日本の歴史教科書の嘘記述? ~アイヌ~

 昭和の頃なら、アイヌの歴史などまるで教科書に出てこなかったから、進歩したっちゃぁ進歩したんだけど。嘘が入ってるのはダメだよ、巡り巡ってアイヌが損をするようなことを、アイヌが許しちゃダメだ。思想工作の口車に乗っちゃダメだ。


 鍛冶屋で揉めて殺されたアイヌの「オッカイ」、オッカイというのはアイヌの言葉では「男」とか「少年」という意味らしいが、揉めた原因は刀の品定めだというんだから、これが子供であるとしてもこの子に非が無かったとは考えにくい。和人とアイヌの間には「価値観の相違」という溝が横たわっていたことは重要なポイントのはずだ。とにかく、子供か若いアイヌの青年が口喧嘩から殺されたことに端を発して、戦いが勃発したという話だろう。ポイントは「刀の目利き」である。値段で言い合っただけのことで激昂して殺した、という部分に真相が隠れている。


 注目すべきは、和人(本土の人間のこと)との関係性が良好とは言い切れなかったということが窺い知れるという点であって、アイヌ史で重要な「松前藩とアイヌ首長との会談での騙し討ち」の件においても、これはよくよく聞けばアイヌ全体における広範な部族抗争が先に存在しているのだから、この背景を無視しては正しい理解が為されない。松前藩は、部族抗争に手を焼いて、最終的な解決方法として「首長たちの皆殺し」を選択したということが本当のところだ。どのみち許されることではないが、これはセットで琉球王朝の歴史と合わせて考えるべき部分なのだ。そっちは薩摩藩の預かりになっている。合わせて、そんな蛮行に至った背景はと言えば、幕府の同調圧力が関与するのは目に見える。


 なにより、当時の日本本土も、諸藩による分割統治であり、統一された政治体制があったわけではない、という点は非常に重要だ。一枚岩などではなかったのだ、ということだ。陰謀渦巻く大河ドラマさながらの歴史が実際に展開されていたのだ。だからこそ、管轄下のアイヌ諸部族を統率できていないという事実は、松前藩にとっては由々しき事態であったことを考え合わせねばならない。


 今でこそ世界中から日本人は賞賛されるが、気恥ずかしいことだよ。歴史の暗部を見れば、他国同様に汚い部分だって当然にあるのに。


 同様に、琉球には琉球の、アイヌにはアイヌの、歴史の暗部は当然存在したのだという点は忘れてはいけないし、それらの隠したいような部分をも包括した真の歴史を学ばなければどこぞの国のファンタジーとさして変わり映えはないよ。


 そう言った、火照るような苛烈な愛憎劇の流れというものは、どの時代のどの立場の人間もが、等しく経験して、もがき苦しんだものだったのだ、ということが歴史を学ぶベースだろ。


「倭人が常に悪人で加害者、アイヌや琉球が常に善人で被害者」というポジショニングトークは、現在も継続中の思想工作戦争の現場が「ここ」にもあるのだな、と理解しておけばいい。喋っている相手が熱心にそういう話し方をする時は、思想戦線の兵士という理解でまぁ間違っちゃいない。そいつは教育熱心なのではなく、布教に熱心なだけだ。ソイツが教育者なら、心の中で卑下しておけ。

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