“0” -XⅡ- (1)


 ───明滅する足は消失するたびにバランスを崩し、幾度となくその体を地に這わせる───

 ───世界は形を失い、色で仕切られた曖昧な景色を瞳に映し出すばかり───

 ───温かいはずの春風を浴びても、もはや何も感じることはできない。ただ耳の奥をこうこうと、かすかな音が、かすめ続ける、だけ───。

 しかし、それでもルイズは諦めない。転ぶたびに起き上がり、瞳を凝らして前を見据え、日々絶えることなく眺め続けていた景色から方角を探り、進んでいく。 

 絶望に溶かしてしまったその身体は、本来であればとうに消え失せている。いま彼女が“彼女”で在り続けられるのは、ひとえにその強い意思で、無理やり持たせているに過ぎない。

 ・・・・・・胸に抱いたかすかな望みに、縋りながら身体を突き動かしどれほどの時間が経っただろうか。なにはともあれ、ルイズは“あの場所”・・・・・・才人を喚び出した魔法陣の前に、たどり着くことができた。

「・・・・・・っは、っ・・・・・・ふッ・・・・・・」

息を一つつくと共に、繰り手のいない人形のように崩れ落ちる身体。年ものあいだ座り続けていた場所、草も生えずむき出しになった土べたを手でまさぐり、顔を覗かせた銀色のナイフをルイズは手に取る。・・・・・・虚無の影響を受けているからか、その刃には錆一つ浮いておらず、触れた手が透過しても、自分の手をすり抜けはしない。

(・・・・・・そう。もうこれでおしまい、なのね・・・・・・)

 ・・・・・・不思議な気分だった。自分で自分を殺そうというのに、まるで他人事であるかのように心は冷めている・・・・・・ 

(そうよ、いまさら後悔したって遅いんだから。・・・・・・そんなことより、早く・・・・・・わたしが、わたしじゃなくなるまえ、に・・・・・・)

 刃先をなぞった指先が紅く染まる。感覚は未だに残ってはいるが、幸い痛みは感じない。きっとこれなら、苦しむことなくひと突きで終われる・・・・・・だというのに、いまさらになって震えが身体を覆っていく。

(・・・・・・ッ! そうよ、怖いわよ。・・・・・・でも、でも、ッ)

 このまま消えるのはもっとイヤだからと、ルイズは失った彼のことを思い出す。

(・・・・・・フーケのゴーレムに立ち向かったとき、あいつに叩かれた。男の子に手をあげられたのは初めてだったけど、嫌いになれなかった。・・・・・・だってあいつはわたしを本気で心配して、怒ってくれたから)

 恐怖を恐怖で上書きしていく。死ぬのは怖い、当然だ。

(小舟の上で、あいつはわたしを認めてくれた。・・・・・・好きだっていってくれた。公爵家の三女じゃないわたしを、ゼロと言われたわたしを。・・・・・・嬉しかったの、すごく、ほんとに。でも、わたし素直になれなくて・・・・・・そのあとたくさん、すれちがっちゃったわね・・・・・・)

 ・・・・・・でも、もっと怖いのは、この世界。

 自分を愛してくれた彼が、自分が愛した彼がいない、この、残酷な現実・・・・・・

(アクイレイアの時も、聖地の時もわたしってば勝手に自分で決めて、いっつもあんたに迷惑かけてたっけ・・・・・・) 

 ハルケギニアでは、霊魂の存在は信じられていない。人は死ねば天国へと赴く。しかし、そこでは神と一つになれるだけ。

 でも、自分の使い魔はこの世界の人間ではない。ならば強く想い願えば、きっと神の元ではなく彼の所にたどり着けるはずだ。

(・・・・・・会いに行くから、どこへいても。・・・・・・伝えるから、ぜったいに)

 ───なにしてんだって怒られてもいい。

 ・・・・・・自分のことを覚えてくれてなくたって、いい。

 たとえ死後の世界が何一つない真っ白な世界だろうと、構わない。

 どんなことがあろうとも、彼がいないこの世界で生き続けるよりはきっと、辛くはないから。

(・・・・・・勝手だなんて、分かってる。でも、これが最後のわがまま、だから・・・・・・)

 身体の震えが止まる。

 時間はもう、ない。

(・・・・・・ごめんね。やっぱりわたし、あなたがいないとダメみたい・・・・・・)

 ナイフを握りしめた両腕をゆっくりと掲げ、勢いよく喉へと突き立てる。

 鋭い刃先が柔らかい首を貫くと同時、身体は地へと還るのだろう。


───しかし、柄も通れとばかりに突き立てたはずだというのに、意識が無くなる気配はない。

不思議に思いゆっくりと目を開くと、朧げな視界に人影が映った。

・・・・・・目の前にいるだれかがナイフの刃先を、手を血だらけにして握り込んで、いる・・・・・・?


(サイ、ト・・・・・・サイト、なの・・・・・・?)


 一瞬彼かと思ったが、そんなことはありえない。辺りに残った虚無が、自分の願いを形にしただけの幻想だろう。

失ったものが突然戻ってくるのは、おとぎばなしの中だけだ。世界はそんなに甘くも、優しくも、ない。

(・・・・・・いい加減にしなさいよ、もうイヤになるくらい思い知らされたじゃない。・・・・・・わたしの腕の中で愛してるって言って、あいつは消えていったじゃない・・・・・・!)

 夢の中でも思い出の中でも、サイトは自分を励まし支えてくれた。・・・・・・でも、いまこのときだけは止めてほしくなかった。

 自分はこれから本物の彼に会いにいくのだから、死への恐怖も生への名残りも、すべてをここで断ち切らないといけないのに。

 ・・・・・・こんなふうに止められたら、まだ、この世界にすがりたくなってしまう・・・・・・!!!

(そうよ、サイトは死んだの。・・・・・・もう、いないの・・・・・・)

 何か言っているようように見えるが、もう何も聞こえない自分には意味がない。最後の力を振り絞り、その手からナイフを引き抜く。

(だから、邪魔っ、しないで、よッ・・・・・・!!!)

 痛みにひるんだ影、その一瞬のうちに再び刃先を自分の方へと向け突き込もうとして───しかし異なる衝撃に、身体がふらついた。

(・・・・・・えっ?)

驚きに思わずナイフを取り落とす。彼は幻であるはずなのに。

・・・・・・でも、だったら自分の頬に残るこの感覚は、いったい・・・・・・?


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