少女の目覚め Ⅱ
「いやはや、こうして間近でその美しいお姿をお目にかかれるとは、長生きするのも悪くはないものですな!!」
「して陛下、本日はどのようなご用件で? 今朝方お忍びで来られていたということは、このような些末なことでなくほかに重要なことが・・・・・・」
「いえ、エルフたちとの交流を深めるために、ティファニア殿と話を進めていただけです。・・・・・・それに些末なことではなく、貴族の子女は国の宝です。我々王家は彼らの忠義があってこそ成り立つものですから、彼らがどのように育まれているのか見届けるのも、政の一環だとわたしは考えています」
「おお、さすが陛下! このトリステインの未来も安泰というものですな!」
「さよう、陛下がご覧あそばされたとあれば、生徒たちもわれわれも授業に身が入るというもの! 本日の授業はさぞかし、すばらしきものになるでしょうな!」
塔から塔、教室から教室へ。教師や生徒たちに囲まれたアンリエッタは、渡り廊下を歩きながら心中でため息をつく。生徒たちの視察ということで学院に残っていた彼女だが、もちろんそれは本当の目的ではない。
(大丈夫でしょうか・・・・・・あの左手、かなりの深手だったようだけれど・・・・・・)
少年の負った怪我を思い出し、満足に治療してあげられなかったことを後悔する。もう2、3度“癒やし”を唱えていたかったが、騒ぎを聞きつけた生徒や教師が集まってくれば当然、そんな贔屓は許されない。王であることを強いてくる頭上の冠を、アンリエッタは久方振りに忌まわしく思った。
(もしあの怪我が悪化でもすれば、貴族たちはこぞって彼を近衛の職から引きずり落とすでしょうね。・・・・・・直属の騎士でなくなってさえしまえば、わたしに構わず好きに手出しができますから・・・・・・)
アニエスを銃士隊の隊長にした時とはわけが違う。ハルケギニアの英雄となった彼は今後、その一挙手一投足を注目され、弱みや隙を見せれば即座に足元をすくわれる。生まれたときから国を背負う立場だったアンリエッタには、その恐ろしさを嫌というほど知っていた。
(外交の面でも平民たちの象徴としても、もはや彼はこの国にとってなくてはならない存在・・・・・・いえ、アルビオンやガリアだけではなく、もしかしたらロマリアにすら通じる要人なのかもしれない・・・・・・)
考えすぎだろうか? と思いながらもアンリエッタは、自分を学院に留まらせる“もう一つ”の理由───冬の半ばごろに渡された手紙のことを思い出す。綴られたその羊皮紙には新教皇ジュリオの名前で、密会を求める旨が記してあった。
(・・・・・・場所はルイズが儀式を行った草原、そして日時の指定も今夜・・・・・・。虚無、もしくはサイト殿に関係することとみて、まず間違いはないでしょうね・・・・・・)
「ところで陛下、今後の予定はいかがされるおつもりで? 生徒はみなこれから、夕食を取り寮に戻るばかりですが」
「! え、ええ・・・・・・そういえばすっかり、日も暮れましたわね・・・・・・」
巡らせるその思考はしかし、投げられた問いかけに断ち切られる。授業の終わりを告げるチャイムに我に返ったアンリエッタは、思わず外に目を向けた。なるほど、辺りには柔らかい朱が差し、双月は夜を待ちかねるかのように、少しずつ輝きを増している。
「それで、大変恐れ入りますが・・・・・・もし陛下さえよろしければ、今晩アルヴィーズの食堂にて御同席いただけませぬでしょうか? 総勢数百人が食前の祈りで、一斉に陛下への感謝を述べる様は圧巻ですぞ!」
「おお、それは良き考えだ! 麗しき陛下とお食事を共にしたとあれば、生徒たちは以後ますます励むことでしょう!」
続けて他の教師が口を開き、その提案に次々と周囲が賛同の言葉を連ねていく。アンリエッタは困った。放課後になってルイズの部屋に行けば、教皇の指定した時刻まで彼の傷を診てやれるかもと思っていたのだが・・・・・・どうやらそう上手くはいかないらしい。
「なるほど、わかりました。でしたら是非───」
王というのはままならないものね、と心の中で息をつき、その申し出を受けようとしたアンリエッタであったが・・・・・・息せき切ってこちらへ向かってくる従姉妹、ティファニアの姿を確認してその言葉を止める。
「どうしたのですティファニア? 何かあったのですか?」
「う、うん! 目が覚めたルイズに、アンリエッタとタバサを呼ぶように言われたの。大事な話があるから、どうしても来てほしいって・・・・・・」
「な、なんと・・・・・・! 陛下、これは不敬でありますぞ! いかにヴァリエール公爵家の娘といえど、陛下を呼びつけるとは! あり得ませぬ!」
「それとミス・ウエストウッド、先ほどきみは陛下をなんとお呼びした? 噂はよく耳にしているが、まだきみはその立場にないだろう。いくらきみが陛下に近しいものであっても、認められることではないぞ?」
「・・・・・・え、あ、あうっ・・・・・・」
急ぎすぎたためあまり意識できなかったのか、しまった、といった顔をする従姉妹を責める教師たち。アンリエッタは従姉妹の前に立ち、詰め寄る彼らを杖で遮る。
「───いいえ。わたくしがそうするよう、そう呼ばせるよう二人に命じたのです。なにか問題が、あるのですか?」
老エルフの話し方から滲み出ていた貫禄をまねて告げてみる。驚き固まった教師たちが惚けている間に、アンリエッタは従姉妹の手を取って駆けだした。
幼馴染みとして長い付き合いだが、ルイズは頼み事をめったにしたことがない。自分が思い返せるだけでも、アクイレイアで彼との記憶を消してと従姉妹に頼んだくらいではないか?
