ポリコレというのは結局、民衆洗脳実験だろう?

 ヴォーグのモデルが日本の着物を着たというカドでえらく叩かれたらしい、という話題を受けて。なんでも、「マジョリティ民族はマイノリティ民族の文化的借用をする際に許可を取らねばならない」とかいう新たなポリコレが発生してるらしい。


 これ、ポリコレ自体といい、言い出した者たちの本当の目的は「人民支配」ではないのか、と勘繰ってしまうなぁ。


 人の良心とか、善良さを利用して、誰かにとって都合の良い世論の形成を狙って、効果の高い方法論を探していて、たまたま引っかかったのがポリコレの気がする。


 衆愚政治とか、とにかく昔から一部の人間は多数の人間をどうにかコントロール出来ないものかと画策してきたわけで、それの新たな手法なんだろうなと思う。


 あんまり在り難がるようなものではないと思うんだな、ポリコレ。



 分断するに都合が良い理屈だなぁと思ったのが最初で、ポリコレにしろ、民族文化借用にしろ、標的というか「ある集団vsある集団」という対立構造を作るにはすごく便利な理屈なのであるよね。それをさも善良そうな理想の糖衣で隠してある。


 で、この「ある集団」てのが実態のないイメージだけの存在で、そこには決定権も何もないって点が注目すべきトコですよ。だけど、ここに対象を置くと、あら不思議、なんだかその集団の全員が纏まんなきゃいけないような気がしてくるわけだ。

 それは全体主義以外の何者でもないんだけどさ。少数意見の抹殺を促すために、理想の糖衣を被せたポリコレを突きつけるという構図になる。


 この世紀、「理想が敗北する」というのは天からの啓示だったわけで、これに照らすと色々と違う側面が見えて面白いんだよね。まぁ、いよいよ悪党どもは人々の理想を逆手に利用することを覚えた、という事なのかも知れない。

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