??? −Ⅴー
“・・・・・・はっ、ふ、は、・・・・・・ふ、ッ・・・・・・バレなかったみたいね、よか───ッ!!”
どことも知れぬ白の世界。身を苛む苦痛に息を乱すエルフは自らの状態を知り、ゆっくりと倒れ込む。
後からハルケギニアに帰る、なんて威勢のいいことを言ったが・・・・・・本当はもう、そんな力など残ってはいない。精霊の力で虚無を操るなんて自殺行為もいいところ。サーシャの魂は、今まさに終わろうとしていた。
(ほんと、あいつがニブくて助かったわ。・・・・・・またあの時みたいに、騙されちゃって・・・・・・)
───いいや、違う。自分が騙したのは、ほかでもない自分自身だ。
言葉を交わせた喜びと嬉しさを隠し、嘘でこの声を塗り固めなければ。
・・・・・・弱い自分は彼と、話すことすらできなかっただろうから。
(おかしい話よね、身体が無いのに苦しいなんて。・・・・・・そうそう、辛いってこうだったっけ・・・・・・)
もはや必要のなくなった呼吸を生前の癖で繰り返し、彼女・・・・・・サーシャは久しぶりの“感覚”を味わう。この地球に飛ばされて数千年、いままでずっと自らを認識することができないまま、気が遠くなるような時間変わりゆく
(・・・・・・あいつの悲願は叶った。・・・・・・もう、わたしがわたしでいられる理由もない、ってわけね・・・・・・)
───遠い記憶の隅に残っていたこの
(・・・・・・惜しくなんてない、どうせ虚無にあてられて作られただけだもの)
あるかないかも分からない地べたが、ふわふわと揺れている。
上へとかざした手が透けていくのを、どうすることもできずただ、眺めている。
(第一この世界だって、本来存在しないものなんだから。・・・・・・姿や感覚なんかに、意味なん、て・・・・・・)
自らに言い聞かせるも、目元から何かが滑り落ちていく感覚。
主人の前で繕っていた毅然とした声が、次第に揺れ、曇っていく。
───ああ、これが涙、だったっけ。
(・・・・・・あ、はは、は、はッ・・・・・・なんでわたし、あんな、ことッ・・・・・・)
涙を流し、サーシャは嗤う。思い出すのは過ちを犯したあの日のこと。悔いても悔いても未だに悔やみきれない罪は、サーシャを最後まで解放してはくれない。
(ごめんねブリミル。・・・・・・わたし、またあなたにうっ、うそ、・・・・・・ついちゃったッ・・・・・・)
そう、だからこれは罰なのだ。大いなる意志が下した裁きなのだ。
こんなわたしがあいつのいるところに、還れるわけがないのだから。
もう一度あのぬくもりを感じたいなんて願う資格、自分にあるはずがないのだから。
───自分があの時、怒りに駆られてあんなことさえしなければ。
ブリミルだって死なずに。あの子たちに寂しい思いも、させずに済んだのだから───
ああ、なんて情けなくてみっともないのだろうか。
だからこんなちっぽけな約束すらも、守ることができずにいる───
(ごめんなさい、か、帰るって言ったのに・・・・・・わたし、わた、しッ・・・・・・)
エルフとしての矜持を捨て。少女のように嗚咽を漏らし。
悔しさを、悲しさを吐き出すかのように、声を上げて泣き出そうとするサーシャだった・・・・・・
“なんだ、また泣いてるのかい? サーシャ”
・・・・・・が、頭に乗っかった柔らかな感触と、聞き覚えのある声が響き、がばりと顔を上げる。
“ブリミル?・・・・・・ブリミル、なの?”
見間違いかと目を擦ろうとする手を制し、現れた魔法使いは頬にその手のひらを添えてくる。
“まったく、きみはいつも苦しいときに限って一人で抱え込もうとするね。一体なにがそんなに悲しかったんだい? そんなに時間は無いけど、少しぐらいなら聞いてあ・・・・・・げふッ!?”
自分の涙を拭おうとしたのか、伸ばしてくるその手。しかしサーシャはそれを払い顔面にグーを突っ込んでから、ブリミルを怒鳴り付けた。
“ど、どうしてあんたがここにいるのよっ!? わ、わたしなら大丈夫って、言ったのにッ・・・・・・“
“いつつ・・・・・・そんなこといわれても、きみには前科があるからね。・・・・・・まぁ、なにはどうあれよかったじゃないか、こうして二人、巡り会えたんだし”
“どうしてもこうしてもないわよ、なんでまた来ちゃうのよ!? あの時みたいに帰れるわけじゃないの、ここで終わればこれからずっと、次元の狭間でさまようことになるのに・・・・・・なんでッ・・・・・・
“ま、まぁまぁサーシャ、落ち着いて?”
“落ち着けるわけないでしょう、いつも勝手なことばかりしてッ!! ・・・・・・あ、あのときだってわたしを放っておいてくれたら、あなたは死なずに・・・・・・ っ!?”
