批評眼は自動的に働くものであって、多くの人は黙して去る②

 商業においては、「興味を持って手に取って貰ったら五割方勝ち」と言うよ。まだまだハードルは続いて、例えばお値段と相談とか、細かい部分の吟味とか、買って頂くまでには幾つもクリアしなきゃいけない条件があるけども。


 それは商業作品だけの話だと思う? ちょっと査定ランクが下がるだけの話で、基本的に選択作業ってのは万事に共通で変わりがないと思うよ。大根を選ぶのも、車を選ぶのも、商業誌を選ぶのも、アマチュア作品を選ぶのも、同じだよ。


 自分の作品だけをその範囲から外して、ああだこうだ考えたって正解なんか出ないでしょ。その無駄な時間の方がよほど勿体ないと思うのですよ、もっと建設的に時間を使うためにも、理想論とか感情論は廃したい所存ってね。現実を見ろ、てのよ。


 作品を読んでもらえない場合、第一に考えるべきは「宣伝の効率」であり、次に来るのは「マッチングの確率」であり、ちゃんと宣伝が機能してマッチングが正しければ、あなたが呼び込んだだけの客はちゃんと第一話のPV数に反映されるんですっ。


 呼び込みしてないのに来てたとしても、なんらか他の原因があってその数字になっている。私だったら、講評とかやった過去や、放置されている他SNSの作品から来ている可能性があります。(それだけ紐付けされているネット上のテキストがあるってことだから)あと、なんだかんだ言ってクチコミの威力は凄いよ? ツイートとかされなくても、リアルで話題に出る場合はあるんだよ。


 だけど、いくら宣伝やら交友活動で精を出したところで、呼び込んだ先の肝心の作品が低品質だったら、お客は感情上乗せでさらなる低評価を下しますよ? そこは自分のことで想像してみれば解るでしょ。


 で、誰でもその価値が解る、評価がしやすい項目とはなんでしょうか?


 文章です。



 いくら、読み進めれば良さが解ると言われても、そこまでする義理もなければ義務もないんだから、わざわざ読みにくいような文章で書かれたモノを読もうなんて人はそうそう居ませんよ。


 そしたら、そこまで足を運ばされたその数分間は無駄だったということになるわけですよ。時間返せ、となる。今の時代は、カネと同等の価値が時間にもある。


 読んで貰えないと言うときは、読んで貰えるに値するだけの品質を保証できるかどうか、という観点でもう一度自作品を見つめ直してみたほうがいい。それは、中身よりも表面的なものの方が時には重視されますわ。中身を知るには、文章をまず読まなくちゃいけないんだから。


 たぬき文というモノがあって、「た」が抜かれた文書ですけどね、それを気持ちよく読める人は珍しいでしょうよ。文章に問題を抱えている作品ってのは、すべからく、このたぬき文と同じなのだということを認識してほしいもんですわ。


 読むに値しない、という評価だって人によってその範囲が違うから、そこがユルい人の優しい感想を標準と錯覚して、他の読者を責めちゃダメでしょ、て。他の大多数は「黙して去っている」んだから、どっちが少数派かなんてすぐ解るでしょ。


 それが過ぎれば、世の中を恨んでしまうことにもなりますよ、て。



 商業の、基本的な戦略は、「来た客はガッツリ掴め」だと思うの。買ってくれた客ね、そこの顧客満足度で、しっかりと常連を掴み続けていれば、客が客を呼んできてくれるようになる。その為には、コア層を作り出さなきゃいけない、てヤツ。




つづく……かも知れないし、終わるかも知れない。

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