・・・・・・ただごとではないという予感が、アンリエッタの心をはやらせる。
「それでは行きましょう。どこに向かえばいいのですか?」
「う、うん。でもその前にまず、タバサを連れていかないと・・・・・・寮塔の五階のはずなんだけど、わたしが向かったときにはいなくて・・・・・・」
「でしたらもう一度訪ねてみましょうか。空を飛びますから、しっかりつかまってて」
「わ、わかったわ・・・・・・!」
外に出て場所を聞きすぐさま“フライ”を唱え、緊張しているのかこわばった従姉妹の手を握る。
・・・・・・そういえば子供の頃にヴァリエール公爵家でカトレアの部屋に忍び込んだとき、こうして引いたルイズの手も強ばってたことを思い出し、女王は微笑みと共に魔法を解き放った。
───トリステイン学院、女子寮塔の五階。
格納庫で飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが開かれてる最中、青髪の少女は自分の部屋でいつものように、開いた本に顔を突っ込んでいた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
窓からなびく春風にめくられていくページを、戻すこともせず視線を落とし続ける。・・・・・・読んでいないわけではなく、頭の中に内容が入っているので関係ないのだ。もっとも幽閉されてでもいなければ、同じ本を繰り返し読むなど理性で動く彼女からすればあり得ないことだが、しかし今はその限りではなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「きゅいきゅい、こんなところでなにやってるのねちび助! そんなふうに本読んで黙ってばっかりだから、ちび桃にあの子をひとりじめされるのね! きゅい!」
タバサは本から手を離し、隣に置いていた杖を握る。そしてそれを、窓からきゅいきゅいと顔を出すシルフィードにゆっくりと向けた。
「ご、ごめんなさいなのね、ちょっとした冗談のつもりだったのね! きゅいきゅい!」
鉤爪に握る服を見るに、人の姿で宴会に参加してきたらしい。自分を案じ抜けてきたのだろうその忠義に免じて、タバサは使い魔の発言を不問とすることにした。
・・・・・・自分でもどうして、あの場にいないのかわからない。ただルイズを抱きしめ涙を流す彼の姿を思い出すと、なんだか悲しくなってくるので・・・・・・こうして気持ちを紛らわすために、文字の世界に逃げ込んでいるのだ。
(嫉妬? ・・・・・・違う。ルイズがあの人の一番なのは理解している、そんなはずはない)
(羨望? ・・・・・・違う。あの場で一番あの人のために努力したのはルイズだった。だからこそ誰も二人の邪魔をしなかったし、自分もそれを嫌とは思わなかった)
(なら・・・・・・この感情はなに? わたしは一体、なにを悩んでいるの?)
