帰ってきた英雄

 ヴェストリ広場はずれの小屋。樽で出来た即席のテーブルにところせましと料理が並べられた宴の最中。どういうわけか才人はスカロンに、高そうなラベルのワインを勧められていた。

「ほーらサイトくん、もっと飲んで飲んで! 今日はわたしのおごりだから心配しないでいいわよ!」

「い、いや、遠慮してるわけじゃ・・・・・・」

 ぐいぐいと瓶口を突き付けてくるスカロンから目を逸らし、才人は机に突っ伏した同席のレイナールを見やる。生真面目さが災いしたのかあっさりと潰れてしまった友人が、いまはなんだか羨ましく思えた。

「もう、そんなつれないこといわないの! せっかく店を畳んでまで来てあげたんだからほら、ぐいっと! ・・・・・・そ・れ・と・もぉ、わたしのネツレツな抱擁がほしいのかしらぁ?」

「や、やっぱりいただきます・・・・・・」

 先程出会いがしらに抱きついてきた時の、ゴワゴワとしていながらも毛羽立つ肌の感触が蘇る。思い出すだけでひっくり返りそうになる胃をなんとかこらえ、手元のコップになみなみ注がれるワインを才人は苦々しく見つめる。

(うっ・・・・・・一気に呻ればい、いけるか?)

 マルトー親父に勧められた料理を詰め込んだこともあって、気分はもはやグロッキーである。いっそこのまま寝てしまおうかとも考えたが、それも恋人のことが気になって叶いそうになかった。

「ほら、早くハルケギニアの救世主の飲みっぷりを見せてちょうだい! あんまり遅いとぉ・・・・・・」

「わ、分かりましたって!けどこれで最後ですよ!?」

 話しながらもポージングを決めるスカロンにあっけなく心を折られ、深呼吸をして覚悟を決める。次に抱きつかれたら胃が耐えられない。ならば一か八かの賭けに出た方がまだマシだと思ったわけである。

 

・・・・・・しかし、そんな悲壮な覚悟を神さまは見かねたのだろうか。後ろからスッと伸びた細い手が、才人のコップをひょいと持っていく。振り返ると帳簿を腰に当てたジェシカが、ワインを豪快に一気飲みしていた。


「ぷはっ、ごちそうさま。ほら、パパもいくらめでたい日だからって、あんまり瓶を開けすぎたら採算が取れなくなっちゃうよ? それにそのワイン、去年の日照りで値上がりしたとっておきじゃない」

「ん~? あらやだ、わたしったらついはしゃぎすぎたみたい! それじゃジェシカ、パパは酔いざましに外に行ってくるわね! キャストたちが貴族さまに粗相をしてないかも、ついでに見てくるわ!」

 愛娘に帳簿で頭をぺしぺし叩かれ我に返ったのか、立ち上がったスカロンの巨体がさざなみのように小屋のドアへと消えていく。やっと過ぎ去ってくれた嵐にほっと息をついていると、入れ替わりにジェシカがテーブルに着いてきた。

「あっはっは、わるいね、パパが迷惑かけちゃって」

「いや、迷惑って程じゃないけどさ・・・・・・その、もうちょっと手加減してほしいというか・・・・・・」

「まぁそう言わないでよ、おかげでパパも楽しくお酒が飲めたみたいだし。・・・・・・最近経営厳しくて、ずっと難しい顔してたの」

 そういうとジェシカは、パパに付き合ってくれてありがと、とほほえんでみせた。並の男ならこの笑顔にコロッといきそうなものだが、しかし才人は動じない。客をその気にさせる彼女の神業を、魅惑の妖精亭で働いた時によく見ていたからである。

「それより、経営厳しいって本当か? ・・・・・・もしかしてさっきのワインの値上がりが、関係あったりするのか?」

「そうそう。もう四月フェオの月だってのに寒い日が続いてさ、ぶどうの芽がダメになったんだって。うちはエールも出すけれど、ワインが主な売り上げだから・・・・・・だからこうしてお客作りに学院にお邪魔してるの。サイトのお祝いにかこつけてね」

