【フェミに返答】伝統的な男女の在り方について

『(前略)男性は女性を守るため名誉や騎士道精神を持って行動し、女性は女性で、男性と同じように真剣な交際を探すというものでした。つまり性行為は限定的なものだったのです。少なくとも理想としては、ですが。

 性行為は揺るぎない人間関係ーー特に結婚された者達に限定されたものでした。当然すべての人がそういった生き方をしていたわけではないが、大多数の人はそうだったのです。事実、女性が妊娠した場合、大抵の人は結婚をしていました。

 1930年代、1940年代、1950年代の研究はそう示していますよね?

 一緒に過ごしていた人が妊娠したら、そのカップルは結婚するのです。


 男性に女性を守ることを教えないと、女性を不当に扱う男性が生まれるのですよ。そして責任感があり善良な男性を大切にするべきだと女性に教えないと、結局は男性の悪い行いを助長することになります。

 フェミニズムによる「男の振る舞いは最低だ」という主張は、決して間違いではない。「だから女も最低に振る舞おう。これが解決策になるから」こう主張しだしたから間違っているのです。

 そして結局、「セックスや愛や恋愛関係と結びついたものであるべき」という伝統的な習慣を取り払ってしまったのだから。完膚なきまでにね。性的暴行を除けば、セックスは今や単なる生体活動なのですよ。他の生体活動とは異なるものとして扱っているという事実はあるがーーしかしそれが問題なのです。

 今やセックスは食事と同じで、使い捨てのものだという基準が作り出されてしまった。セックスがそれぞれの人生にとって非常に重要な部分を占めていることは、誰もがわかっていることでしょう。にも関わらずまるでそうではないかのように扱いーーそして現実では意味をなさない同意の基準を作ろうとまでしている。(後略)』


 ゼノンのパラドックス


 ベン・シャピーロ氏の演説の一部抜き書き。参照した動画を紹介したいトコだけど最近はちょっとしたことですぐ動画が削除されるので、リンクは危険かもと考えているので書き込めません。これ言われたのが4年前で、今のアメリカがアレです…



 確かにね、氏の主張はまだ弱いんだよね。男性に依存することを是としてしまってて、完全に自立したい女性には響かないだろう。一理あるとは思うんだけど。


 だけど、少子化の問題と孤独死の問題は「同じ一本線の上にある」問題じゃない。


 人間は社会性の動物で、集団で生活することを選択した動物なわけで、形成する社会だって基本はそこから一歩たりとも出ていないし、大多数はそこから利益を受けている。老後に安定してカネが貰える日本式の保障なんか最たるものでしょ。


 まず、社会がお一人様用に出来てない。どうしてもお一人様になってしまったという仮定の下で、社会保障のセーフネットで救うことを想定した存在でしかない。これは子供を持たないカップルもそう。次代を担う存在を育むことが、本当のところの社会への貢献であるから。貢献していない以上、利益を受ける資格がない、と見做される。もちろん、社会貢献は他の手段でも補えるわけだけど。


 だけど、「次の担い手」を送り出すということと同列に並べる貢献ってなに?


 どこかの人らが好きな「持続可能性ナンチャラ」も、本来的な命題であるここに結びついてこないのは欺瞞だ。結婚制度がそもそもは、無責任な男性を縛り付ける意図であったと考えるのが妥当だと私は思う。


 子供を産むのは女性だけで、男性は何人にも産ませることが出来る、という特性。


 子育ての負担は女性に掛かりがちで、男性には強制的にでも背負わせる仕組みがなければ、高度化した社会を維持するには安定が得られない。アンバランス解消の為のシステムであって、より強固に安定させようとする社会の要求により、男女の性差における社会役割分担が課せられるようになっただけだ、と推測する。




また明日書くわ。(と言いつつ面倒になったらうっちゃり)

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