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辺りの喧騒が瞬時にして固まったのも束の間、すぐに爆発したかのような歓声があがる。床に座ってくだを巻いていた仲間やモンモランシーに叩き起こされたギーシュも立ち上がり、もう一人の主役を邪魔しないよう、みんな小屋の壁に身体を寄せて通り道を作って迎え入れる。

「・・・・・・サイ、ト・・・・・・」

 喜びの声が飛び交う中、自分の元に歩み寄ってくる恋人の小さな声は鮮明で。耳にした途端、一瞬にして酔いが覚める。

 いまだ頼りなく、ふらつくその健気な足取りに気づきながらも、真っ白になった頭は恋人を迎えに行くことを許さない。

 ・・・・・・途方もない心の震えが落ち着き、金縛りが解けたときには、既に目と鼻の先にルイズは来ていた。

「・・・・・・大丈夫? ・・・・・・痛く、ない?」

 目の前にある幸せを認識できるまで惚けていたかったが、不安に曇るその声に何のことだろうと考えてみる。直後、細い指に触れられたことで、自分の左手の怪我を案じているのだと気づいた。

「え? ・・・・・・ああ、このくらい大したことねえよ、ほら」

 言いながら手を左右に振ってみせて、才人は心配ないとばかりに笑ってみせる。正直痛くないと言えば嘘だが、やせ我慢は男の特権である。というか・・・・・・

「それをいうならおれの方が先だ。・・・・・・ごめんな、痛かっただろ」

 下げた頭を起こすと共に、才人はルイズの顔に左手を優しく添えた。会うなり張ってしまったその頬を、包帯越しにゆっくりとさすっていく。

「いくらバカなことしてたからって、カッとなっちまうのは違うよな。本当に悪かった」

「い、いいの。もう痛くないし、あなたの怪我のほうがずっと・・・・・・って、言ったそばから動かさないでよ。傷に響いちゃうでしょ」

「ああわかった。けど、もう少しだけ、な?」 

 すかさず注意が飛んでくるが、気にせず才人はルイズを撫で続ける。やはり自分で動かすと痛みがぶり返してくるが、それでも目の前の恋人には何かしてやりたかったし・・・・・・それにどんな事情があろうとも、勢いでルイズに手を挙げてしまった自分を罰したいという、自責の念もあったのだ。

「ホントに痛くないってんなら、おれの気が済むまでじっとしてろ。じゃないとずっと続けるぞ」

 見たところ頬に赤みはさしていないし、確かに痛みは引いているのだろう。

 ・・・・・・まぁ、そんなに強く叩いてない、よな? と記憶を掘り返そうとした矢先、ルイズの瞳から大粒の涙が零れたので、才人は慌てて手を離した。

「ご、ごめん、やっぱり痛かったのか!? だったら最初からそう言って・・・・・・!」

「ち、ちがうの、痛いんじゃなくて・・・・・・ただ、撫でられる度にサイトの手だ、って思ったら、なんだか、と、止まらなくなっちゃっ、てッ・・・・・・」

 そのままぐすぐす泣き出すルイズに、才人もつられて目頭が熱くなる。

 な、なんだよ、いきなりしおらしくなるんじゃねえよ。そんな反則されたらこ、こっちだってなぁ・・・・・・

「な、なんだよ! ちょっと触ったくらいで、そんな・・・・・・」

「だ、だって、わたしガマンしてたのにッ・・・・・・あなたがどうしてもって、いうか、らぁッ・・・・・・」

 込みあがる感情を抑えなんとか宥めようとするが、返ってきた言葉が才人の涙腺を直撃した。長い月日を経て溜まった例の「離れた分だけ」フィルターが、感動を暴走させていく。

「バ、バカやろう、こんくらいいつでもやってやるよ、だから泣くなよ、ほら・・・・・・」

 ぐちゃぐちゃになる目の前と頭の中。胸の内で暴れるもどかしさを鎮めるため、思わずルイズを抱きしめようとした才人だった・・・・・・が、伸ばしたその左手は、突然の乱入者に固まった。

