは私自身も身につまされるコトなんだけど、キャラは一気に出したらアカン、て言われる由縁を実感したわ。めっさブーメランがぶっ刺さる…ww


 誰が誰だかよく解ってないのに、さらに場面が飛び飛びになって、結婚式場だの家の中だのボーリング場だのに飛びまくるから、それぞれの人物の悩みとか背景とか、主人公と対比になるであろう思考の差とか、そういうのがゴチャゴチャになってて意味分かんなかった。次女しか解らん、て状態で終わった人も居そう。


 これで、第二話がさ、「もう解説したから」で視聴者が「解ってるつもりで」続きを描いちゃってたらヤバいな~、てのは実感あったよね。


 次女の上司が言った「脚本家の作った世界観をどう成立させるか、カタチにするかに集中するべき」てのはもっとクローズアップされても良かったよね。セクシー田中さん事件の反省を活かしてのセリフだったろうに、てね。脚本というか、原作の世界観を尊重して作品を作る、というのをテーマのひとつに置いてるのかな?


 問題の「もっと恋しなきゃ勿体ないよ、」を改変したエピソードについても、男に騙された後に言う台詞としては、誰もが違和感を覚えておかしくないセリフだったじゃん。そもそも違和感あるんだから、それを言う、つまり、「騙されて傷付いてる時に言う台詞としての違和感」を説明するんだったら良かったのに、なんでポリシーの話にしちゃうんだ、というさ。


 大御所の書いたセリフに対するほんのりした違和感以上に、次女の企図の方がよほど大きな違和感だよね、て。「恋や結婚だけが人生じゃないよ、」てセリフは、この次女の企図を知らなかったら、なるほどこっちの方が慰めになってるかも、という説得力があるけど、実際のトコのその思想は、このシーンどころか物語全体をぶち壊してるじゃん。たった一つのセリフ程度だとバレないかも知れないけどさ。


 先に、別のシーンの中で描いちゃったよね? この次女の思想が、「恋愛女子を見下した意識高い系・嫌な女」のソレだ、て。どこまでそういう連動を意識して演出してるのかが、ちょっと解んないんだよね~。


 で、やっぱり大御所のセリフは正論なんだよね。「あなたと同じ考えを持つ人はどれだけいるんですか?」て。代表みたいなつもりで喋ってる、て。テレビはマスを相手に作ってる、あなたは少数派を相手に作ってるでしょ、てのは、しかし、なんか芦原先生への含みが感じられて、イラッとしたけどねぇ。ww


 テレビとか、あとAAAゲームとかの失敗って、この「マスに向けて作ってる」の理論がそもそも間違ってるからだけど、そこはちゃんと描けるのかなぁ?


「マス」ってのがそもそもで存在しないんだよね。少数派ってのがいっぱい集まってて、その中に共通項があって、その共通項のデカいのが「マス」に見えてるだけで、ちょうどイワシの群れが大きな魚に見えるみたいな現象ってだけなんだけど。


 そこ踏まえて戦略立てないと、そりゃそんな「幻の多数派」なんか存在しないんだから、それを目当てにしてたら失敗するわな、て。


 ウォルト・ディズニーがさ、アニメの白雪姫を撮った時にメッセージを残したでしょ、「人々の中に普遍的に存在する感情に訴えかけるように作ったから、」アニメであっても子供向けといわず大人も楽しめるはずだ、的なことをさ。あれが原点だよ。


 人々の中に普遍的に存在する感情、ってのは子供も大人も関係なく共有できる部分なんだよ。多くの人が共有できる部分ってのがあって、それが「理解出来る範疇」とか「常識的な範疇」とかで、不偏なことと、アップデートで変わることがあって、ていう、そういう難しいモノにチャレンジしてる自覚は欲しいよね。フワフワした理解だけで描けるモノじゃないんだけど?て。



 ほんで、一話終盤になって解ったのは四姉妹の三女か四女が現在行方不明ってコトで、名前もよく分からん。この行方不明の子だけはセンセーショナルな設定だったから、割とすぐに飲み込めたけど、あとの二人の姉妹はさっぱり設定が入って来なかったですな。顔と名前が一致しない状態で第一話終了。


 あとさ、「生涯未婚率が二割に満たない、」てのはさらにダメ押しで、「その二割の中には婚活とかで一生懸命になってる人の数も含むんですよ、」まで言ったら良かったよね。どれだけ少数派な考え方なのか、大多数を指して遅れてるかのように思ってるってのが、そもそも驕った考えなのだ、というのが浮き彫りになったのに。


 だけども、ラストのラストにいきなり、「マスに合わせて、その価値観で描けばいい」って暴論吐かせるのは今までの大御所の言ってる台詞とはズレちゃうんで、それを言わせたいなら全てのセリフを書き換えないと説得力ないね?


 正論ばかりだったのに何でラストだけおかしな歪め方したんだか解らんね。

 展開急いじゃった?


 頭でっかちな次女に最後、啖呵きらせたかったんだろうけど、頭でっかちなんだからその啖呵が説得力持てるはずないでしょ。おまけになにシレッと、イケメン幼馴染みが仄かに恋心抱いてますよームーブとか演出してんだよ。ダブスタかよ。


 フェミでイケてるワタシはイケメンなカレぴにもモテモテよ!てか。

 やっすいテンプレだな。



 という感じの感想文でしたー。


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