 途端、純粋さを装っていたその笑顔が得意げにニヤついていく。なるほど、そういえば自分が見かけたのはスカロンとジェシカだけで、魅惑の妖精亭の子たちの姿は見ていなかった。夕飯時の今なら恐らく、アルヴィーズの食堂で給仕と一緒に接待しているはずだ。

「けどよく俺が戻ってきたこと知ってたな。城下町からここまで結構距離あるはずだぞ?」

「ああ、それなら簡単よ。それならルイズがいなくなったとき、うちに声かけてくれたじゃない? あのとき騎士隊のひとたちと仲良くさせてもらってね。サイトが戻ってきたってことも、ちょうどお店に来てた騎士さんから聞いたってわけ。タニアっ子の情報網はすごいんだから」

 くるりと振り返り視線を送るジェシカに、気づいた騎士隊の何人かが手を振り応じる。その手腕を知っているがゆえに友人の懐事情を心配してしまう才人だったが、ふとテーブルに置かれた帳簿が隙間なく字で埋められていることに・・・・・・そして愛想に振り返すその手の端が、ペンのインクで黒ずんでいることに気がついた。

「そっか。大変なんだな、色々と」

「・・・・・・かもね。だけどうちだけの話ってわけじゃないし、飲み屋なんて客商売なんだから、400年続く老舗だって山も谷もあるわよ。・・・・・・それにあんなに頑張ってるパパを放っておけるわけもないし、ね」

 誤魔化すように作るその笑みには、照れだけではない何かが混じっていた。親を想うその優しい気持ちに、どういうわけだか物悲しさを感じた才人は首をかしげたが・・・・・・しかし考える間もなく宙に浮かぶ自らの身体に、驚きの声をあげた。

「うおっ!? ・・・・・・って、またかよ・・・・・・!」

 異様な浮遊感に一瞬戸惑いはするものの、本日五度目ともあれば慣れたものだ。ため息をつき甘んじて勢いよく天井に衝突させられ、重力に従って床にはりつけられる。日本じゃありえないことだが、ハルケギニアではこれがあたりまえなのだから不思議なものだ。

「いっ・・・・・・てえ、だから酔っ払って魔法唱えるなよギムリ! だいたい呼ぶなら呼ぶで、もっと早く呼んでくれよ!」

「まぁまぁそう言うなよ副隊長! 我らの大将がどうしても君に言いたいことがあるっていうんだ、迅速に招集しなきゃいかんだろう!?」

「うむうむ、そうだとも! ほら隊長、戦地から帰還した副隊長にお言葉を!!」 

「・・・・・・うっ、さ、サイト・・・・・・ぼかぁねぇ・・・・・・ぼかぁねぇぇえええ・・・・・・」

 仲間たちの笑い声に包まれながら身を起こすなり、泣きつくギーシュに肩を掴まれぶんぶんと揺さぶられる。宴の始めはこんな絡みも懐かしさに目を潤ませていたが・・・・・・流石に十数回目ともなると感動も薄れてくる。

(いや、もちろん喜んでくれるのはすごい嬉しいけどさぁ・・・・・・なんだかなぁ・・・・・・)

 ブレる視界を見渡すが、みな「ハルケギニアの英雄に乾杯!」と口々に言って酒を酌み交わし、こっちを見るわけでもない。いっそ席に戻るかと振り返るが、丁度ジェシカも用があったのか、ひらひらとこちらに手を振って小屋の外へと出て行くところだった。

(ま、今日ぐらい別にいいか。・・・・・・それに散々迷惑かけちまったし、な・・・・・・)

 話し相手がいないよりかは、絡まれた方がまだ楽しい。ということでしょうがねえなと向き直り、才人は酔っぱらった仲間たちに付き合ってやることにした。自分やルイズのために命を張って長い間頑張ってくれたのだ、酔った勢いで雑に扱われる程度、笑って許してやるべきだろう。

