【弥助問題】周回遅れさんへの解説を試みてみる ⑤

 現在、海外でもこのロックリー氏の著書がフィクション小説であり、鳥取トムというアカウントによる悪質なソックパペット事案で、歴史改竄を引き起こした原因であるということが知られ始めています。


 そのような中でも鳥取トムは新たにWikipediaの編集を行い、慌てて、「諸説ある中の一説である。」という一文を付け足して回っているようです。遅いんだよ。


 世界の主流はすでにロックリー氏の著書による説になっており、この事態を招いた張本人です。間違った知見を広めてしまったアカウントですので、比較的速やかにWikipedia財団法人はこのアカウントをBANし、他のソックパペット案件と同様の措置として、編集したページの削除をお願いしたいところですが。どうでしょうかね、動きますかね。



 なお、日本人がこの戦国期において黒人奴隷を広く導入するようなことがあったかどうかは、近年、世界規模の広範なDNA調査が行われておりますんでその結果が証拠として上げられるでしょう。wikiの該当ページは改竄済みなので虚偽のようですが。wikiの編集監督部門というものがあるらしいのに仕事して欲しいですね。歴史修正主義者を雇ってたりしないかチェックしたらどうでしょう?


 なお、古文書の類いを上げるなら、「九州御動座記」に記述があります。宣教師を乗せてきた南蛮船が日本人奴隷を買い付けてますよ。


「今度、伴天連ら能時分と思い候て、種々様々の宝物を山と積み、いよいよ一宗繁昌の計賂をめぐらし、すでに河戸(五島)、平戸、長崎などにて、南蛮船付くごとに充満して、その国の国主を傾け、諸宗をわが邪法に引き入れ、それのみならず、日本仁(人)を数百、男女によらず黒船へ買い取り、手足に鉄の鎖をつけ、舟底へ追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、そのうえ牛馬を買い取り、生ながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手つから食し、親子兄弟も礼儀なく、ただ今世より畜生道のありさま、目前のように相聞え候。」


 バテレンというのは宣教師と商人たちで、日本で武器と交換した金銀を積み込み、奴隷貿易も手広くやっていた、という記述です。「種々様々の宝物」である金銀と交換してた物品が「火薬」だったというのは、近年、大友宗麟研究などで判明してます。奴隷商であっただけでなく死の商人も兼ねてたんですね。


 大友宗麟自身は現存書簡などからは奴隷売買に関わった痕跡など発見されてはおらず、民間レベルの人買いが戦争被害の難民状態だったところから買ったり攫ったりをしていたのでは?という見解のようです。(宗麟は金銀で火薬買ってた)


 他にも、岡本良知『十六世紀の日欧交通史の研究』という研究本が昭和17年に出ているので国会図書館などで閲覧できるんじゃないでしょうかね。奴隷として、あるいは傭兵として海外へ流れていった日本人の消息を追った本だそうです。


 その中に、「自分は奴隷ではない、年季奉公人である」と訴え出て認められたという裁判記録が残っていて、その言を聞く限り、これは奉公と偽って騙されたものと考えられますし。お上はそんなことする必要ないんで、やっぱ民間の人買いじゃないですかね。鎌倉時代から悩まされており、人攫いは死罪でしたし。


 つまり、火薬が欲しい大名たちの弱みにつけ込んで、影で民間人の人攫い犯罪者からそれと知った上で日本人拉致被害者を買い付けて、奴隷として売りさばいていた、というのが実体に近いと考えます。



『秀吉の出した禁令(1587)も、実はその前に出されていたポルトガル国王の「日本人奴隷禁止令」(1570)も、家康・秀忠のポルトガル人完全追放(最終1639)まで全く守られなかった』故に鎖国に踏み切った、という流れが正しい日本史ですね。


 この、国王の命令があったけど現場では守らなかった、ということが如実に、現場の宣教師たちもグルでした、ということの証左では?



Q、どうして日本には黒人奴隷がいなかったの?

A、日本人同士の人身売買は全国的に行われていたが、戦乱続きで国土が荒れ果て、田畑も荒廃し、人がダブついていたせいで、新規の労働力はタダでも要らんという状況だったせい。当時の日本における農民(単純労働者)は牛より価値ないです。


 旗本になった三浦按針はほら、オプションが凄かったから。(笑


 また、秀吉以降、天下統一で国土が安定したら荒廃した農村とかを復興する余裕も出て来たんだけど、日本侵略を考えていたバテレンとかキリスト教徒なんか一切要らん、というトコは引き継がれ続けた。


 つまり、洗礼受けた人間は奴隷でも要らん、ということで黒人奴隷は居なかった。



追記:

 日本では鎌倉時代に制定された「御成敗式目」により、年季奉公という制度が取り入れられ、律令制度のもとでの賤民階級である奴婢は廃止され、事実上の奴隷制は禁止された。後の江戸時代にはエタヒニンとして復活してきていることを見るに、継続はしていたみたいだが。


 日本の場合は「穢れ思想」があり、死に纏わる職種が忌み嫌われる傾向が強く、しかし必須の職業でもあるため、必然でこの賤民階級が継続されたものと見える。まぁ、単純化した推論であってもっと複雑な推移があったと思われるけど。




「黒坊」古文書にたびたび登場するこの単語は、お菓子のことだったり、お香のことだったり、色黒さんの愛称だったり、河童に似た妖怪のことだったり様々です。あしからず。黒坊主は海坊主のことだしね。


 宣教師は日本のあちこちに、黒人奴隷を従えて出没してるわけなんで、普通に考えても珍しいこの奴隷たちを「黒坊」と呼んだりもするでしょうよ。


 なに? ガチで白人さんたちは自分らの黒歴史を抹消しようとしてんの? 反省ではなくそっち?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る