トゥゲッターから拾った記事(未公開→公開)
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橋本紡氏
「ちょっと大きな問題なので、そのまま書きますね。現状の日本において、家族小説は成り立ちません。なぜなら、自ら家族という枠組みを作るという行為が、もはや普遍的ではないからです。今の日本……特に本を読む人にとって普遍的なのは、生涯独身で、子供を持たないという生き方です。」
「読者がなにを見てるかといえば「自分」なんですね。伴侶でもなく。子供でもなく。ひたすら自分に耽溺していく。」
「ライトノベルに限った話ではないですが、たとえばエッセイを読んでも、僕よりちょっと上の世代の作家さんは「他人」を描いてます。一方、僕よりちょっと下の作家さんは「他人から見た自分」を描いている。これはもはや、パラダイムシフトです。」
「三谷幸喜さんのエッセイにはたくさん人が出てきます。三谷さんは一人称で書いている。ところが、読み終わったとき、残るのは三谷さんじゃなくて、出てきた人。……一方、別の作家さんの文章は、たくさん人が出てくるけど、読み終わったとき、残るのは作家さん本人のことなんです。」
「三谷さんは他人が好きなんでしょうね。一方、彼女は自分が好きなんでしょう。……ちょっとライトノベルから離れましたが、三谷さんと同じような姿勢で書いてる方が今、どれだけいるのか。」
「自分のための小説を書いて、共感してくれる読者を引きつれ、一緒に年を取っていくという現象が起きています。上の世代も読まない。下の世代も読まない。「シンクロ率」を頼りにして、読者というより、信者を得ていく。そんなビジネスモデルが……こんな言葉を使うのは嫌ですが、成り立ちつつあります。」
上の世代も読まない、下の世代も読まない、……私が思ったことを思う人はやはり居ましたね。継続して伝えられていくものではなく、その場限りの消耗品みたいな作家が昨今では普通になってきました。ちょっと前までそれは作品単体の話だったのになぁ。
俺の考えはこうだ、とか私のストーリーはこうよ、とか僕の好きなキャラだよ、とかはアニメでも何でもそうで、だけど「こういう人が居る」はあんまり見ないんだよね、確かに。トゥゲッターの纏めスレとかにちょいちょい見るくらい。
最近、読者は俺語りに飽いてきてて、だから刀剣とか文ストとかの系統が台頭してきたんだろうかと観ている。「こういう人が居る」を求めてんだろう。(文ストが本当に文豪を描いているかというと皮を被せているだけの俺語りだとは思うし、読者も騙されて満足する程度なんだなとも思う。)
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