【当たるも八卦】突然降って涌いたよ、生きていく為のこと

 あるYouTuberさんが希死念慮に悩んでらして、自分の価値を考えると生きているのが辛い、と仰ってて。それをツラツラと朝から考えていたら、いつもの「ピコーン」がやってきた。別に水も関係してないケンタッキー店内だったけど。


 以下、ツラツラは啓示。


「この世のすべては等しく無価値。互い、価値のない者同士、そして何かを犠牲にしなければ存在できない者同士。己に価値があると思うのは奢りに過ぎず。


 今、存在を許されているのは、犠牲になってくれた者たちによってで、それは慈悲。慈悲によって許されている罪深い存在だから、お陰によって生かされている。


 その慈悲を知り、お陰を誰かに返すために生きていけ。受けた恩に感謝して生きていくことが人の道。慈悲によって生かされた無価値な存在だからこそ、その身はただの肉だから、魂は心であるから、心が尊いのであり、永遠である。身はただの肉。


 ただの肉とて、この肉によって絆が紡がれ、断ち切れたならそれまでだから、絆を大事にするために、この肉もまた無価値なれど大事にしなければいけない。


 価値あるものと無価値なものに差などない。みな等しく無価値である。

 突き詰めると無に還っていくものである。すべて無価値。


 これは神道でも仏教でも同じ教え。仏教ではみな無価値とは教えないだろうが、すべてが尊いのではなく、慈悲が尊い。身が滅することなどそれに比べるべくもない。心が尊いのであり、存在ではない。肉ではない。自己犠牲がなぜ尊いかという話。


 まとっている肉のことではない、中にある心。人の本体は心である。


 魂というから解らなくなる、迷ってしまう。心が尊い、人というものの本体。


 肉を纏っている間にしか絆を結ぶことは出来ないから、これは肉が滅べば断ち切れてしまうから、肉の時間も大事に生きよ。


 肉体に価値があるのではない、逆さまに教えると道に迷う。


 自分に価値があると思うのは自惚れで、自惚れに気付けば苦しい。価値があるなしで苦しくなる。等しく、価値などない。誰も価値などない。苦しむな。これまで生かしてくれたすべての恩に報いること、自分を生かしてくれたのは他者からの慈悲であること、ゆめゆめ忘れぬよう、……」




 通信が途絶えました。久々のケンタッキー旨かったです。


 あ、いっこ、書き忘れた。「心は肉を離れて魂に還る、魂は不滅」だそう。

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