【フェミ考察】「別に貴女に求めているわけじゃない」の悪手

 これは、論戦相手個人への侮辱にも相当するし、選民思想的で女性全体への差別でもあるし、口汚くなればなるほど無関係第三者的立場のROMさんですらオタクという人種に嫌悪感を覚えるであろう、悪手のひとつだよね。


 まず、表現におけるキャラクターを性的に観るという行為は、選民思想的な、いわゆる理想像の表明にものすごく近しい行為というポイントがあろうかね。(要はセクハラ、マッチョイズムの対?)

 これに偏りがあるのは、まぁ時代ごとの流行り廃りってワケで致し方のないトコロなんだけども、それは期せずして「差別」に相当してしまうわけだ。「表現」であるから。ここら辺の理屈がまたややこしいから、説明は端折りたいんだけどアカンやろな…(笑


「表現」であるってことがな、「現実」で差が出てしまうことはこれは「致し方ない」わけだが、人工的に操作可能な「表現」でこの差を作り出すのは「差別」だ。


 もちろん、「差別」と解っていて差別を表現するのは構わないんだけどもね。表現の自由ってそういうことなので。ただし、それを差別ではないと言うのは嘘吐きだ。


 逆に考えるんだ、現実にある不均衡が差別であるから改善されるべきという理屈なわけで、それを表現上で人為的に作る行為は差別であるわけ。だけど表現の自由において、その差別自体は不問とされるってことね。表現の自由とはそういう性質。


 差別の撤廃とは、乱暴に言えば「偏りを無くそう運動」だと思うわ。


 だから、今のフェミ運動は表現の一部、とくにエロ関連を焼き尽くすかもな、と危惧するわけだよ。構造的に「表現」は「差別」を内包するからさ。そこを表現者は絶対に認めないんだけども。


 アメリカとか海外の表現があんなにあっさりと陥落したのも、これが原則でちゃんと理解されているからって話と思うぞぃ。


 まぁ、もちょっと考えてみる。

(表現者無罪にはならん、と己の勘が告げているが)




 思うんだけどさぁ…


「表現の自由」とかって言って、どうも表現者は表現というものを正義と見過ぎるんじゃないの? てか、何者にも優先されて守られるべき、とか感覚がおかしいと思う。「報道の自由」とは違うだろに。ごっちゃになってない?


「報道の自由」が表現に寄らないよう四角四面な感じになってんのは、その強大な優先性のためでしょに。逆に表現のほうはそこまで優先されないんじゃない?


 権利ってのも、細かいトコではどんどん改正とかあるいは改悪が為されるものだし、世界的に今、表現の自由という項目へのアップデートが起きてんのかもよ?



 もうひとつ、「公的な場における発表」というのもキーワードだけど、これも何か見方が違ってるんじゃないかという疑い。もっとピタゴラスイッチ的な論理の転がりがあって、一見ミョウチキリンな理屈としか見えないけど、実際にはソレこそが構造中に隠れている、っていう気がする…


「宣伝」「広報」「影響」、この辺りだろな。

 公的な場においてのカルトの宣伝はどうだっけか???

 おそらくは同じ理屈適用なので、これが鍵だな。


 まぁ、平たく言えば「女性差別を布教している状態」をフェミは攻撃してる。


 なので、「自分から見に行かない限りは目に付くことはない。(断言)」という反論がオタク側にとっては最強の返しワードになると思うわ。(問題はそうでない場所にあるオタ創作ってことで、特にWebが取り沙汰されるわけだが…)


「性的商品化の不均衡」「布教場所」「布教そのものの倫理的罪悪の可否」

 …こんなトコですかな。


 商品化の不均衡は、過去分も換算されるという意見とそこまでしない意見とで分かれるだろうし、一人一派ってのがよく分かるわ。問題点が羅列できちゃいそう。(笑


 アレだよ、エロってのを本気で真面目にテーマに選んで、真面目に向き合った創作物は非難されないんだ。だけど、ヌキ目的だけで利用する「性」は断罪される、ていう流れになってきているんだろうなぁと思う。

 だから「コラボ先の作品」が切り離されて非難を受けている。原作と、コラボした先に出来た作品はベツモノという感覚が強いね。オタク側には理解しがたい感覚かも知れないが。(表現上において二者は厳密にはベツモノなのかが焦点だなぁ)


 揺り戻しで創造物の高尚化が始まってんのかなぁ…?(解らんですたい)





【追記(2023/01/31):はい、関連の全ページに貼り付けてくよー。

 このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。


「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」

「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」

「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」


 この三つ。


 声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

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