批評眼は自動的に働くものであって、多くの人は黙して去る①
自分も出来てるかどうか自信ないことを書くのは面はゆいのだけども、面はゆい、てココで使って使用箇所が間違ってるってことはないよね? 最近はすごくそういう細かいコトが気に掛かるようになってんのですが、つまりそういう関連の悩みというかね、どうなんだろコレ、てのを書こうと思うのですわ、今回。
文章に関しては、アマチュアの中でも推敲もせずに『ただ伝わりさえすればいい』で書かれた一発書きの文章と、浅田次郎先生とかの書かれるような『シンプルイズベストにまで突き詰められた美文』てのは、一見、同じに見えるんだよね、違うと解るにはそれなりの教養と読解力が必要でさ。
普通の人はさ、スルー力っての持ってるでしょ? こまけーことはいいんだよ、て言って、寛容さと言うかもだけど。
自分自身も、一人称で書こうとすると書けなくなってさ、手が止まるんだけども、その時の判断基準と、読み手に回った時の判断基準は場合にもよるけど、明らか違うもんなぁ、と思ってさ。
読む時ほど寛容じゃなくなるんだよね。
で、どう書き出せばいいかも解らなくなって、一行さえ書けなくなって、結局はまだ書ける三人称で妥協しちゃうんだよね。読む分はアマチュア作品の、初めて書きましたみたいな、”てにをは”からが微妙な微笑ましい作品でも普通に読むけどさ。
んで、本題です。
自分自身ですらそうなんだけど、これ、一般的な読者となると『自分の力量は棚上げで商品に関しては高望みに文句を付ける』てのが普通じゃないですか。
対価を支払ってんだから、それに応じた品質は求めて良い、てことなので当然なのだけども。カネでも時間でもその人の持つ財産を貰うということなんだから、それに見合わないものではスルーされるのは当然だ、てことで。
私は、未完ばっか作る作者だっていう評価を貰っているとしても、それを理由に敬遠されているとしても、仕方がないなと思うし、その評価を不当とは思わないわけですよ。事実だし。読まれない理由のひとつに数えていいだろうなと思ってますわ。
最近、批評というものに敵意を持つ人の意見とかをちょくちょく目にするんだけど、自分のこと、過大評価してね? 自分に甘いよな、と思う意見がよくある。
いいトコを見つけるのは大事だけど、それ以上に、その長所を覆い隠している欠点を解決した方が早いでしょ。その欠点のために、読者はスルーしているのだし。
まず、このカクヨムというサイトに日本語文化圏の人々の何%が来てくれているのか。ここの数字は運営さんの責任もあるし、全体の総合で決まるものだから個人ではどうにも出来たものじゃないけどさ(なろうが異世界テンプレの場所と認知されたような話と同じ)、そのお客さんの何万人かのほとんどにスルーされているっていうのは、何がしかの問題が個人にあるからでしょうよ。
それは、宣伝の少なさもだし、運もだし、あるいは交友活動もあるだろうしで、なかなか個人の向き不向きもあって改善は難しいけど、タイトルで損をしてるとか、あらすじで客引きが出来てないだとか、とにかく本文以前の場所に問題があって、客がこない、てのはあるでしょ。
それを見るのが、第一話のPV数で。それがわずかな数だったら、先に挙げたようなことがまず改善点に上がるでしょ。
どうして、その延長で本文自体を考えられないのか、と思うのよ。
数々の関門をクリアして、第一話にまで来てくれた客が、そこで引き返すってよほどのことだよ?
商業で一番難しい、「興味を持って手に取って頂く」はクリアしたのに!
つづくんじゃよ。
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