“0” -Ⅵ-
「ほら、着替えろ。そんな格好じゃ運転する俺が怪しまれる」
車の助手席に乗る才人に、そう言って自分のカバンを渡してくる父。中に入っていた馴染みのパーカーとズボンに手早く着替え終わると同時に、話が始まった。
「・・・・・・それにしても黄泉帰りとはな。驚きすぎて何をいえばいいのか分からんから、お前が知りたそうなことを片っ端から言おうか」
ハンドルを握り、カーナビを自宅に設定しながら父は語る。手術の最中、突然自分が消えたこと、そして再び現れた時には息絶えていたこと・・・・・・、
「・・・・・・で、バタバタしてるうちについうっかりしてしまってな、夜間の付き添いがダメな斎場だとに気づいた時には通夜が終わってからだった。とりあえず疲れてた母さんを家に送って、寝ずの番をしてやれないならせめて近くにいてやるかと思ってコンビニで弁当を買っていれば、不思議と声が聞こえてな。言われるままに歩いていったら、お前が間抜けな格好して窓枠に嵌ってたワケだ」
「間抜けは余計だっての。・・・・・・それにしても珍しいね。母さんはともかく、父さんがミスしたりそんな曖昧なものを信じるなんて思ってもみなかった」
「おいおい、父親を機械のように言うんじゃない。俺だって一人息子が死んだら動揺だってするし、お前が生き返ったなんて言われれば、幻聴だろうが藁だろうがすがりたくなるさ。・・・・・・まぁ、まさかホントに生き返ってるとは思わなかったがな・・・・・・」
隠しきれない喜びを言葉の端々に滲ませる父。自分のことを思ってくれた嬉しさと照れくささに顔を背ける才人だったが、棘を伸ばして広がっていく罪悪感にちくちくと胸を苛まれ、すぐに沈んでしまう。
(・・・・・・やっぱり黙ってた方がいいのか? それとも、・・・・・・いや、ダメだ・・・・・・)
棺桶には自分そっくりの幻影が入っている。このまま何も語らず自分がいなくなれば、合理的な父はこの会話も一夜の夢幻と割り切ってくれるだろう。
( "異世界に行く、二度と帰って来れないかもしれない"なんて期待させて、結局帰って来れなかったらどうすんだ。そんなの言ったところで、ただの俺の自己満足じゃねえか・・・・・・)
死者は終わるが生者は続く。従って生ある者の記憶から、離別の哀愁が消え去ることはない。
・・・・・・ならば、自分が取るべき道は1つしかない。
「・・・・・・あのさ、父さん」
「ん、なんだ」
赤信号で止まる車。応える父に向き直り、才人は最後の嘘をつく。
「・・・・・・話もできるし触れるけど、実は俺ユーレイみたいなもんでさ。喜んでくれるのは嬉しいけど、今ここにいる俺も、もうすぐ消えちまうんだ・・・・・・だから、その・・・・・・」
意を決して話し出したはいいものの、なんと言えばいいのか分からなくなり次第に言葉が淀んでしまう。
そんな息子の話を黙って聞きながら、父は難しい顔をして、おもむろに才人の頭に手を伸ばし・・・・・・
───そしてそのまま手のひらを握り、ゴスリと拳を打ち付けてきた。
「痛ッ・・・・・・てぇ!? いきなり何すんだよっ!?」
「ふん、最後だってのに、親に向かってホラ吹く息子にはこれでも足らんくらいだ。───行くんだろう? ハルケギニアとやらに」
なんてことのないように言い当ててくる父に、頭をさすりながらも才人は嘘を通そうと必死に言葉を繕う。
「な、なんでそんなことわかるんだよ・・・・・・ホントに、俺は・・・・・・」
「親を馬鹿にするのもいい加減にしろ。この前まで死んだ魚みたいだった息子の目がこんなに輝いてるなら、答えは1つしかないだろう。大体お前は母さんに似て顔に出やすいんだ、突き通せると思うな」
真っ直ぐな目で見つめてくる父。誤魔化しきれないと観念しながらも才人は覚悟を決める。幸いこのあたりは通学路の近くなので道に覚えはあったし、車も信号待ちで止まったままだ。自分が行くのを否定し家に帰らないつもりならば車を降りようと、ドアのロックに手を掛けるが、
・・・・・・しかし続く父の言葉は、才人を驚愕に固まらせた。
「別に止めはしないさ。・・・・・・それがお前の幸せなら、な」
目の前の信号が青になる。道路へと向き直り車を走らせる父。喰らった拳骨の痛みすら忘れ、才人は戸惑いながらも問いを紡ぐ。
「な、なんで・・・・・・だって父さん俺の話信じなかったし、それに、素振りも作法の練習も無駄だって・・・・・・」
「確かに信じないとは言ったが、俺の判断とお前の行く行かないは別だろう。それに俺はお前の努力を頭ごなしに否定していた訳じゃない、ただあの時のお前の行動に意義を見いだせなかっただけだ。木刀を振り回すのも作法を覚えるのもハルケギニアとやらで必要な技術というだけで、それ自体がお前をその世界へ運んでくれる訳じゃないからな。
・・・・・・だが、今は違うんだろう? 今お前の目にはっきりと道が見えていて、それをどう進めばいいか知ってるなら、俺が止める理由はないさ」
「・・・・・・で、でも俺、こっちに帰ってきてから迷惑ばっかかけて、・・・・・・そのうえ事故なんて起こしたのに・・・・・・」
「ああ、大変だったことは否めんな。わざとしたなら当然即説教してるところだが、あれがお前のせいじゃないなら怒りはせんよ。子供はそうやって成長するものだ、お前が心配することは何もない」
しどろもどろな自分の言葉を理解し、ずっと見てきたから知っているといわんばかりに一瞬優しい視線を送る父。思わずほっとする自分に気づくとともに、才人を罪悪感と自己嫌悪が襲う。
───サーシャの想いに惑わされたとはいえ、自分は自ら車道に飛び込み、途方もない迷惑と心配、そして悲しみを親しい人々に振り撒いた自覚はあった。しかし厳格な父は叱るだろうという決め付けを、自分はその時になったら謝ろうと引き伸ばす言い訳に使ってしまっていたのだ。
(違う、違うだろ! 俺が言いたいのは、・・・・・・俺が言わなくちゃいけないのは、そんなことじゃ、なくてッ・・・・・・!!)
