【弥助問題】めっちゃくちゃ勉強になるので動画コメントは読むべし。キッシー、外務省のHPの弥助項目は今触るな。内外に言い訳が利かなくなるぞ。

 すごいよ、今、ネット界隈では続々と弥助の検証が起きてる。ガチの専門家が動き出すのは時間の問題だ。政治家はのらりくらりで今は動かない方がいいよ。HPの弥助項目も触らずに、後でやった方がいい。DEIは7月から来年に掛けて世界で大炎上するから、上手く立ち回る為には今はまったく動かないことだ。


 下記のことを読めば、どれだけ精度が高い追求が起きているかすぐ解る。これはアジアを中心に他の国でも起きてくる。ポリコレの終焉だ。いずれ中国も出てくるし。だから時期を見極めてから動くことでガチの政治問題化を防いでほしい。悪者になってしまうけど、それも仕事と割切ってこの大一番を乗り切ってくだされ。キッシー。


 欧米は移民政策に続いてDEIでも失敗するんだよ。偉そうなこと言ってその実はただの、からね。


https://www.youtube.com/watch?v=f8H0vh1N9wc

『信長公記の検証で「弥助の身分は―― 』 のコメント欄から。


 この動画のみでなく、今、続々と古文に当たって検証出来る人々が参戦してきて、各動画にコメントを残してる。特に有用、勉強になるコメントを一部抜き出してみたよ。



@user-ir7dn3hm5f

1 時間前(編集済み)

例文帳に追加したからコピペして使ってください

『弥助が受け取ったもの:装飾短刀1本、家1軒、銅貨37キロ

ウィリアム・アダムスが受け取ったもの:長刀2本、短刀1本、領地250石(年間銅貨460キロ相当)、領地名に基づく姓

ウィリアム・アダムスがドラマ「将軍」に出演したとき、「白塗りの救世主」と批判されたが、名君として地元で愛されていた明智の家臣たちを滅ぼす弥助の姿が描かれているのに、なぜ「黒塗りの救世主」と言われないのか。そして弥助は明智の地を救うために明智の功績を全て盗んでいる?』


What Yasuke received: One decorated short sword, one house, and 37 Kilos of copper coins

What William Adams received: Two long swords, one short sword, a fief of 250 koku(worth 460 Kilos copper coins per year), and a surname based on the name of the fief

When William Adams appeared in the drama Shogun, he was criticized as a whitewash a white savior, but why isn't it called a blackwash a black savior when Yasuke is portrayed as destroying vassals of Akechi, who was loved locally as a great ruler, and Yasuke is stealing all of Akechi's achievements to save the Akechi's land?




@doomo.c

14 分前

そうゆうことすね。


・家族名がない(本名または呼び名しかもらってない)

・打刀、脇差の2本差をしていない(短刀は帯刀に当たらない)

・苗字帯刀を許されていなかった(下級家臣だった)

・下級家臣は士分は無い(家臣=士分が有るは間違い)

・足軽は苗字は許されていたが帯刀は許されていなかった(家族名・苗字が無いのでほぼ足軽未満)

・時に道具持ちをしていた(荷物持ちは非戦闘員の中間・小者の役目=足軽未満確定)

・中間・小者は武家奉公人(奉公人は士分を持たない)文献献資料から分かる、証拠からも弥助が士分を持たないので武士でも侍でも無かった。


これが幻想を排除した現実。

他にも証拠があるけど、これだけでも本来は十分。


史料が残ってないだけで「侍だった可能性は否定出来ない」=無いものを無いと証明させることは悪魔の証明(それは主張する側が証拠を出す必要がある)


