「発想」が斬新という講評で首をひねる…

 いちおうね、評判になった作品とか賞を取った作品とか、ご縁があれば買って読むわけです、参考までに。他にもウェブで挙げてくれているようなのは有り難く読ませていただきます。


 で、ちょいちょい、「設定が新しい」とか「発想が斬新」とかの評価をね、見るのね。だけど、期待して読んでも首をひねることが”ほとんど”なのね。選者には悪いんだけど、これ、前に映画で見たよ、とか、古い漫画で読んだ、とか、昔の同人作品に似たようなのあったな、とか思ってしまうのね。アニメとか、昔は一話モノ多かったから、とにかく設定はすごい量が消費されてきたわけよね。だいたい記憶に残ってるじゃん、それ。今出せと言われても出ないけど、見たら思い出すよ、どっかで見たな、て。そういうのが多いという意味ね。


 この、「斬新」だの「新しい」だのが、何をもって新しいんだかが解らなくて、自分がいざ書くという時にどう考えればいいんだかで迷うのよね。


 作品の完成度はまぁ、それぞれで、いい話だったら「ええ話や~、」て泣いたりするし、作品そのものはさすがに受賞作とか人気作だけあって、レベル高ぇなぁと思うんだけども、そこだけは何か引っかかるのね。メディアを跨げばゴロゴロしてるじゃん、て思うものすらあったりして。


 モヤモヤすることもあるんだよね。「斬新な設定」というのを理由にして、受賞したとある作品なんだけども、他の項目は、言っちゃなんだけどレベル足りてないよね、と思ったのさ。そんで、こっちから見たら、その設定さえも他のメディアだったら平凡なんだわさ。特に往年の流行だったりで、知らなかったのか?と疑うレベル。

 こうなると、「斬新って…?」てなっちゃって。何を書けばいいのか、だんだん解らなくなっていくんだよね。


 ミステリは、過去作品を抑えておかないと、トリックとかで被っちゃったのを知らずにいたら恥ずかしいから、せめて有名作くらいは把握しときなさいと言われるでしょ。それはもうその通りだよなと思うんだけど、上記のようなことが起きるとすごくモヤモヤするわけですよ。


 …設定とか、あんまりポイントに入れない方がいいと思うんだけどなぁ。


 物語の面白さって、展開とキャラで決まると思うのね。で、むしろ設定ってのは、それが弱いのを誤魔化すためのワザと思えるんだわ。実際に設定を派手にしたら、かなり読者は誤魔化せるんで、そういう意味だと優れた設定を練れることは武器になるけどもさ。本末転倒な評価じゃね?と思ってしまって、モヤモヤしてます。


 冒頭が大事、タイトルが大事、というのと同じ意味あいで設定ってのも「序盤では非常に大事です」という風に捉えていたから、これを主軸にして作品全体を評価するのは違うんじゃね?と思った次第。


 アレだよね、本屋に並ぶ本って、お見合いパーティーみたいなモンでさ。


 タイトルとか冒頭とか設定って、顔やスタイルなんだわ。これが良ければまず多くの異性が群がってきてくれるから有利なのは当然だよね。だけど、決め手ってのは必ずしもソコじゃないじゃん? そういうことを考えたわけ。極タピみたいにその一回きり稼げりゃいいってならまだしも、て。


 んで、主人公やヒロインの特徴付けにも同じような不満があるのね。語尾とか口調とか付加能力とかでゴテゴテ飾っているほど、本来の意味の「キャラが立つ」てのは解りにくくなるじゃないですか、目眩ましみたいなものでさ。


 読者って古今東西、時代が変わったところで「キャラのファンになる」だと思うのですよ。ほんと、同人の即売会とか行ってみりゃ解るのよ、作品のファン=キャラのファンだからさ。それは、キャラの持つ設定に惹かれたわけじゃないのですよ、それはただの入り口で、やはり見ているのは人間性っての、今も昔も変わらないって思うんだけど、間違ってんのかなぁって迷うんだよねぇ。



「イイ小説」って…「キャラが立ってる」って… なんぞや?orz



 誤解のないよう付け加えとくと、手に取ってもらうのがまず何を差し置いても危急ってのは変わらないから、設定は大事なんだよ。だからこそ、私自身、某グループで講評やってた時も冒頭しか読まないって宣言してたんだから。冒頭さえなんとかすりゃ、SNSなら充分戦えるようになるから、て理由。


 だから、悩んでいるのは、そうやって冒頭でうまいことキャッチしてきた読者をどうやってカタにハメるか、てとこのポイントでさ。ここが肝心なのだよね。カネ取るレベルの戦いってなると、冒頭だけで買ってくれるほど客も甘くはないでしょ。


 これさ、設定というゴテゴテ飾りと現実的な人間性の描写という二つの食い違いを感じてしまっている者としては、頭抱えるってコトなんですだよ。感じない? 設定を派手にすればするほど、キャラを人間として描くことの難しさを感じ始めない?


 そこの両立って部分にも引っかかるし、先に産みだしたキャラが上出来だっただけに、あのレベルの上出来のキャラなんて量産出来るかバカタレ、とか思っちゃって、今日も筆は進まず、です。…愚痴だよ、愚痴っ。


 解ってるのよ、キャラだけはさ、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」でアタリが出るまで引き続ける以外ないってくらいは。(こんところ頭ん中がずーっと面接会場)



『小説家になる!』中条省平著 抜粋


 意外なオチとかトリックとかどんでん返しは、エンターテインメントでは重要な要素だし、あるいは、純文学でもびっくりさせることは大事なことだけど、それがテーマと切実に結びついていなければだめです。ある驚きを誘う仕掛けがトリックのためのトリックにすぎないと解った瞬間、せっかくほかの部分で丹念につくった物語が単なるフィクションになって崩壊しちゃうんです。

(中略)

 ヒッチコックはあるアイデアが出た時に、それが必然性をもって物語に嵌まるかどうかを常に考えている人なんです。例えば、彼はこういうすばらしいショットを考えた。自動車工場のシーンです。流れ作業で、まず最初にエンジンが置かれ、部品が動いてゆき、次にシャーシがくっついたり、上にボンネットが、というふうに、ワン・ショットで流れの工程をカメラがずっと追っていく。エンジン一個のところから一個のぴかぴかの新車ができるところまでワン・ショットで切れ目なく撮る。そして、係員が完成した自動車の扉をぱっと開けると死体が転がり出る。すばらしいアイデアだと思う。映画で観たら、うれしさで映画好きは失神するかと思うほどのアイデアだけれども、ヒッチコックはこれを使わなかった。トリックでやろうと思えば、車がある程度大きくなったところで下から死体を入れるとか、いくらでも出来る方法はあるけれども、結局撮影しなかった。なぜか? それがぴたりとはまる物語がなかったからというんです。これですよ。どんなにいいアイデアでも、必然性をもって全体に融け込まないと、かえって全体を台無しにしてしまうんです。

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