突然引き寄せるその腕。抱きしめられたサーシャの怒りは途絶え、再び嗚咽がこぼれだす。
永遠にも思えた時の中、絶えず願い焦がれていた暖かさが、存在しないはずの身体を介して感じる。・・・・・・しかし、それを素直に喜ぶことはできなかった。
“なん、でッ、なんで、よっ・・・・・・こんなに自分を削って、ボロボロになってっ・・・・・・”
涙に滲むこの瞳でも、その身体が自分と同じように空へと溶けていることくらいはわかる。・・・・・・“零”の詠唱で生まれた虚無をすべて自分が使ってしまった以上、どうやってここに来れたかなんて答えは一つしかない。この男は自分に会うために、自らを犠牲にしたのだ。
“おいおい、いつまでも泣いてちゃ後味が悪いな。・・・・・・せっかく次元を超えて会いに来たんだ、できれば最後は、あの時みたいに泣くきみじゃなくて・・・・・・”
“そ、そんな言い方されたら断れないじゃない! ・・・・・・ずるいわよ、もう・・・・・・”
互いに朽ちていく身体、残された時間はあとわずか。
照れ隠しに悪態をつきながらもサーシャは望み通り笑顔を作り、腕を回して主人の顔を近づけ。
・・・・・・その唇に、自分のそれを、押し当てようとして───
───直後、突如として蒼に染まる視界に、驚きにその身を固まらせた。
“・・・・・・えッ? な、なによこれ!?”
思わず抱きかかえたブリミルの顔を放ってしまうが、変遷はそれだけにとどまらない。白しかなかった世界には複雑な形が一斉に現れ、次々と多くの色に彩られていく。辺り一面に広がった緑は風に凪ぎ、遠くに見える木々は力強く天へと伸びている。
“・・・・・・ハルケ、ギニアだ・・・・・・ でも、どうしてだ? ぼくはすべての力を振り絞って来たんだ。こっちに帰る余力なんて・・・・・・”
「ええ、わたしがあなたがたをお呼びしました。・・・・・・お初にお目にかかります、偉大なる始祖ブリミル、そして初代ガンダールヴ、サーシャ」
突如として聞こえる声に、ブリミルは顔を上げる。
そこには金髪の神官が膝を付き、自分たちにうやうやしく頭を垂れていた。
“・・・・・・そうか、フォルサテの担い手。きみが魔力を集めてくれたんだね?”
「ええ、あなたが扱った分ですら、彼女が唱えた分からすれば微々たるものですから。霧散する前に集められたのも、あなたがこの“始祖の香炉”を残してくださったおかげです」
金髪の少年は頭を下げたまま、取り出した香炉に手をかざす。途端、サーシャとブリミルの綻びが繋がり、同時にその莫大な力も流れ込んでくる。
“・・・・・・とにかく助けてくれたみたいだから、とりあえずお礼を言っとくわね。・・・・・・ありがとう。これでわたしもこいつも、ゆっくり───”
“・・・・・・いいや。サーシャ、まわりをみてくれ”
静かに告げる主の言葉に従い、辺りを見回して気づく。・・・・・・これは壁、だろうか? 仕切りのようなものが自分たちを取り囲んで───いいや違う、自分たちがいるのは───
「はい、授けてくださった円鏡に御身を押し込めるなどと恐れ多い所業、到底許されるものではありません。・・・・・・しかし裁きを受ける前に一つだけ弁明を。担い手が消え、ただ一人の紡ぎ手として能力を残されたわたしには、こうするしか貴方さま方をお助けする手立ては・・・・・・」
“あーもう、ぐだぐだ喋る暇があるならさっさと出しなさい。・・・・・・というか、力をが余ってるわたしたちが出たほうが早そう・・・・・・って、あら?”
“無理だよ、サーシャ。いくらハルケギ二アに来れたとはいえ、この鏡の中と外は違う次元だ。だから、実体を持たないぼくらが自力でこの鏡から出ることはできないし・・・・・・目の前の彼がこの鏡を割れば、二人揃って闇に呑まれるしかない”
「いいえ始祖よ、そのようなことはありえませぬ」
ブリミルの言葉を遮るように、神官は言った。どこまでも柔らかく、聞くものを落ち着かせるその優しい声に、サーシャが本能的に感じた恐怖は無理やりこそぎ落とされていく。
「わたしはただ御身にいくつかのお願いをさせていただきたいのです。・・・・・・もちろんわたしはだれよりもマギ族の未来を案じ、この世界の行く末を憂いた御身のしもべ。願いはどれもこの世界に住まう人々のためのものですし、いずれもその莫大な虚無の力ならば、そう難しいことではないはずです」
あなたさま方の子孫の未来のために。
ひいてはこの世界の平和のために。
お力添えをして、いただけませんでしょうか。
神官はそう言って、ゆっくりと顔を上げ───
その左右の異なる色の瞳を、爛々と光らせたのであった。
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