現状の文献資料では「弥助が侍であった」とする証拠・事実は存在しません。


弥助侍説を擁護・肯定するのは自由です。しかし主張には空想を外しで 現実的かつ根拠と証拠が無いとお応話しになりません。





@user-hv5wr9lm9op

2 時間前

秀吉との比較はわかりやすいかも。秀吉も寧々と結婚するまでは家がないから氏を名乗ってない。草履取りでキャリアスタートだし、母子家庭の農家の息子だし。貴族と武家の系譜が分かれ始めた平安時代から400~500年経ってるのが室町時代なわけで、室町幕府の御家人とそれ以外の武家ははっきり区別されてた。農家の倅である秀吉なんてもっとそうだし、外国人で日本語が少しわかる程度の弥助はもっと区別されてる。草履取りだった時代の秀吉は取り立てられてるけど武士なのか、と言われれば微妙だと思う。百姓も出稼ぎ感覚で足軽になって日当もらってたのが戦国時代だし。秀吉が関白に上り詰めたのは、信長の仇討をしてみせたからだと思う。戦国の武家の習いでは、仇討と切腹は重要な要素で、これができないやつは武家じゃないんだよ。だから責任取って切腹しろと言われたら、仇討して汚名をすすぐか、切腹するしかない。断れない。

イエズス会の報告書の記載内容は、出来事の正確性に関して疑問がある。日本侵略の進捗を報告するもので、うっかりしたことを書けば、失脚する。それに、直接見聞きした内容ではなく、光秀に随行していた関係者からの手紙がルイス・フロイスにわたり、ルイス・フロイスがレポートにして、それがバチカンに送られて更に編纂されたものだから伝聞に次ぐ伝聞になっててる。イエズス会の内部向けの機関誌だし、予算や人員を拠出をする根拠にもなっている。日本人が黒人奴隷を奴隷扱いしていなかったことは黒人を人間ではないとして奴隷貿易のお墨付きを出している教会としては都合が悪すぎて書いたらまずいし、日本でキリスト教会が武器と奴隷の商人くらいにしか思われていないこともマズいことだ。日本人も弥助を動物として扱っているとか、キリスト教を尊重して弥助は返還された、というのは、当時の宣教師にとって都合がいいように書かれすぎている。重要なのは本能寺の変が起きて、娘を改宗させてガラシャと名乗らせている明智光秀が信長を討って日本の天下にコマを進めたことで、この一文をわざわざ記載したことで、日本での弥助の実際の扱いと違っている。

だから日本の歴史学の中ではイエズス会の記録を疑問視する説がある。

本能寺では信長とその子信忠の死体は発見されていない。つまり討ち入り時点で光秀は信長たちを打ち取れたかどうかわかってない。火の勢いが強くて骨も残らなかった説と、どこかへ落ち延びた説とあるけど、その後他の息子たちと合流してない。弥助もその後がわかっていない。弥助が助かったという記録はイエズス会の報告書にしかない。




@ken-qg7bd

1 時間前(編集済み)

ちょっと名字に関して誤解している人が多いので書いておこう。

ざっくり言うと律令制戸籍制度下で奴婢以外の部民にも広く与えられた帰属を表すものが氏姓。

氏は血縁地縁職業宗教に基づいた政治的所属集団、姓は氏の格を表すと思えば良い。天皇家に氏姓がないのは与える側だから。逆に集団の末端は農民、職工などになる。だから百(たくさんの)姓。

10世紀になると源平藤橘などの氏姓が飽和状態になり、律令制度が崩壊した事もあって、公家・武家は土地などに根ざした名字を使用し始めるようになる。

氏姓は朝廷(天皇家)から与えられた為に変更ができないのに対して名字は好きに変更可能という利便性があった。

鎌倉末から室町頃になり、自検断を有する惣村・郷村が表れるとその中心となる名主(地侍)などを始め、有力な庶民も使用し始めるが、戦国時代になり地方為政者と支配地の結び付きが密接化し、地方分権が確立し始めると同時に身分も整理されていき、戦国時代末期には名字を名乗れる事が一種の特権、即ち身分標識として機能するようになる。