(・・・・・・というか、そろそろ止めてくれねえかな。色々出てきそうなんだけど・・・・・・涙声で何言ってるか聞こえねえし・・・・・・)

 シェイクされた胃が悲鳴をあげ気持ち悪さが跳ね上がるが、こうもぐしぐし泣かれれば止めようもない。早く落ち着いてくれねえかなと諦めつつぼやいていると、目の前のギーシュの顔が突然、水の塊に包まれた。・・・・・・水の出所を辿るとモンモランシーが巻き髪をいじりながら、こともなげに杖を振っていた。

「がば、ごぼっ!? な、なにをするんだねモンモランシー!」

「なにって、そのべちゃべちゃな顔洗ってあげたんじゃない。泣きすぎてハンカチに困ってたんでしょう? さんざん妖精亭の女の子から借りてたみたいだし」

「ご、誤解だぁ、わぷっ! 僕はそんなつもりは、ごふっ!!」

 ぴょんぴょん跳ねて息継ぎをしながら器用に文句を言うが、逆に恋人に問い返され次第に目が泳ぐギーシュ。こんな二人を見るのも久しぶりだなと思いはしたものの、なんだか何かが違うような気がして才人は首をひねる。

「だいたい、お役目ほっぽらかしてなに飲んでるのよ。いざとなったら陛下をお守りするのがあなたの仕事でしょ?」

「ああそうだともっ、ぷはっ! つまり陛下がこの場にいる以上、っは、ぼくらがこの学院にいることは何も、っふ、おかしくはないはずじゃないか、ふはっ!! しかしいくらぼくらが直属の親衛隊といってもね、げほっ、姫さまの隣に付きっきりって訳には・・・・・・」

「だから、それがどうして飲んでいいってことになるか聞いてるのよ」

 ・・・・・・と、しばらく注視して気づいた。懐かしきいつものやりとりのようだが、よく見るとモンモランシーはそう怒っているようには見えないのだ。というかほんのり頬が赤らんでいるような気がしたが、いつもみたいに鼻の下伸ばして行かないだけマシだけどだのなんだのブツブツ聞こえてくるので酒のせいではないのだろう。

 ・・・・・・どうやら、自分のいない間に二人の仲も少しは進展したらしい。

(というか、それでいいのかモンモン。求めるレベルが低すぎねえか・・・・・・?)

 しかし、そんな風にのんびりと微笑ましい? 光景を眺めていることはできなかった。というのも自分が興味深げに二人を見ていることに気づいたらしく、モンモランシーは突如話の矛先をこちらにに向けてきたのである。

「まったく、ホントに目も当てられないわね! そんなことだからサイトも、あんたたちから離れて飲んでるんじゃないの!」

「・・・・・・ん? おいおい、そりゃ聞き捨てならないな! なぁ、そんなこたぁないよなサイト!?」

「あ、ああ。ちょっとスカロンさんに捕まってただけだ」

 仲間たちが一斉に刺してくる視線を逸らすも、嘘は言っていない。自分がいない間なにがあったか知りたかったのだが、ルイズの記憶は同じ毎日を繰り返していたからか思うように辿ることができず。また誰かに聞こうにも酔った仲間たちはアテにならなかったので、酒が入っても真面目なままのレイナールに教えてもらっていたところ、・・・・・・スカロン店長の襲来を受け、あやうくノックダウンしかけたワケである。

「ほら我らが副隊長殿もっ、けほっ、こういっているじゃないか、こほっ・・・・・・だからさそろそろ・・・・・・ごぼっ・・・・・・モンモランシー・・・・・・ごぼごぼ・・・・・・」

「・・・・・・ま、いいわ、今回は許してあげる。・・・・・・それよりサイト、肝心のルイズはまだ寝てるの?」

 ため息をつきながら水責めを解くと同時、こちらに向き直るモンモンランシー。照れ隠しのためか普段より長めに溺れさせられたギーシュが可哀想なことになったので、床に張り付いたその身体を起こし、薄壁にもたれさせつつ応える。