「る、ルイズ! 言われたとおり二人を連れ・・・・・・て・・・・・・」

 扉を開けるなり飛び込んできたハーフエルフに、驚きに固まる一同。瞬時に状況を悟ったのか、ティファニアは声をしぼませていく。


 凍りついた時間の中、だれもが動揺に言葉を失う。流れ続ける沈黙を破ったのは、続けて姿を現したアンリエッタだった。


「サイト殿、わたくし確かに申し上げましたよね? その左手の傷の深さと、安静にしておくように、と・・・・・・」

 静かな圧を感じるその声に、掴んでいたルイズの肩を離すがもう遅い。トリステイン女王はかつかつと、杖を鳴らして距離を詰めてくる。

「・・・・・・本来、王が近衛の副隊長の行いに口を挟むのは好ましくないことでありましょうが、貴殿にはそれ以上の、立場と責任があるのです」

「は、はぁ・・・・・・」

 隣にいるルイズのことが気になり、生返事をしてしまったのがまずかった。アンリエッタの頬がぴしりと強ばり、その口調に叱責が滲んでいく。

「武勇で名をあげた貴殿が片手を失えば、良からぬ考えを持つ者がたちまち襲いかかってくるでしょう。この世界の英雄となった貴殿の身になにか起きれば、国の威信に関わると言っているのです。それをわかっているのですか?」

「そんな、話が大げさですよ。俺はそんな大した人間じゃ・・・・・・」

「では現在、わたくしの次に他国と関わりを持つのは誰でしょうか。アルビオンの王位継承が控えたティファニア。一度はガリア女王となったタバサ殿。ネフテス統領となったビターシャル殿に、ロマリア教皇のジュリオ殿にも顔が利く者がいるとすれば、貴方くらいのものですが」

「そ、それは・・・・・・はい、すみません・・・・・・」

 困ったように才人は辺りを見回すが、異を唱えてくれる者はいない。ルイズまでもが厳しい視線を向けてくるので、才人は諦めて頭を下げた。

「謝ることはありません。そもそも貴殿は自由騎士、いくら命じたところで、事が起きればすぐに剣を握ってしまうでしょう。ですからわたくしは、こうすることにいたします。───ギーシュ・ド・グラモン殿」

「ひゃ、ひゃい!?」

突然名前を呼ばれ、バネ仕掛けのおもちゃのように素早く立ち上がるギーシュ。アンリエッタはその様子を気にするでもなく、淡々と命令を下していく。

「水精霊騎士隊の隊長である貴殿に命じます。全隊員に副隊長の傷が癒えるまで、必要とあればその左手のかわりに杖を振るうようなさってください。・・・・・・用心が過ぎるかもしれませんが、平民から貴族となった彼を妬む者の数は決して少なくありません。いまや彼はこの国にとって、ルイズと共になくてはならない存在なのです。頼みましたよ、隊長殿」

「はっ、し、承知しましたッ、このギーシュ・ド・グラモン、全身全霊をかけ王命に殉じます! ・・・・・・みんな、いいな!?」

「「「「「「おうッ!!!!!!」」」」」」」

 ギーシュのかけ声に、先ほどまでの酒気はどこへやら、険しい顔で一斉に杖を掲げる騎士隊の面々。こりゃ面倒なことになったなと思い、ルイズと一緒に外に出ようとした才人だったが、すかさず間に割って入ってくるヤツがいた。風の妖精こと、マリコルヌ・ド・グランブプレであった。

「・・・・・・なんだよぽっちゃり。いまいいとこなんだよ邪魔するなら殴んぞ」

「残念ながらそういうわけにはいかないね。今さっき聞いただろ? ぼくらは先ほど王命を授かった・・・・・・つまり、きみが左手を使わないよう見張ってなくちゃいけないんだとさ」

「いや違うだろ、剣握るなって話だっただろ」

「いいや、違わないね。剣を握るのも女の子を触るのも手にとって負担はそう変わらない。よって僕にはこれを規制し、未然にそのようなことが起こらないよう義務があるわけだ」

わかりやすく怒りを視線に込めてみるが、マリコルヌは完全に自分をナメているらしく、怯むどころか間延びした声で応じてくる。

 いつもならケンカの一つくらい買ってやるところだが、とにかくいまはルイズである。ということでぽっちゃりさんの挑発を無視した才人だったが、しかし促してもルイズは立ち止まったまま動かない。

