“0” -XⅡ- (2)
なんで帰ってくるなり恋人にぶち切れて、いきなり頬を張らなきゃならんのか。
そんなことになるなんてつゆほど思いもしなかった才人は、ほんの三十秒ほど前まで、きちんと地球は日本の東京の・・・・・・自分の家にいた。
父と母に別れを告げ、目の前の門に吼えたところであった。ワクワクしていた。これでハルケギニアに帰れる。喜び勇んで足を踏み入れた。ルイズに会えるかもしれない。彼は、平凡な毎日も嫌いではなかったが、探し求めていたものを見つけたいま、飛びつかずにはいられなかったのだ。
しかし、運命は才人の願いを叶えてはくれたものの、幸運までは用意してはくれなかった。
激しいショックになんとか耐え、チカチカする頭を上げて才人が見たものは、数メイル先で喉元にナイフを突きつけるルイズの姿だった。
(!? ・・・・・・ッのやろう、何してんだ!!!)
慌てて駆け寄り止めようとするが、痺れた身体では思うように力が出せない。間に合わねぇ! と思ったが、次の瞬間には勝手に身体が動き出し、左手は鈍い痛みとともにナイフを握りしめていた。
(そっか、動かしてくれたのか、デルフ!)
感謝の言葉を伝えようとしたが、左手にはもうデルフリンガーの気配はない。このナイフに移ったのだろうかと考えていると、胸のうちにいるルイズが突然暴れだした。
「おい、なにすんだ!」
自分が握ったままのナイフをもぎ取り、再度首に突きつけようとする恋人に、さすがの才人もカチンときた。
「・・・・・・いい加減にしろよ、帰ってくるなり何やってんだこのバカ!」
気づいたときには衝動に任せ、血まみれの左手でその頬を張っていた才人だったが、結果としてその選択は間違いではなかった。儀式によって一層軽くなったルイズの身体は、平手打ち一つで簡単にバランスを崩し、突き込んだナイフは揺れる桃髪をかすめるだけにとどまった・・・・・・。
・・・・・・というわけで、今に至る。呆然とするルイズからナイフを取り上げながらも、中々才人の怒りは収まらない。あと少し遅かったら、全てが終わっていたのだから。
「〜ッ、ああもう、感動に浸る暇くらいくれっての! しかもこれデルフなんだよ! こいつ六千年前のことずっと引きずってたのに、また同じこと繰り返すつもりかよ、てめえ、は・・・・・・?」
しかし、話の途中で異変に気づいた。ナイフで傷つき、頬を張った衝撃でさらに疼く左手の痛みを我慢することに必死で気づくのが遅れたが、・・・・・・目の前のルイズ、色が、薄くないか?
気のせいだろうかという疑惑は、次の瞬間明滅し始めたルイズの身体を見て消し飛ばされた。
「・・・・・・おい、おいルイズ! 何したんだおまえッ!!」
「なんで、なんで邪魔するのよ。だってあんたは、もうッ・・・・・・」
肩を揺さぶるものの聞こえていないのか、ルイズは空を見てうわ言のようにつぶやくだけだ。才人は焦る。この症状は知っている、身体が虚無に溶かされていく兆候だ。しかも、聖地でのときとは違い今度は全身だ、桁違いに早い・・・・・・!
(なんでだよ、生命も風石もぜんぶ終わっただろ! いまさらどうして・・・・・・)
頼みの綱のデルフリンガーも、乗り移るのに時間がかかっているのか話し出す気配はない。どうしろってんだよ、と頭を抱えそうになった才人だったが、その時どくん、と跳ねた心臓に活路を見つけ、一か八かその腕を引く。
「いや、イヤっ! 離してよッ!」
「うるせえ、いいからこっち来い!」
抵抗するその身体を無理やり胸元へ引き寄せ、自らの心臓の音を聞かせる。サーシャが言うには、自分の心臓はブリミルのものに変わっているという。・・・・・・ならばたとえこの声が聞こえなくとも、虚無に通じるこの拍動は伝わってくれるはずだ。
「分かるか、聞こえるか!? ちゃんと動いてるだろ、生き返ったんだよ!」
「・・・・・・う、そ、嘘よ! そう言ってまた、わたしの前から消えちゃうんでしょ! もうダメなの、耐えられないの! だから、だか、らぁっ・・・・・・」
自分の胸からルイズへと、何かが移っていくのを感じる。明滅の間隔も、次第に遅くなっていく。
「嘘じゃねえよ、 勝手にいなくなりも消えもしねえ! いいから黙って信じてろよ、おれは! いま! ここにいるだろが!!! 」
トドメとばかりに身を離し、掴んだ肩を揺らし叫ぶと、ゆっくりとルイズが顔を上げた。不安に瞳を揺らし、怯えに声を震わせながら、・・・・・・か細い声で、聞いてくる。
「ホントに、ほんとに、・・・・・・サイト、なの・・・・・・?」
信じてくれたのだろうか、こわばる肩がほどけていき、明滅も収まる。
「・・・・・・ああ、そうだよ・・・・・・ったく、相変わらず人の話聞かねぇなおまえは・・・・・・ッ!?」
やっと安堵を覚えた才人の胸に、突如として自分のものではない記憶が入り込んできた。・・・・・・それは、目の前のルイズのものだった。
かつて"忘却"により自分のことを忘れてしまった時自分がキスで与えた記憶が、胸に宿る虚無の力を分け与えたことで逆流し戻ってきているのだろうか?
自分がいない間恋人が一体なにをしていたのかが、断片的ではありながらも頭の中を巡りだす。
(・・・・・・なんだよ、なにしてたんだよ。一年間も、こんな・・・・・・ボロボロになっ、てッ・・・・・・)
見ているだけなのに左手の痛みすら忘れそうになるほど、その日々は壮絶なものだった。死に際に会えたのも夢ではない。これだけの辛苦を乗り越え、やっとのことで呼び出した末に目の前で死なれたとあれば、ルイズが絶望し、命を絶とうとするのも理解できなくはない。
・・・・・・以前の自分ならばそんなに俺のことを、と感動にその身体を抱きしめていただろう。けれどもいま、ルイズのその行いを肯定することはできない。
「あのな、死んだらぜんぶおしまいだって言っただろうが!? ・・・・・・ロミオとジュリエットじゃねぇんだぞ、馬鹿野郎ッ・・・・・・」
手術室に入る前に見た、悲痛に歪んだ両親の顔。自分が間にあわなければ、あの顔をエレオノールやカトレア、ルイズの父や母、学院のみんなやアンリエッタにさせてしまっていたのだ。たとえどんな理由があろうと、許されることではない。
「第一おまえが死んだら、お前の家族やみんなが、どれだけ悲しむと思ってんだ! ・・・・・・それに、俺のことは忘れろっていった、だろう、が・・・・・・!!」
急速にしぼんでいく憤りを保ちつつ、みっともねぇ顔は見せられねぇ、と必死に込み上がってくる激情をこらえようとする。しかし抱きついてくるなりルイズが放った一言は、才人の意地を、しがらみを、一瞬にして貫いた。
・・・・・・胸の中にあるその身体は、羽のように軽い。この想いの分抱きしめれば壊れてしまいそうで、才人は優しくその身体を、わななく両腕で包み込む。
───首筋に、背中に回された細い手が、自分を求めて切なげに絡みついてくる。背中に突き立てた小さく細い指先が、離れたくないと言わんばかりに自分の体を引き寄せてくる。
「ルイズ、ルイ、ズゥッ・・・・・・」
すがるように自分を求めてくる恋人、その名を呼んだ途端、両親との別れで枯れたと思ったはずの涙が、才人の目からこみあがってくる。
「あッ・・・・・・たりまえだッ! ずっと、お前のッ、そばにいてやる
ッ!! 俺が、いる場所はッ・・・・・・おまえのとなり、しかッ・・・・・・ねぇんだよッ・・・・・・」
https://drive.google.com/file/d/100BYcyV_ZW7-3BsWizjgQCTdHO-W1s59/view?usp=drivesdk
───何度も何度も想いをぶつけてくるルイズに涙声で答え、痛む左手をその頭に添え、一層強く抱きしめる。細やかな桃髪が傷口を広げるが、かまうものかと自分の身体へと引き寄せる。じわりと滲む血が広がり、桃髪を濡らし、広がっていく。
・・・・・・ああ、愛おしくてたまらない。もどかしくて、たまらない───
「・・・・・・き、なの・・・・・・」
言葉にすれば、触れてしまえば、消えてしまいそうで怖かった。それでも勇気を出して口にして、その胸へと飛び込んだ。たとえこれが夢でも、幻でも、“信じろ”と言ってくれた彼を、ルイズは疑いたくはなかった。
「あなたがいないとだめなの、生きていけないの・・・・・・そばに、いてよ。ひとりはこわいの、さみしいの・・・・・・」
言葉に応じるように、抱き返してくる大きな身体。抱擁に覚える力強さが、ひりつくこの頬の痛みが、これが現実だと、覚めることのない奇跡だと教えてくれる。
「・・・・・・すき、なのッ・・・・・・」
もう一度、繰り返す。何度言っても言い足りない。ずっと前から伝えたくて、けれど伝えられなかった言葉。共に重ねた歳月の分だけ、想いは溢れてくる。
「さいと、サイ、トッ・・・・・・うぁあああああっ・・・・・・」
名前を呼ばれた途端、嗚咽が止まらなくなる。
ああ、サイトだ。わたしの愛するひと。・・・・・・わたしのだれよりも、大切な、ひと・・・・・・。
「すきなの、すき、すき、なのっ・・・・・・はなれないで、ずっといっしょにいてっ・・・・・・おねがい、おねがいっ、だか、らぁッ・・・・・・」
https://drive.google.com/file/d/1-yAZg9DR0be2973b4azlOvRSEoMV_mZ5/view?usp=drivesdk
答えは嗚咽で聞こえない。しかし、才人は一層強く、自分を抱きしめてくれた。
・・・・・・その広い胸は、大きな手は、自分に幸せと安心をくれる。「生きたい」という想いが、
・・・・・・数分後。拾ったナイフを腰に差し、腕の中で静かに寝息を立てる恋人を起こさぬように抱きかかえる。涙が落ち着くまで抱きしめたままでいようとしていたら、いつのまにか眠ってしまっていたのだ。
「・・・・・・よっ、と・・・・・・」
ゆっくりと立ち上がり、その顔を見つめる。目元は涙でぐちゃぐちゃ、学院の制服は血と泥まみれ。頬や髪にも自分の血がべったりと付いていて、正直人に見せられない有様だ。・・・・・・けれど、それが誰よりも美しく、何よりも愛おしく感じてしまう。
「・・・・・・ったく、ひどい顔しやがって・・・・・・」
呟きながらも辺りを見回すと、晴れた空に薄く浮かんでいる二つの月を見つけた。
そういえば初めて来たときも、この月でここが異世界だって気付いたんだったな、と懐かしんでいると、これまた懐かしい声が聞こえてきた。
「・・・・・・サイトさーん! ミス・ヴァリエール!!」
空を飛び、竜に乗り、駆け寄ってくる仲間たちの顔を見て、思わず顔がほころぶ。一年ぶりの再会だ、嬉しくないわけがない。自分たちの再会をわざわざ待っていてくれたのか、みんな涙に顔を歪めていた。
・・・・・・地球でサラリーマンをやるよりも、こっちでの生活は大変なものだということくらいわかっている。空をドラゴンや魔法使いが飛び、月が二つもあって、そのうえまた地面が浮かび上がったり、戦争が起きるかもしれない世界なのだから。
・・・・・・それでも、もう、もう二度と。
この腕の中にある温もりだけは離しはしないと心に決め───愛する少女に誓いのキスを交わして。
仲間たちの元へゆっくりと、才人は歩き出すのだった。
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