【フェミ考察】表装の差別について

 フェミニズムからちょっと進化したトコの話になるけど、「客体化」が問題だと言っていた部分を突き詰めてみたいと思う。


 むしろこれ、『表現されない部分こそが差別の表装である』に通じているな、と気付いたんだけどさ。昔々から言われてたことだけど。


 アレだ、映画の問題提起で昔、それこそ十年以上前には言われたヤツ。

『画面に映っているのは白人の美男美女だけだ』問題な。


 たしかに昔のホームドラマだの映画だのはこれで、脇役まで見事に白人だったなぁと思うんよ。それもちゃんと見目のいいのばっか選りすぐり。有色人種は悪役か道化しかやらせて貰えなかったんだわ、間抜けの役ね。

 今こそそこまで露骨じゃないが、やっぱ美醜の割合はまだリアルとはほど遠いね。


 特にヒロインだ。男性向けのヒロインの美人率はハンパない。どうせフェミも騒ぐんならココ指摘しないとね。そのまま女性向けの相手役がイケメンばっかだろってトコへ跳ね返ってくるんだけどさ。


 でもこれだって人の好みは千差万別で、イケメン好きばっかじゃないんでマイノリティが黙殺されているってことなんだけどさ。美醜において劣る者を黙殺するという完全なる差別だ。だがここは問題視されないんだから、どの口が、と言われるわけ。


 そんで、「つがいの非対称」ともいうべきポイントにもなってる。女性向けは美男美女で持ってくるのに、男性向けは美女と野獣…いや、野獣というのはすでにイケメン枠だから、醜男と美女っていうカップリングがメインストリームに存在することそのものが、差別的と感じる部分があるんじゃないかという気がするよ。

 だからことさらオタクが標的になると考えると、辻褄も合ってくるんだよな。「女性全体への差別」という意識がどこから湧きだしてきたのか、不思議だったんだけど。


 もちろん、女性向けで醜女がヒロインで醜女のままイケメンと結ばれる話ってのも少数だが存在する。しかし、男性向けほどジャンルとして確立はしてない。それはむしろ女性が自身に掛けている呪いのようなモノなんだけど、その復讐心をダイレクトに男性自身に向けているって考えも出来そうだよね。


 男女の認識の違いで、差別を訴える女性は自身のモノサシで男性向けの作品をも観るから、ズレがズレのまま反転して女性をバカにしているという認識になるのかなぁ。バカに、というか蔑んでいる? 彼女らの怒りそのものはマジモンだもんね。


 男性向けでわざわざブサイクを宛がうって、逆を突けばそんだけ男性側のコンプレックスが女性一般より根深いことを指すんだろうけどなぁ…。


「自己投影」は割と無意識の中に根差すと思うんだ、だから千差万別の違いを生む。





【追記(2023/01/31):はい、関連の全ページに貼り付けてくよー。

 このフェミニズムの問題は、要点が現状でははっきりしている。


「フェミが持ち出した基準は、フェミという「いち学派」の創作造語でしかない。」

「ギルティの判定を下す基準を、どういう理屈でフェミが主導していいことになるのか。何を根拠にその権利を得ていると言えるのか。」

「フェミ理論の正当性は一切証明されていない。どこに物事の決定権を持てる余地があるのか。」


 この三つ。


 声の大きい者が、「嘘でも言い続ければ本当になる」を実践しているだけだと言い切れてしまうところが問題の本質を見るに大事な視点。感情以外に補強材料を何も持たないのがフェミニズム理論。理論とは呼べない、ただの主義。


(面倒になってきたんで、以後決定打を貼り付けて終わらせる。)

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