普遍的な幸せとは?

 そりゃやっぱ「誰かに必要とされること」でしょうけども。


 宗教とか道徳的な教えで言うところの、誰かの役にたちなさい、ではないんだよね。そんな受動的な控えめな必要性ではなく、もっと強い必要。


 先のページで、女性は本来的には男性を必要としない、と書いたけども、幸せの観点で言えば男性が必要なのです。男性が強く女性を欲している、という状態が。

 では男性はどうなのかと言えば、男性は多岐に渡った事由が出来てこれが満たされるわけです。女性ほど原理的な必要ではないから、融通が利くというか。


 生物にとって何が一番大事かといえば、生存です。その生存ってのは、個の生存の中に種の生存が内包される。個が生存したいと欲するのは種の生存の為で。


 女性は自身が生存するのが優先ですが、同時に子供を生存させる事も優先させる。これが母性ね。で、男性は自身が生存するのと同等に自身の所有の女性とその子供を生存させる事を優先させる。これが本来の所有欲であり、根源には男性の幸福感がある。所有というのが男性には大事になる。内包する種だから。


 男性は女性(子宮)が基盤になっていて、女性は子供が基盤になっている、というか。(男性は子宮を持ってないから女性を欲し、女性は既に持っているから結果の子供だけで良い、というか)


 子供が健やかに育つには、手厚い保護が必要で、その保護を与えるに都合よい男女の割り当てに、男性が母子を保護という形式にする時にその名を所有にした、というか。子供の保護が母性という名であるように、必要な機能としての感情かと。


 共同で育てる、個の生存、種の存続、それに都合良かったのが、固定された集団化でね、家族と名をつけた。あるいは村とか国。合理的に子供を育て種を存続するというのが本来の目的で、そこから展開して女性は子を産むし、男性は母子を所有する。男女に子供のセットで家族で、そこに近所とか血縁とか集団が大きくなればそれだけ安定して子供が受けるリスクは低くなる、ということで、個々の男女の負担は二の次だわな、と。集団の中心は子供だから。

 男女の性差ってのは、きっとあれだ、蟻の社会で女王蟻と働き蟻に分けた理由と同じで、役割分担した方が効率が良かったんだろうと思う。




 なんかグダグダと結論も出ない。うーん、まだ思考が必要な案件だわ。



 男性が女性を所有したいと欲するのは自然で、女性がそれに反発するのもまた自然だと思う。だけどフェミとかで所有を云々するのは底が浅いと感じることも多い。


 生物の世界を見ると、種の存続の為にする生殖行為がもう、えげつないような生物がちょいちょい見られる。蜘蛛はまだしも鈴虫とかはオスはメスの餌だもん。ああいうのを見るに、生物の本能的な主目的は種の存続である、と思わざるをえない。

 食われる鈴虫、メスに同化して消えてしまう深海魚、ああいうのを見ると、「生存ってなんなんだろう?」という根源的な疑問を禁じえない。


 だけど、男尊女卑の思想は根本的にも生物学的にも間違っているな、とは確信する。平等でもなく、たぶん逆だ。うん。私は理想主義者ではないから残酷な現実も直視するよ。けど合理性を突き詰めた結果だろうから、色々都合良いように出来てるよ、きっと。間違いないように出来てる。

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