30年前の書き方本にあった文学講評

 私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いて見ようと思います。


 これ、『痴人の愛』の冒頭だそうです。

 これに対する講義の言葉はこう。


 その通り。これはもうほとんどばかですね。ばかであるということが、この作品の主題なんですよ。つまり、『痴人の愛』ですから。まず「正直に」「ざっくばらんに」「有りのままの」と、同じようなことを三度繰り返しているんですね。これは絶対にやってはいけないことです。だけど、結果論としていうならば、このリズムは痴人の馬鹿正直なところというか、しつこい粘り強さとか、ある種の呼吸とか、体温といったものまで感じさせるものですよ。ただ、谷崎潤一郎の「です・ます」調とかしゃべりの口調というのは、日本文学の中でも屈指のうまさで、それに匹敵する一例としては、すぐれた短編を書いていた時期の江戸川乱歩だけだと勝手に断言しておきますけれども、これはなかなか真似られるものではないんですね。

 もう一つ、やってはいけないことを、平然とやっていますね。つまり、「私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私達夫婦の間柄に就いて」と言っているでしょう。これは小説では絶対に使ってはいけない手ですよ。なぜかというと、類例がないと断っているから、すごく変わったことが出てきても、ああなるほど類例がない話だねと思ってしまうし、類例がないほどすごいことが書かれていなかった場合には、いったいどこが類例がないんだと読者は怒りますから、これは言うだけ損なんです。つまり、谷崎潤一郎はここで、読者に対してものすごく高飛車な態度で挑戦していると言ってもいいんです。これはそうとうな自信なんで、皆さんは絶対にこういうことをやってはいけません。

 この冒頭はちょっと特殊な例ですが、一つ言えるのは当然冒頭は謎を含むべきだということです。つまり、効果。これは挑戦であると同時に、謎をはらませ、物語に期待を高めさせる効果があります。


 と、こう書かれる。



 しかし私が言いたいのは、傍点付けた部分ですよ、イマドキではこんな細やかな読み方をしない読者だってたいがい多いのだ、という点を言いたい。

 Web小説でここまで考えて書かれているかどうか、Web小説で大人気の何万人がフォローしてるよーな小説が、ここまでの技巧に拘っているかという点です。


 そんなもの無くたって読者は別の読み方で楽しんで読んでいる。だけど、片方には従来通りのこういう価値判断も生きている。


 両者は別だ、と言いたいイミが解かってほしいなぁと思うのですよね…



 田中貢太郎って、「日本の怪談」の著者ですけども、著者の写真はちょんまげ姿ですわよ。どんだけ古い時代の人かわかるでしょうか。その文体を評して、漢文調の非常に由緒正しい香りが云々、と書かれるわけです。

 だけど読んでみりゃ解かるけど、Webでお馴染みのそっけない説明文体って感じですよ、シロウト目には区別なんか付かないレベルです。


 読者にも読解力レベル、教養レベルあるってことですよ。非常に狭い分野で小説というものは分断されている。今勢いがあるのはWeb小説です、ここは。読者もそれを求めないお約束の大地。


 だけど、他の分野の小説読者は、技巧は求めるでしょう。それは上記に記したレベルの技巧を、です。だから相容れないわけです、同じジャンルには括れない。別のジャンルだと思うから、読者は両方のジャンルを双方で楽しめるってことです。別だから。


 技巧、技巧、言ってるジャンルの読者が、「新文芸」なんてネーミングで迎え入れてくれると思ってんのか、ってんですよ。ラノベの延長線でのネーミングでないと、文学系読者は裏切られた気しかしないだろうし、ラノベ読者は敬遠しますわな、完全に狙うべき読者とは違うとこにアプローチしてどーすんだ、と言いたいわけですわ。



 以上。(今のトコ)

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