あの日、何度も読み返していた『イーヴィルディの勇者』をめくりながら、アーハンブラ城でのことをタバサは思い出す。あの日彼がドアを開けてくれた時に、自分は氷ではなくなった。ならばそこから辿ればなにか、わかるはずだ。
(・・・・・・わたしは彼の騎士になると誓った。彼に命を捧げる覚悟はもちろんあるし、ルイズがやっていた召還の儀式も、彼のためならできる自信があった)
そう、確かにそう信じていた。北花壇騎士の七号として生きてきた自分には、彼のためにこの身を捧げることしかできないと知っていたのだから。
・・・・・・しかし、あのとき。人目もはばからず泣き叫び、何度も彼に“好き”と繰り返すルイズを見て、本当に同じことができるのかと自分は疑問を持ってしまった。
彼女が“彼女”のままだったら、いくら感情が高まったとしてもそのプライドが邪魔をしただろう。名のある家に生まれた身で魔法が扱えない。狂ってしまった叔父を知っているが故に、同じ境遇だったルイズの心に、その劣等感が深く根を張っていることは容易に想像できた。
しかし現実、ルイズはその想いを言葉にした。いままでの人生で形成された「自分」そのものを変えてしまうほどに、ルイズは彼に尽くしてみせたのだ。
・・・・・・もし自分が同じことをやれば、と考える。一年間の詠唱自体は難しいことではないだろう。しかしそれは過酷な任務を経験したことで苦痛を感じられなくなっているだけで。自分そのものを捻じ曲げられるほどに、彼に尽くせるとは思えなかった。
優しい父が叔父の毒矢に倒れ、母が自分の身代わりに毒を飲み心を失う前の。
初めての任務でできた友達を失い、心を氷に変える前の。
あの無知で無垢で無邪気だった頃に戻れる自信が、今の自分ではどうしても湧いてこなかった。
(そう、だからわたしは彼女に敵わない。・・・・・・いまの時点では)
諦観。そう自身の感情を定義付けて本を閉じるが、タバサの顔に陰は落ちてはいない。というのも実際ルイズがあれほどまでに感情を発露できるようになったのは、彼との二年にも渡る月日があったからだと知っているからだ。
(だったら、同じだけの月日を積み上げればいいだけのこと。・・・・・・そうすれば、きっとわたしも、あの頃みたいに・・・・・・)
───だが。こんな無愛想な自分が変われるまで、彼は自分を待ってくれるのだろうか? ───それに。戦うことしかできない自分が変わったとして、今以上に彼の役に立つことができるのだろうか?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
頭をよぎる自問自答を無視し、タバサは指笛を吹く。さっきのことを根に持っているのか窓から聞こえる不満げな鳴き声に、「高度3000メイル」を告げる。
こんな時には空が一番だ。日が暮れている今でも、透き通った風はすべてを洗い流してくれる・・・・・・そう思い、窓から飛び降りようとした瞬間、ドアをノックする音がした。
「わ、わたし。ティファニアだけど・・・・・・タバサ、いる?」
二度目になるハーフエルフの少女の来訪に、タバサはどうしたものかと考える。一度目はつい居留守を使ってしまったが、こうして再び訪ねて来るということは、キュルケのように宴会の参加を促しに来たわけではないらしい。
「ちょっと待ってて、すぐ戻る」
足音が一つではないことこともあり、使い魔に待機を命じたタバサは珍しく自ら客人を出迎えることにした。言ってしまえばなんだが、彼のことぐらいしか接点がない自分を、彼女が何度も訪ねてくる理由が気になったのだ。
「用件はなに。手短に話して」
「え、えっと、ルイズが目を覚ましたの。話したいことがあるから、呼んできて欲しいって・・・・・・お願い、一緒に来てくれる?」
口ごもりながらもまっすぐに、ティファニアは自分を見つめてくる。視察の名目で学院を回っていた女王がいることを考えても、ことの重大さが窺える。
瞬時にそこまで察したタバサは、返事の代わりに指笛を吹いた。廊下側に回り込んできた使い魔の背に、乗るよう二人に促す。
「場所はどこ? 急いでるならこっちの方が早い」
「その、サイトに顔見せに行くって言ってたから、たぶん小屋に・・・・・・」
「シルフィード」
「はいはいわかったのね。まったく、竜遣いが荒いったらないのね!」
渋々といったようすで飛び立つシルフィードだったが、高度を稼いだり降下したりとその動きには無駄が多い。そんな使い魔のささやかな反抗に気付きつつも、先ほどまで考えていた自身の欠点が表出してしまったことにより、タバサは考え込んでしまう。
(無愛想で本の虫、小さくて貧相な身体つき。・・・・・・できることといったら、戦うことだけ・・・・・・)
自分と似た体つきのルイズを好きなのだからと一瞬希望が湧いたが、しかし彼女は笑いはしないにしても、自分より感情が豊かだ。彼を支えるメイドのシエスタや、隣に座るティファニア、アンリエッタ・・・・・・自分の身体とは対照的に、女性としての魅力に満ちた彼女たちなんて言うに及ばずである・・・・・・。
「はいご主人様、到着しましたなのね。さっさとお降りくださいなのね!」
言うなり空中で宙返りをうった使い魔に振り落とされ、頬を撫でる風にタバサは我に返る。素早く呪文を詠唱し、同乗していた二人がすっぽり収まる範囲の“レビテーション”を難なく唱えつつ、少女はそこで、思考にしおりを挟むことにした。
考えるのは変われるようになってからだ。変われない今の自分が考えても意味はない。
そう。今のわたしはまだ、彼のために動くだけのただの人形でいい───。
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