【映画評】貞子デラックス&2019貞子

 正しくは「貞子DX(ディーエックス)」ですが。


 ランページの壱馬くんが出てたのでムスメと一緒に観たんですけど、そのまま二本目の2019年版の「貞子」も観ちゃったんですね。二本立てで観る予定じゃなかったんですけども。


 私は別にホラー映画とかホラーコンテンツが嫌いなわけじゃないんスよ。ただセンサーが敏感になって、普段はスルーしてるようなトコにまで感度が広がっちゃって、その感覚になるのが嫌だ、というだけですわ。はい。


 それから絶拒な演出というのがあって、ほら、いきなり「わっ!」とか言って脅かすみたいな演出あるじゃないですか、アレが死ぬほど許せんというだけですわ。


 何の脈絡もないシーンを突っ込んでくるな!という感じのこの怒りがね、純粋に作中でその演出要らんだろがストーリーに何も寄与しない演出ぶっ込みやがって解釈的に邪魔なんだよ不純物を混ぜるな不純物を!的なね、そういう憤りが後から湧いてきたりもして、すんげぇ嫌いなんですよ、アレ。


「ジャンプスケア」って言うんですってね、あれ。まぁ、それは置いておいて。


 さて、「貞子DX」ですわ。いや、両作品ともキャラが立ってて、必要最小限の人数に絞ってあるから感情移入もスムーズで、ムダがなくっていいですな。やっぱホラーは少人数に絞ることが大事と思います。


 その人々だけが「切り取られた」感を出すの大事だなと。

 そうです、「怪異は人を分断してくる」の方が怖い、てヤツですね。(笑


 なんで見える人と見えない人がいるのか、見え方が違ったりするのか、を考えたら、「共有出来ない方が怖い」からですわな。「否定される」まで入ればなおヨシ。


 逃げ道塞ぐのすっごく大事じゃないですか。丁寧に逃げルートを塞ぐのがね、その丁寧さがまた怖い、というね。ふと気付けばもう詰んでたという事実が絶望を生む。



 そういう点で言うと、貞子DXより2019貞子の方が怖かったっちゃぁ怖かったか。

「いや、あれ(DX)はコメディだよ、」とムスメがツッコミくれたけど。


 だけど総合点だと私は貞子DXの方が作品作りの上では成功だったと思うんですよ。肝心の怖さではまったくダメだったけど、続編が見たいってすごく思っちゃったし。失点が無いってのが大きいよなぁ、と思う。視聴者が「何でやねん」て思うようなツッコミシーンがほとんど無かったと思うんだよね。私が気付いてないだけの可能性も大だけども。壱馬くんの演じたキャラが好きかどうかで分かれるのかな。あのウザ役立たず感がいい味出してると思ったんだけど。顔だけ男を体現してて。


 減点対象としては、主人公の文華ちゃんがIQ200とかいう設定がまず邪魔だったけどもさ。ぜんぜん活かせてないんだけど、それはまぁ最初からTVの肩書き紹介のシーンにしか関連せんからストーリー展開にはまったく関係なくって、「そう言や忘れてたわ」程度のミスなんで別に減点対象じゃなかったのね、私的には。


 あの設定、「美人リケジョで大学主席入学」で良かっただろうに盛ったなぁ、くらいにしか思わんかったからさ。(笑


 それより、2019貞子の方はクライマックスの減点対象がね、これがデカすぎた。


 台無しってレベルのやらかし演出があって、それまで丁寧に積み上げてた全ての効果が吹き飛んだのよ。貞子DXの方は終わりまで劇中に浸ってられたけど、2019貞子の方はあるシーンで引き戻されたからね。創作物という目線に戻されたの。


 矛盾とか違和感ってのが許容を越えると、人はそれを創作物として一線引いた立場にまで後退して観ちゃうんだよね。さっき「切り取られた感を出すの大事」って書いたけども、それが違和感を持っていたらダメなもんだから、描くの難しいんよな。


 視聴者は納得の流れの上で、断絶なり孤立なりが起きて、っていうのは、決して矛盾や違和感を孕んでいてはいけないわけよ。当事者たちの心理では違和感マシマシでもそれを外から眺めてる視聴者には納得の流れの上でなければ、整合性が損なわれているってことになるんだよね。それは舞台を作り物と認識させてしまうっていうさ。


 2019貞子はクライマックスでそれをやっちゃったんだよね。作り物だと認識させる違和感演出をやらかしちゃった。私なんて映画視聴者としてはぜんぜんユルユル基準の楽勝批評眼しか持ってないのに、そんな私でも違和感バリバリのシーンだったもん。


 例の洞窟内で貞子と一騎打ち、というか、弟助けるのになんで二人がかりで弟を掴まないんだ!?というね、その違和感よな。なんで姉を掴んでるんだ、お前は、という疑問の方が先に立って、すべてがその違和感によって吹っ飛んだ演出だった。


 あのシーンは解説ナシじゃ視聴者に伝わらない、伝達が難しい体勢のシーンなんだよね。で、案の定、伝達に失敗したから違和感マシマシになっちゃったの。


 強力に引っ張られている人間の救助で、気付くタイミングがズレている二人の救助者という前提をまず解説しないといけないわけよ。お姉ちゃんが気付いて弟の腕を掴んだ後で、その一緒に引っ張られてるお姉ちゃんの方が自分から近いのでそっちの身体を掴みました、という解説がないとあのシーンは違和感マシマシなのね。


 二人がかりで引っ張ったらワンチャン助けられたかも知れんやろがい!ていう。


 そこがね、解りやすさの選択ってコトなんだよねぇ。解りやすさってのは二項対立の勧善懲悪パターンにすることが正解なんていう安直なことじゃねぇんだよ!


 あのシーンは現実的にはああなるのが正しいけど、それはエンタメ的には伝えるの厳しいから却下して、やっぱ説得力を取って二人がかりで弟引っ張るのが正解と思うんだわ。そんで二人とも引きずられて水面ギリギリでどばーっと波が襲ってきて二人を吹き飛ばしたらそれで良かったじゃん!? だんだん手が離れてくる演出なんぞ無くても水面で水を飲みながらの泣き告白を弟にさせりゃ済んだじゃん!? 臨機応変ってのがさ、最近のエンタメ界隈って弱くなってないぃぃぃ!??


 なーんか思考が硬直化してんなー、とか思っちゃったシーンでしたわ。



 …ところで貞子って、「出会ったら最後」なんじゃないの? 見ちゃった登場人物は全員が一人ずつ死んでくんじゃないの? でもあの女の子だけは貞子の気まぐれでセーフなんだよね、あの子の力が貞子の封印を解いてしまったけど、似た境遇が一種招魂の儀式みたいに働いたとかだよね? そう解釈したけど、あれも解説必要だよねぇ…


 貞子って何だと定義してんのかなぁ。現象としてしまうと怖さ半減なんだけどな。ある程度意識みたいなのが残ってて取捨選択してくるみたいな感じがある方が、行動が読めない分怖いはずなんだけどねぇ… 人である方が怖いじゃん。意思疎通の出来ない人間ってのがなんで怖いかってトコをそのまま怪異に組み込んだ方がさ。


 現象だと法則性というセーフティがあるから、そんなモンは潰した方が怖いよね?




 うだうだ書いてきましたが、いち個人の感想でしたっ。(笑

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