「ん、いや。あいつならシエスタとティファニアが、風呂に入れてる」

「え、いいの? あれだけボロボロだったなら、ゆっくりさせてあげたほうが良かったんじゃない? わざわざ叩き起こしてつれてかなくても・・・・・・」

「仕方ねぇだろ、こんな汚れたままのほうがかわいそうです、きれいにしてあげなくちゃなんてシエスタがいうんだから・・・・・・」

 適当に空いている席に着いて、はやる気持ちをごまかすようにカラカラと空グラスの氷を回したあと、才人は机に突っ伏す。本当は今すぐにでも会いにいきたくてたまらないのだが、かといって自分のために尽くしてくれたみんなをおざなりにするわけにはいかない。

 ・・・・・・結果、こうして流されるまま宴会に付き合いつつも些細なことが気になって呆けてしまい、悶々とした気持ちを引きずって心から楽しむことができずにいたのである。

「・・・・・・だとしてもおかしいわね。いくらお風呂って言っても、ちょっと時間がかかりすぎなんじゃないの?」

「女の子なんだから色々あんだろ。・・・・・・ほら、身だしなみだのなんだのあるじゃねえか・・・・・・」

 いつの間に来ていたのか。背後から聞こえるキュルケの声に、顔を樽にくっつけたまま才人は投げやりに返す。

「あら? サイトもだんだん女心がわかってきたじゃない。・・・・・・でも、ホントは気になるんでしょう? 態度でわかるわよ」

「それを俺に言ってどうすんだよ。・・・・・・まさか、こっそり抜け出して女湯見てこいなんて言うんじゃねえだろうな?」

 焦がれに語気がトゲトゲしくなるのを感じ、慌てて言葉尻を冗談でごまかす。キュルケは片眉を一瞬跳ね上げたが、あたしの見立てじゃ誰もイヤとはいわないわよ、と機転を利かせ流してくれた。

「で、話を戻すけど・・・・・・あたしが見に行ってあげてもいいわよ? もちろん、ちょっとしたお願いと引き替えにだけど」

「・・・・・・ホントか!? 頼む!! ・・・・・・正直待ちくたびれてたんだ、助かるよ・・・・・・」

 降って湧いたかのようなその提案に、才人は願ってもないと飛びつく。キュルケなら無理な頼みもしてこないだろう、乗らない手はなかった。

「あらそうなの? つらいならさっさと潰れたフリして寝ればいいわ。別にあなたが目を覚ましても、ルイズはいなくなりはしないんだから」

 考えが透けて見えると言わんばかりに笑みを浮かべるキュルケ。恥ずかしさに咄嗟に否定しようとして・・・・・・しかし才人は笑い返し、頭を掻いてその言葉を認める。

「ああ、わかってるよ。・・・・・・けど、つい、な・・・・・・」

 あれだけ固く抱きしめてその温もりを感じたというのに、未だに信じきれないなんて馬鹿らしいのはわかっている。それこそ、みんなにからかわれて酒の肴にされても仕方ないくらいに。

 ・・・・・・でも、地球で高校生をやってた時は夢でも現でも、恋人に逢える日を願っていたのだ。ならば今一度、と思うこの気持ちに、疲れた身体を付き合わせてやるくらいはいいではないか。

「あら? 認める余裕まであるなんてほんとにイイ男になったわね、あなた」

 ・・・・・・でも、余裕がありすぎるのも困りものだけど・・・・・・と一瞬視線をどこかに飛ばすキュルケ。しかしそれを探られたくはないのか、すぐにくるりと才人から背を向ける。

「そうそう、お風呂場を見に行くって約束だったわね。すぐに連れてくるから、その気難しい顔直しといた方がいいんじゃない? あの子、そういうのに鋭いわよ」

 忠告と同時に外へ向かおうとするキュルケだったが、しかしその取り引きは無駄になってしまう。

・・・・・・というのも。手をかけたドアを開いた途端、当のルイズが部屋に入ってきたからだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る