世の中の大勢はバラエティ一強
世間の大きな流れを見るバロメーターは、テレビだ。これは間違いがない。
で、最近のテレビ番組編成で見ると、朝の連ドラ以外のドラマは総苦戦状態が長らく続いているらしい。
時代劇を持ってきてもダメ、現代ドラマを持ってきてもダメ、ミステリを持ってきてもダメ、恋愛モノを持ってきてもダメ。
なもんで、テレビの番組表はバラエティの一強状態。他のエンタメでは数字が出ないのだから仕方がない苦肉の策という感じらしい。お笑いも、ネタだけでは番組にならないという話をどこかで聞いた。とにかく、エンタメそのものが数字を取れない。
書籍では、売り上げ牽引役だった漫画雑誌が総じて不振というか、大苦戦。他の書籍なんか言うまでもない。世間の人々の大半が、エンターティメントに魅力を感じなくなりつつある。どうしてこんな事になったのか、と思う。
ただ一つ好調なのはソシャゲ部門だが、これはむしろギャンブルだから参照しても意味がない。どうせじきに国策での規制と真実の告発が世界規模で始まるだけだし。人々の意識が変化し、競馬やパチンコと同類と見做される価値観が浸透してからがあのジャンルの本番だろう。
本屋で本が売れないというのも、実態としてはこの大勢の煽りでしかないと思う。本が売れないというだけではなく、あらゆる「遊び」が売れなくなりつつあるのだろう。
一番大きな原因は、富の偏り。ごく一部のビーバーが金をプールする巨大なダムを作っていて、これが害獣レベルに達している。(こんなもんは資本主義出てきた当初から予想されていたので、今さらだけど)いよいよ、裾野の原野が枯れ始めた。
人々は金がない、だから市場は縮小していき、ケータイ市場が潤った。パソコンとか家電なんかで大物買いを控えた分は、ケータイの分割払いに回る。
娯楽も、ゲームを偽装したギャンブルであるソシャゲとか、タダで遊べるSNSに流れた。テレビで情報番組はウケている。それはSNSに流す情報を得たいという欲求による。人々の求めは自分が主役になれる娯楽になった。
個人主義が極まると、こういう形態になるのは自明だったのかねぇ。
観光地でも人気なのは体験コースだよね、学ぶことも体験として人気だ。それをまたSNSで発信する。人が他人を見るのは、それを参考に自分が発信するためだ。ネタ探し。
文学が売れないのは、ネタにならないからだ。真似をして自分も書いてみて発信するという事ができないからだが、最近は少し違ってきている。文学批評をして、批評文を発信する傾向が出てきた。読むことが出来てある程度の分析も出来る文学的に易しく書かれた作品であれば、多くの人が食いつき、話題に出来る。「蜜蜂と遠雷」のように。(色んな感想文を読むに、私にはそう見えた)
これ、新しい市場ステージが開放されたような気もするな。とにかく皆、発信する情報に飢えている。発信は、始めたら最後、待ったなしだからな。止めてもいいんだ、と浸透しきるまで続く。
書き方のノウハウ発信がひと山越えたら、講評しますがムーブメントになった。
人々は、講評に値する中身ある作品を欲するようになるだろう。
中身とは何か? 「面白い」ではない。念のため。
講評で、ちょっと良さげなもの、マウント出来るだけのモノを書ける元ネタ、だからちょっとした感動話などでは足りない。誰でも書けるようなものじゃない、それだけは確か。
市場原理は、一つのモノが「見出され」「一部で愛好され」「大流行し」「廃れる」のサイクルを繰り返すから。一つの時代が終わりかけている。早いなぁ、もう。
カクヨムはすでにガラパゴスの一つであり、下手するとなろうもちょっと大きいガラパゴス島かも知れなく、これから隆盛していく場所を見つけるのはなかなか厳しくなりつつある。ツイッターがマストドンに分裂したことで、ますます解からなくなったもんなぁ。案外、分断化が行き過ぎちゃって結局はテレビが大勢の指針ってことに一周回っていってしまうかも知れない。
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