織田家中もその例に漏れず、奉公人である中間は名字の記述がなく、小姓の場合は武士と同じく名字と仮名(けみょう)の記述。例外的に元力士である場合は通り名(四股名の原型)のみの記述がある。それらは、ひしや、たいとう、あら鹿など、弥助のような一般的な人名でない。

与えられた物も太刀、脇差し、衣服上下、知行100石と全く異なる。

また元力士から信長の近習にまで出世した者は、信長研究の第一人者であり谷口克広先生によれば、そもそもの出自が武士、もしくは有力土豪(半農半武士)の階級である。




@user-cl3ug1es5s

1 時間前

やる夫の鎌倉幕府スレで言ってたやつだ!

ありがたや……

氏=血筋

姓=その人の社会的地位や職業

名字=その人所縁の土地や職業に基づいた識別できる呼び方

ってこと?



@ken-qg7bd

1 時間前

基本的には地名ですね。

鎌倉時代の北条氏なんかまんま伊豆国田方郡北条が拠点で、血統的には平氏を自称してます。




@Miki-prune

2 時間前(編集済み)

武家の奉公人なら広い意味での武士(※足軽なども含む本当に広い意味で扱った場合のもの)でなら良いとは思うけど…そういうのまで否定するほど厳密さを求めるなら、そもそもあの時代の価値観に従うべきで後世広まった意味での侍や武士自体を当時の階級に当てはめるのがそもそも不適切だろって話になるしね

ただ…歴史に多少なり造詣がある人らにとってはこれを武士と扱うのは感覚的にも違和感がある人の方が多いのは確かだろう


まして侍だなんてなあ…これは英訳が侍も武士もSAMURAIになる事が原因だったらしいが





@user-pp1nl6bp6u

3 時間前

「中間」は武家の雑用担当の使用人で、大きい家なら多数いる。秀吉も最初は中間衆の1人として縁故で雇われ、その後に足軽として戦に参加して足軽組頭になったときに寧寧の婿として木下家に婿入りしてようやく侍の地位を得ている。




@takatobi-sasuke

2 時間前

検索して出てきたが

秀吉の時代だと武士・侍・中間・小者・あらし子の区分になってるみたいだな

武士(騎馬武者)・侍(若党?槍脇を守る徒侍とか戦闘員)・中間(槍持・道具持)・小者(馬の口取り・草履取り)・荒子(土木・大工・輜重などの雑役)


武士と侍が逆転してるなコマッタw

※逆転してても変わらないのだが




@zimarep1277

3 時間前

信長公記も準一次史料なんじゃなかったっけ?


返信

@-mg4zn

1 時間前

原文が1次史料。

改版にあたる「尊経閣本」が他の書物からの引用が指摘されているから2次史料だったかと思います。





@youtake7594

3 時間前

まぁ…織田信長や徳川家康も…本名ではないからな…正式名称は〇〇二郎三郎〜みたいにくっそ長いからな…


返信

6 件の返信


@user-pp1nl6bp6u

4 時間前(編集済み)

違うぞ、織田信長は「信長」が諱という本名に当たるモノ。 普段は通称の「三郎」や官位を名乗っているだけ。

ちなみに家督継承時のフルネームになると 平朝臣織田弾正忠三郎信長 となる。「姓」+「名字」+「官位」+「通称」+「諱」ね


@youtake7594

3 時間前

らしいねだから正式な名称(フルネーム)をUBIや外国人って知ってんのかな?名字が〜とか言ってるけど


@user-uv9nv4ef8o

3 時間前

知らんでしょうねぇ。簡易が上がれば呼び名も変わったりするしね。

右大臣になったら右府様、とか。


@日本語に出来るらしい

2 時間前

上総介じゃなくて弾正だったんだ


@user-pp1nl6bp6u

2 時間前

上総介は少し後だね。


@user-pp1nl6bp6u

1 時間前

上総介は弾正忠の少し後、尾張の統一を見据えたあたりだね。弾正忠は信長の一族の当主が代々受け継いできた官位。

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