「・・・・・・ご、ごめん、父さん! こんなにたくさん迷惑も面倒もかけたのに・・・・・・、俺、何も・・・・・・ッ!!」
詰まる喉から必死に言葉を絞り出そうとする才人。その眉間をパシッと指で軽く弾き、父は言う。
「なに見当違いなことを言ってる。俺は息子に介護されるような手のかかる年寄りになるつもりはないし、一緒に生きる母さんをそんな風に老いさせるつもりもない。・・・・・・もしなにかあったとしても老後の蓄えは十分あるし、第一返す何も俺たちは、はなからお前に何も求めちゃいない」
「ひ、ひでぇ・・・・・・なにもそこまで言わなくても・・・・・・」
「本当のことだから仕方ないだろう、俺たちはお前を育てること自体が幸せだったんだから。どうしても俺たちになにかしたいなら、あっちにいるお前の大切な人でも大事にしてやれ。その子の幸せはお前の幸せになって、そしてお前の幸せは俺たちの幸せだ。子供の幸せを心から願うのが親ってもんなんだよ、対価なんて求める訳がないだろうが」
当たり前のことを言わせるな、と少し怒気を混ぜて返す父。そう言い切るこの人が自分の父親でよかったと思うと共に、才人の目からふと、涙がこぼれた。
「あ、あれ?」
「どうした才人、泣いているのか?」
「ま、まっさかぁ。さっきの拳骨がまた痛くなってきただけだっての」
咄嗟にそう言い、慌てて顔を背ける。最後に親に見せるのが情けない泣き顔なんて嫌だ。すぐに止めなきゃと手の甲で拭うも、流れた涙は止まってくれない。
「・・・・・・ちくしょう、あーいてえ、いてぇなぁ・・・・・・」
流れ去る街灯や街の灯りを眺め、痛がるふりをして涙をごまかす。悲しい訳じゃないのにどうしてだろう。自分で自分が分からなくなってくる。
「まったく、相変わらずしょうもないとこで意地っ張りだなお前は・・・・・・見栄なんて張らずに、思いっきり泣けばいいだろう」
呆れたように言いながらも、再び手を伸ばしてくる父が夜の窓に映り込む。もちろんその手は先程のように自分を小突くためではなく、単に素直じゃない息子へ差し出す、父の優しさなのだとは分かっている。分かっていた。
だから才人は、頭を撫でてこようとするその手を思わず払った自分が信じられなかった。
「・・・・・・悪かったな才人、そんなに痛かったのか。 だが、さっきのは・・・・・・」
戸惑い弁明する父に心を痛め、そしてその痛みで自分がなぜそうしたのかを理解する。
(そっか・・・・・・いまここで甘えちまったらきっと、俺は・・・・・・)
驚きに涙は止まってくれたが、どうせまたすぐ泣くことになるのだろう。・・・・・・なぜなら、今から自分がしなければいけないことは・・・・・・
「ごめん父さん、俺ここで降りるよ。ここからなら家も近いし・・・・・・」
「話を聞きなさい才人。俺は、別にお前を・・・・・・」
「大丈夫、さすってくれようとしたのは分かってるから。・・・・・・でも、ちょっと夜風に当たりたいんだ、頼むよ」
頭を下げて、静かに告げる。父は開こうとした口を引き結び、ゆっくりとうなずいて車を道路の脇に止めてくれた。
「・・・・・・ちゃんと帰ってくるんだぞ?」
「うん、分かってる。それじゃあまた、家で・・・・・・」
車のドアを開け、外に出る。エンジンをかけた車が道路に戻り、角を曲がって見えなくなってから・・・・・・息を大きく吸い込んで、才人は夜の闇へと駆け出した。
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