【弥助問題】普通の歴史家の感覚、代弁してる動画発見
https://www.youtube.com/watch?v=1GrT2OHSW3g
『【ゆっくり解説】博士号持ちがアサクリ歴史論文問題をちょっとだけ解説』
誰しもが疑問に思っていた事柄、「なんで歴史の専門家はこの問題に言及する人が少ないの?」に対する疑問。それに明快な答えを提示してくれる動画を発見したよ。
歴史というのは「だろう」しか言えない確定のない学問。
うん、それは常識、当然知ってます。
確実に存在する史料を通じて、いわば史料のパッチワークでしか語ることが許されない学問が歴史であり、そこに私見を入れるのは御法度。史料の数だけしか語れない……つまり、史料がほとんどない人物というものは研究対象になり得ない。
弥助もその一人。
居たことは解っちゃいるけど、居たことしか解んない人物。なので研究のしようがない。史料がないから。
この大前提、学者を名乗る資格みたいなものがあるのでマトモな学者ならこの騒動で口を挟んだりしない、ということだそうだ。
……そう言や、岡センセに続いて登壇した呉座センセも、どっちかと言うと仕方なくって感じだったよね。一応の肩書き持った人が参戦したもんだからヘンなこと言わないようにって感じで続いて登場した印象あるわ。
ゲーム散歩に登壇した金子センセも、歴史学の前提からの解説で始めてて、史料の解説から逸脱することはなかったですもんね。
ここら辺の違いが伝わるかが難しいよね。
ロックリー氏の著書を紐解いて、歴史学者が「飛躍してますね」ということをちょいちょい仰ってたけど、ひとつの記述から推論を述べた時、その推論の裏付け史料が必要になるということを指してたわけですよ。その史料が示されてないし、たぶん無い。
追記:
解っちゃいるけど言葉での説明が難しい事柄ってありますな。
ええっとねー、例をひとつ上げて解説を試みてみるよ。
弥助に関する史料の中に、イエズス会日報の記述で明智光秀が関わる箇所があるんだけどもね。弥助がどこぞの寺院で捕らえられた時に、この明智の前に引き出されてきて、その時の記述が「家臣は此黒奴を如何に處分すべきか明智に尋ねた處、黒奴は動物で何も知らず、又日本人でない故之を殺さず、印度のパードレの聖堂に置けと言つた。」て、あるんだけどさ。
これが奇妙だ、てのは以前にも書いたんだよね。明智の主観と判断で、弥助のことを動物と言ったというのは明らかにおかしいって主張をしたんよ。それは国許では名君と見られていた明智の人格に反するから、明智が言ったというのは変だ、て。
明智とか本能寺の変そのものとか、実はかなり改変が入っていて、後の天下人になった秀吉がイメージ歪曲を謀ったんじゃないかという疑いがあるから、そこら辺の事情も勘案して読まないといけないんだよね。
そうすると、この「黒奴は動物で」という一文は誰が書いたんだ?という疑問が生じるわけよ。もともとこの文章自体、別に動物呼ばわりしなくたって通じるわけで、わざわざ黒奴を貶めるために足された単語と見る方が妥当と思わない?
すると、考えられる仮説が幾つかある。
宣教師が報告の時に奴隷を蔑む意味合いでわざわざ足した説がひとつ。
秀吉の時代に明智を差別的な奴だと貶める為にわざわざ足した説がひとつ。
明智が誰かにそう聞いていたからそう言っただけという説がひとつ。
最後の、誰かに聞いて「黒奴は獣同然らしいな」と認識していたとしたら、それを言ったのが誰かという推測がまた必要になる。それは信長が勝手にそう断じたものかも知れないし、信長が宣教師から贈られた時にそう言われたものかも知れない。これは明智が鵜呑みにする相手となると限られているから、信長か宣教師の二択しかない。
で、ここまで推理したら、裏付けが必要になるということを、上にリンク置いた動画の主さんは仰ってるわけですな。
膨大な史料を漁って、この推論の裏付けになりそうな記述を見つけ出さないと、現時点ではただの想像に過ぎないってコトですわ。想像だけで書いたものは、学術書の資格を持たないので、それは総じて「小説」と呼ぶべきだ、というね。
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