スカートめくりと風呂覗きで気付いたこと

 急に閃いたんだけど。


 スカートめくりって、やられる女の子にしたら衆人環視の中で辱めを受けるってことだなぁ、て。今でこそスカートめくりなんてしようもんなら非難囂々なんだけど、昔はそれこそ「そのくらいのことで……」で逆に女の子が狭量だってんで非難されたんだったな、なんてことを思い出す。


 風呂覗きもなんだか武勲のような扱いだった。漫画や映画、TVがそう報道したんだよね。バラエティドラマとかのシーンでは割とよく出てきたし、意味もなく入浴シーンが旅番組でも出てきて、それを何とも思わなかったなぁ。今から考えると「何とも思わない」というのが、感覚が死んでたんだなと思うんだけど。


 何か嫌悪なり違和感なり感じてしかるべきなのに、普通に実際じゃ男女の風呂は別々で、混浴とかはちょっと恥ずかしいし遠慮したいけど、多少の興味は掻き立てられる……みたいな、複雑なものがあるけど、これが表現物のカタチを取ると、なんで当たり前の無感覚になっていたんだろう、と思って。


 逆かも知れないな、とも思うんだけどね。海水浴だのプールだの、薄い布一枚とかでも平気なのなら、それが無くても平気なのが本来かも知れないし、原始時代とかはみんな裸だったわけだしな。


 棘の別の纏めだけど、差別の捉え方として、海外の人が日本に来てニホンゴで道を尋ねたりしても、そそくさと逃げてしまって、差別を受けているような気がするとかいう話を聞いたけど、それは文化の違いとか国民性とかもあっての誤解だよなという意見をしたけど、言いたいことはそこじゃないのかも知れないと思い返した。


 差別とひと口に片付けてしまうと、本質的なものが覆い隠されてしまって、ひどく歪んだものになってしまうのかも。むしろ相互理解とか、文化の違い、多様性の問題なのに、差別というネガティブな響きがぜんぶ塗りつぶしてしまうのかも。


 スカートめくりは、衆人環視の中での辱めだ。


 風呂覗きは、軽犯罪だ。


 厳しい目を向けてみないとその正体に気付かなかったりすることが、たぶん世の中にはまだまだ隠されている。それは女性の待遇に纏わる事柄だけでなく、男性の待遇にもあるし、あるいは老人、子供、外国籍の人、ジェンダー違い、性志向の問題、各種でいろいろとあるんだろう。


 多様性とか言いつつ、個々の意見の尊重などと言い出せば途端に破綻するわけで、何も変えたくない保守の人もいれば、何でも変えたい先取な人もいるしで、きっと纏まりなど付かない。万民が納得する方向性など存在しないから、必ず誰かが割りを食うし、我慢を強いられる。それを持ち回りにするならいいけど、実際は固定されてしまって、全体ではバランスが取れているように見えても個々で見れば、割りを食う人もまた、固定されてしまっていたりする。持ち回りでないならそれは必ず不公平にしかならないのだからなぁ。


 色々がぐるぐると見えてきて、連鎖していって、纏まりもなく浮かんでいる。


 マイクラで、露天掘り中の出来事。答えもない事柄がぐるぐるして、なんとなくで書き留めておく。



 さ。……穴掘りに戻るか。

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