フェミニズム考察。(何度目やねん)
えー、今までフェミニストの立場に立って、彼女ら目線で考えてきたわけですが、埒が明かないので俯瞰に切り替えたいと思います。思想の方で綻びがボロボロ出てきて滅茶苦茶になっちゃうのは、すでに知られてると思いますんで。
仮説で、中核となるだろう条文を掲げておきます。
『女性の性はその個人のものであり、強制も抑圧も搾取も受けない』
例えば、「自由に掛かる権利」って辺りは基本的人権にてすでに条文化されとるので、他の権利項目に重複しない、というかフォローされてこなかった権利をカバーしていこうという運動だと思いますわ。
フォローされてこなかったのは、平たく言えば、他の権利と競合するからだね。
今までの世界ってのは基本的に「女性が我慢するシステム」だったんだけど、こいつが世紀末辺りで是正されたんで、既存の権利も整理整頓しましょう、て理念と考えて間違いないと思うの。やり直し裁判だね。
ところが、世間とか特に男性は今の常識が「女性の我慢で成り立っている部分が多くある」という認識がないんだわ。平等だとか間抜けなことを思っている。女性だけでなく、あちこちが不公平で、色んな属性の人に不利になっとるんやで、って。(笑
でだ、表現とぶつかったことで「不都合な事実」を掘り出したと思われ。
フェミニズム運動では「社会的な」不均衡を暴いていったので、基本の人権がフォローしないところの、「社会や集団の中にある無意識の抑圧、気付かれていない差別」をターゲットとすることが多くなる。
一方、表現というのは「直接に生きた人間を差別することは少ないが、差別の増長や固定化には貢献する」性質があるわけで、まぁ、これは自明なはずだが表現者たちは認めないねん。
この現代まで、表現が問題を起こさなかったのは一重に「少数派」に過ぎなかったからで、それがネット時代になって爆発的に表現者が増えたことで、性質を因とするトラブルが表出してきたわけだが、これもまだ認める気配はない。(笑
【追記(2023/01/31)。ここはリクツがおかしい。表現はその自由が保障される限り、どこまでいっても多様性によって「少数派の乱立」が担保されるだけで、差別の増長や固定化の懸念はほとんどないはずだ。もしそれが起きるとすれば、現状マスコミが抱えるような「メディア・スクラム」のような状況が生み出されねば、出現しない。】
現代、表現の自由はあまりに野放図な状態に達しているが、これも表現者内部からの反省はまだ聞こえてこない。それで、外部からの声が先に出てきて、フェミニズム運動と合流してしまったのだと思う。
こういうとすぐ「弾圧」というが、おそらく理念としては「三権分立」に近い。
あまりに表現が「力」を持ちすぎることへの反省が実態となって現れてきたのだとしたら、フェミニストたちが一見ではあまり関係も深くないはずの表現の現場にやたらと固執するのも頷けるのだ。フェミニズム側にすれば、ついでに扱うには大きすぎる問題なのだ。
いずれ、フェミニズムから離れて、個別の運動として表現の自由に対立する権力の成立と強化は起きてくるだろう。現状はフェミニズムに寄生するカタチで行動を半ば乗っ取っているから、フェミニズムという理念に照らすとトンチンカンな運動としか言えない状態となっているのではないか。
それもいずれは反省が起きて、寄生していた「表現の監視者」たちは離脱するしかなくなるだろう。その後は……あまり考えたくないな、自己反省がないなら世間は彼らを必要と認めてしまうだろうから。
社会にとって、表現は「力」とは認識されていなかった。近く、戦力としてその価値が認められることで地位は向上し、相応の尊敬も集めるだろう。だが、「力」は何であれ、監視されねばならない。自己反省がないならなおさらだ。
表現の自由は、少数派であった時には悪しき影響力を持たなかった。世間は表現の影響を選択できた。だが、数が増すことでコントロールを失い、生きた人間にとっての害悪をも産み出せるほど、強さを増した。
その「悪意」は奇しくも、フェミニズムの理論に則るように「男性社会に抑圧される女性」に偏向を見せ、ゆえにフェミニストたちに発見された。←今ここ。
近い未来、フェミニズムは自己反省からこの「表現の監視者」を切り離しに掛かるだろうが、「女性を抑圧から解き放つ」という理念がこれを難しいものとしそうだ。
一方の、表現の自由陣営であるが、これはそのうち他の権利運動の活動家からも批判が生まれてくるのではないかと危惧する。現状は女性の表現が群を抜いているからフェミニズムとの敵対だけで済んでいるのだろう。
いつから、表現は一人歩きを始めたものか、その分析も必要かも。
以上!
次で「宇崎ちゃんの第一弾、なんで絡まれたか?」をやるわ。満を持して。(笑
【追記(2023/01/31):はい、関連の全ページに貼り付けてくよー。
このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。
「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」
「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」
「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」
この三つ。
声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。それが誰かの権利を制限する法律を制定させようと働きかけていることが一番の問題点。
(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます