文学と文芸の違い
少し解かった気がしてきたので(してきただけ)、間違ってる可能性のが高いですがー。だって文学はさすがに学問なのでそんな簡単には届かない。
文学って、「我が道を行く」の芸術の一つだから、それは作者ではなく読者の方で最大限に努力して近付いていくジャンル。解かるように書く必要がないジャンル。例えばピカソの絵画は、絵画の素養を高めた人しかたぶん真の価値を理解しないんだよ、本当に解かっている人がどれほど居るんだろうか、てなもんで。(私ももちろん解からんです)
だから読者置いてけぼりなのが文学。必死に読者の方でその集落に入れて貰うべく努力する必要があるのが文学。だからそもそもで「お手軽なものではない」。
それは、作品の完成度ゆえ。
読者に配慮するということは、作品においての妥協になる事がある。
読者への配慮というものが常に作品の創造性と一致してればいいんだけど、そうじゃない方が多いと思うんだよね。ピカソのあの画風は決して読者に配慮されたもんじゃないわけで、ああいう突き詰めたモンは文章にだってあるんだから、配慮が常に創作とマッチングするわけじゃないって……解かってもらえるんだろうか言いたい事。
読者層ってものがあって、それぞれのクラスタが形成されているから、極端な話ではそのクラスタにさえ認められれば他の外野が何を言おうが無視していい、てのはあるじゃないですか、趣味ってのは。
文学だともう完全にソレで、世間や大衆が意味不明と言っても、通の人たちで作られたクラスタで認められたらもうそれでオッケーなんだと思う。一億の日本人が解からんと言っても、10人のクラスタが良作だと言えばそれは良作なのです。一億人の部外者はカウントしなくていい。同じく全世界が認めなくてもラノベ界隈の何万人が認めるなら、その作品は良作になるわけです。(同じでも部外者の態度が時に違ったりはするけども)
文学だと、解からんでも部外者は追随して解かったフリをしたり、否定するでもちょっと遠慮がちに、解からんけどね、とやるでしょう。ラノベだと露骨にバカにしてきたりのが多くなる。これはマウンティングがあるからでしょう。
文学はマウンティングで上になれるアイテムで、ラノベは勝負にならないアイテムだからですよね。ラノベを出して感心してくれるクラスタはあんまりない。正直なトコを正直に述べてスマンですが。幼女のおパンツだと思われてるでしょ? だから著名な作品が、やれ、あれはヘビーノベルだの、ラノベじゃないのと騒がれる。
それで、文芸の立ち位置はというと、文学よりも下だけどラノベや漫画よりは上という微妙なトコでしょう。あくまで世間のマウンティング素材としての扱いね。これ、このマウンティング素材としての価値ってのが実は大事なんだよね、一般文芸でやっていこうと思うなら。
半分は文学で出来てないとダメってことですよー。そのくせ、もう半分は読者への配慮で出来てないとダメで、ラノベよりも面倒な縛りがある。ラノベだったら開き直ってエンタメ100%でもいいのに。面白けりゃよかろう、ですよ。
だから方法論とか文章の型から違ってくるんだよね、文学文芸でひと括りにしてんのもそれがあるから。文芸狙いでテンプレなんてありえへんもん。(笑
ラノベの場合は、なんせ読者への配慮がすべてだからね、これはこれでまた違った窮屈さとか難しさ、それゆえの技能ってのがあるんだけども。なかなか奥深くてそっちも遣り出したらかなり勉強をせねばならないジャンルなので、部外者は語らないが無難。(なろうで週間ランキングに捻じ込んだ経験で言ってる)
まず、文芸ではマウンティング出来るかどうかが大事。文学だったら文学というだけで割と箔になってるけど、文芸は文芸ってだけでワンランク落ちるから。(笑
個人個人、自慢話関係なしに好きなジャンルとか趣味ってあるだろうけど、商売ってのはそういう「本当に好きな人たち」以外にも買ってもらえるように考えるのが筋だからね、マウンティング出来る要素を入れるって大事になる。世知辛いってのはそういう点だよねー。
消費者ってワガママで、とにかくお得感がないと買ってくんないのよねぇ。しかも、文学で求められるお得感と、文芸で求められるお得感と、ラノベで求められるお得感じゃ、ぜんぶ違うんだもん。
文芸で求められるお得ってのは、まず、文学並みの中身ね。なんだろうかね、文学ってタイトルの持つ「凄い感」っての? これが求められる。文芸作品における読み応えって言ったら、「これはむしろ文学作品と言うべきだ」という意味ですわ。
だから逆に、文学に求められるお得ってのは文芸の面白さがありつつ、文芸の良作よりもっと「凄い感」がある、て事になってもう大変。文学と文芸で双方をブーストし合う関係。
だから文芸作品は半分以上文学でないとまず手に取る価値を認めてもらえない。つらたんですなぁ。そうすると、文学同様、スタンスとしては「人間を描く」になる。だってそうしないととても文学半分なんていかないもん。
それでもね、消費者ってのはワガママなんだー。
文学半分、をクリアしたとしても今度は「文芸なんだから面白い話でなくちゃ」と来るわけよ、文学じゃないんだから、と。ちょうど本格ミステリの講評なんかで、人間が描けていないとかの文句がくるのと同じだよね。文芸は半分はエンタメなので、人間を描きつつ面白くないとダメなのです。
面白いってのは、まず「読みやすい」のハードルを越えて、話はそれからだ、というところにあるものです。このハードルがまた読者層クラスタごとで違うってのはもう周知になったよね? で、文芸での読みやすさはちょっと甘め設定なので、ラノベほど読者に易しくはなってないです。半分は文学にしなきゃいかんので。
これ、しかし、作家さん個人のレベルでは試行錯誤でどんどん読みやすさの改善は為されていると思います。ラノベを研究して良い点は取り込もう、みたいな話も聞きますからね。
ベースは文学のあの人間描写であるという事を守りつつ、読み口をどうにかラノベに近付けていけないか、という実験は続けられてるみたいですね。その手法がね、テンプレはタブーなので他の事でね、やろうとなってます。
なんでテンプレは文学文芸ではタブーなのか。
私は自身の制作方法がアレだったんでピンと来ましたけども、完成度に関わってくるんですよー。テンプレ使うと著しく下がるんですよね。矛盾とか整合性とか説得力とか科学的根拠とかなんやらその辺りが。それらを出来るだけキチンとやらないとダメなんです、文学だったら出来るだけなんて甘っちょろいモンですらなくなる。
文学文芸では、まず何より説得力ですわ。読者は目を瞑っちゃくれません。
異世界に行きましたー、はい、なんで異世界じゃなきゃダメなんですか。二番目じゃダメなんですかの蓮舫代表ですよ。仕分けでざっくり切られます。前にも言いましたが、評論家が詳細な分析かまして論文とか書けてしまうのが良い文学文芸作品。
なもんで、書き手の方でもなんで異世界でなければならないのかの理由は先に考えておきます。理由が付いたら、異世界への飛び方に無理がないか、科学的整合性や論拠も考えます。前例ないかな、の資料調べとか。
私は思い付いたアイデアをベースに、思いつくままに綴って、後から改稿で成型していくタイプの作り手ですんで、そらもう冒頭エピソードまるまる1万文字とかざっくりと仕分けしちゃったりもします。整合性とか説得力が命なのです。なので、テンプレから外れてはいけないなんて縛りは御免です。矛盾やご都合なしで書ける自信ないです。
整合性とか説得力は、それがまず「文学的に人間を描く」のベースに無くてはならないからです。ガチガチ無くてはならないまでは行かなくとも、やっぱある程度は求められてしまう。その程度はクラスタ間で違いますけど。
だけど、しっかりしたものを書けば、文芸読みはちょっと甘めに見てくれます。それこそ冒頭部がちょっと取っ付き難かろうが、文学並みの読み応えがあるとなったら評価されますし、価値の認められ具合によっちゃ人気だって出ます。
ラノベで、内容が面白ければ文章がちょっとくらいアレでも人気がでる、という現象と何も変わりません。
文学と文芸は双子ほども似通っていますが、ラノベとはまるで違います。その差は鏡に映っているというくらいに反対だったりベツモノだったりする、という話です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます