エピローグ

少女の目覚め Ⅰ

“・・・・・・もうそろそろ上げたげましょうか。あんまり入れてるとふやけちゃいそうですし”

“そうね、そうしましょう。・・・・・・それにしても大丈夫かしら? 身体があったまったら、さすがに目を覚ましてくれると思ったんだけど・・・・・・”

 ・・・・・・なんだろう、聞き覚えのある、声がする。

 ・・・・・・それになんだか、あたたかい・・・・・・? 

“それじゃあルイズはわたしが連れてくるから、脱衣場に椅子を用意しといてくれるかしら? 脱がせるのは簡単だったけど、着せるのは壁にもたれたままじゃむずかしいから・・・・・・” 

“椅子ですね、わかりました。・・・・・・でも、いいんですかお任せして? いくらミス・ヴァリエールが軽くても、ひとりで運ぶのは・・・・・・”

 聞き覚えのある話し声に、ルイズの意識はゆっくりと醒めていく。虚無から消えゆく身体を取り戻すのに消耗したからか・・・・・・上がらないまぶたではあたりを見回すことはできなかったが、肌を濡らす水の感覚から、誰かが動けない自分の身体を、お気に入りの人形のように丁寧に清めてくれていることはわかった。

“ふふっ、大丈夫よ。ウエストウッドじゃよくひなたでおひるねしてる子たちを家までおぶってたもの、ルイズひとりくらいどうってことないわ。・・・・・・それにふたりで分担すれば、そのぶん二人を早く会わせてあげられるでしょ?”

“! それもそうですね、近くにあったと思うのですぐに持ってきます! 床が滑りやすいので注意してください!”

 声と共に、ピタパチャと水気のある足音が遠ざかる。もう一つの声はそれに気をつけると返事をして、力を入れられない自分を器用にその背中にもたれさせ、背負い始めた。

“・・・・・・よいしょ、っと。それじゃ行きましょ、みんなあなたを待ってるわ”

・・・・・・みん、な・・・・・・? ・・・・・・そうだ、わたし・・・・・・『零』を唱え、て・・・・・・


 崩れる大地、割れる空。たった一つの願いをかなえるために、自分は世界の理に干渉したのだ。

 ・・・・・・でも結局、詠唱は失敗して・・・・・・トが・・・・・・

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・サイト、が?


 その名を想った瞬間、瞳が恐怖にこじ開けられた。まどろみにふわふわ浮かんでいた思考も凍りつき、反射的にルイズは勢いよく身を起こす・・・・・・が、しかしそれがまずかった。

「ル、ルイズ!? ちょっと待っ───」

 目の前のハーフエルフの少女の言葉は最後まで聞こえず、代わりにドボンという音と一緒に天地が逆転した。身体を反らしたことでバランスを崩したティファニアが後ろ向きに浴槽へ倒れ込んでしまったわけであるが、目覚めたばかりのルイズにそんなことがわかるはずもない。

 それだけならばいいものの。頭を打ったショックで水を飲み慌ててしまったルイズは思わず、ティファニアの身体に抱きついてしまった。

「がぼっ、ごぼごぼっ!?」

「ルイズ、お、落ち着いて!?」

 さて、困ったのはティファニアである。自分が起き上がればそれで済む話なのだが、ルイズが背中にくっついたままなので思うように身体を起こせない。首に回しているその腕をほどけばそれでいいのだが、混乱した彼女はそれに気づかない。

「・・・・・・ごぼごぼ、ぶくぶく・・・・・・」

「ま、まって、あなたが離れてくれないとわたし、どうしようも・・・・・・!」

 混乱が混乱を呼び、パニックになった二人はあっという間に事態を悪化させていく。

 しかしあわただしい足音と共に近づいてくる声が、惨事を回避してくれた。

「ミス・ウエストウッド、まず手を外して、自分だけでも起き上がってください!」

「え? ・・・・・・あっ!」

我に返ったティファニアが、すばやく腕を解いて立ち上がる。同時に間髪入れずに飛び込んできたメイドが自分の体を風呂から引き上げ、浴槽のふちに腰掛けさせてくれた。

「げほげほ、けほっ!」

「ご、ごめんなさい! わたしがもっとしっかりしてたら・・・・・・」

「いえいえ、ミス・ウエストウッドは悪くないですよ。・・・・・・それよりも、起きるなりなにしてるんですかミス・ヴァリエール! わたしが気づかなかったら、おおごとになるとこだったんですよ!?」

 珍しく声を荒げているのは、それだけ心配させてしまったからだろう。自分の咳が落ち着いてきたのを見計らって頭から大きなタオルをかぶせてくれるシエスタに、感謝と申し訳なさをルイズは覚える。

 ・・・・・・でも、それを言葉にして伝えるより先に、聞かなくてはいけないことがあった。

「・・・・・・ねぇ・・・・・・サイトは、サイトはどう、なった、の・・・・・・?」

喉から出た声は、自分でも聞こえるか怪しいほどか細いものだった。だからだろうか、わしゃわしゃと身体を拭いてくれる手は動くばかりで返事はなかった。

「・・・・・・お願い。正直に教えて・・・・・・」

 そう続けた瞬間、胸が恐怖に染まった。あの日ルクシャナの家で目覚めたとき、自分が同じことを聞いた時のシエスタの表情が脳裏によみがえる。タオル越しでその顔を見れなくてよかったと思った。その顔から悟るよりもその言葉を聞く方が、結果が遅れて伝わるので怖くない・・・・・・

 (・・・・・・いいえ、どちらにしても同じことだわ。遅くても早くても結果は変わらないし、そしてわたしがとるべき行動も、変わらないんだから・・・・・・)

 弱気になる自分に言い聞かせ、心を奮い立たせる。自分の目に映ったあの姿が、まだこの胸に残っている感触が本物でなければ、自分は何のために生きているのかわからないのだから。

「サイト、サイトは・・・・・・?」

 ・・・・・・時間にして、数秒にも満たない無言の間。意を決して再び問いを投げ、覚悟を決めてタオルを振り払う。

 ───はたしてそこにあったのは、

 これでもかというくらい満面の笑みを浮かべた、シエスタの姿だった。

「大丈夫ですよ。夢じゃないです、生きてます」

一瞬遅れたその声を聞き取るより先に張り詰めていた心の糸が切れ、ルイズの身体は後ろ向きに浴槽に倒れ込もうとする。しかしそうなることを見越していたのかメイドとハーフエルフは自分の身体を支えてくれていて、目を潤ませながらも次々と優しい言葉をかけてくれた。

「ほんとに・・・・・・ほんっとうによかったです・・・・・・ミス・ヴァリエールもサイトさんも、みんな、みーんな無事で・・・・・・っ」

「うん、うん・・・・・・っ! あれ、あれだけ泣いたのにわたし、まだっ・・・・・・」

「いいんですよ嬉しいんですから! いいことは何回あってもいいことなんです、そのままの気持ちでいればいいんです!」

「そう、そうだよね・・・・・・! おかえりルイズ、おかえり・・・・・・!」

 その目の潤みは次第にこぼれ始め、声にも嗚咽が混じり始める。

 身体だけではなく心も暖めてくれた二人に感謝し、こぼれる涙と湧き上がる感情をそのままに、喜びを感じようとするルイズだったが───

「これでみんなで、ド・オルニエールでずっと暮らせますね! サイトさんとミス・ヴァリエールと、わたしとミス・タバサとみーんなで!」

 その一言ですべてを思い出し、瞬時に心を凍らせた。

「たまにミス・ウエストウッドや姫さまがあそびにきて、それで・・・・・・って、ミス・ヴァリエール? どうしました!?」

「ええ、大丈夫。なんでもないの、なんでも」

 自分を案じるシエスタに心配ないと応じ、血の引いた頬を悟られるまいと顔を伏せ、自分に残された時間に、ルイズは向き合う。

(・・・・・・あと、一年・・・・・・。たったそれだけしか、わたしたちは・・・・・・) 

そう思った所で突然、ルイズはあることを考えついた。

 “才人をこの世界に喚び寄せる”その対価として捧げた時は返ってこない。・・・・・・しかし、才人と再会することで、虚無に沈んだ自分は希望に蘇った。絶望という名の毒を打ち消し、束の間とはいえこうして未来を引き寄せることができた。

 ・・・・・・だったら。あのときのように心から生を強く想い、それを望み続けることができたならば・・・・・・もしかしたら・・・・・・

 静かに思考を巡らせながらも、しかし心が弾むほどの希望は持てない。冒されたものを清めるのと、欠けたものを補うのでは話が違うし・・・・・・なにより、こんな馬鹿げた勝負に張るには、その存在はあまりに重すぎるものだ。

 

 でも。そうやって必死に制止を訴えてくる理性を無視し、ルイズは静かに覚悟を決めた。

 ・・・・・・きっとこの考えは夢物語にすぎないだろうし、こんな不純な動機でその存在を望むなんて間違っているのだろう。しかしそれが分かっているからといって、この生を諦められるほど自分はおとなしくも潔くもないのだ。

 思考を切り上げると共に顔を上げ、ルイズは二人に向き直る。たとえ僅かな可能性だとしても、やれることがあるならやっておきたかった。

「ねぇテファ、悪いけど頼まれてくれる? いまからわたし、サイトに顔見せてくるわけだけど・・・・・・その間に姫さまとタバサの二人を、わたしの所に連れてきてほしいの。・・・・・・大事な話と、どうしてもお願いしたいことが、あるから」

 静かにその声に事の重大さを悟ったのか、頷いたティファニアはすぐに浴室を出ていく。

「・・・・・・ミス・ヴァリエール・・・・・・?」

「シエスタ、あなたにもお願いがあるの。・・・・・・聞いて、くれる?」

 かけられたその声に応じ、黒い双眸を真っ向から見つめる。

「な、なんですか急に改まって。わたしはただのメイドですから、できることなんて限られてますよ? ちょっと身の回りの世話と料理ができるくらいですから。ほんのちょっとですけど」

 冗談を交えてくれるその気遣いが、いまは本当にありがたい。自分の頬に張り付いていた緊張が解けるのを感じながら、ルイズ見せてに応じる。

「なんだか自慢してるように聞こえるけど・・・・・・まぁいいわ。別にあなたじゃないとできないってわけじゃないけれど・・・・・・それでも、わたしはあなたに頼みたいの」

 

 ───一緒に同じ人を好きになった、あなただから───


「・・・・・・そうですか。わかりました、言ってください」

 その一言で察したのか、一気に真剣な顔になりうなずく恋敵。きっとこの子なら大丈夫だ。この子に会えてよかったと思いながら、ルイズは言葉を選び始める。

 「・・・・・・うん。もし、サイトとわたしの間に──────」

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