サブリミナル広告っての、昔、騒がれたの思い出した。
たいがい、オタクコンテンツの産物なんてものはオタクに理解のある層にしか需要がなくって、デカい看板を掲げたところでガン無視されてスルーがせいぜいだとは思うんだが、しかし、片側に「サブリミナル効果」という厄介なシロモノがあることも世には知られていて、こいつが爆弾だったりするんだ。
まだまだ情報媒体が人体や精神にどんな影響を及ぼすかは未知の領域でさ。だから表現無罪なんてのを軽々しく信じるな、と言いたいのだ。
しかし、何度も言うようにエロス自体もまた言われ無き差別を受けている存在なのだから、そこは一律に禁じるとかいう考え方にも賛同は出来ない。何事にも許容出来るモノ出来ないモノがあり、エロスや表現自体にもそれは言えると思う。
何をやってよくて、何をやっちゃマズそうなのか、そこの線引きで揉めに揉めていると思っている。フェミさんたちのいう、「男性に都合のいいエロは、現実の男性にも女性を都合良く扱ってよいという思想的サブリミナル効果になりうる」という主張は、決して馬鹿げた話などではないと思うのだ。
データがないということを、免罪符のように言うのは卑怯だ。それは「今はない」というだけに過ぎないかもしれないし、そもそもであの程度のエロ表現が禁制になろうというのも行き過ぎだとは思うが、しかしあれらを「エロではない」と強弁されては違うと言い続けるしかなくなるだろう。あれがエロではないという認識こそが、差別意識だからだ。「エロだが規制されるほどのものではない」との差は雲泥だ。
エロをエロと認識しない時点がフェミの言う「都合の良さ」であり、怒りに油を注いでいるのではないのか。昔、女性差別がもっと公然であった時代にオタク差別が一足先に少しだけ緩んだが(例のオタクブームで急にオタク自認が増えた時期)、その時に女性差別を解消しないままに、オタクムーブの商品利用だけが始まった、そのシワ寄せが現在になって押し寄せたと思っている。
根本にある二重の差別構造が複雑に絡み合っていて、ちょうど江戸幕府が敷いた身分制度における最下層の争いみたいな構図に近付いているような気がするよ。
エロを描くことは悪いことじゃない。ほんのりエロス程度、本当なら公の場にあっても何も問題がないはずで、正しいフェミニズムは何もこれを否定しない。
性差別とエロスはまったくのベツモノであり、フェミもオタも両者の区別がついていないまま、互いが全面的に禁じるか、全面的に開放かを争うって、おかしいだろ。
おかしいと思うが、最近の棘まとめなどを見ていると、どーでもよくなってくる。
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