「どうしたルイズ? なにかあったのか?」

「・・・・・・ごめん、ちょっとわたし用事があるの。あとでまた会いに来るわね」

 思いもしなかった横やりのせいで「離れた分だけ」フィルターが剥がされてしまったのだろう。やけにあっさりと離れていくルイズに、才人は困惑しながらも言葉を返す。

「お、おう。・・・・・・ちなみに用事って・・・・・・」

「あ、陛下が言ったように、左手使っちゃダメだから。ちゃんとおとなしくしてなさいよ」

 戸惑いに揺れた問いかけは、届いてはくれなかったらしい。アンリエッタとティファニアに支えられ、さっさと小屋を出ていってしまうルイズに、唖然としたまま固まる才人だったが・・・・・・。失意に肩を落とす間もなく、妖精さんのからかいが飛んできた。

「いやぁサイト、残念だったな! なんというか邪魔したみたいで悪い気がするなあ! だがこれも王命だからしかたないさ! もちろんわかってくれるよネッ!」

 無視したことの仕返しのつもりか、荒々しく背中を叩いてくるマリコルヌ。ちょうどいい憂さ晴らしになりそうだなと、才人はポケットからデルフリンガーを取り出し、怒りに歯を剥き笑みを浮かべた。

「・・・・・・なぁマリコルヌ、なぐりっこしねえか? もちろんお前は魔法でガードしていいし、お前が勝ったら今日はお前の主張を呑んでやる。だけど俺が勝ったら今日は邪魔すんな。条件はこれでどうだ?」

 んでもって即座にふっかける。地球だったら仲裁が入るところだろうが、そこはみなケンカがダイスキなトリステイン人である。揉め事の気配を察した察した仲間たちは、すぐに魔法でを空中に浮かせてスペースを作ってくれたが、肝心の妖精さんは魔法で取り寄せたワイン瓶をグラスに注がずそのまま呷っている。

 なんだよ酔ってるから受けれないなんて言うつもりかと思ったが、飛んできた仲間の野次への答えでマリコルヌはそれを否定した。

「おいマリコルヌ、サイトに左手は使わせるなよ!」

「もとよりそのつもりさ、ちょうど僕も杖で片手が塞がるからね。そうだ副隊長殿、きみは両足も使って構わんぜ。怪我人相手にはちょうどいいハンデだろう?」

「ああ、そいつはありがとよ。遠慮なくボコボコにしてやる」

「そうかい、まあせいぜい頑張ってくれたまえ。王命も大事だけど、調子に乗った成り上がりに立場を教えてやるのも、ぼくら貴族のつとめだからね」

 飲み干した瓶をゆっくりと床に起き、パキポキ拳を鳴らすマリコルヌ。楽しげに細められていた瞳が酒気の濁りにすわり始めるのを見て、才人は異常なプレッシャーを感じた。

 そうだった、酔ったときや人の恋路を邪魔するときのこいつは異常に強いのだ。レモンちゃんの時なんて壁越しとはいえ、ルイズの“爆発”を食らってヘラヘラ笑っていたくらいだ。それに酒でも入ろうものなら、もはや手がつけられなくなるのでは?

「おうおうどうした英雄さんよ、この風より速い拳に恐れをなしたか? そうだ、手加減が足りないってんなら耐久勝負にしてやってもいいぜ? きみが殴る、ぼくが耐える。十分耐えたらぼくの勝ち。これでどうだい?」

 そんな自分の一瞬の怯みを見抜いてか、すかさず凶悪な笑みと共に挑発してくるマリコルヌ。しかしそれが逆に才人の闘争心に火をつけた。

 上等だ。自分がいない間にどれだけ戦闘経験を積んだのか知らないが、こっちだって地球に居る間ずっと鍛錬を欠かさずにいたのだ。以前より身体がなまっているなんてことはないはず。

 右手に握るナイフにも、やるぞと声をかけておく。デルフリンガーに異常がないことも宴会の前に確認しているし、なにかあってもただの喧嘩だ、無茶をすることもないだろう。

「はぁ!? ふざけろぽっちゃり! てめえなんか片手で十分なんだよ、二秒で寝かせてやるからかかってこいやぁッ!!!」

 威圧感のせいだろうか、向かってくるその身体が見た目より大きく感じるが、だからといって負けるとは思わない。胃の圧迫感はまだ残ったままだが、少しぐらいなら動いても大丈夫だろう。

 仲間たちの野次が耳朶を打つ。大振りなマリコルヌの拳を難なくかわし、才人は握り絞めた右拳を、そのふくよかな腹に叩き込んだ。



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